私が大学を辞めた理由

先日、「どうして大学を辞めようと思ったのか?決断のきっかけは何だったか?」ということを聞かれました。
このことを言語化して共有することは、辞めようかどうか悩んでいる若者の助けになるかもしれない。そう思って筆をとりました。
発達障害を持っている私は、高校大学で本格的に「困る」ことが増えました。健康な方はあまり共感できないかもしれません。

◎単位が取れなかったし、当分取れないことになった
私は大抵、ゴールデンウィークごろと、シルバーウィークごろに体調(心の調子)を崩します。とくに秋の不調は大きかった。
秋学期を2度休学しました。それによって4年目が始まった時点で必須単位が揃っておらず、なおかつ4年目で回収しきれないことが発覚しました。
つまり、入学から数えて最低7年間在学する必要があり、卒業するときには若くても25歳になっている、という見通しが21歳のときにわかったのでした。

・単位が取れない理由は、調子「だけ」ではなかった
多くの大学では「出席点」がありますが、出席点をどのぐらい重視しているかは、大学や科目により大きな差があることでしょう。
調子が悪く登校できない日が多くとも、「レポートを出せばOK」だったり、「試験ができればOK」だったりすれば、それほど問題にならなかったと思います。
私の大学は非常に出席点が厳しい教科が複数ありました。配慮をお願いしたこともありますが、「決まっているから特別扱いはできない」と取り合ってもらえませんでした。

なおかつ、「秋学期の教科は秋学期にしか開講しておらず、春学期に復学しても取れる教科が全くない」こともあり、大学の規模や複数回にわたる半年休学が想定されていないことでぶつかる、制度のバグが多くありました。

◎手を広げすぎた結果、人間関係が限界だった
気になった課外活動には全て首を突っ込み、恋愛関係でも波風を立て、ネット上では承認欲求を撒き散らし、実家からは飛び出していたため、全体的に人間関係が良くない状態でした。
特性や症状がそうさせたとはいえ、完全に私の落ち度。思い出すとまだ胸が締め付けられるように苦しく、詳しいことは書けそうにないです。
入学当初は休んだ私のためにノートをとってくれるような人がいましたが、休学で学年が変わってしまい、新しい学年には馴染めませんでした。

学校のどこにいても「居づらさ」を感じていたし、その居づらさが「みんな私を攻撃しようとしている」「監視されている」「誰も信用できない」といった「被害妄想」に変わるのに、時間はかかりませんでした。
その状態では「◯◯の授業は期末レポートを出せば単位が取れる」「××の授業は授業中に配られる宿題を3度だけ出せば単位が取れる」「△△の授業は5度欠席で単位が取れなくなる」といった情報が得られなかったし、そういう情報をどうやって得るかという情報も不足。そもそも、そういう情報を得てラクに単位を取るのはズルであり必要がないと思っていました(今思えばそんなことはない)。
また、「××と△△は両方とも必須科目だが、時間がかぶっているため同じ教科が違う時間にある他学部での履修を認めてほしい」というような交渉も苦手で、それが認められないと「教職員が意地悪をする」と考えていました。

スクールカウンセラーや校医を勧められて受診していましたが、率直に言って全く役に立ちませんでした。生活面での困りも大きかったので、彼らが対応できる範囲を超えていたのだと思います。

◎そもそも、「大学は思ってたんと違った」
私の家族には大卒者がおらず、「大学なんてレポートが書ければOKだよ、高校のような集団授業は少ないよ、論文は大変だけど、それを除けば高校よりラクだね」という情報を親族や先輩から得ていました。
高校生の私に大学生の言う「レポート」「論文」が何かはわからず、「(正誤やプロセスに関わらず)ボリュームのある文章が書けさえすれば大学は卒業できるものだ」という誤認を得てしまいました。
実際には高校でやるような授業の連続で、しかも内容は高校より難しかったし、出席管理も高校より厳しかった(余談ですが、高校は少々休んでもテストができていれば大して問題にならなかったし、出席のとりかたもチャイムが鳴ってから教室に駆け込めば「だいたいセーフ」という自由な校風でした)。ただ、これらの状況も学校や学部によると思います。

・専門分野に対する認識が誤っていた
私は急に進学先を変えたため、自分の成績に正確なデータがなく、偏差値すら算出ができませんでした。「新設学部のある学校ならラクに合格できるのではないか」と考え、実際簡単に合格できました。
なんとなく「手に職をつけたい」という思いがあり理系を選択したはいいものの、専門教科の授業で話される内容を聞くたび、「これはやりたいことではない」という思いが強くなり、課外活動に時間を割くようになりました。転学部や編入学(転校)も考えましたが、そのためには「2年生を終わらせること」が必要で、その目処が立っていませんでした。

・自由なんてなかった
「大学は自由に履修できるから、発達障害でも楽しかった」という声を聞いたことがあります。
私の大学では何年生に何を履修するか大枠では決められており、学期に6時間前後、「好きな科目が入れられる余白」「履修するかしないか選べる科目」がある程度。
これは私が理系だったこと、高校でも必要な単位を落としていたために基礎ができておらず、受けられる授業に制限があったこと。大学の規模が小さめであったこと、学部が新設で上の学年がなかったなど色々な要因がありました。人間関係も高校以上に密で、これも前述したようにうまくいっていなかった。
ひとことで言うなら「自分に合った大学を選んでいなかった」のだと思います。

・入学前の準備不足
前述したように、急に進学先を変えたので、入学する予定の大学がどこにあるかすら知りませんでした。
これはやむを得なかったのですが、もしこれから進学先を決める人がいるなら、せめて試験より前に見学に行くことをオススメしたい。時期的に間に合うならオープンキャンパスに行ったほうがいい。多少は雰囲気や何が必要かを掴めると思います。
近頃だと、障害のある学生に対して支援や配慮を用意している学校もあるかと思います。私の行っていた大学には、なかったのだと思います。カウンセラーや校医以外には、たどり着けませんでした。

◎未来が見えなかった
ちょうどその頃(2010年ごろ)世の中では「ブラック企業」が話題になり始め、同じ大学の先輩のほとんどがブラックな環境で働き、心を壊す人が少なくない、という情報も得ていました。
専門知識を生かしつつ、「ブラック企業」から逃げるには、教員になるしかないと考えていました。今では教員もブラックだと知れ渡っていますが、当時はその認識がありませんでした。しかし、卒業に必要な単位が半分も揃わない状況で、教職課程の履修を続けるのは無理でした。

・労働も、向いてないかもしれない
バイトの面接に落ちたりインターンを断られたりすることが続き、「もしかしたら、普通に労働すること自体難しいのでは」と考えはじめてもいました。
「25歳を超えて多留(厳密には留年ではなく体調不良が原因の休学で遅れているわけだが、企業からマイナスに見られるのは変わらないだろう)の人間を採用する会社はあるのか?」「25歳を超えてまで好きでもない学問をやるのか?」「ここまでお金をかけてくれた親には申し訳ないが、体調を立て直してアルバイトなど学歴を問われない職についたほうがいいのでは」と考えました。
この時点では自分の特性がよく分かっていなかったし、派遣社員全盛期だったので、障害をうまく隠して採用さえしてもらえれば当座なんとか食べていける、という見通しの甘いところも正直ありました。
ちょうど親も退職し、とにかくすぐに現金がほしかったという事情もありました。

◎そして、障害者雇用を知る
秋学期を休学し、春学期に復学しても何も単位が取れないことを知り、春学期も休学することを決めた私はニート生活をしていました。楽しくはなく、寂しく、余計なことを考えては不安になり、身体を清潔に保つモチベーションもなく、インターネットにしがみつく日々。
そんなとき、障害福祉サービスの「就労移行支援」を知り、見学に行ってみました。「就労移行支援」が何かは、見学に行ってもその時はよくわかりませんでした。しかし、「障害をオープンにして就活をする」という道があることを知りました。そのほうがいいんじゃない?と私は思いました。春学期の休学費用納入ギリギリまで悩み、そして費用納入をしなかったため、「在籍費用未納のため除籍」となりました。

◎まとめ
何かを辞めることって、何かをやることと同じぐらい精神力を使うと思います。
先が見えなくて苦しいなら、辞めてしまうのもいいのだけれど、「別の先」が見えてから辞めるのがベストだと思います。「別の先」など見えそうにないなら、「辞める」ではなく「休む」という選択肢もあります。
このあと実際に障害者雇用ではたらくことになりますが、職についたのが25歳でしたので、7年間大学に通うより遠回りしたかもしれません。「大卒」の肩書きを得ず、障害者雇用というカードを切ったことで生涯賃金は下がったでしょう(死ぬまで正確なことはわかりませんが)。
でも、後悔していません。それは、「やりたくないこと」をやっていない、という確信があるからです。

何かを始めるとき:学校を選ぶときはもちろん、就職・転職活動をするとき、新しい家庭を持つときは、「入り口がユルくて入りやすいこと」や「世間的に聞こえが良いこと」を基準にせず、事前に「自分に合っているか」をよく検討したほうがいいな、読者の皆さんにもそうしてもらいたいな、と思います。
この話を、いつもお世話になっている福祉関連の方にしたところ、「入り口から出口までのあいだでつまずいたとき、支えてもらえる、という安心のあるところを選ぶといいよね」と付け加えていただきました。

※身バレ防止のため、エピソードには一部フェイクを挟んでいます

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