「戦後歴程」品川正治 著 2013/9/13刊抜き書き

戦後の多くの部分を経済人として生きてきた私は、戦争を人間の眼で見て許されないと断じた憲法9条を持つ国が、なぜ経済も人間の眼で見ないのかと思いつづけてきたが、政治的な発言は多くしてこなかった。また、ある時点まで、自分の戦争の体験を語るということもしてこなかった。復員してきた直後、父親も私の足を見て怪我を負ったことはわかったけれども、どこでどう重症を負ったのか、私は語ることができなかった。私の名前を連呼しながら死んでいった戦友のことを思うと、それ以上は話せなかったのだ。
しかし、日本を「9条の国」としてでなく「日米安保の国」にしようとする動きが次第に強まり、日本がアメリカの従属国として世界から見られるような状況を前に、口を開かざるを得なかった。
いま、私たちが得た憲法9条という旗は、解釈改憲の歴史のなかでボロボロになっている。
だが、それでもなお、その旗竿を国民はしっかりと握って離さないでいる。実に70年近く、政権与党による敵視、マスメディアによる包囲など、あらゆる攻撃に耐えて、この平和と反戦の旗を国民は守り抜いているのである。その結果、憲法9条は、日米安保とは次元の異なる高貴さをも備えた、人類の宝物となっている。
私は、戦地から日本へ帰る復員船の中で、憲法9条と出会った。日本国憲法の草案を伝える、よれよれになった新聞を通じてである。はっきりと、二度と戦争はしない、と書いてある。武力を持たないと宣言している。私たちはみな、泣いた。戦闘で死んだ戦友の魂への何よりの手向けであったし、傷つけたアジアの人々への贖罪がこれで始まると思った。
以来、私はこの旗のもとで戦後を歩んできた。その歩みの一端を、これからの人々のために語ろうとする時、やはり戦争の光景から語らなければいけないと思う。

66年前の1947年5月3日に施行された日本国憲法は、「もう一つの日本」を明確に示していた。しかし、その憲法施行の時点では日本は米軍の占領下にあった。1945年の敗戦と降伏は「もう一つの日本」に変わり得る機会を日本に与えた。戦争責任は戦争犯罪人として裁かれたが、それは一億総懺悔の声のもとに中途半端の形で終わった。何より国民は飢餓に苦しみ、倫理は崩壊し、解放感と喪失感が同居している時代だった。そこに日本国憲法が示された。大日本帝国憲法の基本を買えない原案を政府は作ろうとしたが、「もう一つの日本」を米占領軍が示し、「もう一つの日本」の看板ができあがった。
この看板を作るにあたっては、占領軍総司令部の民政局(GS)の面々が大いに与って力があった。しかし、占領政策の重心が民政局から参謀二部(G2)に移るとともに、再び「変わらない日本」に転換した。「逆コース」の時代が始まった。憲法施行から2年も経たないうちに、「もう一つの日本」の実現を指向するすべての政策は否定され、それを実現しようとする勢力は、自滅するか弾圧された。あの忌まわしいレッドパージから始まって、下山事件、三鷹事件、松川事件のような、謀略犯罪のにおいの漂う荒わざまで仕組んでの国鉄労組員の大規模解雇につづく三公社五現業の首切り、そして全面講和を通じて真の独立を求める国民の声を頭から無視して、アメリカを盟主とする西側諸国との単独講和を結び、同時に、日本のアメリカへの従属を決定的に認める形になった米軍の駐留と基地の存続、さらに沖縄をアメリカの支配下に置いたままとする日米安保条約体制を確立してしまった。
国家の主権は国民にある。その主権と引き換えの「独立」とは、いったい何だ。アメリカ軍の駐留を許し、全土の基地化を許し、さらに東西冷戦の最前線の要の位置にある沖縄をアメリカに譲り渡して、これで、「平和国家」と言えるのか。講和条約を結び、アメリカ占領軍がこの国から引き上げたら、日本国憲法に則り、過去の歴史を深く反省して、世界の平和と人類の幸福を願ってコツコツと生きていける国になろうと心に誓って努力してきた国民の願いは、一場の夢にすぎなかったのか。やはりこの国は変われないのか。
戦後10年、政権は保守合同を達成し、憲法を日米安保体制に順応した形に「改正」しようとしている。しかし野党は三分の一を占め、政権の腕をしばっている。官僚は憲法と安保体制の矛盾を何とか誤魔化しながら外交と行政の破綻を防ぐ役を担っている。マスコミは、その矛盾に国民が的をしぼって立ち上がることを防ぐかのようにゴシップ記事を垂れ流している。これではこの国は変わりようがない。いや、野党が三分の一を割ったら憲法9条は日米安保体制に適応する形にあらためられ、この国の理想は吹き飛ぶことになろう。
革新陣営は何故、離合集散を繰り返しているのか。労働運動は本当に資本と対決しているのか、「もう一つの日本」のために私は何をなすべきなのか。

岸内閣の安保改定を阻止することは、あれだけの大動員、民衆参加の闘争にもかかわらず、できなかった。この敗北がもたらした、対米従属から抜け出せないこの国の姿、日米安保から日米軍事同盟に深化していった歴史、全土の基地化、さらには沖縄の人たちをアメリカ軍の奴隷のような状態に置きつづけたこの国の非情を考える時、あの60年安保闘争での敗北の責任の重さを否定しえない。
しかし、あの闘いあればこそ、得たものも大きい。憲法が日本国民の血となり、ことに9条は国民の心臓とも言える位置にまで高められた。9条を中心にした「もう一つの日本」を実現しようとの祈りにも似た決意が国民の中に根を下したことも忘れないでほしい。

80年代には預金総額で日本の銀行は世界の10位以内に6行、年によっては7行も入っていた。東西冷戦がアメリカの勝利で終結した、まさにその時、日本のバブル経済は崩壊の過程に入った。時の大統領が、「これからの闘う相手は日本だ」と言ったが、事態はまさにその通りになった。
アメリカの主力部隊は金融資本であり、軍事力がそれを支えていた。奇妙なことに、日本の政権は、金融ビッグバンを唱え、構造改革以外に経済を建て直す道はないと遮二無二規制緩和、産業間の垣根の撤廃を急ぎ、過去の、それぞれの産業の社会的役割に即した規制を「護送船団方式」とけなして全否定し、市場万能主義が声高に説かれた。

大阪の橋下徹氏、名古屋の河村たかし氏らの「第三極」が注目を浴びた。かれらの政治理念、信条、政策、すべてがこの国の進路を誤った方向に導くものと断定せざるを得ないが、なぜかれらがそれらの地で支持されているのか。その疑問に対する答えとしては、小泉・竹中路線で進められた構造改革、金融改革が、大阪や名古屋の看板を奪ってきた、その東京の論理には加担できないとの憤りを抜きにしては考えられまい。
アメリカは金融資本が産業資本を支配する。日本は産業資本を金融資本が支える。アメリカの企業の評価はすべて「市場」が決める。しかし「市場」の目とは、すなわち金融資本、投機資本の目であり、ヘッジファンドを含めたファンドの目である。利益がすべてである。自動車を製造している、鉄を生産している、石油を精製している、そんなことは何の自慢にもならない。利益率はいくらだ。それ以外の物差しはいらない。その金融資本を損保が支えてきた。どんなリスクをも金融商品として、投機の対象として市場に売り出してきたのが、アメリカの損保である。

ひたすら対米従属の道を歩んできた日本政府の権力者たちは、彼らが拠って立つ日米安保条約の負担はすべて沖縄に押し付け、沖縄県民の犠牲を当然視してきた。現在、さらに安保条約の「深化」と称し、アメリカの世界戦略の拠点として沖縄を位置づけようとしている。
オスプレイ配備は沖縄の「ぬちどう宝(命こそ宝)」と唱える沖縄県民の生命まで危険にさらしている。尖閣列島問題は、軍事面の最前線に沖縄をおいてしまった。しかし、沖縄人の決意を見誤ってはならない。敵は日米安保体制にあると、いま、的を絞って立ち上がりはじめた。本土復帰の願いの底にあった「憲法9条を持つ日本国に復帰したい」という、祈りに近い沖縄人の願いに私は共感を禁じ得ない。いま、あらためて、「ヤマトンチュウ(本土の日本人)」として「ウチナンチュウ(沖縄人)」の心とともにありたい。
私は亡き右近保太郎の、「沖縄の人たちは日本で一番幸せにならなければならない」という言葉を、89歳の今も忘れない。いや忘れようがない。
同時に、沖縄の本土復帰の原点である「憲法9条を持つ日本」こそ私の戦後の原点でもある。いのちのある限り9条を守り、後につづく人たちに伝えていきたい。

一人息子の徹は・・学生時代には全学連運動にも参加し、ベトナム反戦運動、沖縄基地闘争にも自らすすんで活動を続けていた。口もきけないほど疲れて帰ってきた時もあった。
静(品川氏の奥さん)ともども、「ご苦労さま、大変だったね」と労りの言葉をかけたが、「僕の自己満足だよ。これでいいのか、これで政治が変わるのかと思うと、どうもそうではないような気がしてならないよ」と呟いた。
まさに私の疑問もそれだった。もう一つの日本を求める志はしっかりと根を張っている。しかし、それを実現するのは一人ひとりの努力ではなく、「政治」である。人間の救済をめざしたマルクスの論理を口にしている限り、人間の道を守り通すことはできるだろう。しかし人間のための世界を実現する道は「政治」を通じてしかない。もう一つの日本を実現する道は「政治」しかない。

中国文化大革命から考えれば40余年、「もう一つの日本」を実現しようと決意してから60余年を経た。現在、いったい日本はどこに向かってすすんでいるのか。中国はどう変わり、どこへ進もうとしているのか。アメリカは、ヨーロッパは、イスラム諸国は・・。どこに向かうべきかを説きまわっているが、どこに向かうのかは「政治」を通してしか実現されないのが現実の姿であり、その「政治」を動かしているのは決して主権者たる国民ではなく、政・官・財のトライアングルとマスコミ、それらに操られる世論である。
アメリカの言うがままに動き、一握りの支配階級の思うままにさせている姿を許せないと考えても、社会主義政党は国政の場では閉塞状態に近く、労働組合でさえ保守政党を担ぐような状況で、「もう一つの日本」をどう実現していくのか。
「臆するな、正しいと思っていることを説き続けよ」という声に背中を押され、時には「沖縄は立ち上がっているではないか」「官邸前のデモにあれだけ多くの人が集まっているではないか」と、長いトンネルの向こうに出口の光を見るような気もしないではないが、最期の時を目前にした今、心底から、「これでよかったのか」と自省の叫びをあげざるを得ない生涯であったことを、正直に告白しておかねばなるまい。

戦後、私は経済の世界に身を置いてきた。損保会社に職を得て、労働運動に専念し、職場に復帰したあとは経営者として、さらには経営者団体のリーダーの一端をも担った。マックス・ウエーバーの言葉を借りるならば、「職業としての経済人」とは何かを考えながらの年月であったと思う。現実から逃避せず、また現実への逃避もしないで過してきた。その中で見えてきたのは、「資本主義」の本質と変貌と将来であり、資本主義に支えられた「民主主義」の歪んだ姿であった。
2011年、世界は大きな揺れを経験した。中東を揺るがした「アラブの春」から始まり、「99%」の人々が、1%に支配される資本主義はいらないと、ウオール街を占拠した。
日本の東日本大震災は、マグニチュード9の大地震と津波により、二万人超の死者を出したのみならず、福島第一原発のメルトダウンをも惹起し、多くの人々から故郷と生活を奪い、地球を傷付けてしまった。
資本主義を問い、さらに科学の進歩を問う時代がはじまったようだ。しかし、このことは新しい歴史のはじまりと考えてはならないのではないか。むしろ、危険な時代のはじまりなのではないか。そのような重い予感を、いま病床にあって、覚えている。
歪んだ資本主義にとっては、歪んだ民主主義が使いやすいのである。日本においても、1%の支配階級が、政治も経済も握っている。しかもそれは、アメリカの権力に全面的に従属した、きわめて歪んだ形の構造を形作っている。そして、その全体構造を支えているのが、この国のマスコミにほかならない。戦争の記憶と批判力が失われつつある日本社会において、社会のさまざまな分野で戦後の民主主義と平和主義とを解体していく「構造改革」が進められている。閉塞感が強まる中で強硬な政治が歓迎され、ファシズムを指向する動きさえ出てきている。この国を再び戦争をできる国にするため、憲法9条を骨抜きにしようとする動きも続いている。
だが、私は悲観はしていない。平和と民主主義の旗は、確実に次の世代へと手渡されている。いかなる紆余曲折があろうとも、私が戦後のすべてをかけて実現を志した「もう一つの日本」人が人らしく生きられる社会への歩みがとどまることは、決してないだろう。

経済同友会の専務理事として経験したことの中で、特に書いておきたかったことは、経済界と政権・政治との関係性についてである。私が専務理事として支えた代表幹事の速水優さんは、つとに非戦の意思を強く持っておられたこともあり、当時、自民党幹事長に就いていた森喜朗氏とは犬猿の仲と言っていいほどの関係にあった。森幹事長から「出入り禁止」を申し渡されたほどであったが、速水さんは「出入りなどしない」と、むしろ開き直っておられた。その速水さんが、同友会の代表幹事を退かれたあと、橋下龍太郎総理の指名で日本銀行の総裁に就かれたことは意外であった。ちょうど日銀法が改正される節目でもあり、速水さんは政府からの日銀の独立をきわめて意識的に堅持しておられた。私は日銀総裁の顧問として、同友会時代に引き続き速水さんを支える立場にあったので、その努力と矜持は大変なものだったと言うことができる。現在の日銀と政府の関係を思うと、まさに隔世の感を禁じ得ない。

私はまもなく世を去る。後の世代の方々には、9条を守りつづけ、日本の平和、東洋の平和、アジアの平和、そぢてアメリカを含め世界の平和の先頭に立っていただきたいと願うばかりである。

引用は以上です。
2021/12/26日 図書館にてこの本を見付け品川正治氏はどのような人だろうと思い本書を読みだしたら、夢中になって一気に読んだ。
9条の尊さ、及び、1%の富裕層が経済を動かしている社会はおかしい「人が人らしく生きられる社会」を目指してきたと経済界の第一線を担ってきた著者が、一労働者が述べるような主張をしていることに驚いた。

このような立派な経営者がいたとは知らなかった。

これだけ長い引用は大丈夫だろうかと思ったが、読後の感動が大きく、かつ多くの人々に本書を読んで頂きたいと思い、あえて転載させて頂いた。

以上

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