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生きていくことに必死だった。


のかもしれないと、最近ふとそんなことを思った。

僕はあんまり過去に興味がないから
昔のことを思い返さない。

今何をしたいか
未来何をしたいのかを考える。

だから、隠すわけでは全然なくて
自然と過去のことについて
自分から話すことはあんまりなかった。


最近ある人に過去から現在に至るまでの
敬意をわりと細かく聞かれることがあった。

生い立ち、親のこと、兄弟のこと
学生時代の僕、なぜ今の仕事についたのか
どうやって今みたいな価値観を持つに至ったのか。

人のルールは普通によく聞くのに
自分のことをここまで話すって意外に滅多に
ないものだなと思った。

なので、今日は珍しく僕の親や生まれた環境について
ちょっとだけ書いてみようと思う。


兵庫県姫路市生まれ。
三兄弟の長男で、一個下の弟と三個下の弟がいる。

お父さんはどんな人だった?って聞かれると
間違いなく「こわい人」だったと答える。

おとんが帰ってきて玄関を開けたとき
男三兄弟がそろって「お帰りなさいませ」
って言わないとこわいことが起こる家だったw

小学3年生のある日
三兄弟がおとんに呼び出され
「お前ら三人は将来プロ野球選手になります。
だから今日からトレーニングします」
って通達が下る。

翌朝からトレーニングスタート。
朝6時前に起きて登校前にランニング。

一日三職のメニュー
飲む牛乳やちりめんじゃこの量まで
緻密に徹底管理された。

下校後も素振り、ティーバッティング
その他決められた練習メニューをこなした。

そのあとどうなっていくのかは
書くと長いからまた機会があれば書くけど
プロ野球選手にはならなかった。
ボールがこわくて途中でやめたから。笑

でも、当時はボールよりもおとんの方が百倍ぐらい
こわかったから野球はだいぶうまくなった。
ピッチャーとショートだったし。


おかんがどんな人だった?って聞かれると
「エホバの証人」と答える。

性格よりもそう答えた方がいいと思うぐらい
アイデンティティになっているから。

エホバの証人というはそういう名前の宗教。
僕が生まれるちょっと前にその宗教に信仰を持ち
熱心に今でも続けている。

おとんは猛烈に反対していたから
おとんがいないところで僕たち三兄弟に
隠れて”聖書の勉強”を教えたり
”集会”に連れていかれた。
バレたら●されるのに。笑

結構規則が多くて厳しくて例えばお祝い事は基本ダメ。
だから、誕生日、ハロウィン、クリスマス、正月
を家族でお祝いすることはなかった。

学校でいただきますで手を合わせることもなかったし
ゲームやテレビも基本禁止なので話が合わない。

だから、同級生からしたらだいぶ"変わった子”だったと思う。

そんな中で(まだ意味がわからない中)
毎日聖書を読んでいた。

親がエホバの証人だって
人に言うのは23歳ぐらいまで
こわくてできなかった気がする。

でも、僕が他の人よりちょっと言語化がうまいとしたら
この生い立ちはかなり関係している。
小さい頃に難しい漢字をインプットした量が
同級生と比べて尋常じゃないぐらい違うからw



家はお金がなかったから
お小遣いをもらった記憶はない。

高校で禁止されてたけどバイトをして
(時給680円でスーパーのレジ)
貯めたお金で初めて自分で買いたいものを買った。
中古のバイオのデスクトップPC。

テレビが禁止されてたけどチューナー付きで見れる
というが選んだ理由だった気がする。笑
この時の感慨深い気持ちは今でもよく覚えている。


よく親がお金のことで喧嘩していた。
その怒声を自分の部屋で聞きながら
いつも胸が締め付けられる思いだった。

風呂場とトイレだけが
ちょっと安心できる場所だった。
家も学校も全然楽しくなかったから。

なんでこんな家に生まれてきたんだろうといつも思っていた。
この時はよく泣いてな。
泣きすぎて感情がぐしゃぐしゃで
自分がなんで泣いてるのか、何をしてたのか
記憶も曖昧になるようなことが何度もあった。
愛読書は「人間失格」だった。笑

学校も不登校。
遠かったし、授業を座ってきくのが苦手だったから。
この頃は自分に自信がなく、自分のことが大嫌いすぎた。

でも自分を変えたくて、そして早く家を出たくて
中卒と高速の親は就職したら?って言ってたけど
奨学金を借りて自分で大学に行くことにした。

お金のことで不幸になることだけは
避けたかったから自分をとにかく成長させて
やりたい仕事を”選べる”ようになろうと思った。


大学に行って家を出て
適切な距離を取れるようになって
いつからか両親のことが好きになった。

自然と。

おとんからは「徹底的に決めた物事を追求する力」
おかんからは「目に見えないものを信じる力」

をDNA的に受け継いでると自分では思うようになった。

宗教のこと、お金のことで
ずっと喧嘩していたような記憶が濃く残ってる両親は
今では嘘のように仲良く暮らしてる。

おとんは驚くほど丸くなった。
おかんの愛情の勝利だと勝手に思っている。

今でもたまにでいいけど
実家に帰ってあーでもないこーでもないって
飯食べるのは楽しい。

来年出す本が売れたら
生んで育ててくれた親のお陰だと言いたいし
親から受け継いだ才能を昇華させて
(ある意味笑)育て方は間違ってなかったと証明したい。


でも、中学高校ぐらいまでの僕は
お金もなかったしデフォルトが”我慢”だった。

親からのユニークな形での
愛情も受け取れていなかった。


今ではなんか過去が美化されているけど
昔の僕は、そして社会に出てからもある意味で最近までは
生きていくことに必死だったんだと思う。

「どうやったら幸せになれるんだろう」
「自分らしさって何」
「自分にしかできないことをやりたい」

みたいなことでよく悩み
哲学的に途中からは趣味みたいによく考えていた。

今になってわかるのは、親に
「研太、よく頑張ってるな。偉いな」
って言ってもらいたかっただけだと思う。
野球のことと、宗教のこと以外で。

わかりやすい愛情に飢えていた。

”その感情”が欲しくて
いろんな分野で圧倒的な結果を出して目立津ことで
他の人から承認されることを求めていたんだと思う。


最近
「昔と比べてやまけんさん人間っぽくなりましたね」
「エネルギーが変わった」
ってまあまあな人数から言われる。

不足していた”安心"を埋めるピースが
何かしらの形でそろってきたのかもしれない。

そういう理由もあってか
こんな感覚が強くなってきた。


今までのすべては
僕にとって必要だったと確信している。

でも、これからは
蓄積してきたリソースを使って
今までとはちょっと違うお役目を
もっと果たせるようになりたいと感覚的に思っている。

ビジネス・ビジネスした世界も好きだけど
誰かの課題を解決できるような
課題解決型のビジネスの世界にさく比重を
もうちょっと多くしたいなあ
と。

次回はそんなことについて書きたい。


追伸、

昨日一昨日と
仕事仲間が住んでる八ヶ岳にいって
たっぷりの自然に囲まれた環境で2日間過ごした。

エネルギーチャージ完了。

あと二日でやるべきことやって
10月はより新しい方向性へのシフトを強めていくぜ!

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追伸2、

八ヶ岳のとあるカフェで
「まさか、やまけんさんじゃないですよね?
やまけんさん長野にいるはずないし」
って声をかけられた。

twitterで僕のことを知って
noteも読んでもらっていたブロガーをされている
女性の方だった。

プライベートで気を抜きまくって
へなちょこな感じなところを見られるのははずいけど
自分が知らないところで
ゆるく繋がりが増えていってるってのは嬉しかったなあ。

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