【160327更新】ビートミュージックのデッサン力(仮) 五章途中までの草稿

今回書き足せたのはそれほど多くない。一方で、「はじめに」については割と加筆。今88000文字くらい。
文末にある「これから書く内容」の項目ばかりがどんどん増えて、風呂敷が広がってばかりです。

全体がこんなに長くなるなら、前半も書き直すことになるんでしょうねえ、とほほ(笑)。たとえば、「変奏」や「アーティキュレーション」あたりを無遠慮に使いすぎている気がするので、そのあたり書き足したい。あとそれらとは別に、本稿で導入した用語や視点に対応する、しかしそれらの用語抜きでただ練習用の音形を挙げるようなセクションが組になって書けたら良いなあと思い始めているのですが、作業量が多くなりすぎで、きっとそれは別の宇宙の物語でしょうねえ。

まあ良いや。とにかく少しずつ書き増し続けます。

【書き直したり書き増した時には新しいノートを立てて、旧エディションを非公開にしています。続きを楽しみにしてくださっている方は、マガジンをフォローしておいてくださいませー。】

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0) はじめに(ながい前置き)

デッサンというと、絵画を中心として、美術全般の基礎的な技術として良く知られています。割合良く知られた言葉ですから、美術の専門家以外の一般の人の同士の会話で、漫画やイラストに関して「デッサンが狂っている」という様な言い方が取り交わされていても、あまり不自然に感じられないほどです。

デッサンとは、鉛筆などを使ったシンプルな絵画技法によって対象を描く事ですが、それ以上に、対象を絵に翻訳・翻案するために、対象を良く観察して、それが備えている空間的な意味合いや機能などを良く理解する事がその大きな目的であるとも言われているそうです。ですから、「デッサンが狂っている」というのはつまり、描かれた絵の形の意味合いや機能が、描かれた対象の実際の様子とは異なっている時に、そう言われる訳です。

これから転じて、文章を書く能力などについての場面などでも「デッサン」の言葉は用いられる事があるようです。状況やものごとの性質などを文章で描写する訓練や、やはりなにより、その状況をよく観察して把握したり理解したりして、それを文章に翻訳・翻案するための訓練という事なのだと思います。

美術や文章に限らずどの専門分野でも、対象に関して良く理解するための訓練や検討は様々な場面で求められるものです。そういう視点においては、それぞれの分野における「対象に関して良く理解するための訓練や検討」はみな全て、それぞれの分野におけるデッサン力の様なものであるとも言えそうです。

様々な仕事の現場などでも、指示やマニュアル通りに行動したり道具を使ったりするだけでは、その事がどういった結果に結びついているのかわからないままです。しかし、その分野での訓練や結果を観察する経験を通して、だんだんと指示やマニュアルで要求された行動の意味や目的を理解する事が出来る様になるでしょう。それで次第に、職場の他の人の役割が理解できる様になったり、新しい提案をする事が出来る様になったりもします。この変化を「その仕事における基礎的なデッサン力が備わった結果」なのだと捉える事は出来ないでしょうか。

デッサンとはそのある側面として、その分野における基礎的かつ要素的な、描写力の訓練です。これらの集合が、実際的な仕事全体を構成します。そしてまたデッサンとは、観察と描画とを結びつける、判断の技術についての訓練でもあります。判断力が不足している場合には、絵画で言えば、せっかく様々な絵の技法や様々な道具を手にしていても、なかなか満足のいく結果を得られないかも知れません。判断があるところには、そもそもそれに対応する問いや問題意識があるはずです。それらこそが判断の基準だからです。良い判断が出来ないという事は、あるべき問いがはっきりしていない事が理由かも知れません。

判断力としてのデッサンの側面を考える時、デッサンの要点が観察力であるという事は重要です。つまり、デッサンに取り組む事はある意味で、その作品が実現されるための技法について判断している事にとどまらず、観察を通じて、その作品に取り組むにあたっての特有の問題意識や、未解決の状態にある問いを発見しているのだと言う風にも考える事が出来ます。デッサンを通じての判断とはつまり、その問題解決のために必要な手段を選択したり、判断したりしているのです。問題意識を持ってものごとに取り組む場合には、取り組んだ後から、解決度合いの程度を測ったり、問題の再定義をしたりする事が出来るものです。しかし問題意識があいまいである場合には、目的地の無い移動と言うべきか、いくら働いてもきりが無いという事にもなりませんから、これは大切な事です。

デッサンと作品制作との関係とを考えた場合、実際の作品制作に取り組む事が出来る時というのは、事前のデッサンを通じて、あるべき問いや判断基準を確認する事が出来た時だとも言い換えられそうです。これがつまり、デッサンには実際に手を動かす側面と、観察する側面とがあり、特にその観察の側面こそがその本質的な性質だと言える理由になるのではないでしょうか。

経験や観察を通じて得たこれらの問題意識は、ものごとに取り組む際の大きな部分にも、細かな部分にも関係します。問題意識や未解決の問いが自覚できているからこそ、大きなところでは自分で出した作品という答えに到着する事が出来ると言え、また、小さなところでは、描画の一筆や粘土を整形するひとつまみに、合格の判断を与えたり、あるいは問題意識を更新したりといった事が出来るのでしょう。逆に、問題意識があいまいである場合には、作品の完成を判断する事ができないとか、どういった技法で取り組むべきか判断する事が出来ないとか、実際に手を動かす時に何をして良いのか迷うとかという事にもなりそうです。

これは、先に挙げた、仕事一般に広げた例えにおけるデッサン力の働きに関しても同じ風に捉える事が出来ます。つまり、実際的な問題が具体的な技法や手法によって解決されるという事は当然なのですが、それらを取捨選択するための価値観や判断基準は、デッサンにあたる観察や訓練を通して得られるのだ、という風に考えたい訳です。

一般的にデッサンというと、絵画で言えば鉛筆画を描くとか、文章で言えば様々な修辞を試すとかの、実際に手を動かすという具体的な事柄を指します。しかし本稿ではデッサンという言葉について、ここまで述べた様な、観察を通じて問いを得るという側面や、判断基準を確認するという側面に注目して扱いたいと思います。

ところで、具象の絵画に携わる人にも抽象の絵画に携わる人にも、また、立体造形に携わる人にも共通して、基礎的で、共通し要求されるデッサン力というものがあるそうです。つまりどうやら、それぞれで用いられる具体的な表現手法に関わらず、共通して要求されるデッサンの要素や技法というものがある様なのです。そしてこれと同じ様な事が、音楽におけるリズムに関しても言えないでしょうか。これが本稿の最初の「問い」であり、本稿タイトルに「デッサン」の語を用いる理由です。

ではここでやっと、音楽を例に採り上げた話に移りましょう。

「リズム感を良くしたいからドラムでもやろうかなあ」という話をしばしば聞きます。でも、ドラムの練習はドラムの練習であって、それだけで汎用的なリズム感が良くなるとは、筆者は特に考えていません。もちろん、ドラムの練習は、ドラムの技法の練習になります。しかしドラム奏者は、ドラムの技法の練習をすると同時に、「音楽のリズム的な側面を良く理解するために他の楽器の演奏を良く聴け」とか「ドラム以外の事をよく理解しろ」と言われます。けれどそれでは、他の楽器をやっていてリズムの勉強のためにドラムを始められた方は「あれっ?」って思っちゃいますよね。

そこで本稿では、出来るだけドラム演奏に場面を限定せず、リズムと言われているものごとの周辺を扱います。その中でも、リズムに関係したデッサン力はどういう要素から出来ているのかに興味をおいて話題を進めます。デッサン力というのは、観察力の事でもありました。つまり、本稿を通じて、リズムを観察する時の癖として役立ちそうな、いくつもの要素や視点を挙げていけたら良いなと思います。そのために、これから、いくつも検討を重ねながら、話題を進めてみたいと思います。

ところでちょっと脱線して、「リズム」という語についても触れておこうと思います。このリズムって何でしょう。何のためのものだと思いますか。辞書的にリズムを説明すると、何かの輪郭や濃淡の変化に関して周期性が認められるという時に、そう言います。音楽についてもまさに、そうです。しかしこれをもう一歩踏み込んで、しかも独断的に言えば、それは、物の形や言葉や楽器の音や体の動きを捉える感覚を、それらがそこにあるままで、私たちが今語り、文章を読み書きしているこの世界から切り離して受容させるはたらきそのものの事ではないかなと思います。とても比喩的な言葉の表現なのですが、しかし実際的かつ具体的に書いているつもりです。

言葉や楽器の音や体の動きは、リズムがなければこれらは単に、語の意味であり、語りであり、もしかすると一時の試し弾きであり、ちょっとした運動というだけの事かも知れません。目の前にあり、現実に起こっている物事や意味のディテールそのものです。それが物であれば手を伸ばして触る事が出来る場合もありますし、それが言葉なら、対話したり異論を持ち出すような事も出来るかも知れません。しかしリズムの働きが認められる場合には、それらは目の前のディテールの集合から切り離されて、そこにある実態以上の、何か特別な機能を持つ感じがあります。もちろん、もともとの意味や物としての性質はそのままですから、変わらず手を伸ばしてそれらのディテールに触れる事は出来るのですが、しかしそこにあるはずのリズムという物だけを取り出して触れる事は出来ません。

この様にリズムとは、物や言葉そのものではなく、それらがまとう性質や、そこから生じる機能の事であり、あるいはその機能が生じる条件の様なものの事です。リズムの機能とは、ある場面では衆目に何かを掲げるような機能であったり、ある場面では呪術的な没頭の機能であったり、ある場面では複数の人の間で価値を分かち合うような機能であったりするかも知れません。ある時には、これらをもって、詩的だと言われる事もあります。

残念ですが、リズムの機能とは何かと言う事でさえ、ここにはっきり示すのは難しいです。これが対象に備わっているのか、それとも受け取る側から提出されているのかという事も、ちゃんと判断する事は難しい事です。

リズムというと、用語としては、繰り返しの事なのだと説明される事がありますが、しかし実際には、必ずしも目立った繰り返しがない様な場面でもリズムは感じられ、また、リズムははたらきます。そこにリズムがあるかどうかという私たちの自然な認識は、私たちの態度や感じ方を無意識にも大きく違わせます。いつも私たちは、結果としてリズムのはたらきを感じ、リズムの存在を指摘するのです。ですから、リズムがあるという場合には、どういった条件が伴ってたかという事を観察して検討する事は、可能です。リズムをつかんで触る事は出来ないのですが、リズムをデッサンする事は出来るのです。これが、本稿がタイトルに「デッサン」の語を採用した理由です。

これは単なる比喩ですが、リズムを介在したこちら側の世界を娑婆だとすれば、リズムを通して見る世界は、娑婆とは少し違います。リズムがそこに感じられる時、同じリズムを認め合う者同志は、リズムを介在として、この娑婆から切り離されて、ほんのちょっと平行移動した先の、リズムの世界にいます。一般に「リズム感」と呼ばれがちなその何かは、そうやって平行移動するその先を、ブレずにしっかりと見据える事が出来る力や、安定して提供出来る力についての事なのかも知れません。これはつまり、音楽や身体表現の場合で言えば、同じリズムの平行世界に、演者がその時々で視聴者を留めておく能力の事です。その移動先がちぐはぐであったり、都度異なる様では、視聴者は安心して娑婆から離れる事が出来ないからです。

リズムに関係する事柄を扱う本稿ですが、この様に、リズムそのものについて具体的に書き示す事は出来ませんでした。しかし本稿でのデッサンの検討をご一緒して下さる事で、その構成要因が少し身近に、また具体的に感じられるようになると良いなと考えています。また、リズムに関する判断材料を得て頂けると良いなと思います。

とはいえ本稿のやり方は、多少分析的にすぎるかも知れませんし、それにしては強引というか、決めつけがひどいところもある気がします。けれどまあ、単に長いだけで、難しい内容にはならないと思います。

もうすっかり、前置きが長くなりました。ここまでにして、リズムのデッサンをするための目の付け所について、実際に検討しましょう。そのための最初のキーワードは、タイトルにあるもうひとつのキーワードである、「ビートミュージック」です。

では、始めます。

1) ビートという言葉の整理

1-1) 本稿は「はじめに」で宣言した通り、「ビートミュージック」という言葉から始めます。それが何か、という話の前に、まず最初に「ビートという言葉を本稿ではどういう意味合いで扱うのか」という事について整理しておくべきでしょう。そしてその次に「ビートミュージック」の指すところを整理して、それから、リズムの構成要素の具体的な話へと進めたいと思います。

「ビート」という言葉を使う時、これは色々なものごとを指す場合があります。日本語では、英語でのそれとは違って、冠詞も、単数形複数形の別もなく単にビートと言ってしまう場面が多い事が、もしかすると多用の原因になっているかも知れません。

しかし、これらすべての用法をそれぞれ取りあげるのは、本稿の目的ではありません。どちらかといえば、そのある側面を扱いたいのだ、という目論みです。ですから、本稿での「ビート」という言葉に関してを、このあとの行き違いが出来るだけないように、ここで最初に整理を試みてみようとしています。

1-2) 音楽の場面に限らずに考えると、ビートという言葉そのものは、「打つ」という時に使う言葉です。ですからビートは、第一には、打つ動作ひとつとか、それで鳴った音ひとつとかを指すものだと言って良いと思います(この事を本稿では[A]とします)。

次に、音楽――特に楽曲に関係した名詞としてのビートは、もう少し限定した対象を指すものだと考えた方がすっきりします。なぜかと言うと、[A]のとらえ方のまま「ビートとは全ての音ひとつひとつや、それを鳴らす全ての動作の事だ」という事だと、楽曲の音全部の事という事にもなってしまいかねず、それではあまりにとりとめがありません。そしてそれでは、本稿での検討も、また日常的にビートという言葉を使うのも大変になってしまいそうだからです。

ですから、楽曲を考える場面では「ビートかそれ以外」という風に、対象に輪郭があるものとて扱える様にして、考えを進めたいと期待している訳です。

1-3) ところで、指す対象が漠然としている「ビート」の用法のひとつに、「これはとても良いビートだね」というような使い方があります。聴いた音楽が格好良いと感じた時に、特に打楽器による表現がその音楽の格好良い印象に多く貢献しているような場合で、また、連続して繰り返し現れる表現が打楽器によるものであると、「これは良いビートだねえ!」なんて言いやすいのではないでしょうか。

これは[A]の「ビート」とはまた違った用法です。この用法の場合には、ある楽曲や演奏に含まれるひとまとまりの格好良さや性格を指摘するために、「ビート」の語を用いています(便利のためにこの用法を[B]とします)。

1-4) そこで、楽曲や演奏の格好良さや性格を示す語には、打楽器表現に限っても、他に「フィール」や「グルーブ」などあり、これらはそれぞれ多少あいまいな所がありながらも、それぞれはそれぞれで疑いなく使用されています。これらは、それぞれある分野ごとに正確に使い分けられていると言うよりも、使う場面や文化的な属性で適宜使い分けられているという感じなのが実際で、「これらの語同士の違いを検討する事で、すなわちビートという語の検討に役立つ」という事にはなりそうもありません。

そういった訳で、本稿では「フィール」や「グルーブ」には特に深く言及をしません。しかし関連して、ここで楽曲や演奏の雰囲気や性格を伝える方法について、少し寄り道したいと思います。

1-5) 譜面や口頭で楽曲や演奏の雰囲気や性格を伝えるには、いくつかの方法があります。「拍子記号(4分の4拍子とか)」を示す事、「テンポ(メトロノームに設定する数字での指示や、アンダンテなどの速度記号での指示)」を示す事、「発想記号(カンタビレとかスケルツァンドとか)」を示す事、「演奏スタイル(マーチでとかブルーズ風のシャッフルでといった風)」を指示する事などです。義務教育の音楽の授業中にも紹介されるので、実際に活用した事がなくても見覚えがおありかも知れません。

これらはそれぞれ別々のものですが、楽曲を構成する要素としてはそれぞれ分かちがたく結びついていて、これらのどれかだけを示せば楽曲や演奏の雰囲気を伝えるのに十分であるという事はありません。演奏の雰囲気の一要素を表す事が出来るだけです。ですから、演奏の雰囲気をより具体的に示すには、これらを組み合わせて指示する以上に、「あのアーティストのあのアルバムのあの録音のあの部分」という風な伝え方が一番手っ取り早く、より確実な伝達方法であるという事はしばしばあるでしょう。

これは例えば作曲家の方にとっては「あれと同じように」という指示では贋作のそしりを受てしまうかも知れませんが、編曲・演奏・聴取という風に段階が実際の演奏そのものに近づくにつれて、「あれと同じだな」とか「あれに通じるな」という感想は、決して悪いものではないと言えますよね。こういった「あれみたいな感じだなあ」という感覚は、音楽を通じて得られる喜びのおおきなひとつです。

1-6) さてそこで、[B]の「ビート」の事を考えたいのですが、[B]のような用法で「格好良い」とか「良い雰囲気だ」という評価が可能であるという事は、つまり[B]の用法には「拍子」「テンポ」「発想記号」「演奏スタイル」といった要素やその他の要素が様々含まれた上で用いられているという事が出来るでしょう。これは、[B]の「ビート」の用法は、[A]に比べると、ずいぶんと複合的な意味合いを果たしていると言えます。

あらためて確認すると、この様に同じ「ビート」という語が、[A]や[B]の様に異なった用いられ方をしている訳です。本稿ではまずこの、いくつかの「ビート」という語の用いられかたを整理しようとしています。

1-7) では次に、本稿がテーマにしたい「ビートミュージック」についても考えてみたいと思います。

ビートミュージックという言葉を聞いて具体的に想像される音楽にはどんなものがありますか。それは何という楽曲ですか。これは、想像される人により様々であると思いますが、ここは、本稿では、特に広く緩やかに定義して扱いたいと思っています。すなわち、「ビートミュージックとは、いちにいさん、という風にカウントして、そのカウントの調子の通りに演奏し始める事が出来る音楽の事([C])」として、これを本稿での枠組みとしたいと思っています。

これはこの時点では、「他の考え方もあるかも知れないのですが本稿ではひとまずそうします」という事ですから、ここでの詳しい理由の説明は難しいのですが、もう少し読み進めていただく中で、この枠組みのとり方にある程度の妥当さを感じていただけたら良いなと思って、検討を先に進めたいと思います。

そして――説明があとさきになってしまって申し訳ない事ですが――この[C]の緩い「ビートミュージック」が、本稿のタイトルと検討対象であるところの「ビートミュージック」です。

1-8) さて、[C]を本稿での前提の枠組みとした時に、実際的な音楽の場面の中で「ビートとそれ以外」を捉える事は出来そうかどうか、あらためてこの点の戻って検討を進めてみたいと思います。

先に、「カウント」について触れました。ここでは、この「カウント」に注目してビートを検討してみたいのです。

1-9) では「カウント」に関しての話です。

演奏を始める時に数を数えて示す事で、これから始める演奏の性格を表す事を、「カウントをとる」言ったりします。あるいは、演奏にあわせて数を数えあげたり、それをある一定の数までで繰り返したりします。または、演奏に合わせて手拍子やなにかで、一定の間隔で音を立て続けたりする事も「カウントをとる」とか「カウントする」と言います。

この「カウント」を打つ事(つまり、カウントをビートする事)は、一定の間隔で繰り返される性質のものです。一方で、実際に楽曲を構成する演奏音は、このカウントと同じタイミングで演奏される事もあれば、異なるタイミングで演奏される事もあります。

この様に「カウント」は、実際には楽器の音として演奏するとは限らないものであるのに、常に「ビートミュージック」の楽曲や演奏を構成していて分かちがたいものです。

カウントの速さを示す言葉である「テンポ」について先に同じ事を書いていますが、あらためてこれらの事を確認したいと思います。

1-10) さて、このカウントの存在が通底しているという事が、[C]のビートミュージックの、定義的な説明でした。それで、もうある程度言外に読み取ってしまわれているかもしれませんが、この「カウント」もまた「ビート」のひとつです(これを[D]のビートとします)。この考え方を取り入れる事ではじめて、「カウントする事が出来るからビートミュージックである」と言う事が出来るでしょう。

そして、この「カウントできる音楽がビートミュージックである」という事柄の別の表現としては、次の様な言い方もできそうです。すなわち、「カウント(拍という言い方もします)は、音楽に備わったビートを明示している」、という事です。

「カウント」が登場する間隔によって演奏の速さを表現する事が出来ます。これが、ここまで既に使ってきた「テンポ」という言葉の意味です。「カウント」は([D]の意味で)「ビート」であるという紹介をしましたが、こういった使い方では「拍」という言葉も[D]の「ビート」と同じ意味で用います。

ただし、この[D]の意味でのビートという用法は、通常の使用の場面は、すでに挙げた[A]や[B]、またこのあと挙げる[E]に比べると、ずっと少ないものでしょう。「ビートという語の他の用法を検討するためには必要だが、もしかするとあまり一般的では無いのかな?」という風にお考えいただいても大丈夫です。

とはいえ、[D]は本稿でのビートミュージックの検討の軸になる視点であり、大事なものです。ビートミュージックを扱う場面では常に通底した視点として[D]があります。

更に言えば、[D]のビートの存在が手触りのあるものとして感じていただけるように検討と解説とを進めるのが本稿の目的であると、ここで宣言しておきたいと思います。

1-11) では次に、すでに登場が宣言されている[E]についても触れたいと思います。

[E]の「ビート」の用法もまた一般的なもので、「フォービート」とか「エイトビート」という時に用いられるそれの事です。こういった言い方により、演奏のある種の形式を、指示したり、区分したりする事が出来ます。

とはいえ、具体的な演奏の感じを詳しく指定するには、これらの「○ビート」という言い方だけでは全く不十分です。ここでは、[E]の「ビート」は、「ごく大まかな演奏の形式を指示する」ものだ、という事にします。

さてでは、この[E]をどういう時に使うかと言うと、「この演奏はある数拍のくり返しの構造を内包しています」という事を示すのに使います。つまり、[E]の「○ビート」とは、[D]の「拍」のビートがいくつか集まり繰り返される構造を指摘するものであり、それを構成している数を示しています。

なぜそのような数を示すのかというと、その数から来る自然な要請として、音楽上の制限や性質が伴うからです。これがつまり、「○ビート」という[E]の言い方が、音楽のおおまかな性質を示す事につながる理由です。

1-12) ところで、普段の会話で「ビート」と言う時には、[B]の(雰囲気を示す使い方としての)「ビート」か、この[E]の(「○ビート」という)使い方が、最も頻繁に、また、自然に用いる用法ではないかと思います。これらはいくらか総合的な用法で、実際の具体的な演奏音などを示すというよりは、より複合的な対象や、雰囲気の様なものを扱うための「ビート」という言葉です。

一方で、[A]や[D]の「ビート」には、具体的に指し示す対象がありました。

このように、同じ「ビート」という語であっても、その意味するところは場合によって様々であるという事を、あらためて確認しておきたいと思います。

1-13) [A]から[E]の用語を登場させたところで本章を終わりにします。[E]が指す演奏形式の区別は、本稿での検討に大いに活かしたいと考えています。具体的には[D]と[E]との関係を課題として、ビートミュージックにはどんな性質が備わっているのかという事を次章で検討したいと思います。この事で、「ビートの存在が手触りのあるものとして感じていただける」ようにしたいと考えています。

それでは、整理のためにここで、[A]から[E]を再度、付記や言い換えなどもしながら、挙げておきたいと思います。

最初の章でこれらを挙げたのは、次からの章において文章で検討を進める必要からであり、この[A]から[E]の言葉そのものが重要ではないです。また、これらは本稿の都合のものでありますから、楽典や辞書的に、また全ての場面で正確であるという事はありません、ごめんなさい。

●ビート[A]:打って、あるいは打つようにして音を出す事、また、その出された音の事。さらに自然な意味の拡張として、その様に出された音によって音楽的に指し示された表現の事

●ビート[D]:音楽の時間経過的な構造に一定間隔の濃淡が指摘出来る時、安定した間隔でくり返して現れる濃部分として扱う事が出来る様な、[A]のビートの事。「拍」。この連続した等間隔でくり返しの構造を持つのがビートミュージックの特徴

●ビート[E]:ある演奏の時間経過に通底して、連続してみられる形式的な演奏表現のうち、特に数拍からなるくり返し構造を指摘する事で、演奏形式を区別して呼び分ける言い方

●ビート[B]:打楽器や打楽器的表現の演奏による、決まった数拍を単位として、繰り返し、あるいは連続して現れる音楽表現の雰囲気や、音楽表現そのものの事

●ビートミュージック[C]:その演奏構造に連続する拍が内包されており、仮に演奏する音として明示されなくても、それを連続した手拍子などによって示す事が出来る種類の音楽の事

いかがでしょうか。[A]、[D]、[E]、[B]と進むにつれて、対象が大きな範囲に広がっています(まるで、それぞれを微分積分によって関係づけられそうです)。また、より大きい範囲の「ビート」はより小さい範囲の「ビート」をその構造要素として内包しています。

そして、こうしてあらためて書き挙げると特にそうなのですが、ビートミュージックについて検討するには、「拍」を軸とした検討をすすめるべきだな、という感じがしませんか?

さてでは、実際にそれを、次章からの部分で取り組んでみたいと思います。

2) 拍にまつわる音楽の振る舞いを眺める(1ビートと2ビート)

2-1) さて、この章では、形式の呼称としてのビート(前章で[E]と呼んだものです)と拍(これは[D]と呼びました)との関係を課題として、拍にまつわる音楽の自然な振る舞いを検討したいと思います。それはつまり「必ずこうなります」とか「実はこれが正解です」とご案内出来る様な種類のものではありません。単に、「この例の場合にはこうなっています」というだけの事です。

つまり、本稿でわずかに採り上げる事が出来た「この場合」以外の事柄も実際には沢山ある訳です。ただ、「この場合」に「こう」という事について検討してみる事で、「こういう基本的な構造があるのかも知れないな」という視点や、考えの枠組みをご提供したいと考えています。それらによりきっと、実践の場面での様々な取捨選択がしやすくなったり、打楽器の演奏や打楽器以外の演奏にかかわらず、演奏の筋道を見て取りやすくなったりするのでは無いかなあ、などと期待している訳です。

具体的な方法としては、[E]の実例をいくつか変えながら[D]と比較し、それぞれで共通点や違う点を検討します。そうする事で、ビートミュージック全体を貫いて考える視点を得たいと計画しています。

2-2) まず検討対象である[E]の「○ビート」ついて実例を考えましょう。日常的に接する事が多い音楽形式に関してよく耳にするのは、「8ビート」や「16ビート」ではないでしょうか。それに、「4ビート」というのも良く使われます。

もう少し数字を減らしてみて、「2ビート」というのはどうでしょうか。これはあります。例えば行進曲などは、2ビートの範囲にあるいち形式です。

ですが一方で、あまり2ビートという言い方は聞かないかも知れません。この言い方は多少分析的ですし、それよりも実際の演奏が行進曲であるなら、「マーチ」とか「行進曲調に」と表現した方がより有用で、それで済んでしまう程度には話が単純だからかも知れません。でもまあ、とにかく言い方としては間違いなく「2ビート」はあります。

では、より少ない「1ビート」やより多い「32ビート」はどうでしょうか。また、ここまでで挙がらなかった「3ビート」や「5ビート」といったものはどうでしょうか。本章からは、これらを、「1ビート」から順に「32ビート」まで検討してみたいと思います。

2-3) ところで、「2ビート」というより「行進曲風に」とか「マーチで」という言い方の方が実際的で、また雰囲気の指示を伴う事が出来るという話とは反対の例もあります。これは「4ビート」の場合に顕著ですが、この「○ビート」という言い方が、音楽の演奏スタイルの指示として用いられる事があるという話です。

例えばこの4ビートの場合には、「スイング調」とか「ビバップ風」というような言い方の代わりとして、しばしば「4ビートで演奏して」いう風に使われる事があります。しかしこれは、他の例えでは、「16ビートで」という指示では特定のスタイルを表す事ができない事を反例として、ある限定された場面における、符丁のようなものだと考えたいと思います。

つまり単に、「ある場面でスイングスタイルが4ビートを代表していた事があった」というだけの事であって、「4ビートとはすなわち必ずスイングスタイルでの演奏」ではないという事です。

そういった使い方自体が悪いという事ではありません。しかし本稿での検討では、「4ビート」が「ビバップ調」といった言い方の代用になっているという事は、基本的なしくみを構成する事柄としてではなく、それから外れた例外的な用法として扱いたいと思います。

2-4) さて、では1ビートから始めましょう。これは実際にはあまり使われない表現です。ひとまず「ワンビート」と読む事にします。ビートミュージックであり、「1」がそのビートに関して考える特徴になっている何かが1ビートでしょう。

ビートミュージックのうち1ビート以外の数字の「○ビート」についてはこの後で順に検討を進めてみますから、ここではまず、ビートミュージックの「1」とビートミュージックではない「1」とを比較してみたいと思います。

2-5) 1ビートの1、この「1」は何を指す「1」でしょうか。「○ビート」についての検討の最初に、この点に少しだけ拘ってみます。

1打あるいは1音でしょうか。それとも1秒でしょうか。ひとつながり、というような表現もあります。これらはそれだけでは他のビートミュージックを規定する言葉ではありませんから、このどれもが「1ビート」の「1」である可能性があります。しかし、私たちは既に[B]のビートである「拍」という考え方を知っています。私たちが知っている音楽では、一打でも数打でも「一拍」であり得ます。一秒でももっと長くても「一拍」であり得ます。単音でもひとつながりの複数音でも「一拍」であり得ます。しかし反対に、「一拍」という単位を含んでいれば、本稿ではビートミュージックとして扱うのだという宣言を、既にいたしました。ですからここは、拍と何か関係がある「1」であると考えるのが妥当でしょう。

例えば、「一拍あたり一音」とか「一拍あたり一秒」とか「一拍ごとに一音」とか「ひとつながりで一拍」とかの仮定をしてみる事が出来そうです。

こうやって書き上げてみるとそれらしいものがいくつか含まれているので、ピンと来る方もおいでかもしれません。「一拍あたり一秒」というのは演奏速度を指示する言葉ですから、どうやらこれでは無いのですが、他の例はどれも、それっぽさがあります。

2-6) ここで少し寄り道をして、「ビートミュージックではない音楽」について触れておきたいと思います。

ビートミュージックの事を考えたいのにそれ以外をの事をとりあげるのをご面倒とお感じになるかもしれません。しかし、結局その方が、ビートミュージックの基本的な性質がよく見える事になるので、呆れずに、是非読んで下さい。

さて、ビートミュージックが一定間隔の「拍」を持った音楽であるのに対して、そうでない音楽というのは、ある一定間隔の拍の無い音楽、テンポをカウントすることが出来ない音楽、無拍の音楽、という事になります。

実際的には、ものすごく頻繁に(例えば一拍や数拍ごとに)、また無秩序に演奏速度(テンポ)の指定が変わるような作曲作品があるとします。そうすると、演奏の指示としては拍を持っていながらも、聴者としては、これは決まった拍の速さがなく、無秩序か、あるいはテンポとは異なる秩序に基づいて音が演奏されている音楽なのだなと感じると思います。

つまり、テンポや拍の存在を感じる事が出来るのは、ある拍が次の拍を示唆する構造を伴っているとか、ある拍に次の拍を誘導する機能が備わっているとか、そういった何かの仕組みが背景にあり、聴者はその存在を無意識に感じとっているのだろう、という事です。

前章で拍について持ち出した時にも同じ様な話題がありました。すなわち、「ビートミュージックにおいてはそのタイミングで演奏されるとされないとにかかわらず拍が通底して存在している」というような話題です。

これは、演奏前にその場限りのルールとして「この演奏には拍があります」とか「無拍の音楽です」と宣言されて判断するというものではありません。しばらく演奏を聞けば、その演奏に拍があるかどうかわかるのが普通です。ひとつの拍の存在が次の拍の存在を自然に示すとか、連続した拍の存在が自然に表現されているものなのでしょう。ですから「この演奏には通底した拍の連続があるなあ」と無意識に感じさせ、また拍同士の近さがより近いとかより遠いとかという意味で、「この曲はテンポが速い」とか「遅い」とか言う事が出来ます。

こういった予想と無拍の音楽を比較として考えた時「ビートミュージックとは、次の拍を自然と予感させる仕組みを内包している事が、その特徴のひとつである」という仮定をする事が出来ます。

もちろん、これが聴者に対して抑圧的な仕組みだとしたら、今のように音楽が楽しく自由な存在として享受されているという事は、無いと思います。この「次の拍を自然と予感させる仕組み」は、あくまで自然なものとして実現されているのです。ただ、こうやって言葉でご紹介すると、ちょっと堅苦しいところもありますね、というだけの話で。

2-7) さて、また「1ビート」の話に戻りましょう。そして、1ビートの1は何が「1」なのかという話を一気に進めたいと思います。

これは実は、前項で確認したビートミュージックの基本的な仕組みの「拍」の機能が他の拍に依存せず、一拍ごとに独立している事を特徴として、「1ビート」と呼んでいます。そして、一拍ごとに完結する構造を持っているのにそれがビートミュージックであるという事は、「次の拍を予感させる構造」が、その独立した一拍の中に含まれているからだ、というのがここで特に強調しておきたい点です。

2-8) どんどん進めます。「次の拍の予感」とは何でしょうか。

その、他の場面での例えとしては、「じゃんけん」と言えば「ぽん」と続くだろうという、習慣的で反射的な予測とか、強く息を吸い込む音がすれば間もなく強く息を吐く音やあるいは大きな声がするのではないかいう様な身体的な経験による予測とか、手を振りかぶる人が居れば、その手は間を置かずに振り下ろされるのではないかといった「ずっと手を上げてたら疲れるもんね」というような予測であるとかを挙げる事ができます。

そういった、自然に身についている予備動作と本動作の組み合わせのようなものが、音楽の場面の構成要素である「拍」にも指摘できます。ここでは、そういった予備動作について「次の拍の予感がする」とか「次の拍の存在が暗示されている」という風に言いましょう。

2-9) ここで注意したいのは、その拍の予備動作は同種のものが連続して繰り返し採用され続けるものだ、という事です。2-6の項で無拍の音楽の話題を扱った時に、「無秩序にテンポが変わる音楽はテンポが無い音楽として受容される」という様な話題を例に出しました。それと同じ様に、もし「次の拍の予感」が毎回違った形であれば、それは、まるで予備動作ではないものとして伝わります。

ですから、「次の拍の予感」は自然と、その音楽の場面として一度提示されると、全く同じかどうかはさておき、その後も同種のものが続けて採用される事が必要な要件になります。

この、同種の構成が続けて採用され続けるという考え方は、「○ビート」という方法で検討する場合に、いつも下敷きになる考え方のひとつになりますから、特に強調しておきたいと思います。

ところで、演奏が何かの拍のための予備動作なのか、それとも拍の本動作なのかの区別が付きづらいという場合もあるかも知れません。あり得ます。しかしやはり、予備動作か本動作か区別されづらさのある構成は、定番のものにはなりづらい様で、この点で混乱するようなケースはそうそうありません。前述の様に、拍の存在が自然に受容されるのが、ビートミュージックの特徴と言えます。

しかし一方で、ある音楽の場面では同じ予備動作が連続して採用されるという前提ですから、逆に一時的な区別の付きづらさであれば、聴者もくり返しのうちに慣れてしまうので、特に問題とされないという事もあると思います。

この辺りは、ケースバイケースというものかも知れません。例えば文字がそうであるように、ある形に親しむと、多少の形の逸脱があっても意味が把握出来たりという事もあります。そういった意味で「○ビート」も、構造から単純に把握するだけでなく、文化的に意味づけられた構成を把握するという事の必要性もやはり無視することは出来ません。

ここで白状すると、この「文化的に意味づけられた」ものについて検討する方が、実際の演奏に際しては、より実際的で具体的な取り組みになるでしょう。本稿は、その際の補助線であったり下敷きであったりという、ごく一部の役目を果たして担えるかどうか、というのが正直なところです。しかし全く無益という事はないと思ってもいます。いくつかの見方で検討する方が、より検討結果に確かさが感じられる事になるからです。そういった所で、では話題を続けたいと思います。

2-10) それでは実際に、1ビートを音形(ひとまとまりの音の並び)で検討してみたいと思います。

《fig.201_一拍を表す符号》

図版201には3つの符号を挙げました。これらは場面を限定しなければ特に違いはなく、どれも一拍分の発音を表す用途に用いられるものです。ここでは、二番目のものを使ってみたいと思います。

次に、これの前にもうひとつ同じ様な符号を、予測させる音として配置します。その事を明示するような表記を試してみます。次のような候補はどうでしょうか。

《fig.202_予測音符号と実音符号》

図版202の譜面は、実用的な譜面としてはあまり見られないものばかりですが、どれもここまで1ビートの分析として検討してきた事柄を符号としてあらわしてみたものです。

これを用いて、一拍が連続して1ビートの音楽を成している場合を、一番目の表記方法を例にして次の図版203に示してみます。

《fig.203_1ビートが連続した場合》

図内の注釈が多く、少々みづらいですが、実際の拍を表す符号とそれを予感させる符号とが連続する事で音楽を成している事を読み取って頂けると思います。

しかしこれらは、1拍分の予感させる音と実際の音とを表記するために、実際の一拍とその前の一拍にまたがって、二拍分の位置を占めていますね。これについては「これでは1ビートなのだか2ビートなのだかよく分からない」というご指摘も予想されます。

いまは1ビートについての検討でしたから、「予感させる拍」も含めて、一拍分でまとめて表記出来た方が、1ビートとしての性格を書き表しやすそうです。

そこで次の図版204を示します。

《fig.204_1ビートを一拍で表す》

これを、図版202と比較してみて下さい。構成要素になる符号は同じですが、図版204の方が、一拍分をひとまとめに表記出来る利点と、また、独立した一拍がそれだけで終わらず、次の一拍を呼び込むような機能を持っているという特徴が、よく示されていると言えそうです。

(一方で、図版202の書き方の方が、予備動作の音符と本動作の音符との主従関係が強調されていると言えそうです。)

さらに、図版204に「一拍は四分音符で図示し、一拍よりも短い音符にはヒゲのついた八分音符や十六分音符などを用いる」という一般的な楽譜表記のルールを導入すると、次の図版のようになります。

《fig.205_》

随分、実際的な楽譜との差がなくなりました(つまりこれは、抜き出して強調すると図版202のようになる要素を、実際の楽譜では、図版205の様に表記している場合もありそうだぞ、という事です)。

ところで、正確さを求める楽譜としては発音の長さに合わせて符号を使い分け、例えば次の図版206の様に、予感させるための符号と実際の拍を表す符号とで、音符を書き分けることになるかも知れません。

《fig.206_》

ここでは、実際の拍を示す音符が長く発音されて、予感させる方の音符は短いという場合を例にして図にしてあります。この長さもまた限定的な例ですが、いかにも実際の場面でありそうな楽譜表記になりました。簡単のためにここでは図版204のような一般化した表記を優先して採用しますが、図版206のそれぞれのような意味合いも含んでいるという風に、厳密ではないような読み取りをお願いします。

折角ですから、ここで用語も導入しましょう。この本動作にあたる方の音符の役割を「拍のオモテ」、そして、予備動作にあたる方の音符の役割を「拍のウラ」とします。実際の演奏上で、一拍の間隔の内にいくつの音符が発音されていても構いません。その中での役割として、カウントと同時に現れるものが「拍のオモテ」の音符であり、次の拍の予備動作の役割として現れる音符が「拍のウラ」という風に用います。そして、演奏における拍は、一拍のうちにオモテとウラとを内包しながら、時間経過の中で連続して繰り返し現れるという風な構造です。また、それが図示されているのが、本項図版206までのそれぞれの音符や音形であるという訳です。

2-11) さて、しばらく音符での表記の話題でしたが、ここでまた1ビートらしさの検討に戻ります。

図版205や図版206をして1ビートとすると、音形としては、これらは様々な音楽の場面でとても良く登場する音符の並びそものですから、何が1ビートで何がそうでないのが、かえってわかりづらくなってきました。それについては、以降で採り上げる他の「○ビート」との比較として浮き上がる部分も大いにあるかと思いまが、ここでももう少しだけ検討を続けておきたいと思います。

図版207を示します。

《fig.207_》

ここには、拍のオモテの音とウラの音とが組になった八分音符が、6つ並んでいます。下では、その呼び名を試しています。もし演奏が短くすぐに終わってしまうとか、本項のように限定された短い音形についての検討だけなら、本稿でこれまでそうしていた様に、ABC……の呼称は便利で良いですね。しかし、実際の演奏では、時間経過とともによりたくさんの拍が現れるのが普通ですから、一般化して考えたい場合には、アルファベットで名前を割り振ってそれぞれを認識するという事はとても出来ないでしょう。

実際の演奏では、良く知られている様に、拍の経過を演奏の時間的な経過とともに「カウント」します。カウントするというのは、拍に名前を付けるというのとはまた別の行為ですね。時間経過とともに拍の存在を確認する行為ではありますが、一方で、それぞれの拍に名前をつけて識別しようという事ではありません。カウントでは、ただ経過を確認しているだけです。音形を図表で検討する場合に名前をつけるのは便利な事ですが、演奏する場合にはそうやって名前はつけずに、ただカウントする訳です。

ではこの図表207の音形が1ビートだとした場合、カウントとしては二番目の例と三番目の例のどちらがより適当でしょうか。習慣的に私たちが用いているのは、二番目のケースに似た風で、「123412341234……」とか「121212……」とかいった様に数が進んでいくやり方です。しかしその時の数は際限なく増えるという事はなく、ある範囲の数字を繰り返すようなやり方でおやりになっている事だと思います。二番目のようにずっと数が増え続けていく様な風や、三番目のように「1111……」という風には、あまりやりません。

ところが、この「1111……」は、二番目の「123456……」に比べると、よりカウントとして1ビートらしさを表しています。1を繰り返すのが相応しいからこそ1ビート、という訳なのです。ただまあ、1ビートの音楽が演奏されたとしても、「1111……」とは口に出してカウントしないかも知れません。言葉の並びとして、何だか言いづらいですもんね。「1111……」というのは、単に考え方としてのものですが、1ビート以外の「○ビート」との対比としては、こちらの方がずっとふさわしいのだという事です。

実際のより良い対処としては、何かカウントのための言葉を口にしながら演奏するとしても、もしかすると「1111……」以外の他の言葉で代用される方が現実的かも知れません。そうやって、個別にはその様な適当な対処方法があるとしても、統一的な考え方としてはこのような「1111……」というような捉え方がありうるという事をご紹介しておきたいと思います。

2-12) 一方で、「123412341234……」とカウントするのが相応しく、また自然であるような演奏についても、普段はあまり意識する事柄では無いかも知れないのですが、なぜそうであるのかを少しだけ検討しましょう。

ここで、1ビートの定義的な話題として提示した「一拍が次の拍を予感させる構造が、他の拍に依存せず、一拍ごとに独立して完結している」という話題を、思い出して下さい。これの発展として位置づけると、「1234」の場合には、「1234がひと組になって働くための何かの動機付けがある」風だからこそ、1ビートとその他とが区別され得る、という事になりそうです。そしてまた、その時の演奏には「4の次は1に戻りながら進む何かの構造や動機付け」というのが通底しているのではないかと考えるべきでしょう。

さらにその反射として確認されるのは、1ビートの場合についてもやはりあらためて、ある「1」の拍には、これが次の「1」の拍に進む何かの動機が備わっているのではないかと考えるべきでしょう。

仮定の話がしばらく続きました。ここでの内容は、この先の項で「○ビート」を扱いながら、その具体的な動機づけになっている構造を扱いながら確認していきたいなと思います。

2-13) では、1ビートに関しての検討はいったんここまでにして、次の話題に進みたいと思います。数がひとつ少ない方の0ビートは既に「無拍の音楽」として扱いました。無拍といってもビート[A]が無いという事ではなく、ビート[D]が無いという事でしたが、ここでの整理としてはひとまずそれで良いとしましょう。ですから次は数をひとつ増やして、2ビートを検討対象にします。

1ビートの、「一拍が次の拍を予感させる構造が、他の拍に依存せず、一拍ごとに独立して完結している」という特徴をそのまま進めて考えると、2ビートの特徴として素直に予測されるのは、「次の拍を予感させる構造が、二拍ごとに組を成して存在している」という事になるでしょう。このこと自体には、ここまでの流れをそのまま踏襲したものですから、おそらく疑義は持たれないのではないでしょうか。そこで、このままこれについての検討を行いながら、2ビートについての理解を進めたいと思います。

2-14) ところで、1ビートという呼称は一般にはあまり用いられない一方で、2ビートはそうではありません。多くの音楽スタイルが2ビートの構造を持っていて、現実的な呼び名としても使用されています。該当する具体的な音楽スタイル名としては、行進曲系の音楽スタイルである「マーチ」「サンバ」といった種類の音楽スタイルや、ダンス音楽として発展した「ポルカ」「ジャイブ」や「ルンバ」、行進曲とダンス音楽を繋ぐものとして位置づけられる「ブルース」や「ラグタイム」、また、より時代が下ったところで生まれ、行進もダンスも目的にしない「スラッシュメタル」などもこの「2ビート」の音楽スタイルにあたります。

この様に、多くの音楽スタイルが2ビートの構造を持っています。中でも、2ビート構造の音楽スタイルは、従来からある様な行進や、あるいはダンスとの結びつきが強そうに見えます。この2拍がひと組になって音楽が進む構造というのはやはり、「右と左」「前と後」「(重力等への)従順と反発」といった生得的な身体感覚と素直に接続しやすいからだろうという風に考えても、まず間違いない事でしょう。とはいえ、既に扱った「1ビート」に関しても、「拍のオモテとウラ」という様に、ひと組の感覚が概念に含まれていました。「2ビート」はこれとは何が違うのか(あるいは同じなのか)、ちょっと検討してみたいと思います。

2-15) 2ビートの「次の拍を予感させる構造が、二拍ごとに組を成して存在している」という事を次の図版208にあらわしてみます。

《fig.207_》

いかがですか。枠で図示した構造が二重になっているのは1ビートの時とは大きく違う所ですが、意味としては特にわかりづらくないのではないかと思います。

一方、「何かの結びつき」という書き込みについては、これは新しい要素であると言えます。2ビートの構造をもつ音楽スタイルは実際に多くある訳ですから、この「何かの結びつき」もきっと実際にあるものなのではないでしょうか。しかしどういう時にこれが実現すものなのかというのは今のところはっきりしていません。次には、その点を検討してみたいと思います。

2-16) まず結びつきの理由の候補に挙がるのは、先にも例に挙げた、「右と左」「前と後」「(重力等への)従順と反発」などという様な、身体感覚としてひと組と感じやすい様々な感覚です。

このような組み合わせとしては他にも、「強弱」「明暗」などもそうでしょうか。しかしこれらは、先に挙げたものに比べると、自分自身の生得的な身体感覚としてひと組と感じるというよりも、単に言葉の上での約束事としてのひと組であるという感じも、いくらかあります。さらに「濃淡」「大小」「遠近」などとなると、言葉としてはひと組という感じが強いのですが、身体感覚としての実感は、なんだか弱まるようにも思えます。

さて、これらを音楽の中に探してみるとどうでしょうか。演奏会場などで音が発せられる位置という事はありますが、演奏される音楽そのものの中には「右と左」「前と後」といった場所や位置を表す要素は、直接には無いですね。それに比べると、「強弱」や「大小」であれば、音楽的に直接の表現が可能です。また「濃淡」や「明暗」、「遠近」もまた、音楽的には「強弱」や「大小」の仲間として表現される事が可能なように思われます。いかがでしょうか。

一方で、「身体感覚としてはひと組のものであるという感じが弱いものの、しかし言葉の上ではひと組という感じがある」というものについてはいかがですか。これを音楽にあてはめてみると、類似の事柄はあるものでしょうか。

「言葉の上」というのはつまりきっと、「事前の約束事」という事でしょう。文化的に、あるいはその場の文脈として暗に事前の定義があれば、素直にひと組のものだと感じる事が出来るというのが、それだと予想出来ます。もちろんその定義が脈絡もなくころころと変わってしまったりすると、その役割を果たす事は難しくなるでしょうから、その場でごく手短に約束事を提示できるような性質のものだとか、よほど文化的によく了解されているとか、あるいはその両方かという風になりそうです。そのどちらにしろ、きっと、何かわかりやすく予測したり了解したりしやすい様な約束事なのだろう、という事ですね。

2-17) さてその「約束事」ですが、どんなものが考えられるでしょうか。例えば、一拍目と二拍目とで担当する音色が必ず決まっているというのはどうですか。しばらく聞いているとそのくり返しであると言う事がすぐに、身体感覚的にも、言語的にも、了解されます。すると、一拍目には二拍目を誘導する音符が必ずしもなくても、一拍目の音色を耳にすると、必ず二拍目のタイミングで二拍目の音色を期待してしまうという訳です。これには、なかなかの「それはありそうだな」という感じがあります。

その様な、くり返しの予感や進行する感じを与える組み合わせの事を、音楽用語を越えて、一般に「リズム」と言います。つまり、二拍が何か決まったリズムを成していれば、二拍は一拍と一拍とに分かれずに、結びつきを持ったままで進行する事が出来るという風に言えそうです。

2-18) ここまでで、強弱や大小以外の組み合わせを検討する流れで「リズム」の語が登場しました。ところが、実際には強弱や大小もまた、リズムを構成する事が出来ます。結局のところ、リズムという視点で捉えると、より身体的な感じとしての組み合わせ感についても、より言語的な感じとしての組み合わせ感についても、統一的に扱う事が出来そうな感じがあります。

2-19) 一方で、リズムを成しているという事は、必ずしも次に進行する推進力を内在しているという事ではありません。ここで、「大小大小大小……」や「遠近遠近遠近……」といったリズムのうち「大小」や「遠近」という組み合わせひとつだけの単位を指すために、「リズムパターン」という言い方を取り入れる事にしましょう。単位という事なので「ユニット」という言い方も良いかも知れませんが、ここは、実際に良く使われている用語を本項での検討に引きつけて行くような方針で進みたいと思います。

ところで少々ご注意頂きたいのですが、「リズムパターン」という語は、役割の指摘として用いた「拍のオモテとウラ」とは異なって、実際の演奏音の音形について取り扱うための用語です。両者の違いについて、混乱なくお取り扱いをお願いします。

さて、この「リズムパターン」が演奏の推進力、つまり、演奏がまだ続いていく感じをあらわすためには、どういった条件が必要でしょうか。これは、これまで出た考え方をそのまま適用出来ます。つまり、「そのリズムパターンに(1ビートに関しての検討でとりあげた様な)次の一拍をその場ですぐに予感させる様な要素が含まれている」とか、あるいは「まず演奏によって一定のリズムパターンのくり返しが提示される事により、言語的に、そのくり返しはこの先も続くのだと了解させられる」とか、あるいはその両方なのでしょう。

本稿では、このどちらの性質の音形も「リズムパターン」という言葉で扱いましょう。

2-20) リズムパターンという言葉を導入して、あらためて2ビートを捉え直してみたいと思います。これまでは「次の拍を予感させる構造が、二拍ごとに組を成して存在している」という言い方でした。

これをリズムパターンという側面から見てあらためて扱うとすると、例えば、「二拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式である」というのはいかがでしょうか。つまり、「次の拍を予感させる構造」をそのパターンの内部の構造に由来するものだとは限定しない言い方にしてみた訳です。

2-21) ここで少し脱線して、また1ビートの事を扱います。前項の様な「リズムパターン」の考え方を、あらためて1ビートにも導入可能かどうかを、少し検討してみたいと思います。

これは、まず結論を言うと、可能です。「2ビートとは二拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式である」を素直に読み替えてみると、「1ビートとは一拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックである」という風になりますね。

しかしながらこれは、そもそも少ない1ビートの実例の中でも、さらに少ない実例になるでしょう。というのも、理由をふたつ挙げる事が出来るのですが、まずひとつは、「一拍からなるリズムパターン」というのが、実際には他の「○ビート」として再解釈されてしまう事が多いという事があります。つまり、「一拍」の部分がそのまま「一パターン」として扱われ、また、その「一パターン」がまた「○拍からなる」という風に受け取られる事で、実際には1ビートらしさが特に見いだせなくなってしまうという事です。

それぞれの○ビートというのは約束事が先行する言語的な定義というよりもむしろ、自然な人間の感覚上の判断としてそのように運用されているという側面が強いものですから、あるひとまとまりの音形が自然と、あるいは習慣的に、「一拍」ではなく「数拍からなる一パターン」であるように解釈してしまえる様な多くの場合には、無理に1ビートとして理解されたりはしないでしょう。ですから、そういった他の解釈を招かないようなごく単純な音形だけが、1ビートとして扱うのに相応しいという事になりそうです。

またもうひとつの理由もまた「単純なパターンか要素が多い複雑なパターンか」という事に関係する事なのですが、作為的な構成を持ったパターンは、活用される場面が特に限定的だという事です。作為的と書いたのはつまり、パターンを成すのが「次の拍を予感させる構造」を内包しておらず、その演奏が行われる社会的に約束されているとか、その演奏限りの約束事として毎回定義づけられるような場合という事です。

これらのふたつの例として、「ジュゲム」という言葉をひとつのパターンとして繰り返す場合を検討します。

「ジュゲムジュゲムジュゲムジュゲム……」と口にしてみてください。これに同時に、拍を示すための連続した手拍子を加えてみます。まず、「ジュ」「ゲ」「ム」というそれぞれを一拍と捉えて、このそれぞれと同時に手拍子すると、これは「ジュゲム」という一拍パターンを繰り返す1ビートではありませんね。「ジュ」「ゲム」とか「ジュゲ」「ム」という様な区切りでそれぞれが一拍であった時にも同じです。これらは数拍からなるパターンとして解釈され直していますから、ひとつめの例にあたります。

そうではなく「ジュゲム」「ジュゲム」「ジュゲム」……という風に、「ジュゲム」を一拍と捉える事が出来た場合には、「ジュゲム」というリズムパターンの繰り返しによって成り立っている1ビートと言って良いと思われます。しかし、ではこれを他の場面でもまた音楽の構造として活用して、さらに他の楽曲や演奏に役立てる事が容易そうですか? 難しいかも知れません。これはやはり、限定的なリズムパターンでしょう。これが、1ビートの音楽が少ない、二番目の理由にあたります。

ところでこの、一番目の例として解釈されるか二番目の例として解釈されるかの違いは、「ジュゲム」というリズムパターンの、口にされる仕方でも変わりそうです。例えば、早く言うか遅く言うかでも拍としての認識しやすさは違いそうです。また、「ジュ」「ゲ」「ム」それぞれに割り当てる相対的な長さ、他には、それぞれの部分の声の大きさやアクセントなどでも変わります。音形が同じか違うかという事以上に、こういったちょっとした音楽的な構成要素のありようによっても、リズムパターンは成り立っていますね。

そういった訳で自然と、1ビートの構造を持った音楽スタイルというのは実例が少ないのだという事をこの項では扱いました。

2-22) ところで「例が少ない」と書いた1ビートですが、本当にこれは既存の音楽スタイルとしての実例があるのでしょうか。本稿では多分に思考実験としての側面も強く、それはそれで検討を進める上での意味があるものと思います。

ところが、音楽家の細野晴臣さんは以前にご自身のラジオ番組において、ブギや阿波踊りは1拍子と呼んでも良いのではないか、といったような発言をされていました。ブギも阿波踊りも、跳ねる様でいて跳ねないという独特の共通点がある、といった内容です。1ビートと1拍子とで言葉は違いますが、1ビートらしきものの実例が無いわけではなさそうですね。

2-23) では、あらためて2ビートの話題に戻ります。ここでは、リズムパターンの、譜面上の音形には現れない要素について扱いたいと思います。

サンバを例にした検討をしてみます。図版209を見て下さい。まずは、譜面の音形通りの読み解きから始めます。

《fig.209_PとS1》

これは、同じ機能を持ったままの同じ音の並びを、リズムパターンとしての解釈を2通りしてみたものです。まず演奏の様子はひと通りで、それを譜面にするにあたって、この2通りの候補があるという風にお考え下さい。

ここで、Pと示した拍を示す役割は、スルドとかプリメイラと呼ばれる役割の、低音の大太鼓が担当します。また、Sと示した拍は、セグンダとかヘスポスタと呼ばれる役割の、やはり低音の大太鼓が担当します。これらが交互に担当する事で、2拍からなるリズムパターンを実現している、というのがこの図です。

譜面の事を考えずにただ演奏だけを聴くと、Pの拍とSの拍が交互に演奏され続けるだけですから、上として書き表すのが良いのか、それとも下として書き表すのが良いのか、少し迷うところです。これらは、どちらかが間違った捉え方でありもうどちらかが正解である、という事を示すためのものではありません。

これまでの話題の流れから素直に解釈すると、上の譜面では、PとSとが交互に演奏される事で2拍を一単位としたリズムパターンを成しており、また、2拍目には1拍目を誘導するような音形が備わっている、という風に考える事が出来ます。パターンを繰り返す動機がパターンの中に含まれている2ビートであるようだという事が、譜面にあらわれています。

また、下の譜面では、やはりSとPとが交互に演奏される事で2拍を一単位としたリズムパターンを成しており、1拍目には2拍目を誘導するような音形があるものの同様の機能は1拍目には備わっていないため、このリズムパターンがくり返しの動機を持つためには、実際の演奏で聴者がSとPのくり返しの印象を学習して納得する必要がありそうだ、という風に考えられます。

サンバは行進曲の仲間であり、身体的な感覚としての推進力や次拍へ進む動機付けに関して、とても親和性がある音楽スタイルです。ですからこれがサンバのための譜面であるという事であるならば、次拍への予備動作がそのまま次パターンへの予備動作と重なっているという特徴から、上の楽譜の方がより採用されやすいのではないかと予想されます。

また、Sの役割の呼称であるヘスポスタは日本語では「呼応」などに当たる語です。この情報も加味すると、Pの拍の提示の「呼びかけ」に、Sの拍が「呼応」とする働きが、このリズムパターンを成り立たせているという風に理解する事も出来ます。この点でも上の譜面は「呼びかけ」と「呼応」が順番通りでひと組となっており、読み解きとしての納得感がありそうです。

ところが、特に合奏などを前提とした場面では、下の譜面がしばしば採用されます。

これでは、パターンの区切りで次のパターンに進む推進力が不足するのではないかとか、「呼びかけ」と「呼応」の順番が逆ではないかといった事がまるで未解決であるように思われます。しかしさて、実際にこれで、行進曲の仲間としての機能を持ち得るものでしょうか。

音楽のスタイルは習慣的であったり偶然から生じた要素を内在させているので、必ずしも全部を分析したりとか理由を述べることが出来るものではないのだ、という事は言えます。しかしこのケースで言えば、実際にはもう少し説明を進める事が出来ます。試してみましょう。

では、なぜ実際には下が採用されるのかというと、ひとつには、この譜面に書き表されていない他の要素が「次の拍への予感」として実現されているから、という事がとても大きな理由になっています。

具体的には、「呼びかけ(P)」から「呼応(S)」にかけての推進力を伴う自然な流れが実際の演奏の機微として強くはっきりと表現される習慣になっています。そして、その事が特徴的なサンバらしさを形作っています。つまり、本稿でここまで取り扱ってきたような、譜面での音形にあらわれるような次の拍への動機付けとは別の手法として、音の強弱やアーティキュレーションという様な、音形にはあらわれない方法により、次の拍への動機付けが実現されている事があります。そしてこれらは譜面には具体的には指示されなくても、それぞれの場面では、あらかじめ文化的に了解されているのです。

ここで言えば、Pはニュアンスとしてルーズな感じ、Sはタイミング的にも音色的にも比較的タイトな感じである事が、サンバの一要素として重要視されています。Pで開いてSで閉じるという風に例える事が出来るかもしれません。もちろんその開き具合や閉じ具合の程度こそ文化的な了解により適当さが判断されるものなのですが、その具体的な実現方法としては例えば、両者を演奏音量によって表現し分ける(Pは大きな音、Sはそれよりも小さな音で演奏される)とか、両者を音質によって表現し分ける(Pは伸びやかな音、Sは短めの音で演奏される)とかの様々な方法が、場合に応じて用いられます。

ここで、そのようなPからSに至るニュアンスがサンバとして事前に了解されているものと異なれば、たとえ図版209の様な音形が演奏されても、それはサンバらしさがない別のものだという風に判断されてしまう事でしょう。しかしもちろんこれは「であるべからず」のためのものではありませんよね。「である」場合に、そのニュアンスを分かち合ったり、愛で楽しむためのものである事は言うまでもありません。

さて、あらためて図209の下の譜面を、図210として示します。

《fig.210_PとS2》

2拍目にあるPから1拍目にあるSへと至る太い矢印を加えました。この様な機能が文化的に共有されている事ではじめて、この譜面はサンバの指示としての機能を持ち得ます。

また、一拍目のSがタイミング的にタイトにふるまうという事も、これが2ビートのリズムパターンの最初に置かれる事と良く馴染んでいると言えます。

それに加えて、音形上でSの拍からPの拍に向かう推進力と、Pの拍からSの拍に向かうサンバ特有の推進力と同時に働きながら混同されないままで、互いに良く機能し合っています。

これらの結果として、図版209と210の譜面は、これがもしサンバであるという前提に立って読めば、すべての拍から拍への移動にも、パターンからパターンの移動にも推進力が発揮されるような構造となっているという、とても力強いリズムパターンであるという事が言えます。

ここでは、ある拍が次の拍に進む動機付けとして、音形にあらわれる予備動作以外にも、他の理由が働いている場合があるという事を、サンバの部分的な構造を例にして検討しました。

2-24) もうひとつ、例を用いて検討します。ある種のブルーズなどに用いられる音形として図版211を示します。

《fig.211_ブルーズなどの音形1》

ABで一拍、CDで一拍であり、この二拍でひとつのリズムパターンを成しています。また、Dは二拍目のウラにあたり、Aに進む動機を示す音、Bは一拍目のウラにあたり、Cに進む動機を示す音だと言えます。AとCには、強い音を示すアクセント記号が指示されています。

さてここで考えて頂きたいのですが、ABとCDは同じものでしょうか、違うものでしょうか。譜面での音形上は同じなのですが、実際にはこれはおそらく、違うものです。

というのも、もしこれらが同じものであれば、例えばABとCDとは区別される必要のない一拍同士であり、つまりABだけをリズムパターンとする1ビートの音楽として解釈されるべきでしょう。しかし実際には、ABとCDが2ビートのリズムパターンを成しているという事は、譜面上の見かけの音形にあらわれない違いが、ここには暗に含まれているのではないかとか、あるいは、ABの拍とCD拍とがひと組になる何か他の理由があるのかも知れないな、という予測をする事が出来ます。

2-25) ではABとCDとで一体何が違うのでしょうか。まずひとつには、前項で扱ったサンバに関してそうであった様に、1拍目のAと2拍目のCとで性格の異なった音が演奏される前提になっているという場合が考えられます。例えば、Aはパターンの起点になる「強拍」として何かしっかりとした特徴を持った音、Cは、Aがパターンの起点であるという事を間違わせない程度に「強拍」との差がある「弱拍」で、しかしこれは予備動作ではなく独立した一拍だと感じさせるような、何か分かりやすい振る舞いの音、という具合です。

BとDももしかしたらそれぞれで違うかもしれません。AとCとが異なるならばそれぞれに相応しい予備動作は異なるかも知れないという留保があります。特に、Dはパターンとパターンの橋渡しをする以上、もしかするとBにはない振る舞いが期待されるかも知れないです。

などと言っても、いかにも後付けらしい分析ですね。しかし、後付けだろうと先読みであろうと、正解としてその中心にある実際の音は一通りですから、これで構わないとも言えます。折角ですから気にせずやりましょう。

2-26) 実際には、もしドラムキットを用いてこの図版211が演奏される場合には、Aはキックドラムの低音大太鼓(バスドラム)で、Cはスネアドラムという、奏者手前に配置する小太鼓で歯切れの良い中高音を用いて演奏し分ける事が普通です。試しにカタカナで書いてみると、Aで「ブッ」Cで「ダッ」という風とか、Aで「ドゥッ」Cで「デッ」という風とかです。

また、BとCはハイハットというシンバルを叩いて(ハイハットは奏者脇の二枚のシンバルが同軸で連動するような機構のもので、これを重ね合わせた状態に操作しておいて)「チ」という短い音を出したり、あるいはここもまたスネアドラムでCよりももっと小さい音や控えめな音色で「タ」という音を出して演奏するなどします。

以上の楽器・音色の割り振りは全くの例えであり、実際的なものとの違いが指摘できてしまうかも知れませんが、検討のための例として、次を図示します。

《fig.212_ブルーズなどの音形2》

2-27) さて、この時の、BとDの「拍のウラ」としての働きに関しても少し検討しておきます。

最初に1ビートを扱った時の様に、BCとDAにという風に取り出してみます。図版212では、BCは「チデッ」という擬音で、また一方でDAは「チドゥッ」で表されています。

これらの印象は分かりやすく異なりますから、ひとまずこれは、「チドゥッ」と「チデッ」から成る2ビートとして扱っても良さそうです。

ただし、これはAとCとが違う音色や働きであるという事だけが理由の差であり、BとDのそれぞれの「チ」に関して違いがあるかどうかまでは良くわからないところです。ですからここではBとDの差の特徴というようなものについては保留として、もしこれらに違いがある場合には、都度、「この場合はBとDとに違いがある」「この場合はBとDとに目立った違いが無い」という風に判断して扱っていく様にしたいと思います。

2-28) また、ここでは別々の楽器の音色であるという事で図示したAとBとCなのですが、実際の演奏の場面では必ずしもそうではありません。図版211の音形全てをハイハットシンバルだけを叩いて演奏したり、全てをスネアドラムだけを叩いて演奏したりという事も大いにあり得ます。そのように、はっきりしとした楽器の音色の差が無い時でも、やはりこの音形が同じ性質の2ビートのものであり、このスタイル固有の意味合いが提示されているのだという風に演奏されるには事は可能でしょうか。

そこで考えたいのが「ABCDがそれぞれ別のものであるのは楽器の割り当てが違うからである」という風な理解ではなく、「ABCDのそれぞれに異なった機能が期待されているからこそ、それぞれの演奏音が異なっている」という風に捉える事が出来ないかという事です。実際的には、ABCDはそれぞれ別の演奏音で表現されるため、機能ありきでの理解は現実的ではありませんが、こういった構えでABCDそれぞれの機能に注意を払うという事は、ABCDの実際の演奏音がよりふさわしいものかどうかを判断する視点にもなり得るのではないかと思いますから、一度、その必要性を強調しておきたいと思います。

2-29) さて、図版211と図版212の譜面では、AとCにアクセントが指示されていて、BとDにはアクセントが指示されていません。これは一見、単に拍のオモテとウラとを区別するものでもありますが、実際の演奏ではすでに見た様に、AとCのアクセントの音色、あるいは音量やアーティキュレーションは、このAとCそれぞれでもまた違うのが普通です。この違いは、ABCDをABとCDという風にバラバラにしないで、ひとつながりのリズムパターンにしています。その事を別の言い方で表したのが、Aは「強拍」でCは「弱拍」で、その組み合わせでこのリズムパターンが成立しているという事です。

ですから、AとCとを対比としてそれぞれ「強拍らしく」「弱拍らしく」演奏できるとしたら、例えばひとつの楽器でも、これらを2ビートのリズムパターンとして受容されるという事もあるかも知れません。それを具体的にはどうやるべきでしょうか。これは、この先の課題として、ここでは保留としておかせてください(ただすでに述べた様に、「強拍」「弱拍」の「強弱」は、音量の強弱の事ではありません)。

《fig.213_ある2ビートにおけるAとC》

2-30) 図版211、図版212の音形を持つ表現は一通りだけではありませんが、ここでは検討の例として、少しこれらのアクセントの強さを扱ってみたいと思います。

文章で検討を進めるために、アクセントの強さを0から10までの数字を使って表すことにします。0がアクセント無し、1はわずかにアクセントがある、10は最大に強いアクセントという事です。

また同様に、アクセントとは別に、音量についても0から10までの数字を使って表しましょう。0が無音、1ではできるだけ小さい音、10ではできるだけ大きな音、という様な事です。

《fig.214_アクセントと音量を数字で表す》

アクセントというと、強調した表現という事ですよね。言葉を強調した発音にする時には、たとえば「ナ」は「ナッ」とか「ッナッ」という感じに詰まったり「ナァ」とか「ナー」という感じに延びたりする事など、様々な場合があります。単に「ナ」という場合に比べて、同じ程度の音量であっても、「ナッ」とか「ナー」の方が強いアクセントがあるという風です。

これは音楽でも同じです。それと同時に、さらに強調表現として、同時に音量が大きくなるという事も、やはりあります。

音形の表現としてはこのどちらも重要ですが、要素を限定する事で検討を簡単にするために、ここではまず音量だけを使ってアクセントを検討してみる事にしたいと思います。

2-31) さてABCDの音量の表現の例として、この四つの音をすべて6の音量で演奏してみる事にしましょう。正確な音量でなくても構いませんが、ここでは2ビートらしさを検討する事を、歌う時の目標にしたいと思います。図版215の様に、「チチチチチチチチ……」というのと「ドゥッチデッチドゥッチデッチ……」というののそれぞれで歌ってみてください。

この時、DからAのつながりと、BからCのつながりとを、是非意識して歌って下さい。単にABCDの「チチチチ」や「ドゥッチデッチ」というパターンの繰り返しという以上に、DAの「チドゥッ」の部分とBCの「チデッ」という部分がそれぞれDやBから始まる推進力によって一組良く繋がっている事を意識して歌うことが出来てさえいれば、この四つの音は均等なタイミングで歌われる必要はありません。特に、DAとBCとの間、BCとDAの間はそれぞれ少し長めの間でも良く、逆に、繋がりの強いDAの部分やBCの部分では、多少詰まってつんのめったようになっても構いません。この様に、1ビートの検討の際に採り上げた、無拍の音楽と1ビートの違いとしての拍のウラの存在を、ここにも見いだしておきたいと思います。

《fig.215_ABCDを2ビートらしさを意識して歌う(同音量)》

次にこれにAとCとのアクセント記号を反映した演奏にするために、図版216の様にします。Aを6の音量で、Bを4の音量で、Cを8の音量で、Dを4の音量で、としてみましょう(アクセントのないBとDとは、アクセントのある部分を引き立てるために、少し小さめの4としてみます)。これを、音量以外は同じように「チチチチチチチチ……」というのと「ドゥッチデッチドゥッチデッチ……」というのとで歌ってみて下さい。

《fig.216_ABCDを2ビートらしさを意識して歌う(音量に差)》

ここで、ご自身で実際に歌った図版215と図版216の4通りを比較していただきたいのですが、音量をすべて6とした「チチチチ…」はひとまとまりのパターンだという感じが他に比べて弱く、DAとBCとが同じで、単に「チチ」の繰り返しという風な感じにはなっていませんか? 一方で他の3通りに関しては、DAとBCとで表現に差があるため、結果、DABCというパターン、あるいはABCDというパターンが繰り返されている様に感じられませんでしょうか。

また、ABCDのそれぞれに音量の差を指定しない場合と指定する場合とで、「チチチチ……」の場合には音量の差がある場合とない場合とで大きく感じの違いが生じやすいです。つまり、音量に差の無い「チチチチ……」は2ビートかどうかはっきりしない感じになりがちな一方で、それぞれの音量を指定した場合の「チチチチ……」ではそれだけで2ビートらしい雰囲気が生じやすいと言えます。一方で、「ドゥッチデッチ……」に関しては、音量に差が無い場合も音量に差がある場合にも、どちらも2ビートらしさが伴いやすいです。

これはつまり「ドゥッ」「チ」「デッ」といった風な言葉の違いがそのままアクセントやアーティキュレーションの違いとして機能しやすいからでしょう。一方で、音色の違い以外の、音量の違いもその他のアーティキュレーションの違いもまた、ひと組のリズムパターンを構成する要素になり得るという事です。

《fig.217_ABCDを歌った場合の違い》

2-32) ここで指摘した様な、音色の違いが2ビートらしさを生じさせるというのは、仮に、拍のウラの音であるDとBとがない様な「ACACACAC……」というリズムパターンであっても同じ事が言えます。

つまりここでは、AとCとが同じ表現であればACの繰り返しではなくいっそAの繰り返しとしてだけ受容され、一方で、AとCとの間に音色、アクセント、アーティキュレーションといった表現の差があれば、この場合にはACの繰り返し、つまり2ビートのリズムパターンとして受容されやすいという事が言えそうです。

《fig.218_ACを歌う場合》

こういったAとCとが異なる場合に、さらにまた、AもCもそれぞれ「一拍」と捉えることが出来る存在感のはっきりさがある場合には、これらは「AとCの繰り返しのパターンからなる2ビート」として聞き手に受容されます。

(逆に言えば、AとCのそれぞれに一拍感が十分に備わっていない場合には、ACやCAのくり返しとしての1ビートという風に受容される事もあるでしょう。)

2-33) ここまでで、2ビートを構成している要素に関していくつかの事柄が挙がりました。つまり、カウントがある音楽だという視点で音楽を分析した時に、「これは2ビートの音楽だな」と言えそうな場合には、単に譜面上の音形として二拍の構成が繰り返されているというだけでなく、その二拍にはそれぞれ表現の特徴に差があったり(ここまでの例での、AとCそれぞれに音色や音量の違いが与えられている様な場合)、また、自然と拍を感じさせる様な音の構成になっている(例えばBやDの働きによりAやCが拍として強調されているとか、ACそれぞれの拍としての独立性がはっきりとわかりやすい表現になっている)という事が予想できます。

ここでの話は、ある2ビートのリズムパターンを利用して譜面上の音形と実際に演奏されている表現との間にある差を指摘するものでしたが、一方で、実際の演奏を分析的に扱う場合にも、ここで挙げた様な要素の存在を予感ながら進める事も出来るのではないかと思います。つまり演奏する時に、こういった要素的な事柄を逐一すべて鑑みながら進めるとなるとそれはなかなか現実的ではないかも知れないですが、しかし実際の演奏にも何らかの形で、こういった要素のあり様が活きているのだ、という風に考えています。

2-34) 考える要素が増えてきました。ここで更に、新しい用語や視点を導入して整理しましょう。

まず、図版215などにおけるAのようにひとまとまりのリズムパターンの始まりを示す拍を「強拍」と呼びます。次に、Cの様に、リズムパターンの先頭以外の拍の事を「弱拍」と呼びます。どちらも一拍である事には違いが無いのですが、リズムパターンの始まりとしての何かの特徴を備えているという点で、特に「強拍」を区別しましょう。ここでの「強」は、必ずしも音量やアクセントの強弱の事を差していません。単にリズムパターンを考える上で、パターンの始まりとしての意味合いを強く備えている、といった事での「強弱」です。

強拍は演奏においてリズムパターンの開始位置を示すものですから、まず基本的な役割として、演奏タイミングの基準になります。メトロノームなど何か他の基準に演奏テンポを合わせる必要がある場合には、まずは強拍をもってタイミングを合わせる必要があります。特にメトロノームなどに演奏を合わせる必要が無い場合には、強拍が演奏される事を基準として他の部分が逐次構成される事になりますから、そのためには、強拍はパターンの繰り返しにおいてのしっかりしたタイミングと比較的はっきりした音色で、その役割を担う必要があります。

逆に言うと、強拍以外の弱拍や拍のウラについては、もちろんこれは演奏スタイルにもよりますが、必ずしもどんな時でもメトロノームのタイミングに対してぴったりとタイトに発音する様な演奏をする必要は無いとも言えます。強拍のオモテ以外に関しては、この点で演奏スタイルごとに表現に違いや特徴が生じやすいですから、譜面と実際の演奏の差の理由を探る機会があるとしたら、やはり強拍をもとにした見方で分析するのが、ひとつ自然な取り組み方になると思います。

《fig.219_強拍と弱拍》

2-35) 更に、これまでの検討で挙がった事柄をまとめつつ、用語の導入を進めます。

第一に、1ビートの検討においては、無拍の音楽との対比として、演奏が推進力を持つために必要な要素としては、拍のウラの働きと、拍の連続したくり返しから予測される永続感とが指摘出来ました。

第二に、リズムパターンが強拍と弱拍の組み合わせであるという事はつまり、それぞれの拍のオモテには強拍らしさや弱拍らしさが表現されるため、強拍と弱拍それぞれの演奏音には異なった個性が要求されるという事でした。こういったそれぞれの拍の個性の差がひとまとまりのパターンを構成する事により、図版218の場合の様に、拍のオモテだけで構成された演奏においても、永続感や推進感が表現される余地がある事が示唆されました。

これらを踏まえて、ここにもうひとつ視点を追加します。拍のオモテの演奏表現がアクセントや音色、アーティキュレーションの変化の繰り返しを持って、単なるパターンの永続感以上の特に強い拍から拍への推進感を表現する場合に、この推進感の事を本項では「プッシュ」と呼ぶ事にします。

例えば行進曲などでは、このプッシュの要素を良く指摘する事が出来ます。2ビートである行進曲の演奏で大太鼓が拍の表現を担っている時、強拍と弱拍との繰り返しをそれぞれ適切に演奏する事で、この「プッシュ」感を表現します。この場合に演奏されるのは拍のオモテだけだったとしても、演奏の仕方によっては拍から拍に進む推進感が異なって表現されるので、例えばリズムパターン全体や演奏全体としての躍動感なども、異なった風に演奏し分けられるという事があります。

またこれに加えて、こういった拍のオモテのプッシュと同時に拍のウラの表現の働きなどが組み合わさった演奏では、さらに複雑な推進力や躍動感が表現されるという事も良くあります。

《fig.220_プッシュ感》

2-36) 続けて、他の視点も導入します。「バックビート」という言い方があります。これは先の図版216などにおけるABCDの「C」の事です。強拍ではない拍に、そのパターンの特徴や雰囲気のメリハリを担うための特に強いアクセントが与えられている場合に、そう呼ばれることがあります。

一般には、いくつか音が並ぶ時にどこかに定期的な間隔でアクセントが与えられていれば、そのアクセントをグループの一番はじめの節目(強拍)としてリズムパターンを理解するのが自然な認識の働きではないでしょうか。強拍と弱拍というような名称もこの考え方の筋ではもっともなものです。しかし、先ほどのABCDを使った例では、先頭ではないCをそのパターンの中で一番大きな音で歌う、という風な指定でした。このような特徴的なアクセントの拍(ビート)Cをバックビートと呼んで、リズムパターンを構成する拍の中でも特にその演奏を特徴付けるものとして、別格に扱う事があります。

《fig.221_バックビート》

バックビートは(常にその関係が明示されているとは限らないのですが)、その前にある強拍との呼応関係によって成り立ち得ているものです。つまり、強拍の存在が呼びかけに当たる役割をする事に対して、バックビートが応答に当たる役割を担っているという風です。この様に、バックビートという呼称は、強拍という「フロント」に対しての「バック」であり、これらが揃ってチームプレイをしている前提を提示するのが、このバックビートの考え方なのだと理解して良いと思います。

バックビートは、音楽のスタイルによって存在したり、しなかったりします。これがないとビートミュージックとして成り立たない、というような種類のものではありません。

ところで、バックビートの位置での強いアクセント表現は強拍との呼応関係の提示を前提として実現していますが、何かの理由でこの関係が失われた場合には、演奏者の意図とは異なり、聴者には、バックビートの位置を強拍とした、別のリズムパターンとしてだけ受容されてしまう事もあるかも知れません。

「何かの理由でこの関係が失われ」という事のひとつの例としては、対応する強拍が、この呼応関係を維持するには不適当な表現になっているという場合などがあります。例えば、しばしば強拍に求められがちな、タイミングや音色に関してのタイトさが不足している事で、強拍とバックビートとがバランスしていない演奏になっているとかの場合です。ですから、アクセントとしてのバックビートはより目を惹きやすいものですが、バックビートがある音楽スタイルにおいては、強拍の演奏表現に関してもよく目配りして、強拍とバックビートとの関係性をひと組として扱う必要があると言えます。

この様にバックビートは強拍ではありませんが、やはり強いアクセントは、そこからリズムパターンが始まるという感覚を生じさせ易いものです。そのためバックビートのある演奏では、通常の強拍からリズムパターンが始まる感覚と、バックビートの位置からもうひとつのリズムパターンが始まっているような擬似的な感覚とが交互に、また、同時に感じられる事があります。この事が、演奏の推進力としては、大いに重宝されます。これは例えば「転がる感じ」という風に言われたりもします。

これは例えの話ですが、同じ2ビートと理解される音楽スタイルでも、プッシュ感のみで足が動く感じを演出する伴奏の音楽スタイルというのが歩行的な動作との馴染みが良い事に比べると、バックビートがあるなどしてふたつの別の推進力を備えた音楽スタイルでの伴奏では、動いた足の足運びが、単に歩行する時の様には素直に前に出ないというか、どこかねじれの要素が含まれるような感じがあって、それで、より踊りに適した機能を表現しやすい様にも感じられます。

《fig.222_プッシュ感とバックビート感》

2-37) では、さらにもうひとつ視点を加えます。「○ビート」とは別に、譜面表記上のわかりやすさの要請などから、リズムパターンに含まれる、そのパターン構成を表記する上で丁度良い数拍ごとのまとまりを、「小節」という単位に当てはめて扱います。

ABCDの例で言えば、「ABCD」はひとつのリズムパターンであり、また同時に、ひとつの小節です。これは、ひとつのリズムパターンとひとつの小節とが同一の例です。

一方で、リズムパターンと小節の区切りとが異なる場合もあり得ます。もしひとつのリズムパターンが「ABABABC」といったものであったら、これを「ABABABC」という一小節と捉える場合もあるのですが、しかし他に、「AB」と「AB」と「ABC」というみっつの小節の連なりであると捉える場合もあります。「ABABABC」を小節として、このどちらの様に捉えるのが適当かは、楽曲の性格や記譜の都合によって様々で、そのどちらである可能性もあり得ます。

《fig.223_小節》

2-38) さらにもうひとつ、次に「弱起」という用語も登場させます。これは、音楽の性格としては「ABCD」のリズムパターンであるのに、「DABCDABCD……」といった風に、パターンの始まりではない拍から演奏が始まる様な場合の事を言います。「ABCD」というリズムパターンを演奏する時に、「CDABCDABCD……」というのは弱起ですし、「BCDABCDABCD……」というのも弱起です。

この時の最初の強拍の前に演奏される部分は、「弱起の音」とか「弱起の拍」とか「弱起のフレーズ」とか、適宜呼び分ければ良さそうです。この場合の「D」「CD」「BCD」の事です。

演奏は「A」から始まらないのに、リズムパターンが「ABCD」であるという事に違いが生じない理由は、すでにご理解されてるかも知れません。「A」を初めとして、それぞれの強拍も弱拍も拍のオモテもウラも、その役割らしい演奏のニュアンスを持って演奏されるからです。このため、少し演奏が進んでしまえば、パターンの形は正しく聴者に伝わるのが普通です。

一方で、弱起である事特有の性質もあり、こちらが重要です。単に「A」から演奏が始まる場合に比べると、弱起がある事で、弱起のフレーズから強拍への働きをよりはっきりと聴者に提示する事が出来ます。その事で、その演奏らしさの特徴のひとつである強拍の位置や演奏表現を、演奏の最初からはっきりと提示する事が出来ます。また、この弱起のフレーズが持つ、次の強拍に進む演奏の推進力のあり様を強調する事も出来ます。

これら「強拍の演奏表現」も「推進力のあり様」も、演奏スタイルや個々の演奏によって具体的には様々違うものですから、弱起のある演奏をする事で、その演奏の個性をより強く示す手段になる訳です。

こういった性質を備えているため、ビートミュージックの自然な振る舞いとして、演奏を始めるスタイルにしばしば採用されます。弱起は「アウフタクト」とも言われます。

(一方で、少々作為的に、強拍である「A」から演奏が始まる事を強調するために、なかなか強拍が演奏されないなあ、という様なもどかしさの演出として、弱起が利用される事もあります。しかしこれも、結局はその演奏における強拍のあり様の強調という意味では、前出の弱起と共通した役割を果たしています。両者の違いは、なめらかに推進力を持って強拍に繋がるか、もどかしさの演出を伴って強拍に繋がるかの違いだけかもしれません。このもどかしい方の弱起は、本稿の検討では特に扱いません。)

2-39) ここまでに新しく導入した用語も取り入れながら、弱起を特に強調した例を扱いましょう。次の図版221を見て下さい。

「ABCD」の音量をそれぞれ「A=6」「B=4」「C=8」「D=5」とします。ここでは「ABCD(ドゥッチデッチ)……」という風に弱起なしで始める場合と、「BCDABCD(チデッチドゥッチデッチ)……」という風に「チデッチ」で弱起する場合とを比較します。

《fig.224_弱起の効果の比較1》

さて、これを実際に歌っていただきます。2ビートのリズムパターンです。歌い方に注文を付けたいと思います。「A」の「ドゥッ」は強拍ですから、毎回タイトに揺るぎなく決めて下さい。「C」の「デッ」はバックビートです。少し強めのアクセントでパターンを特徴づけて下さい。拍のウラの音である「B」と「D」は強拍より小さめの音の設定にしてありますが、それぞれここでは、次の音への繋がりが滑らかになるように意識しながら歌って頂きたいです。その方が拍のウラらしく、良い結果が得られやすいと思います。

さてこれを、適当な速度で手拍子をしながら、歌います。手拍子と同時に歌うのはAとCで、BとDは手拍子と手拍子の合間に歌います。それぞれをスムーズに実行できるようになるまで、実際にやってみて下さい。

いかがでしょうか。弱起がある方が、強拍の「ドゥッ」を提示する効果が強く、またその効果に即効性がある様に思われませんか。

弱起にはきっと、そのフレーズの美麗さの提示という側面を持つ場合もあるかとは思います。ここで言えば、BCDの「チデッチ」というフレーズはかっこいいなあ、みたいな感じです。しかし、弱起を演奏し聴く事には、その事以上に、演奏全体に関わる意味がある様に思います。それは(ちょっと大げさに言えば)「これは強拍を大事にする音楽なのですよ」「その大事な強拍とはこのような肌触りでこれから演奏されますよ」という前提や価値観を、その強拍が演奏されるまでのほんの一瞬の間に、奏者と聴者とで共有し確認し合っているという事ではないでしょうか。ここでは、ちょっとそんな気持ちで、強拍の「ドゥッ」を歌うまでの、一瞬の「チデッチ」を歌ってみるような事もしてみて頂きたいです。その事で、最初の「ドゥッ」だけでなく、その後に繰り返される「ドゥッ」もまた、やはり同じように大切に感じられるのでは無いでしょうか。大切と言っても、実際の演奏に接するには他に気にすることは沢山ありますから、まあ、程々の加減で良いのですけれどもね。

2-40) 弱起には、関係する他の効果もありますから、ここでご紹介します。今回扱っている図版224の例では、弱起がない場合に比べて、弱起のある場合には、弱起部で提示された「BCD(チデッチ)」が、その後もずっと型として意識されやすいような気がしませんか。そしてその事で、「BCDABCD(チデッチドゥッチデッチ)……」という風なBからはじまる流れと、パターンそのものの「ABCDABCD(ドゥッチデッチドゥッチデッチ)……」という流れとの両方を意識する事になり、同じ「ABCD」という2ビートパターンの繰り返しを歌っていても、このパターンの駆動力が疑似的にもうひとつ増した様な、より滑らかで力強い「転がる」様な推進感を意識する事も出来るのではないでしょうか。

弱起の働きとして「強拍の強調」はまず大きなものですが、ここで試すことが出来るように、弱起のフレーズの提示を型として積極的に用いると、さらにこの様な、パターン全体の推進感や躍動感のコントロールに繋がる場合があるという事も言えます。

とはいえ、この「駆動力が疑似的にもうひとつ増した様な」とか「転がる様な」といった感じそのものを実際に実現するのは、パターンの中での「BCD」のそれぞれがどの様な演奏表現になるのかという事に由来していますから、弱起であればきっと同じようになるというものでもないのですよね。弱起のフレーズとパターンの演奏表現の兼ね合い次第でそういう事もある、といった風な話です。この感じについては、次の例でも検討してみます。

2-41) では続けて、歌う検討を同じ様に、「D」からの弱起である「DABCDABCD(チドゥッチデッチドゥッチデッチ)……」でも試してみて下さい。図版225です。

先ほどの「BCDABC」の例(図版224)と比較してみて、どのようなところが同じでどのようなところが違うかを確認して楽しんで頂きたいです。

《fig.225_弱起の効果の比較2》

では、さらにここに、ひとつ前の検討例でも試した様に、パターンの繰り返しが進む中においても、毎回弱起のフレーズを意識する視点を取り入れてみたいと思います。これは言い換えると、パターンを連続して歌う際に、弱起のフレーズの直前にあたる箇所に、楽譜には指示されていないブレス(息継ぎ)か、あるいはいくらかのパターンの区切りらしさがある様な感覚を持てないか? という事でもあります。強拍でもなくフレーズの区切りがあるでもないと、そこからの弱起フレーズを自然な繰り返しの流れの中で意識し続けるのは、なかなか難しい事でありますからね。

さて、ひとつ前で歌い方を検討した「BCD(チデッチ)」の弱起では、こういった区切りがBの前にある様な感じを得やすい特徴がありました。その特徴の由来としては、Aの「ドゥッ」という音に含まれる「ッ」が、Bの「チ」との間に軽いブレスの機会や、フレーズの区切りの様にも感じられる音形を提供している事を指摘する事が出来ます。

では、今回歌い方を検討する「D(チ)」の弱起の場合には、CとDとの間にその様な感じを得る事は出来るでしょうか。これは、可能だと思います。なぜなら、「DA」の「チドゥッ」という音の流れは、1ビートの検討の際に扱った拍のウラから拍のオモテへの流れそのものです。これは、ビートミュージックのフォーマットの上では、特にひとまとまりと感じやすい音形と言えるでしょう。このひとまり感の前にいったんフレーズの区切りがあるような捉え方をするのは、あまり不自然な事ではありません。その様な、Dの前に区切りがあるかのような感じを伴わせつつ、かつ、Aが強拍である事も勿論忘れない様に、Aでは歌と拍手のタイミングがぴったりと合う感覚も持ちつつ、「DABCDABCD(チドゥッチデッチドゥッチデッチ)……」を、AとCとにカウントの手拍子をしながら、声に出して歌ってみて下さい。

同じ「ABCD」の音形のフレーズですが、その中に含まれる「BCDA」のフレーズに焦点が合う様に歌う場合と、「DA」のフレーズに焦点が当たる様に歌う場合とで、「転がる様な」感じが、それぞれ違って感じられませんでしょうか。そして、この違いはやはり、そのままそれぞれの場合の微妙な演奏表現に反映されているのではないでしょうか。

これらの事を逆に活用するなら、こういった、その演奏に備わっている強拍以外の区切りの位置について意識的である事で、ある演奏を分析的に扱う場合に、その特徴をさらに見落としづらくなると思うのです。弱起の話題から転じて、こういった、リズムパターンにおいて強拍以外の区切りが内在している可能性について触れました。ただこれは前述の様に、弱起の特徴そのものという事ではありませんから、その点については区別をしておいて下さい。

《fig.226_弱起とブレス位置の暗示》

2-42) これらの特徴をもう少し見るために、ここでまた新しく課題を用いて、同様の検討をしてみます。

先にAとCとの繰り返しからなる2ビートのリズムパターンを検討に用いました。ここで用いるのは、「AとCの繰り返し」と「ABCDの繰り返し」との間をとったような構成を持った、2ビートのリズムパターンです。

仮に、「ABCD」の音量を「A5」「B0」「C8」「D7」とします。一拍目の弱拍であるBは歌いません。「ドゥッ、デッチ」です。これを、やはり手拍子とともに歌ってみて下さい。

《fig.227_ドゥッ、デッチ》

この「ドゥッ、デッチ」は構成する音の割合から見ると拍のオモテの音が多く、大きな動きではっきりと力強い音の構成だと言えるかも知れません。

また、パターンの最初と最後とを繋ぐ役割をしているDが拍のウラの音としてはこの中では唯一の構成音ですから、そこで果たしている役割の大きさがいや増して感じられます。

さらに、「A(ドゥッ)」と「CD(デッチ)」との間に「B」の不在である分の存在感を伴った空きスペースがあり、自然と「CD」から始まる弱起の様な、「CDから始まってA」にたどり着く感じ」と、パターンの構造通り「Aから始まってCDに繋がる感じ」とが共存した「転が」り易い構成になっていると言えます。

では、これも実際に手拍子をしながら歌いましょう。「ドゥッ、デッチドゥッ、デッチドゥッ、デッチ……」です。

2-43) これまでの弱起の例もそうなのですが、強拍のAでの手拍子と声とがぴたりと合わさる感じを意識しようとしていても、歌っているうちにだんだんとわからなくなってしまうという事があるかも知れません。それがつまり、単純な音形で複雑な表現効果が得られているという事でもあるのである面では好ましい事なのですが、しかしここでの検討には、出来ればパターンの最初も、転がるもうひとつのフレーズの方も、両方とも見失わないままで歌えた方が良いなと思います。

そこで、見失いづらいような工夫をしながら歌いましょう。ここで検討しているのは2ビートですから、一拍目と二拍目との拍手を、体の右側と左側とで叩き分けるなど、空間の位置を利用して、手拍子をとってみてください。

あるいは、片手でもう片手の手首と指先とを叩き分けるとかでも良いです。左右で足踏みをしても良いです。それらで「1212……」とカウントを続けながら、「ドゥッ、デッチドゥッ、デッチドゥッ、デッチ……」という風に口で歌って頂きたいと思います。そうするとより、強拍のAを見失いづらく、またその一方で、拍のウラからオモテへと移動する感じとか、「転がる」ためのもうひとつのフレーズが繰り返し始まる感じ(図版227ではCDAの流れ)とかにも、安心して同時に意識を払う事がしやすくなるかも知れないです。出来れば、図版225と図版226の例についても、同じように拍子を叩く場所を変えるやり方を試してみて下さい。

2-44) 本稿ではここまで、1ビートから2ビートに検討対象を進めながら、その構成要素を取り上げてみました。これらは、ひとつのリズムパターンは最大でも4つだけの構成音で、また、ただの2拍の繰り返しのパターンなのですが、それでもなかなか多い見所や楽しみどころだった様に思いませんか。これが更に、一拍を構成する基底の音の数がより多いとか、3拍以上からなる「○ビート」であるとかとなると、また少し捉え方としての複雑さが増す側面もあります。しかし、ここまでで扱った内容は、他の場面でも多くみられる、ビートミュージックを扱うにあたっての、基本的な視点ばかりでした。用語自体はそれほど重要ではないのですが、手拍子をしながら検討課題を歌ってみるというのは、その要素を実感するのに重要な取り組みになるのではないかと思います。色んな速さや色んなアーティキュレーションで何度も試して見て頂きたいです。具体的には、本稿ではここまで簡単のためにアクセントは音量変化だけに限定するとしていましたが、「ドゥッチデッチ」のうちアクセントがある「ドゥッ」と「デッ」に関しては、音量以外の方法(「ドゥッ」を「ダゥッ」と歌う事でさらに強いアクセントを表現したり、「デッ」を「デ-ッ」と歌うことでここでも強いアクセントを表現したり、また、すべて「チ」だけでもそのリズムパターンらしさを表現したりといった色々な方法)でも復習してみて頂くと、より実際的な歌い方に近づくことが出来て良いのではないかと思います。

2-45) ところで「ビート」がつく用語としてはこれまで扱ったものの他に、「アップビート」と「ダウンビート」というものもあります。これらは、これまでに本稿に登場している様々な要素によって成り立った演奏表現の、その結果の感じを指摘したり評価したりするような、総合的な用法の用語です。これは既出の要素以上に、譜面の音形にあらわれづらい事柄ですから、譜面の音形を扱いながら検討を進めてきたここまでの流れでは、ダウンビートもアップビートも登場していませんでした。そこで、これらについても、本章の最後のこの部分で、少し触れておきたいと思います。

アップビートとダウンビートは、例えば演奏に関して用いられる場合には、一音から短い連なりくらいまでのフレーズによる演奏表現に備わった、ある感じを形容するものです。また、踊りに関して用いられる場合には、その短い動きに備わったある感じを形容するものです。これらは「感じ」ですから結果としては身体的で共感覚的な判断のものであるのですが、例えば「ここはアップビートとダウンビートのどちらで表現されるのが相応しいか」という様な話題の場合には、「この文化的な文脈では、アップビートで演奏されるのが相応しい」という様な風に、場合に応じて決定される様な側面も備えています。

これはつまり、同じ音形の同じ位置の音であっても、ある場合にはダウンビートとして表現されるのが相応しいとされ、またある場合にはアップビートとして表現されるのが相応しいとされ、またある時には、そのどちらともつかないような表現が相応しいとされるという事です。

また、これらの評価は相対的なものでもあります。あるダウンビート的な表現は、そのまま別の文脈においては、アップビート的な表現として扱われる事があります。ある絵の具の色が明るい色と評価されるか暗い色と評価されるかは、周りに塗られた他の色次第だ、という様な話に例えられるかも知れません。

この様に、説明となると曖昧でややこしくなりがちなこれらの語ですが、具体例を挙げる事は可能です。「ダウンビート」は、これまでの検討課題として扱った中では、図版225~227の例で言えば、Aの音がそうです。これらのAの音には、強拍らしさを意識するという目的で、手拍子とぴったりタイミングを合わせて歌って頂きたいという注文を付けていました。その事で生じているはずの音の振る舞いは、これらのリズムパターンにおいては、特にダウンビートらしいものだと言う事が出来ます。具体的な特徴としては、ここまでAの音への注文として挙げてきた「手拍子とパターンの開始位置がぴったり揃う感じ」「音色がタイト」というのが、それぞれダウンビートらしさの例に該当すると言えます。加えて他のありがちな例も付け加えるなら、相対的にあまり長くは伸びない音やフレーズの長さである事なども、相対的なダウンビートらしさの特徴になり得ます。一方で、音量が大きいか小さいかというのは、特に強く規制のある要件ではありません。アクセントが強いか弱いかというのもまた、どちらであってもそれだけではダウンビートらしさを損なわないでしょう。

そして、ダウンビートの対比としてのアップビートは、「閉じる感じ」に対しての「開く感じ」、「首を下に向ける感じ」に対する「首を上に向ける感じ」、「着地する感じ」に対しての「地を蹴る感じ」、「ゴムボールを置く感じ」に対しての「ゴムボールを跳ねさせる感じ」、といったような身体感覚上の対比になぞらえる事が出来る関係性のものであり、演奏表現で言えば、ダウンビートに比べてみた時には、「自由な感じ」とか「明るい感じ」とか「打ち放つ感じ」とか「広がる感じ」などを挙げてみる事が出来ます。

ダウンビートの指摘もアップビートの指摘も、必ずしも拍ひとつひとつに対応してなされるものではありません。もし演奏の批評としてダウンビートやアップビートの語を用いる場合には、その対象がひとつひとつの音や動きについてのものか、拍を単位としたものか、あるいは、ある拍を表現するための一連のフレーズに関してのものかなどを、良く区別して扱う必要があるかも知れません。

さて、そこでアップビートの例ですが、そのアップビートの指摘がひとつひとつの音に関してのものである場合には、強拍のウラの音を「これはアップビートだ」と指摘出来る場合もあります。例えば図版226のDの音ははっきりしたアップビートとして演奏される場合があります。

また、アップビートの指摘が拍に関しての場合には、「このバックビートはアップビートだ」という様な言い方が成り立つ場合がよくあります。特にバックビートは、前述の通り強拍との対比構造を持っていますから、その強拍がダウンビートである場合には、自然と、アップビートをもってバックビートの表現とするのが相応しい、という場面が多くなる訳です。

その他、図版227におけるCDは、ダウンビートである一拍目に対してアップビートである二拍目を構成するフレーズだ、という風に扱えない事も無いです。

一方でまた、ロック音楽の系統にあるポップスではあまりない事なのですが、音楽スタイルによっては「すべての拍をもっとアップビートらしく演奏して」というような指示もあり得ます。

さて「ぴったり」感を備えたダウンビートの音との比較としてアップビートらしく表現するには、様々な方策が考えられます。それには例えば、より伸びやかな音色でとか、より小気味よいアクセントでとか、より緊迫感を演出したアクセントでとか、よりルーズな感じを演出したアクセントでとか、より高い音程でとか、より長い音価(音の長さ)でとか、とにかく相対的に様々な方法で実現出来る可能性があり、それぞれで、表現される拍から感じられる感触や印象は異なった結果になります。

一方、「すべてアップビートで」という様な場面では、これらの対比として見られるような特徴が、個別に接したときにも感じられるようにその性質がより明らかに表現されていれば、まずは相応しいと言えそうです。例えば、はっきりと伸びやかな音色により豊かな音価が演奏される、とかです。しかしその他にも、文脈や事前の文化的な合意として「演奏される音はすべてアップビートとして受容する」という風な合意がある場合もあるかも知れません。その様な場面では、特にこれらにこだわらなくても、さら異なった演奏表現を選択できる可能性もあります。

この様に、拍や音の感触や印象というのは、単にダウンビートかアップビートかという事だけに留まらず、様々な方法で、様々に実現されます。ダウンビートであってもアップビートであってもそのどちらともいえないようなものであってもそれ自体は特に構わないのですが、それらの感触や印象の細やかな特徴を演奏者と複数の聴者とが音楽の進行に沿って同時的に共有して確認し合えるという事は、ビートミュージックにおける、とても大きな喜びの要素なのではないかなと、筆者は思っています。

逆に、テンポを示すためだけに演奏されているビートミュージックは、そのもともとの喜びの大きさから比べると、とても味気ないもののようにも思われてしまいます。

さて、ダウンビートとアップビートとの紹介にかこつけて、最後には少々話が大きくなってしまいました。本稿での2ビートを使った検討はひとまずここまでにして、次章で、検討範囲を次に進めたいと思います。

3) 拍にまつわる音楽の振る舞いを眺める(3ビート)

3-1) 前章では1ビートと2ビートを対象に検討する事で、その構成要素をいくつも挙げました。本章では、これらを用いて、更に新しい要素を得て行きたいと思います。

1ビートと2ビートと進んで来ましたから、順当に3ビートについて考えて行きたいと思います。

前章(2-20)で「2ビートとは二拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式である」という言い方がありました。これをそのまま展開して、「3ビートとは三拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式である」と仮定するのが自然でしょう。

一方で、前章(2-29など)では、1ビートの様な音形をもったリズムパターンでも、他の○ビートとして受け止められる場合には1ビートとして受容されない、という例がありました。「3ビート」もまた、一見3ビートの様な音形を備えていても、優先して他の○ビートして受容される様なケースもありそうです。

3-2) 3ビートの「三拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式」が他の「○ビート」と混同されてしまうのはどんな場合でしょうか。これは例えば、次の図版301のような場合です。

《fig.301_3ビートが誤解される例》

この図版では、アクセント指示のありなしによって、最初の三拍と二番目の三拍とが、それぞれ異なった性格を持っています。その事で、3拍の構造ひとつひとつにに対応した上段のようなカウントを想定していても、実際には、優先して下段の様に受容されてしまいがちです。

上段のようなカウントが成立するなら3ビートと言えますが、下段では、3ビートと言えません。その数字通り、2ビートの仲間の構造と考えるのが適当でしょう。

こういった行き違いは、それぞれの三拍からなるひとまとまり同士が何かの役割分担や呼応関係を持っている事で、他の「○ビート」と同様の関係性に見えるために生じます。そういった関係性が連続した繰り返しとして見て取れる場合には、その3拍の並びを単位としたリズムパターンとして捉える以上に、そちらの連続した繰り返しの方を、拍やリズムパターンの構成として認識してしまい易いのが普通です。そして、その場合には、三拍のひとまとまりは、一拍として受容されます。

反対に、その様な連続した繰り返しのパターンが無く、同質の3拍ひと組が繰り返される様な場合には、こういった行き違いがなく、3ビートとして受容されます。

3-3) ところで、次の図版302にある様に、一拍をみっつに分けたような構成を持った音符を、譜面の用語では「三連符」と呼びます。ある演奏を、三拍からなるリズムパターンとして受容するか、三連符からなる一拍として受容するか、といった様な取り違えに関係して、少し、この話題を進めたいと思います。

《fig.302_三連符、8分音符、16分音符》

図版302の様に、一拍をふたつに分けた様な構成を持った音符を「八分音符」と呼びます。一拍をよっつに分けた様な構成の場合には、「十六分音符」と呼びます。これらの呼び名に馴れていない場合には、「三連符」「八分音符」「十六分音符」というのは、呼び名に一貫性が無いように感じられるかも知れませんが、ここはひとまずそのまま覚えてしまっても良いのではないかと思います。

この様に、三連符ひとつ分、八分音符ひとつ分、十六分音符ひとつ分といった演奏の構成要素は、譜面上では一拍よりも短い音の長さ(音価という言い方をします)の要素ですが、演奏の聞かれ方によっては、それぞれが一拍と混同される場合がありそうです。この点について、今できる範囲で整理してみます。

3-4) 拍は、第一には、記譜上の音符の長さ(これを「音価」と言います)や種類の事ではありません。音楽、特にビートミュージックにおいて、それを成り立たせる根幹的な機能の事でした。演奏に楽譜を用いない場合には、八分音符の考え方も三連符の考え方も特に必要ありませんが、楽譜を使わない演奏者にも、演奏しない聴者にも、拍はそこにある機能としてビートミュージックにはいつも存在するものです。

拍に関係してここまでに登場している視点に、強拍と弱拍という考え方がありました。これらで構成されるひとまとまりに関して、本稿ではリズムパターンという言い方をしました。これらは、ビートミュージックに備わっている機能の呼称です。実際に演奏している音はこれらとは別にあって、その具体的な音を指示する働きが、三連符ひとつ分、八分音符ひとつ分、十六分音符ひとつ分といった音符にはあります。八分音符よりも長い音価である、四分音符や二分音符といった他の音符も同様です。前章では、実際に演奏される音の譜面を例にして「○ビート」の特徴を検討するという事もやりました。

(ところで、一拍分の演奏を指示するのに用いる音符はひととおりではありません。これは演奏スタイルによって異なります。多くのスタイルでは、一拍分の演奏をあらわす音符として四分音符を用いますが、他のスタイルでは、八分音符を一拍分として用いたり、二分音符を一拍分として用いたりします。)

本稿はビートミュージックを扱う事を前提としていますから特に、このあたりの混同がありません様に、再確認をしてみました。

とはいえこれらは小学校における確認テストという様なものではないので、実際の演奏を聴いて、演奏者が想定している拍を聴者が間違わずに聴き当てないといけない、という様な種類のものでもありませんよね。

ひとつのリズムパターンに拍の捉え方は一通りですが、実際の所(本稿でこのあと十分に触れる事が出来るかどうかは分かりませんが)、ひと時の演奏に複数のリズムパターンが提示されていたりという事や、あるリズムパターンを別のリズムパターンであるように再解釈して演奏したり聴いたり踊ったりするという事は、ごく普通の事でもあります。ですから、演奏と総合的に接する場面では、あるリズムパターンにおける拍のありかたを取り違えるというのもまた、普通の事だと思います。

こういった取り違えには、他にも影響する原因あります。それは、ある音楽の場面でどの様なリズムパターンが採用されがちか、といった事は、演奏される文脈の把握による部分が大きいという事です。文脈の把握というのはつまり、その演奏に関連した文化的な事柄を事前に了解しているかどうかという事であり、言語的な事柄だという事だと言えます。その音楽スタイルらしさというのは、別の言い方をすれば、その音楽スタイルで良く用いられる言葉づかいといった事でもありますが、それと親しみが薄いために、音形やリズムパターンを取り違えるという事は、ある意味では当然の事なのだと思います。

この様に、拍のあり様は、文化的な了解と身体感覚的な了解の両方から、成り立っているものだと言えます。本稿では、こういった文化的な了解に関する部分や総合的な判断についての部分はあまり扱わず、より要素に焦点を当てた検討を扱いたいと思います。

少し話題が混雑してしまったきらいがありますが、この項は、「○ビート」の混同、拍と音符の混同といった関係の話題でした。

3-5) さらに新しい視点を導入するための例を、図版303に挙げます。

《fig.303_ハチロク1》

この図版にあるのは、先の図版301で3ビートが他の○ビートとして受け取られる例として挙げた音形です。これは、3ビートではなく、2ビートの仲間として理解するべきだと述べました。これには実は、もう少し続きがあります。

これを2ビートと解釈する時、一拍分の三連符が二つひと組になっているという風に捉えています。ひとつめの三連符が強拍で、ふたつめの三連符が弱拍です。

その一方で、三連符を構成する音符ひとつが六つ並んだ構成をひとまとまりとなっているという風にも解釈できます。これの場合には普通、楽譜としては次の様に表記します。

《fig.304_ハチロク2》

三連符が八分音符に変わっていますが、リズムパターンの構成は同様です。つまり、1拍は八分音符三つで構成されており、八分音符六つで2拍のリズムパターンを表記しています。

図版304と図版305はどのような意図の違いがあるでしょうか。

あらためて、両者の違いを明確にする要素を加えて、図示します。図版306です。

《fig.305_ハチロク3》

ここで新しく「拍子記号」を導入しました。上下の譜面の性質の違いを分けて取り扱う目的です。上の譜面の「4分の2」と下の譜面の「8分の6」とが「拍子記号」です。

まず、「4分の2」とあるのは、「四分音符を一拍として表記した2ビート」を指示する時に用いる事が出来る拍子記号です。その事から素直に推察すると、「8分の6」とある場合には、「8分音符を一拍として表記した6ビート」を指示する時に用いる事が出来そうです。この「6ビート」というのは、これまでの用語の用法から考えて「六拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式」でしょう。

しかし、単にこの通りの意味であれば、6ビートを表記するには、「4分音符を一拍と表記した6ビート」としておけば混乱もないはずですから、今回の様に、一拍を表記するのに8分音符を用いる必要は無さそうです。ここに、新しく導入する視点があります。

つまり、8分音符を一拍として表記するのは「複合拍子」を取り扱うためです。複合拍子は、今回の場合で言えば、2ビートの性質と6ビートの性質とを併せ持ったリズムパターンの事です。複数の○ビートの性質がひとつのリズムパターンに備わっている様な場合があるというのが、ここで導入する新しい視点です。

図版305の4分の2の譜面では、これは2ビートの性質だけを持っているリズムパターンですから、一拍を構成する三連符のうち、ひとつめが拍のオモテであり、三つめが拍のウラです。一章で触れた様に、この関係が拍から拍への推進力を担う一方で、これらの三連符は必ずしも均等な時間感覚で演奏されるとは限りません。場合によっては均等かも知れませんが、他の場合には、三連符のひとつめと二つ目とが近接していて、拍のウラである三連符の三つ目は、それよりも少し目立つ様な演奏表現である場合もあり得ます。そういった疎漏さを許す指示であるのが、上の譜面でした。

一方で、8分の6の譜面の指示は、4分の2の場合と同様の2ビートとしての性質の他に、6ビートとしての性質を同時に備えている事を示したい場合に用いられます。6ビートでは、これを構成するそれぞれの八分音符が、それぞれ一拍のオモテです。これらは、ある程度均等な時間間隔で繰り返される事で、6ビートらしさを得ているはずです。ですから、8分の6の譜面で指示される様な演奏の場合には、6つの音はその様にして、ひとまとまりの感じを表していながらも、一方で、最初の三つの音と次の三つの音とで2ビートらしい、強拍と弱拍の呼応関係を成しているというのが、特徴なのです。この感じは単なる4分の6拍子(4分音符を一拍と表記した6ビート)とも、単なる4分の2拍子とも異なりますから、これらは指示として使い分ける事が可能である訳です(ちなみに、複合拍子である8分の6拍子に含まれている2ビートは、付点4分音符を一拍とした2ビートです。付点4分音符というのは、8分音符三つ分の音価を音符ひとつであらわす場合の呼び名です)。

「6ビート」そのものは、この章で扱う内容ではありませんが、複合拍子という用語を導入するために、ちょっと先んじて簡単に登場させました。この項は、「4分の○拍子」という拍子記号と「8分の○拍子」という拍子記号の使い分けの意図と、それを説明するための「複合拍子」という用語を扱うのが目的でした。

3-6) さて、今回6ビートの例によって導入した複合拍子の考え方ですが、他の○ビートの複合拍子というのは、あるものでしょうか。これは、あります。次の図版306に例を挙げます。

《fig.306_複合拍子の例》

まず最初の例は、8分の2拍子です。あまり使われませんが、検討例としては良いでしょう。これまでの例の通りに解釈すると、これは、「8分音符を一拍と表記する2ビート」と「8分音符ふたつ分で一拍とする1ビート」との複合拍子です。実際の1ビートと受容される音楽スタイルは、均等な2拍から成るという事があまりありません。ですから、現実にはあまり例を挙げづらいのですが、例えば、「カチカチカチ……」と時計の針の動く音を楽しむ音楽を譜面として表記するとしたら、これは8分の2拍子として指示する手もあるかもしれません。しかし通常良く聴かれる音楽スタイルでという事でしたら、このようなタイプの譜面表記になる複合拍子の組み合わせでは、2ビートの性質の印象が勝って1ビートの性質はなかなか表に現れません。ですから、実際には8分の2拍子の出番は無くなり、4分の2拍子として指示されるのが普通です。あるいは多少特殊な例では、2分の2拍子という事もあるかもしれません。「二分音符を一拍と表記した2ビート」です。

これらは、複合拍子というよりも、単に、「めずらしい拍子記号の指示」という風に位置づけて整理した方が、実感としてはすっきりするかも知れません。しかしここではとにかく考え方の検討を目的にしていますから、こういった事も扱ってみました。

図表306での二番目の例は、8分の6拍子です。これは最初に複合拍子の例として扱ったもので、読み取り方については、前述の通りです。しかしここで、さらにもうひとつ用語を加えて、考える視点を増やしたいと思います。

《fig.307_八分の六拍子と中強拍》

図表307の上側には、8分の6拍子のこれまで通りの譜面の下に、これを2ビートとして解釈した場合と、6ビートとして解釈した場合それぞれの強拍と弱拍が書き添えられたものが図示されています。一方下側にあるのは、これらを統合して扱う場合の考え方で、新しく「中強拍」の表記が加えてあります。これはつまり、2ビートでの強拍と6ビートでの強拍が共有される音はこれまで通り強拍として扱う一方で、2ビートとしての強拍の役割だけを負う音については、中強拍という呼び名を導入する事により、その取り扱いを区別したものです。つまり、中強拍という用語を導入する事により、複合拍子らしさをよりはっきりと指摘しようという目的です。

さて、図版306の三番目の例は、8分の9拍子です。これは「八分音符を一拍と表記する9ビート」と「八分音符みっつ分を一拍とする3ビート」との複合拍子です。八分音符みっつごとに組になって「強拍」「弱拍」「弱拍」という3ビートの関係を成していますから、複合拍子であると言えます。これについても、強拍、弱拍、中強拍を指摘すると図版308の様になります。

《fig.308_八分の九拍子と中強拍》

強拍は頭にひとつだけですが、八分の九拍子に含まれる3ビートのその他の強拍の位置には、中強拍が複数置かれています。こうすることで、リズムパターン全体の始まり位置である強拍と、複合拍子として含んでいるビートの始まりの位置とをそれぞれ示している訳です。強拍の役割を持った音符は、必ずしも他よりも大きな音量で演奏されるとか他よりも目立ったアクセントが与えられるという事ではありませんでしたが、リズムパターンの始まりとして、率いるパターンの先頭のタイミングを提示する振る舞いが期待されているのが強拍でした。同様に「中強拍」もまた、必ずしも音量やアクセントの強さを示すものではありません。また、中強拍はパターン最初の強拍に比べると、強拍としての性質はいくらか弱まって振る舞いがちです。そうする事で、強拍の役割を損なわないような関係性を実現します。

中強拍を起点に複合拍子を説明した場合には、「中強拍を持つリズムパターンが複合拍子である」という事も言えるかも知れません。

3-7) 図版309を見て下さい。3ビートの1拍目2拍目3拍目それぞれ、様々な位置にアクセントが指示されています。

《fig.309_3ビートのアクセント》

これらが実際の音楽のスタイルに関してどれも適当かどうかはさておき、どれも3ビートとしては破綻していないです。これのそれぞれの拍がもし次の図版310のように拍のウラの音を伴っていたとしても、これもまた、3ビートとしては破綻していません。

《fig.310_拍のウラの音を伴った3ビート》

という事はつまり、これらのどれが実際の演奏に採用されるかというのは、構造的な要請があるとか制限があるという事ではなく、その音楽スタイルに関しての文化的であったり習慣的な要請によるものと言えるでしょう。演奏される文脈において破綻していなければ、どれもありえるという訳です。

ただし、強拍以外のアクセントに関しては、強拍と混同されやすいような、音量による強いアクセントではなく、他の表現によるアクセントが採用されるか、あるいは、バックビートとして、強拍との関係性を持った上での音量アクセントになるのが普通です。強拍の役割が成り立たないと、この3ビートのリズムパターンそのものが成立しなくなってしまいやすいからです。

3-8) 一方で、基本的な3ビートの音楽スタイルには、図版309のようなタイプよりも、図版310のような、シンプルな3拍だけを主な構成要素にしたものが多いのではないかな、とも思います。拍のウラの働きを強調して推進するものよりも、リズムパターンの繰り返しそのものを楽しむのです。この時また、その強拍に自然なアクセント表現を伴うものも多く、それは、連続して繰り返されるこの構造を通して、舞踏として、一拍目にあるアクセントの繰り返しを楽しむ事を目的にしていたりする事もありそうです。

この時、○ビートというのは音楽のリズムパターンの構造を示すものですが、同時に、舞踏の身体行動に関するリズムパターンを示すものである訳です。

3-9) 尚、2ビートの実際の音楽スタイルには「マーチ」「サンバ」「ブルーズ」といった例がありましたが、3ビートの実際の音楽スタイルとしては、「ワルツ」の呼び名がまず主要です。

ただ、ワルツという呼び名が便利に広範に用いられているために、結果として、ワルツの呼び名の範囲の中にも更に様々なスタイルがあります。ですから、実際の演奏でワルツを扱う場合にもアクセントやアーティキュレーションはそのスタイルごとに良く注意してみる必要があるかも知れません。

ここでは、「○ビート」という考え方への検討を進めるために、やはり構造に焦点を絞った話題を中心に扱い、具体的なスタイルの文化的に了解されている側面に関しては、あまり扱わないままで先に進みたいと思います。

3-10) 本章でもまた、次々に新しい用語が登場します。少し先走った話題ですが、次に、3ビートに関連した話題として、「2+1」と表記するリズムパターンの事に触れたいと思います。

「○ビート」を成立させる要件として、他の「○ビートとして受容されない事」というものがありました。これは、ある意味ではそれとは反対の場合の話なのですが、次の図版311の様な場合の考え方を導入したいと思います。

《fig.311_2+1で3ビート》

図版311の楽譜は、2ビートのリズムパターンと1ビートのリズムパターンとが繰り返されているようにも、それらをまとめた3ビートであるようにも受容出来る場合の例です。これをここでは便宜的に「2+1」と表します。

このようなリズムパターンは、通常「121121121……」とカウントすると、少々せわしなすぎるという事もあって、「2+1」の「1」に関して、聞いても見た目でも印象的に独立した感じがある場合でも、「123123123……」という風に扱う場合があるのです。

これはつまり、「2+1」をひとまとまりの「一小節」として扱い、「123」とカウントする一小節として扱ったり、「123」というひとつのリズムパターンとして扱ったりする事があるという事です。

多くの人にとって、「3」という数字は認識しやすく、また、ひとまとまりとして捉えやすい性質があるという事かも知れません。同時に、「1」や「2」というのは、音楽のリズムパターンとしては細かすぎるため、その使用はごく単純な場面に限定されやすいという事なのだと思います。また、感覚上の事よりも、より、記譜上の便などが理由という場合もあるかも知れません。とにかくそういった事柄のバランスをとった結果として、「2+1」や「1+2」のような構成のリズムパターンは、3ビートとして扱われる場合があります。

なお、「2+1」のリズムパターンを「3」として扱う場合の様に、個々のリズムパターンではなくその繰り返しのひとサイクルをひとつのリズムパターンとして扱う様な場合を、「混合拍子」と呼びます。この場合で言えば、2拍子と1拍子の混合で3拍子が成り立っている、という訳です。

混合拍子の中でも特に3以外の奇数拍子のものに関しては習慣的に、ひとまとめに「変拍子」と呼ばれることがあります。というよりも、実際には、この変拍子という言い方の方が、クラシック音楽以外の場面では多く接する事が出来るかも知れません。クラシック音楽では積極的に、混合拍子という言い方が用いられていると聞き及びます。

混合拍子(変拍子)の例としては、「4+3」と分析出来る7拍子や「2+3+2」と分析出来る7拍子、「2+2+2+3」と分析出来る9拍子など、様々なケースが考えられます。

また、混合拍子(変拍子)のリズムパターンが繰り返されるのとは異なり、単にいくつかの拍子が移り変わっていくようなケースを「可変拍子」と呼んだりします。こちらは、3拍子の後に2拍子、その後に3拍子、またその後に1拍子、という風に拍子が移行するとしたら、これらを特にくっつけたり分解して再解釈したりせず、そのまま順に譜面で表記する様な場合の事です。混合拍子(変拍子)については、繰り返しの性質が感じられるためにひとまとまりとして扱う事が出来るのですが、可変拍子についてはそういった整理を行わずに、拍子の変化のままに譜面表記します。これは主に、周期的な繰り返しのない一時的な演奏の性質を指示するために用いられる記譜上の都合に関しての用語ですから、本稿では特に扱いません。

「変拍子」については後ほど本稿でも少しだけ扱います。

とにかくこの項では、「2+1」の様に聞こえる場合にも、3ビートとして扱う場合があるという事柄を中心に、いくつか新しい用語をご紹介しました。

3-11) 最後にここでも、手拍子しながら簡単なリズムパターンを歌う、という事をしておきたいと思います。

次の図版312を見て下さい。

《fig.312_3拍子を歌う》

ひとつめの譜面については、「ブンタッタッブンタッタッ……」の「ブン」は、「タッ」に対するアクセントの表現として「ブン」を歌って下さい。

ふたつめの譜面については、「トゥットゥッタートゥットゥッター……」の「ター」は、次の「トゥッ」への移行を意識するためのささやかなアクセントというつもりで歌ってみて下さい。この「ター」を強めすぎると、「トゥッ」からはじまって「ター」で終わるというこのリズムパターンのひとまとまりらしさが壊れてしまうので、あまり強いアクセントにするのは不適当です。

みっつめの譜面については、「タンタカタンタンタカタン……」の2拍目の「タカ」が特徴的です。これも、「タカ」や「タン」が強まり過ぎるとリズムパターンのひとまとまりの感じが崩れてしまうので、強めすぎないようにしてください。

3ビートの音楽スタイルには、そのリズムパターンのくり返しそのものを音楽が進行する推進力にしているものが、往々にして多い様です。その様なリズムパターンでは、パターンのひとまとまり感を特に維持しやすくするために、これらの例の様に、一拍目の強拍と3つの拍のオモテとを分かりやすい形で提示する事が多い様に思います。

この「3つの拍のオモテとを分かりやすい形で提示する」という事から、ひとつめの音形の様な拍のオモテをしっかり独立して提示するニュアンスが、ふたつめとみっつめの音形の場合でも、さりげなく含まれているつもりになって歌ってみて頂きたいところです。

そうでないタイプの3ビートは、合奏の分担としてそれぞれの演奏が拍のオモテだけを強調したものでなくても、演奏全体として適度に拍のオモテが強調されて成り立っているとか、あるいは、先に挙げた混合拍子(変拍子)としての推進力を備えているとか、という事が多い様に思います。ここでは、単純な例を、歌って頂きました。

3-12) 折角ですから、8分の6拍子のものもひとつ歌っておきましょう。図版313です。

《fig.313_8分の6拍子を歌う》

ここでは、カウントの拍手を二種類試します。2ビートとしての上段のものと、6ビートとしての下段のものです。どちらの時にも、一拍目の「ドゥッ」は強拍らしくタイトなタイミングと音色で、また、4拍目の「タッ」には中強拍として他の弱拍とは違ったアクセントがあるように歌うことで、6拍のくり返しと同時に一拍目の「どゥッ」と二拍目の「タッ」とのくり返しである様に感じながら「ドゥッツクタッツクドゥッツクタッツク……」と歌ってみてください。ここでは1拍目を「ドゥッ」4拍目を「タッ」と表記しましたが、これらの「ッ」はアクセントを伴っているという事の表現として採用したものです。ここで「ッ」をしっかり区切って発音してしまうと、次の「ツク」となめらかに繋がっては歌えないと思います。「タ」にアクセントがあるように歌えていたら、日本語の「ッ」らしさにはとらわれなくても結構です。二種類の手拍子をそれぞれ試して、またそれぞれを、これまで試した2ビートや図版312での3ビートでのものと比較してみて下さい。

では、本章はここまでにします。次章では4ビートの検討へと進みながら、さらに新しい用語や視点を導入します。

4) 拍にまつわる音楽の振る舞いを眺める(4ビート・フィルイン)

4-1) さて、本章での話題は4ビートです。これまで通りに考えを進めて、「4ビートとは四拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式である」という理解で進めて行きましょう。

2ビートと3ビートとで良く確認した様に、このリズムパターンを構成する最小の拍は強拍と呼び、リズムパターン全体を代表して、その始まりの位置を示す役割を期待されています。強拍への対比として、他の拍は弱拍と呼びます。

もしこれに複合拍子の性格があれば中強拍の役割の拍もあるという事でしたが、ここでの検討対象の範囲には、まだそれはありません。図版401を見てください。

《fig.401_強弱弱弱》

本章は4ビートの検討を行いますから、図版401の音形を扱う時には、他の○ビートとして受容されない時に、それらを避けるように気をつけて下さい。

例えば、全て強拍の「強強強強」という風にしてしまうと、1ビートとの区別を付ける手がかりがありません。また、「強弱強弱」となると、2ビートです。

次に、前章で導入された、「混合拍子」の考え方についても、避けて下さい。例えば4拍のリズムパターンが「3+1」の混合拍子だとすると、「強弱弱強」の連続した繰り返しとなるでしょう。これらの誤解が生じ無い様に、一拍目にだけ強拍の性格を意識するとか、また、弱拍が強拍と誤解されないとかの事柄に気を配って扱ってみて下さい。

4-2) では本章では、早速手拍子か足拍子でカウントをしながら、次の例にある音形を歌ってみてください。図版402です。

《fig.402_4ビートを歌う1》

音符の譜面の下に、歌い方が数通りあります。まずは一番上の「ドゥッタタタドゥッタタタ……」です。一拍ごとに、手拍子などでカウントをします。

では次に、二番目の言葉で歌います。言葉の選択は適当なものなのですが、歌詞の様にして日本語を付けてあります。「こけむしたみちをはしるのこわい・」です。「こわい」のつぎの「・」にあたる一拍は、言葉は休みにして、カウントだけです。強拍の役割を意識しながら、やってみてください。

日本語の単語は、一音ずつはっきり分けてこの様に歌うと、全部が強拍っぽく感じられやすいです。「ドゥッタタタ……」と交互に歌って比較してみて下さい。その点、どうですか? 「ドゥッタタタ……」の方が、強拍を無理なく意識しやすいような性質がありそうです。

ではその、全部が強拍に感じられやすいという事への対策として、カウントの手拍子などは強拍の位置だけにして、歌ってみます。「こけむしたみちをはしるのこわい・」の、「こ」「た」「は」「こ」の時にだけカウントをします。

この時カウントする部分でだけ、特に強拍としての、タイミングにタイトな感じをよく意識して下さい。どうですか?「ドゥッタタタドゥッタタタ……」における「ドゥッ」の様な強拍感は、「こけむした……」にも観察出来ましたでしょうか。

歌ってみて、これが4ビートではなく、1ビートと変わらずに観察されるのは、ここでの趣旨ではありません。全部の拍が均等に強拍な1ビートでもいけませんし、また、カウントを打つ「こけむし」「たみちを」「はしるの」「こわい・」のそれぞれを1拍とする1ビートでもいけません。

もし後者の様な1ビートに感じられてしまうとしたら、一拍目と二三四拍目が時間的に詰まっていすぎるとか、二三四拍目に弱拍のオモテとしての独立感が足りないとか、そういう、歌い方に起因する理由かもしれません。ここはひとつ、1ビートの条件ではなく、4ビートの条件が備わっているな、と感じられるようにしてみて下さい。

また、それぞれの歌い方で、テンポを早くも遅くも試してみて下さい。

どうでしょうか、定義通りの4ビートの感じを確認してみる事は出来ましたでしょうか。3ビートまでで検討した例との一番大きな違いは、弱拍が3つも並んでいるという点です。

4-3) 前項での例は、全て拍のオモテだけを歌ったものでした。次は、拍のウラも歌う例を扱いましょう。図版403です。

《fig.403_4ビートを歌う2の1》

「ドゥンダクダクダ・ドゥンダクダクダ・」とあるうち、「ドゥン」の「ン」と「ダク」の「ク」、「ダ・」の「・」は拍のウラにあたり、「・」は実際には発音しません。

ここで、この八分音符で示された譜面は、2-10項で扱った通り、一拍が拍のオモテとウラとで成り立っているという4ビートの音形を示すためのものであり、拍のオモテの八分音符と拍のウラの八分音符のそれぞれの正確な音価を示すためのものではありません。これが4ビートとして成り立っているためには拍と拍との間は程々に均等である必要がありますが、「予感させる音」である拍のウラの音は、音価としては、長めの場合も短めの場合も考えられる、というのが、2-10項での留保事項でした。その事を思い出して、ここでは特に、拍のオモテと拍のウラとが同じ程度の音価の場合と、また、拍のオモテの方がウラよりも長い場合とを歌い分けてみたいと思います。図版403です。

《fig.403_4ビートを歌う2の2》

拍のオモテの方が長い場合、「ドゥンダクダクダ・」は「ドゥーンダークダークダー・」という感じになります。これらも、強拍と弱拍の違いを意識しながら、各拍で手拍子をして、まずは歌ってみてください。

次に、拍のウラの音からオモテの音への推進感を特に意識して歌うという事もしてみましょう。二拍目と三拍目の「ダク」の「ク」から次の「ダ」への繋がりを特に意識すると、「ドゥン」「ダ」「クダ」「クダ・」という感じや、「ドゥーン」「ダー」「クダー」「クダー」という感じになりませんか。実際に歌って、確かめてみて下さい。

こうやって拍のオモテを長めに歌ってみたところで、これまでの4ビートの要件としていた事柄が成り立たなくなるかというと、そうはならないですね。それどころか、この音形に関しては、拍のウラからオモテへの動きが強調されると、逆に強拍の「ドゥン」や「ドゥーン」がより強拍らしく感じられるようにさえ思いますが、この点についてはいかがでしょうか。実際に試してみながら観察してみてください。

あいまいな話になってしまうのですが、4ビートでは、弱拍が3つも並ぶ事で、強拍らしさを自然にあらわし易い場面が少し減るかも知れません。そこで、実際の音楽スタイルにおいて強拍がその役目を果たしてリズムパターンの4ビートの性質を保つためには、強拍そのものに強いアクセント表現が伴っているとか、他の拍のウラの音の働きの結果として、強拍の役割が際立っているとかといった音形を持つものが多い様な印象があります。

次には、そういった、拍のウラの音が強拍を際立たせているという例の、特に特徴の強いものを試したいと思います。図版404です。

《fig.404_4ビートを歌う3》

ここでの一二三拍目には、八分音符を用いて拍のオモテとウラを持った音形が描かれていますが、歌い方としては、拍のオモテにだけ言葉があててあります。四拍目には、拍のオモテとウラとに言葉があります。均等な「ドゥ・ダ・ダ・ディダ」と、オモテの方が長い「ドゥーダーダーディーダ」との両方を試してみて下さい。

どちらにおいても、四拍目のウラの「ダ」から強拍の「ドゥ」に向かう「ダドゥ」という流れが持つ推進力と、強拍における「ドゥ」とカウントとが同時に打たれるところを、しっかり意識して歌う様にしてみて下さい。

これもやはり、ゆっくりでも速くでも歌い分けてみる必要があります。例えばゆっくり歌ってみる場合には、各拍の質感を観察しやすいですし、速く歌ってみる場合には、パターン全体の持つ推進感を観察しやすいというような違いがあるからです。

とても早く歌うとすると、強拍に関する様子を観察するのに忙しくなって、他の弱拍ひとつひとつの感じまでは気が回らないかも知れません。しかし、速い場合にはそれくらいで丁度良いです。その代わり、強拍以外の拍については、ゆっくり歌う時によく観察してみてください。

4-4) 強拍を強調する役割を果たすのは、拍のウラからの繋がりだけではありません。4ビートとなると弱拍が3つもありますから、これら弱拍のオモテから強拍に繋がる推進力もまた、強拍の強調に用いられる場合があります。次はの例にはマザーグースから英語詞を用意してみました。図版405と図版406です。

《fig.405_4ビートを歌う4の1》

《fig.406_4ビートを歌う4の2》

「Simple/Simon/met a/pie-man/going/to the/fair/sais/simple/Simon/to the/pie-man/Let me/taste your/ware/ /」

「/」で区切られているのが一拍分です。それらの中で多くは拍のオモテの音として歌う事が出来ます。しかし「met a」「pie-man」「to the」「Let me」「taste your」については2音節あり、これらは、それぞれを拍のオモテとウラとに歌い分けて下さい。

ここで、比較検討の対象にしたい一拍があり、それは「sais」の一拍です。図版405では、この「sais」を拍のウラに置いて、次の強拍へ素早く繋がるようになっています。また、図版406では、「sais」は拍のオモテに置かれています。このような拍のオモテでも次の強拍へと繋がる感じが得られるものかどうかというのを、実際に歌う事で検討してみてください。

なおこれは詩句であり、その語順が「まず主語があり次に動詞が来る」という風にはなっていませんが、「sais Simple Simon」で「馬鹿なサイモンは言った」というひとまとまりで、その前の「fair」とはいったん切れていますから、ここは、言葉の意味による強拍前後のひとまとまり感が備わっていると言えます。

歌う時には、リズムパターンの一拍目にあたる「Simple」「going」「(sais) Simple」「Let me」の四箇所については、言葉の発音の最初のタイミングが打つカウントと良く合う様に、また、言葉を丁寧に発音する様にして、強拍らしさが観察されやすいようにしてみて頂きたいです。

ところで、例に引用した詩句の意味としては「馬鹿なサイモンが会ったのは、市場へ行くパイ売りで、サイモンがそのパイ売りに言うんだ、そいつを味見させてくれよ、ってさ」みたいな感じだと思います。これは全体の一部ですが。

また、この詩句を無理にカナ書きしてみると、「シンプルサイモンメッタパイマン、ゴーイントゥーザフェア、セッ、シンプルサイモントゥーザパイマン、レッミーテイストアウェア」という事でいかがでしょうか。

図版405と図版406とを歌ってみて「sais」の部分の感じはいかがでしたか。早くも遅くも試してみましたか。拍のウラに「sais」が置かれた図版405では、これまでの例でそうであったように、強拍の「Simple」に移行するウラからオモテへの流れが良く感じられたのではないかと思います。一方で、弱拍のオモテに「sais」が置かれた図版406はどうでしょうか。

「ここには強拍に繋がる働きが、備わっているといえば備わっているかなあ」という程度にお感じになったかも知れませんし、あるいは「言葉のせいで繋がっている気がしない事もないけれど、これは音形の構造に理由を求めて良いのかなあ」という様な、ごく曖昧な印象を持たれたかも知れません。

実は、そういった曖昧なくらいの印象でも正しいかな、という風に思います。つまり「多少の機能はあるものの、もともと曖昧な性質なので、強調すればその働きがはっきりするが強調しない場合には隠れている」という風な位置づけでいかがでしょうか。

図版407をみて下さい。

《fig.407_4ビートを歌う5》

これもまた、拍のオモテの発音だけで構成された4ビートの音形です。ここで、4拍目に演奏の指示記号があります。これらはどれもある種のアクセント指示なのですが、強調するための具体的な方法が異なるものです。

まずひとつめの譜面の4拍目にある指示記号は、音量ではなくアーティキュレーションによる強調を求めています。これは「音の長さをその音価の範囲で十分長く伸ばす事によって、その音を強調して下さい」といういう意味の指示で「テヌート」と言います。

ふたつめの譜面のものもアーティキュレーションの指示で、音の長さを短く表現する事による強調を求めています。これは「スタッカート」と言います。

みっつめは一般的なアクセント指示ですが、上記ふたつとの比較として、特に音量を大きくする事での強調を求めています。

よっつめは、ちょっと一般的な記法かどうかわからないのですが、「ピアノフォルテ」の指示です。指示の音(この場合はパターンの4拍目)の音量だけを弱く鳴らし、次の音からはまた大きく戻して欲しいという意味で用いました。

いつつめは、「スラー」と言います。「この記号で繋がれた音符同士をなめらかに繋げて演奏してください」という指示です。

それぞれの指示を意識して歌ってみた場合に観察される結果はいかがでしょうか。4拍目になにがしかの強調表現がある場合には、「弱拍(4拍目)のオモテから強拍への移行感が認められるようになる」という風に感じて頂けたら、ここでの観察は、ひとまず成功と言えるのですが。

この4ビートの4拍目の性質は、2-38項などで扱った「弱起」の場面でもしばしば活用されます。例えば、図版406の「Simple Simon」の歌での「sais」の使われ方も、曲の出だしではなく途中ではありますが、機能としては、強調された4拍目からの弱起の場合と、まさに同じ様な働きで成立しているものだと言えます。この場合では、詩句の持つ脈略として「sais」の音符にアクセントかテヌートが指示されているのと同様な歌い方がされていませんか。図版406での場合も、再び歌って観察してみてください。

4-5) 他の同じ様な例を扱います。図版406で扱ったのは4ビートの4拍目からの弱起的な音形でした。ここではもう一拍多い、3拍目と4拍目から強拍につながる機能が備わっている例を扱います。図版408です。

《fig.408_4ビートを歌う6》

これは邦題では「漕げよマイケル」として、原題では「Michael Row The Boat Asore」と知られている歌の歌詞の一部です。

「Mi/-chel/row/・the/boat/a/-shore/・/Hal/-le/lu/・/・/・/jah/・/Mi/-chel/row/・the/boat/a/-shore/・/Hal/-le/lu/・/・/・/jah/・」の、「/」で区切られた部分ごとに、一拍のカウントを手か足で打って下さい。大体の拍ではカウントに合わせて拍のオモテで言葉を発音するのですが、「・the」の様に最初に「・」がある部分では、拍のオモテのカウントをやりすごしてから拍のウラで「the」を発声して下さい。「・」だけの区切りは、発音無しで、一拍カウントして下さい。「-」はひとつの単語が複数の拍に分かれているという事をあらわす記号です。

ここで、言葉は「Mi/-chel」の二拍ひとまとまりからはじまっています。ここが、この例での検討部分です。強拍は次の「row」、それに「-shore」「-lu-」「-jah」です。これらは、歌う時に、これまで扱ってきた様な強拍らしさを意識する様にしてください。

また、図版408の例をお試し頂くときに、二回目以降の、「Mi/-chel」を含む一小節とその前後とを、この「Mi/-chel」にあたる3拍目と4拍目のひとまとまりとしての振る舞いを良く観察してみて頂きたいです。拍のウラからの弱起とは違った、3、4拍目それぞれについての弱拍としての独立感が失われていない事や、それに伴って、この4拍目のウラも失われていない事などについても観察して頂ける機会になると良いなと思います。

さて、これも無理にカナ表記すると、「マイケル、ロウザボウト、アシショア、ハレルーヤー、マイケル、ロウザボウト、アシショア、ハレルーヤー」という感じではないかと思います。

この詩句の概意は、「ボートを漕ぐんだマイケル(ハレルヤは霊歌としての、神への賛美めの姿勢をあらわすかけ声)」という感じの、簡単なものです。

4-6) 次に、二三四拍目の三拍ひとまとまりが弱起の形をとっている例を検討します。図版409です。

《fig.409_4ビートを歌う7》

「Oh/When/the/Saints/・/・/・/・/go/mar/-chin'/in/・/・/・/・/Oh/When/the/Saints/・/go/・/mar/・/-chin'/・/in/・/・/・(/・)」。これは、「Oh」「When」「the」がそれぞれリズムパターンの二拍目三拍目四拍目にあたります。「go」「mar」「-chin'」と「Oh」「When」「the」も同様です。実際に歌ってみて、「強強弱弱」の「1+3」のリズムパターンではなく、4ビートとして歌える事を観察してみて下さい。

これのカナ表記は「オウ、ウェンザ、セインー(ツ)、ゴウマーチンインー、オウ、ウェンザ、セインー(ツ)、ゴウー、マー、チン、インー」という感じでいかがでしょうか。概意は、「おお、聖者が行進していくよ」とか「おお、聖者が行進していく時にはさ」とか、そういった感じなのではないかと思います。

図版409を歌う時には、また、この最後に「(/・)」とある点についても注視してみて下さい。これは、リズムパターンの一拍目(強拍)にあたる位置です。ところが実際にこれのある場合とない場合とを比べて歌ってみると、その前の「強弱弱弱」の四拍で歌い終わるよりも、この一拍を加えて「強弱弱弱強」とした方が、しっかりと終わった感じが観察できると思います。

この様に、強拍の位置までカウントする方がうまく納まって終了出来る感じが得られる場合と、リズムパターンの最後でカウントをやめる方が丁度良く納まる感じが得られる場合とがあり、それは、楽曲やリズムパターンによって異なり、一様ではありません

ただ、この例の様なケースで強拍で終わるのがしっくり感じられるという事に関しては、二~四拍目の「弱弱弱」というひとまとまりから一拍目の「強」に向かう流れがリズムパターンや歌詞(旋律)の音形の繰り返しを通じて強く印象づけられている事からの要請があるのではないか、という分析が出来そうです。

また一般にも、リズムパターンの演奏が強拍から弱拍に進むと、さらにリズムパターンの繰り返しが進みそうな感じが得られやすく、これが強拍で止まると、いかにもそれ以上は進まない様な感じ得られやすくなる様です。

ところでこの「二拍目からのひとまとまり」の性質に関して、図版410の様に「強拍の位置がずれたふたつの4ビートが同時に演奏されている」という風に捉える事は出来るものでしょうか。2-36項での話題では「転がる感じ」という用語がありました。こういった、強拍以外からもうひとつの始まりが備わって、リズムパターン全体の推進力を成しているという事が、この例においてもみられるでしょうか。

実際に図版409を歌いながらこれを観察してみた場合にはいかがですか。もうひとつのリズムパターンの始まりが備わっているという事は、強拍らしさを備えた拍がもうひとつ備わっているとも言えます。しかしこの例に関しては、二拍目の強拍感を見いだそうとしても、それよりも三拍目の方が何か強さがある程で「この二拍目では強拍と解釈するには要素が足りないのではないかな」というのを、ここでの判断としておきたいと思います(「三拍目の方が強い感じ」に関しては、ひとまず扱わず、無視しておきます)。

《fig.410_強拍の位置がずれたふたつの4ビートが同時に備わっている場合の想像》

4-7) このように、4ビートでは、弱拍の多さを主な原因として、3ビートまでにはなかった様な特徴がみられるようです。そして、これが特に大事な話題なのですが、4という数字は、拍の数においてだけではなく、小節の数に関しても、新しい特徴を呼び込む様なのです。

ここからは、いったん4ビートの拍の働きの検討から離れて、4小節についての話題を扱ってみたいと思います。

4-8) 一度、用語について整理させて下さい。拍が決まった数の組を作って、それが繰り返されるような場合に、これを、その単位となる拍の数から「○ビート」という言い方をしました。この拍のグループを「リズムパターン」と言いました。そして、リズムパターンひとつ分は、記譜される場合には、多くの場合で「一小節」と同等でした。

ここからしばらくの話題に関しては、リズムパターンの事を扱う時に、ほぼこれと同じ意味で「小節」という言い方をさせて下さい。記譜に関わる話題ではリズムパターンというよりも、小節という言い方の方が現実的であるためです。リズムパターンひとつ分が一小節と同じものでない場合を扱う時には、これらを注意して言い分けるようにします。

4-9) さて、ここでの話題は、小節がいくつかグループになるという事柄です。グループをつくるといっても、その集まる単位がふたつやみっつでは、それを繰り返して演奏した場合に複合拍子として受容されたり、あるいは、他の○ビートとして受容されるなどして、小節(リズムパターン)の集まりとしては受け止められづらいという側面があります。ですから、この小節のグループの数は、4より大きいのが普通です。この事を図版411の例に挙げます。

《fig.411_小節が集まる数が少ない場合》

また、小節のグループの構成要素となるのはリズムパターンですが、このリズムパターンについても、4ビートより多い数字のものを知っている文化圏で、こういった小節のグループ化という事が生じやすい様に思えます。これは、○ビートの数字が要請するというよりも、カウントなど、音楽を進める時に4という数字が意識されるかどうか、つまり、音楽の道具として4という数字が導入されているかどうかという事が理由ではないのかなあ、という感じがしています。

漠然とした印象だけで確かさに欠ける話なのですが、2ビートや3ビートの音楽だけを扱う文化圏では、音楽を演奏する時に3を越えた数字をあまり扱わなくて済みがちですから、拍を扱う以外の場面でもまた、3を越えた数字を扱う必要を感じずに音楽を演奏してしまう傾向があるように思います。

その一方で、拍をカウントする要素として4という数字を扱うのがいったん普通の感覚になると、カウント以外の場面でも4からの数が繰り返しの基準として自然と意識される様になるのかも知れないな、という風に感じる訳です。これを例えて言えば、「4の発見以前か以降か」という感じです。これは図版412に例を挙げます。

《fig.412_4の発見前後の見え方》

さてでは、ここで「4の発見」と言った状況以降のビートミュージックの事を扱いましょう。5や6でも良いのですが、ここでは特に代表して、4を検討対象にします。なぜなら、4ビートと4小節という風な4同士の組み合わせは、「4の発見」以降の中で、考える事が特に単純で済む一方で、例えば5ビートと3小節、という様にそれ以外の組み合わせになると、扱う数が一種類でないせいか、どうも急に複雑な感じが増してしまうのです。

「4ビートと4小節」の組み合わせは、その単純な良さが好まれて一般に用いられる場面が多い事と、単純である方が検討するのに都合が良い事から、ここでは主に4ビートと4小節の例を扱いたいと思います。

4-10) まずは図版413で、4小節がひとグループになる例を挙げます。

《fig.413_4小節がひとグループ》

ここで、「いちにいさんしいにいにいさんしい……」とあるのは、ちいさな繰り返しの、繰り返し回数を数えあげながら進む時に、しばしばもちいられるやり方です。ひとパターンは「いちにいさんしい」から成っていて、それの繰返し回数を数えるために、その「いち」の部分の数を「にい」「さん」「しい」と置き換えて、繰り返しの回数を数えます。

まずは、この歌い方の練習を、一拍ごとに手拍子や足拍子をしながらやってみてください。その時、一拍目を強拍らしく意識して歌う事をお忘れなくどうぞ。4ビートのリズムパターンです。

4-11) 小節の繰り返しに周期性が備わっている事の良い効果として、周期の節目が、多くの場合で演奏の節目や区切りとして相応しいという事があります。演者同士や、演者と聴者とでこの節目を共有出来るなら、この節目を境に演奏を展開させたり、演奏を終了させたりする事に、きっと自然な納得感が伴うでしょう。それは、しばしば演奏の場面転換などが生じるタイプの、例えば比較的演奏時間が短い音楽スタイル等では便利で歓迎される性質です。

とはいえ、図表413を試した前項の例においては、拍でいう「強拍」の様に、その繰り返しの中で節目を示す様な振る舞いの箇所はありません。ですから、この例における小節の繰り返しというのは、実際の演奏にはあらわれておらず、ただ演者や聴者が繰り返しの回数や周期を認識しているというだけの事に留まっています。

しかし、実際に演奏の始めから終わりまでの間、奏者や聴者が皆で小節が進む繰り返しの数を間違えずに数え続けるというのは、自然な事でも簡単な事でもありません。もちろんそういう種類の音楽があっても良いはずですが、本稿で扱う様な、「デッサン」のためのごく基本的な検討という意味では、適切な検討対象とは言えないでしょう。ここでは、もっと周期的な構造を見て取りやすい、簡易な例を扱いたいのです。ですから、周期の存在を見て取りやすいというのはつまり、「実際の演奏に度々あらわれる特徴が、何かの形であるのだ」という事だと考えましょう。

その周期感のあらわれ方は、例えばある場合には、強拍がそうである様に、周期の一番最初をどうにかして強調する方法によります。最初の音を少し大きな音で演奏するとか、それと分かる特別な音色で演奏するとか、そういう種類のやり方です。

ただしこの先頭を強調する方法には、限定する条件があります。繰り返しされる音形から大きく離れると、この周期を示す目的だけを果たすのが難しくなるのです。周期のひと組目で提示された小節の様子には、その後も連続して繰り返されながら演奏が進行する事が自然と期待されます。そこで、最初のひと組目の演奏が周期を成すリズムパターンと大きく異なる振る舞いをする場合には、それに続く周期の形が異なって期待されてしまうかも知れません。周期の先頭には、その繰り返されるリズムパターンのあり様を聴者に示す役割に関して、特に大きな働きがあるのです。

一方で、先頭を強調するやり方とは別の方法でも、小節が連続して繰り返される事につしての周期感は提示されます。周期の最後の部分の振る舞いによって示すやり方です。すでにパターンが繰り返されるという印象を十分に残したところでの繰り返しの四小節目などでは、周期の先頭に比べるとずっと、その振る舞いに高い自由度があります。つまり、仮に小節を繰り返すうちの四小節目が一小節目で提示された振る舞いから多少離れても、聴者にはこれは、「すぐにまた一小節目の様な振る舞いが取り戻されるだろう」という期待の中で受容されがちなのです。

そのため、繰り返しの一小節目や一小節目により近い小節に比べると、繰り返しの終わりかそれに近い小節では、周期の節目を示す演奏上の役割を何か担ったとしても、演奏全体としての連続した繰り返しという性質が損なわれづらいという傾向を指摘する事が出来ます。

ところで、これらのふたつの方法のどちらにも、節目を強調する強調の演奏が必ずしも繰り返して提示されなくても、この様な周期の節目を示す働きをするという特徴があります。これは、節目が示される音形がその度に違うとか、節目の位置が示されたたり示されなかったりしても、それでも節目の位置を示す働きがあるという事です。これは、強拍のありようが連続して繰り返されるものである点と比べると、大きく異なる点です。

実際の合奏の場面では、こういった振る舞いを担うのがリズム楽器であるのかメロディー楽器であるのかという事は決めてかかる事は出来ませんが、ここではその事を、これまで通りの基本的なリズムの音形を用いて検討してみたいと思います。段階を踏んで観察します。まず、図版414をご覧下さい。

《fig.414_連続して演奏しないのに繰り返し1》

この図版では、四小節目でパターンの連続が途切れているのに、四小節周期である感じと、一二三小節目の音形が繰り返されている感じは残っている例を示しています。全ての拍ごとに手拍子か足拍子でカウントを示しながら、これまで通り歌ってみてください。

一番目の例である「いちとおにいとお……いちにさんし」で歌う場合には、数字を歌っているという事による言葉の上での周期感や納得感が作用しているかもしれないので、その下の例である「ブクタクタクタク……ブクブクブクブク」に関しても歌ってみて下さい。四小節の周期感と、一二三小節目の音形が基本となって繰り返されている感じは観察出来ますでしょうか。

次に、図版414で「何か別の振る舞い」とある部分を、全く音符を演奏しない例を図版415に挙げます。

《fig.415_連続して演奏しないのに繰り返し2》

図版415では、図版414で「何か別の振る舞い」とあった部分が、まったくの休符となりました。歌い方は図版414と同じ二種類です。音符を演奏しない部分に関しては、手拍子か足拍子のカウントだけで進行して下さい。

これら図版414と図版415では、周期の終わりで基本のリズムパターンと違う振る舞いがある事で、かえって周期の初めの位置がはっきりと感じられるという事や、一二三小節目の音形がこれらの基本のものだと受容される感じを観察してください。

《fig.416_連続して演奏しないのに繰り返し3》

図版416では、さらに進めて、区切りの音形が、あらわれたりあらわれなかったりする場合を試します。登場する音形は図版415までと同様なのですが、これをカウントしながら歌うにあたり、区切りの音形のないタイプの四小節の繰り返しと、区切りの音形のあるタイプの四小節とを、適宜混ぜ合わせて歌いながら、その様子を観察してください。例えば、ないタイプを三回繰り返した次にあるタイプを一回、次にないタイプを二回繰り返した次にあるタイプを二回、といった風です。

これらでもまた、周期性を示す事が出来ます。それどころか、毎回が区切りの音形がある場合に比べて、より、基本の音形が基本らしく感じられ、区切りの音形は、時々の変奏でしかないという風に感じられるという効果もあるでしょう。区切りの音形がパターンの一部として認識されないからです。

4-12) ところで、これらの小節が周期感を伴って進む働きは、必ずしもビートミュージックの全てに備わっている性質ではありません。しかし、これが導入された音楽スタイルでは、周期の頭で演奏が何か切り替わったり、周期の最後で演奏を終えたりといった事がしやすくなります。延々と同じ演奏を連続する事を目的にした音楽スタイルや、メロディーが次にどう進むかが聴者に予測されずらいような目的で合奏される様な音楽スタイルではこういった周期性は重視されないものかも知れませんが、ポピュラーミュージックと呼ばれる様な場面では、こういった周期性をもとにした音楽の進行は、よく用いられます。

また、この効果は、周期の最後の小節でだけ得られるというものではありません。次の図版416で、三小節目から演奏しない場合と三小節目の途中から演奏しない場合にも同様の周期感が観察出来る事を確かめてみてください。

《fig.417_連続して演奏しないのに繰り返し4》

ここまでで確認したのは、いくつかの小節がグループになって周期性をもって連続する時に、その周期の前半でリズムパターンが主題的に提示されるに事に対して、周期の終盤にかけて主題の再提示を控える事で、演奏の進行に周期性がある事を示したり、また、その周期の次の始まりの位置を示す事が出来るという事でした。

この再提示を控えている箇所で、主題的な音形とは異なった音形で演奏する事については、ポピュラーミュージックの打楽器演奏の場面では「フィルイン」という呼び名が付いています。

フィルインは作曲されている場合も多いですが、即興性を求められる場合も多くあります。フィルインの音形や演奏にはやはり、この周期の存在を示したり、次の周期の始まりを特徴付ける役割が求められます。

2ビートや3ビートの音楽スタイルの、中でもよりトラディショナルなものでは、こういった周期のまとまりを示すためのフィルインというものは、あまり必要とされないように思います。一方で、トラディショナルな音楽スタイルと同時に近代以降のポピュラーミュージックも踏まえた、混合的な音楽スタイルというのも良くあります。そういった音楽スタイルにおいては、フィルインや小節の周期を意識した合奏や編曲も、決して珍しいものでは無いように思います。

こういった、数小節をひとまとまりとして音楽が進行するという意識やフィルインの概念というのは、一度身についてしまうと癖になって、つい何でもそういった視点で捉えようとしてしまいがちなものなのかも知れません。

「2ビートに4小節ごとのひとまとまりを意識させるフィルインがある例」と、同様に「3ビートでの例」を挙げます。図版417の4ビートの例で試した様にしてこれらについても手拍子や足拍子をしながら試してみてください。

《fig.418_2ビートとフィルイン》

《fig.419_3ビートとフィルイン》

4-13) さて、少し寄り道めくのですが、フィルインに関連して、もう少し話題を広げたいと思います。前項で、トラディショナルな音楽スタイルではフィルインはあまり必要とされない、と述べました。ではそういった音楽スタイルでは演奏の節目を示すような事がリズム的には生じないのかというと、そうではありません。演奏の節目で、あらかじめ決まった音形やフレーズを合奏するという事は、フィルインの無い音楽スタイルにおいても、しばしば見られます。

日本語の演奏用語としては、その様に節目を示すための長短の音形の事を「キメ」という事が、よくあります(ここで言う「キメ」には、複数奏者で手分けした合奏になっているものと、複数奏者皆で揃った動きをするもの、また、単独奏者だけによって提示されるものなどを全て含みます。これらをひとまとめに言い表せる用語として、「キメ」以外の他の言い方を思いつけなかったため、本稿ではこれを採用しました。他にも「キメ」に変わる用語はあり、演奏の場面によっては、そういった他の言い方が採用されているかも知れませんが、ここはひとまず「キメ」で進めましょう)。

さて、キメでは、主題的に提示されているリズムパターンの音形からは離れて、あらかじめ合意されている別の音形が演奏されます。そうする事で、演奏の節目である事を示します。一方でフィルインとは異なり、必ずしも周期性を感じさせる性質は期待されていません。

用語としてフィルインとキメとを使い分ける時には、前者には、数小節の周期性のニュアンスや単にポピュラーミュージックにおける打楽器演奏のそれであるといったニュアンス、即興的な演奏が許されているといった様なニュアンスのどれかがあり、後者には、数小節の周期を前提にしていない事や、複数の奏者であらかじめ共有されている音形である、といったニュアンスがあるように思います。

4-14) また、主題的な音形を提示する事から一時的に離れて他の音形を演奏をする事を示す他の用語に、「オブリガード」があります。オブリガードは、フィルインが打楽器の演奏の事を示す事が多いのに対して、打楽器以外で同様の事をしたり、また、旋律の働きを補佐するような演奏をする事などに関して使う事が多い様です。主題的なリズムパターンの提示を離れて、旋律の振る舞いに近づいた伴奏する感じの時とかです。

似た様な場面で用いられる他の語に「コンピング」があります。これは、比較的即興演奏に近い場面で用いられがちだと思うのですが、主題の提示的な演奏を離れて、他の演奏者の演奏との呼応を成す、合いの手になるような演奏をする場合に言います。

また、「リフ」という語もあります。リフは、キメがここぞという場面だけで演奏されるのに対して、もっとずっと頻繁に演奏する事で、その演奏全体を印象づける働きや効果をもつ長短の音形の事を言います。特に演奏の区切りを示す効果は期待されません。

これらを例えで整理すると、オブリガードやコンピングは、演奏目的や気分に適うなら、いつあらわれても消えても構わない種類のもので、おおざっぱに分けると「遊び」の様な意識のものだと例える事が出来ます。これの対比として言えば、キメは、決まったときに必ずそうするという意味で「仕事」の様な意識と言えるでしょう。そしてフィルインは、そのどちらの性格も持つ、中間の位置づけと言えるかも知れません。

リフは、作曲に組み込まれていればキメや主旋律と同義の扱いですが、オブリガードの様な気分で演奏される場合もあり、役割で分類しがたいです。つまりリフと言う時には、その役割というよりも、その時採用されている音形そのものを指す場合が多いです。打楽器で演奏されていても打楽器以外で演奏されていても、リズムよりも旋律としての役割が大きいものなのでリフのことは本稿ではほとんど扱いませんが、キメとの対比で、用語だけご紹介しました。

様々な音楽スタイルにおいて、主題的なリズムパターンの性質を保ちながら、これを変奏しつつ演奏を進めるという事は、作曲された演奏においても、即興的な演奏においても、しばしば行われます。こういった変奏のうち、もとの主題的な音形の印象を失わせないで、すぐこれに戻る事が出来る種類のものの多くは、オブリガードやコンピングとして理解する事が出来ます。

これらの変奏を例えて、「アソブ」とか「ウタウ」という風に言う事がありますから、この用語もご紹介しておきたいと思います。オブリガードやコンピングの演奏の事を「アソビ」と言ってみたり、即興的な演奏において、もとの音形から離れる事をいとわずにこれらを取り入れたり、そういったフィルインをする事を「良くウタウ」という風に言ったりします。

(しかしアソブもウタウも、用語としては他の場面で別の意味の指示としても用いられる語なので、定義的に接して頂くのはあまり良くないかなとも思います。しかし、これら「アソブ」と「ウタウ」の語によって、オブリガードやコンピング、フィルインといったものの雰囲気を良く伝える効果もあるかと思い、ここでご紹介してみました。)

フィルインは、本稿で言う「4の発見」以降に位置づけられるものですが、オブリガードとコンピングにあたる変奏や、リフやキメといった、決まった音形を用いて演奏の進行を調節する方法は、「4の発見」以前からあるものです。ただ、フィルインという言い方は割と広く有名ですから、それぞれの役どころに関しての混乱を避けるために、他の語についてもここでご紹介しました。また用語が増えてしまって、すみません。

4-15) 折角ですから、アソビにあたる例を試してみます。図版417を見て下さい。

《fig.420_アソビを演奏する例》

図版420の一番上にある「タカタ・タカタ・タカタ・タカタ・」というのが、リズムの主題的な演奏だとします。二番目にあるのが、一番目を「○ビート」的な視点で理解した時に、その構造を示す音形です。これらを対応させて考えると、一番目の例は、「タカ」と「タ・」をそれぞれ4ビートの一拍とする音形だと言えます。

例の三番目、四番目、五番目が、アソビとしての変奏をした例です。三番目には一部に「タカタ・タッタッ」という部分があり、ここが元のものとは異なります。四番目のものは、「タカタ・タッタッタッタッタカタ・」となっており、中盤が大きく異なります。五番目のものは、最後に「ター・・」という、伸ばす音、と発音の休みとがあります。

これらは皆、一番目のものを連続した繰り返しで歌う時に、時々入れ替えて、代わりに歌っても、二番目の構造も、一番目の機能も、あまり損なう事がありません。手や足で拍をカウントしながら、これらを歌ってみて下さい。一番目のものを連続して繰り返しながら、適宜、三番目四番目五番目のものを挟むような方法が良いと思います。

とはいえ、元の音形の機能を損なわないままで、どれくらい変奏してしまっても良いのかという事は、実際の演奏スタイル等によって異なり、一意に示す事は出来ません。基本的な構造の音形と、主題的な演奏と、その変奏とは、実際のところ、境目が曖昧です。ここでは、リズムの一時的な変奏としての「アソビ」の例を紹介して、またそれを少し試して頂くという目的に留めます。

4-16) 次に、「キメ」の例を扱います。図版421です。

《fig.421_キメを演奏する例》

この図版421では、最初の例にある四拍分の音形が今回試してみる「キメ」であるという事にします。図版421の周期の長さに合わせて示すと、二番目の例のようになります。さて、これを実際に歌ってみるにあたり、図版422のルールを参照して下さい。

《fig.422_キメを試すにあたってのルール》

この図では、流れが輪の様になっていて、その半分は「状況A」で、もう半分は「状況B」とされています。「状況A」と「状況B」との間には、必ず「キメ」があります。また、これを歌い終わる時にも、「キメ」があり、これは四回繰り返すのが終わりのための条件になっています。

実際に、流れを追ってみます。まず図版420の最初の例から歌い始め、そのまま適宜、何度か繰り返します。繰り返している状況が、図にある「状況A」です。「状況A」のまま何回か繰り返したら、「キメ」として一度だけ、図版421の二番目の例を挟みます。これが、状況が切り替わりる合図です。一度キメを歌ったら、そこからはもう「状況B」です。

「状況B」では、前項で歌ったのと同じように、図版420の三番目四番目五番目の音形を好みや気分で差し挟みながら、図版420一番目の例を繰り返し歌います。つまり、「状況A」ではアソビがなく、「状況B」では、適宜アソビが挟み込まれているという風になります。「状況A」と「状況B」のそれぞれで、実際に歌った時の印象が異なるかも知れません。「状況B」をしばらく続けたら、また、図版421二番目の「キメ」の音形を一度だけ演奏して、状況Aに移行してください。

この、「状況A」と「状況B」の繰り返しを、手か足でカウントをとりながら、何度も繰り返します。そして「そろそろやめたいな」という気分になったら、図版421二番目の「キメ」の音形を四回繰り返してください。これを四回繰り返したところで、歌もカウントも止めにして、図版422の実演は終了となります。

ここで試したものは、「キメ」の例としては、特に役割がはっきりしたものだったと思います。今回は主題的なリズム演奏や「アソビ」との違いを感じて頂きたく、これを選択しました。

4-17) ここまで、4ビートの導入と、それに伴う「4の発見」以降の話題として、「フィルイン」などいくつかの用語を導入しました。ところで、2-3項で少し触れた話題なのですが、4ビートの音楽スタイルとして、「スイング」というものがあるという例を挙げました。しかし本章で扱ったごく基本的な4ビート例には、まだ「スイング」に該当する様な例はは含まれません。

一方で、2-10項で扱った様な、拍のオモテと拍のウラとの割合の違いという様な話題はこれまでの4ビートにも該当します。4ビート特有の話題では無いのですが、用語の整理と導入を目的として、2-10項で扱ったこの内容を、ここで、もう一度詳しく取り扱っておきたいと思います。

4-18) さて、図版423には一拍のオモテとウラの割合の違いで、4種類の例が挙がっています。

《fig.423_拍のオモテとウラとの割合1》

4つの例では、拍をあらわすブロックの面積が示す様に、最初のものが拍のオモテとウラとが均等な発音長さの場合の例で、そこから離れる程、拍のオモテの方が長く、その分拍のウラが短くなるという風な組み合わせの例となっています。これらを便宜的に示すために、図版424では、これらに言葉を当てています。

《fig.424_拍のオモテとウラとの割合2》

ひとつ目の例の「タイ」は「タ」が拍のオモテで「イ」が拍のウラです。ふたつめの例はオモテが「サン」でウラが「マ」、みっつめの例では「トビウ」がオモテで「オ」がウラ、よっつめでは、「マナガツ」がオモテ、「オ」がウラです。

これらを試すにあたって、やはり手拍子や足拍子をしながら歌って頂くのですが、特に実感を強くするために、拍のオモテの言葉を口にしている間にはその手や足を打ち合わせたままにしておき、拍のウラを口にする時には、これを離す、という事をしてみてください。カウントを打つタイミングで打ち離してしまわず、拍のオモテの間は、打ち合わせておくといのがコツです。

特に拍に注目して頂きたい検討なので、これらはまず、1ビートの連続した繰り返しとして歌いましょう。つまり、毎拍を強拍として歌ってください。

ここでは、「タイ」の繰り返し、「サンマ」の繰り返し、といった風に、様々な速さでそれぞれをしばらく続けながら、手拍子や足拍子を観察します。そうして、これらを比較する事で、拍のオモテには様々な幅の差があり得るという事を実感するのを目的にします。

では次に図版425を試します。

《fig.425_拍のオモテとウラとの割合3》

これは、図版424で試したのと同様の観察をする目的の例なのですが、言葉の割り当て方がそれとは変わっていて、拍のウラに言葉の始めが置かれています。

まず最初の例は拍のオモテが「ノ」でウラが「ミ」、次の例は拍のオモテが「アラ」でウラが「ギ」、みっつめの例は拍のオモテに「ンマイ」ウラに「セ」、よっつめの例は、拍のオモテに「テッチャン」でウラに「コ」です。

これらを歌う時には、もともとの言葉通りの「ミノ」「ギアラ」「センマイ」「コテッチャン」を意識するようにしてください。つまり、拍のウラからオモテへの繋がりを、より感じ易い例が図版425だと言えます。その他、手拍子や足拍子を、拍のオモテでは打ちつけたままにしておき、拍のウラでは離しておくというのは、ここでも同様です。割り当てた言葉の音の数は図版424での例と同様なのですが、こちらの例の方が、拍のオモテの長さの違いを感じやすいかも知れません。拍のウラが良く意識されると、拍のオモテの輪郭が良く感じられるという傾向があります。

またこれらは、速いテンポで実施した場合にはそれぞれの違いがいくらか少なく感じられるものなのですが、より遅いテンポで実施する場合には、拍のオモテの長さとウラの短さが、より違って感じられるのではないかなと思います。その事も観察してください。

また、色んな速さで何度か試してみて、これに慣れたら、今度は言葉は無しで、手拍子か足拍子だけで実施するというのもやってみてください。言葉の発声がない方が、拍のオモテの長さの違いと、拍のウラの、短いながらも機能的な存在感がある感じを、さらに、より良く観察出来るかも知れません。

4-19) ここでまた、用語導入します。「タイ」や「ミノ」で試した様な感じを、「イーブン」な拍の感じ、という風に呼びます。

イーブンではないその他のものに関して正確に総称する言い方は無いかも知れないのですが、音楽スタイルなどによっては、「バウンス」した感じとか、「スイング」した感じとか、「シャッフル」した感じという風に、適宜呼ばれます(図版426)。

《fig.426_イーブンとバウンスのまとめ》

次の図版427は、「タイ」「サンマ」「トビウオ」「マナガツオ」の各語に合わせて、それぞれにより近い音価(音の長さ)の音符で記譜した場合の例です。本稿では、検討を簡単にするため、これまであまりこういった記譜は扱わず、ただ拍のオモテと拍のウラという事を示すために、八分音符を使ってきました。しかし実際の音楽の演奏場面では、この様に、拍のオモテの音価や拍のウラの音価に合わせてより具体的な記譜を扱う事が普通です。

《fig.427_オモテとウラの音価に合わせて記譜した場合》

しかし一方で、これら「バウンス」などの度合いが「サンマ」なのか「トビウオ」なのか「マナガツオ」なのか、もっとそれぞれの中間の微妙な感じが適当なのかという事は、その音楽スタイルや演奏の場面の要求によって異なります。ですから、譜面として指示される音価は、図版427の様に書き分けた場合であっても、やはりおおまかな目安でしかないとも言えます。

そこで、本稿でこれまで主にそうしていた様に、「イーブン」と同様の八分音符を用いた記譜を用いて「バウンス」した性質の拍を記譜する場合が、実際にもあります。ポピュラー音楽では、そういった簡略化した譜面だけを用いて合奏をする事はめずらしくありません。この場合には、実際の演奏で拍にどれくらいのバウンス具合が求められるかというのは、別途の演奏記号や、口頭の申し合わせや、事前の文化的な了解などによって決まるという方法がとられます。図版428に例を示します。

《fig.428_八分音符で記譜されているが、実際には多様なバウンスとして解釈される譜面》

ここにあるように、記譜された八分音符をそのままの「イーブン」な音価で解釈して演奏する様な場合を、音符を「ストレート」に演奏するとか、「ストレート」な感じで演奏するとか言いますから、この用語もここで付け加えておきたいと思います。

ストレートではない場合には、何かしらのバウンスの感じとして、拍のオモテの音価と拍のウラの音価を、図版428にある様に、それぞれ読み替えて解釈します。この方法を採用する事で、指示の記譜がすっきりと簡単なものになるという利点があります。

4-20) では折角ですから、4-4項で扱った「Simple Simon」の詩句を利用して、イーブンの感じとバウンスの感じを歌い分けてみるという事も試します。

《fig.429_イーブンなSimple Simon》

図版429は、「Simple Simon」をイーブンな感じで歌うための例です。

「Sim-ple/Si-mon/met a/pie-man/go-ing/to the/fair/sais/sim-ple/Si-mon/to the/pie-man/Let me/taste your/ware/ /」とあるうち、「/」で挟まれた部分が一拍ですから、この中に拍のオモテとウラとが含まれています。これを歌います。

拍のオモテとウラとの割合は、イーブンです。前項で試していた様に、手拍子か足拍子を、拍のオモテで打ち付けたままにして、拍のウラでは離しておいてください。今回は、「fair」と「sais」は、どちらも拍のオモテで一度に歌う事にしましょう。

さて、これが出来たら次に、「Sim-ple」「go-ing」「sim-ple」「Let me」の4カ所を少し強めて歌うという事も試してみる事にします。これらは、4ビートの強拍です。これで、イーブンな感じの4ビートでの「Simple Simon」の出来上がりです。

この様に、強拍と弱拍が備わっており、拍のオモテとウラとが意識されていると、詩句を読み上げているだけでも、随分音楽らしく感じられるのではないかと思います。これはつまり、これらの要素が、私たちが考える音楽らしさの大きな根拠になっているとも言えます。出来るだけ簡単な例を検討しながら、まわりくどい表現を重ねざるを得なかった部分も多くありましたが、しかしここまでで、ビートミュージックの随分奥の方まで分け入って来る事が出来ました。上々の成果であると思います。

さてでは、これを何度か歌って慣れたら、「手拍子あり」「手拍子なし」「片足だけでの足拍子」「両足を交互に使った足拍子」といった歌い方も試してみてください。なかなか、音楽っぽいですよね。それぞれをよく観察してから、次に進みます。

4-21) 今度は、バウンスの感じを持った「Simple Simon」を試します。バウンスの程度は、「サンマ」や「ギアラ」くらいという事にしたいと思います。

《fig.430_バウンスのSimple Simon 1》

《fig.431_バウンスのSimple Simon 2》

詩句は、同じく「Sim-ple/Si-mon/met a/pie-man/go-ing/to the/fair/sais/sim-ple/Si-mon/to the/pie-man/Let me/taste your/ware/ /」です。今回、言葉の区切りは特にイーブンの例と違わないのですが、実際の歌い方が異なります。

図版431と図版432は、ここでは同じ意味を示す譜面で、これらを歌った結果は同じです。しかしそれぞれ、記譜法が異なります。図版431は実際に演奏する音価を尊重して三連符を用いて記譜したもので、図版432は、左上の演奏記号で断りを示した上で、音符には八分音符を用いて記譜したものです。その断りとしての演奏記号には三連符が示されています。「サンマ」や「ギアラ」のバウンスの程度は、一拍を三等分して、そのうちふたつ分を拍のオモテとして、ひとつ分を拍のウラとして歌うというものでした。これを示すのが、三連符であるという訳です。

「fair」と「sais」の拍には、拍のウラでの発音がありません。どちらも拍のオモテで一度に歌うのは、ここでも同様です。他の拍では拍のオモテとウラとの発音によってバウンスの程度を示す音形がずっと発音されるのですが、この「fair」と「sais」の拍には拍のウラの発音がありません。しかしそれでも全体のバウンスの程度は共通して感じられるというのは、例えば、4-12項でフィルインを扱った時に見たものと同様です。

では、図版430と図版431で示した例を実際に歌ってみてください。その時、バウンスの程度を確認するため、まずカウントしながら「サンマサンマサンマ……」や「アラギアラギアラギアラ……」を歌ってみて、そのまま「Simple Simon」に移行するというのも、良い方法だと思います。

次にやはり、この例でも、「Sim-ple」「go-ing」「sim-ple」「Let me」の4カ所を少し強めて歌うという事もしてみる事にします。これが出来れば、バウンスした感じの4ビートでの、「Simple Simon」の出来上がりという事になります。

さらにこれに慣れたら、ここでもやはり「手拍子あり」「手拍子なし」「片足だけでの足拍子」「両足を交互に使った足拍子」といった歌い方も試す事で、今回の様なバウンスの感じにおける拍のオモテとウラの感じをよく観察してみるようにしてください。イーブンの場合との比較もしてください。拍のオモテにもウラにも、それぞれ違いが認められると思います。

4-22) さて、また少し別の話題を扱います。4-12項で「こういった、数小節をひとまとまりとして音楽が進行するという意識やフィルインの概念というのは、一度身についてしまうと癖になって、つい何でもそういった視点で捉えようとしてしまいがち」と述べました。ここでは、この事をもう少し拡張して扱いたいと思います。つまりこの、「一度身についてしまうと」というに部分についてです。

本稿では1ビート~2ビート~3ビート~4ビートと検討を進めながら、その度にその構成要素を指摘する事で、ビートミュージックについて観察、検討してきました。これは基本的には、1ビートで見られた事柄は、その後の2ビートや3ビートにも見られるという枠組みにおいてのものでした。しかし、4-12項のこの部分では、この枠組みを超えて、逆流が生じています。つまり、1ビートや2ビートだけを考えていたら出会わなかった要素が、4ビートを扱う事で立ちあらわれ、またこれが、1ビートにも2ビートにも3ビートにも適用されています。

こういった交雑の発生は、今後に扱う内容に関しても、また、既に扱ったものの特に指摘しなかった事柄に関しても、当然当てはまります。例えば、フィルインがそうであるように、「周期を厳密に再提示しなくても周期を示す機能には差し障りがない」という事で言えば、リズムパターンのうちどこかの拍が示されなくても、リズムパターンそのもののが連続して繰り返す感じを失わない、という事もあるはずです。また例えば、3ビートの話題の一環として三章で扱った「複合拍子」が、1ビートや2ビートの場面で見られる事もあるかも知れません(実際3-6項でも、既にそういった例を扱いました)。

他方で、「基本的な定義を越えて、より応用的に要素が扱われる」という事の交雑もあるでしょう。例えば、弱起の例として強拍に連なる他の拍の動きとして扱っていたような事柄が、必ずしも強拍ではない音形に連なる動きとして生じる事があるかも知れません。

これらの要素は、一度身につくと、その後の音楽を構成する概念上の部品として、奏者にとっても聴者にとっても、自然に、便利に用いられます。別の言い方をすれば、音楽を扱う上での、身体的な癖なのだとも言えそうです。

その時に、その部品が、どれくらいもともとの機能の厳密さや意味合いを持って部品化されているかというのは、その用いられる場面によって異なります。ある場合には、より緻密な条件を揃えた使用でないと突飛であるとか脈略がない演奏だと受容されるかも知れませんし、一方で他の場合では、割と突飛にそれが挿し挟まれても、ごく耳慣れたものとして響くかも知れません。

それらは、具体例ごとに考えるしかない所なのですが、本項ではまず、要素の部品化や交雑化という事が普通に起こりえる、という指摘だけを目的としておきたいと思います。

4-23) 検討対象が3ビートから4ビートに進んだ事に伴って、一気にまた、用語や、視点が増えてしまいました。3ビートや4ビートに関しての検討と観察は、その基本的な骨子については2ビートの検討までで既に扱った事柄ばかりです。そこで、本章や前章では、これらを扱う事に伴って観察される、様々な周辺の事柄についての確認などが、実際の内容の多くを占めました。

少々、内容が雑多にもなりました。ここまでの事柄で混乱はないかどうか、一度振り返って確認してみて頂けると良いのではないかなと思います。

本章までの事柄で、基本的な振る舞いのビートミュージックは問題なく扱えそうです。しかし一方で、「スイング」とか「エイトビート」とう様な、ポピュラーミュージックで頻出するスタイルを扱うには、もう少しだけ、視点の整理が足りません。

本稿は、検討をさらに先に進めます。順当に進んで、次は5ビートです。次章は軽めの内容になる見込みでいます。その次の章は少し重めの内容になるかも知れません。さてこのあとも、よろしくお付き合いください。

5) 拍にまつわる音楽の振る舞いを眺める(5ビートなど)

5-1) 5ビートについての検討をします。これは、「五拍からなるリズムパターンを基本的な構造にしたビートミュージックの形式」です。実際には、5以上の数字のものについても扱います。

さて、5ビートを扱う上でまず最初に、3-10項で扱った「混合拍子」の話題を再び登場させます。混合拍子とは、2+2+1(「2」「2」「1」のそれぞれはパターンの拍数)といった構成が連続して繰り返されるビートミュージックを、これらの混合拍子としての5拍子(ここでは5ビートと同義)として取り扱うというものでした。混合拍子という既出の取り扱い方を適用する事によって、そのままもう、5ビートを扱う事が出来そうです。

実際には、5ビートを広く取り扱う時、その中には、「混合拍子として解釈出来るもの」と、「混合拍子として解釈出来ないもの」、「混合拍子としても解釈出来るものの、そうではないものとして扱った方が便利なもの」とがあります。これらを順に検討していきながら、本章を進めたいと思います。

5-2) まず最初に扱うのは、混合拍子としての5ビートです。リズムパターンを混合拍子として解釈する良さには、まず記譜上での都合の良さがあります。先に例に挙げた2+2+1という小節の構成を単に5拍の区切りで記譜する事で、区切りが少ない分、譜面がすっきりと、見通しよくなります。リズムパターンひとつと一小節の区切りとは必ずしも一致する必要はないので、記譜に関する約束事としては、これらは記譜者がよりふさわしいと考える方を適宜選択すれば良く、このどちらでないといけない、という事はありません。

図版501の上の例に挙げる様に、2拍子と2拍子と1拍子とも書き表す事が出来るこの合計5拍の音形を、もし下の例の様にまとめて一小節で書き表した場合には、表記がすっきりしている分、より他の指示要素を強調して記譜する事がしやすくなりますから、これは利点です。(なお、上の譜面では一拍を示すのに四分音符を用いる「四分の二拍子」と「四分の一拍子」との組み合わせで記譜され、下の譜面では、一拍を八分音符で示す「八分の五拍子」で記譜されています。下のものを「四分の五拍子」とすると要素を八分音符のヒゲで連結する事が出来なくなってしまうので読み取り易さの意味合いが変わりますが、上の物を「八分の二拍子」と「八分の一拍子」とで書き表す事は出来ます。念のため。)

とはいえ、他の場面では上の例の様な記譜の方が都合が良い場合もあり、それで両者は、場合で使い分けられます。しかし上の記譜方法に比べて下の5拍区切りの記譜方法の方が、八分音符のヒゲで要素のパターンごとに連結されている事などから、より混合拍子として素直に読み取り易いと言えます。しかしこれらは、記譜上の見かけからだけ捉えた話題です。実際の演奏としては両者に必ずしも違いがあるというものではありませんが、まず最初に紹介しました。

《fig.501_2+2+1と5の記譜の違いの例》

5-3) 一方で、そういった記譜の都合から以外の、実際の演奏に関係する要請としても、混合拍子的に示す場合の良さがあります。単に5ビートとせず2+2+1のリズムパターンだと示す事で、最初の「2」の音形、次に「2」の音形、最後の「1」の音形それぞれに、5ビートの中での別の役割があるという事をあらわしているのです。これらの間には、はっきりとした役割分担が感じられる場合とそうでない場合とがありますが、こうやって混合拍子的に示す事で、単に「5ビート」という風に示す以上に、演奏の内容をあらわし得ているというのがその良さです。

これらを本稿の3-6項で導入した「強拍」「中強拍」「弱拍」の用語を用いて整理すると、2+2+1は「強弱中弱中」と言えます。リズムパターン全体の先頭を示すのが「強拍」で、内包された「2」「2」「1」の音形の先頭だけを示すのが「中強拍」、そのどちらでもない拍が「弱拍」の呼称でした。2+2+1とは、この5拍でひとまとまりのリズムパターンに備わっている「強拍」「中強拍」「弱拍」の存在やそれぞれの位置を示している指示だと言えます。

同じ5ビートでも、今回の例の様に2+2+1で「強弱中弱中」という構成の5ビートがある一方で、3+2で「強弱弱中弱」という構成の5ビートなど他の構成も考えられます。2+2+1という指示は、その混合拍子の違いを示しているのだという訳です。

この時、「強弱」二拍分の音形や「中」一拍分の音形それぞれに、5ビートのリズムパターンの中での別の役割があり、特に、パターンの始まりや終わりの目印となるリズムの動きがある様な場合には、これに関しての良い効果があります。

図版502に例を挙げます。

《fig.502_2+2+1における1の役割》

ここで例に挙がっている音形は、どれも2+2+1の混合拍子のリズムパターンです。5拍のうち役割が2と2と1とに分かれている事を示す記譜上の工夫として、しばしばこの様に八分音符同士を横に繋いだり繋がなかったりする事で、その事をあらわします。

これらはどれも、2+2の部分でスムーズなリズムの流れを示して、1の部分でそれがいったん打ち切られる事で、5ビートのリズムパターン全体の強い繰り返し感を得る効果を持っています。

これらを一拍ごとに手か足でカウントを打ちながら、繰り返して歌ってください。八分の五拍子という記号が指示されていますから、一拍は八分音符ひとつ分です。2の音形と1の音形とに備わっている強拍を、よく意識して歌ってくださいそれぞれ、「タクタクタクタッタン、タクタクタクタッタン、……」「タクタッタクタッタン、タクタッタクタッタン、……」「タンタンタンタンタン、タンタンタンタンタン、……」です。全ての拍でカウントしながら歌う事に慣れたら、強拍の位置でだけ手や足を打つという事や、また、左右の手足で強拍と弱拍とを打ち分けてみるという事もしてみてください。もちろん、これらは皆、様々な速さでも試してみてください。

しばらく続けてみると、1の「タン」の部分が周期の節目になっていて、これがまたやってくる事が待ち遠しいような、そこを過ぎるたびに嬉しいような感じが観察出来ませんか。その事でまた、更にどんどんとこの5ビートのリズムパターンの繰り返しを進めて行きたい様な気持ちになりませんか。

言葉にすると大げさな側面もあるかも知れませんが、1の「タン」には、パターンの最後にあたる位置を示す事で、結果として、演奏の永続感を増す働きをしているという事を観察する事が出来ます。

5ビートを単に五拍の音形として示さず、このような混合拍子の方法で示す事の利点には、音形が持つ役割をしっかりと示す事が出来るというのが本項で示したかった点ですが、一方で、その役割というのは、ここでの例の様に区切る役割には限定されません。これについては後述します。

5-4) ところで、こういった区切りの音形によって演奏の永続感を増す様な効果を期待している、混合拍子的な音楽スタイルの例として、奇数拍子のトラディショナルな舞曲があります。このような捉え方に慣れてない方にはもしかすると意外に感じられるかも知れませんが、3ビート、5ビート、7ビートといった奇数のビートには、延々と踊る雰囲気を得るのに適した作用がある様です。

また、トラディショナルな舞曲には、数小節に一度のサイクルを示す「フィルイン」が無い方が、それらしく似合います。フィルインが得意とするのはリズムパターン(小節)のサイクルの等間隔の区切りを示す事や、それをきっかけとした展開を促す事です。しかし、ここで挙げたような、「延々と踊る雰囲気」のためにはそういった区切りや、音楽の雰囲気が短い期間で次々と展開する様な事は、特に必要とされないからです。

一方で、図版502における1の拍の様に、延々と続く感じを加速させるようなタイプの区切りは求められており、その要求はリズムパターンの構造に組み込まれています。舞曲の長時間の演奏の中で変奏が要求される事もままあると思われますが、その場合にも、この点での基本的な性質はきっと同じでしょう。オブリガードやコンピングといった一時的な変奏に関しても、演奏の場面展開としての変奏に関しても、こういった性質に注意を払う事で、そのスタイルらしさを保ったままで振る舞う事が出来そうです。

他方で、こういった「延々と踊る」タイプの音楽スタイルを元にフィルインや曲調の展開などを取り入れると、それは、よりモダンな音楽スタイルとして楽しむ事が出来るでしょう。ここで例としてとりあげたような奇数拍子の舞曲は「変拍子の民族音楽調」という風に大まかに受けとられがちですが、奇数拍子・混合拍子・変拍子といった事だけでひとくくりにせず、その他にどういった性質や要素を備えるものかを観察すると、より演奏に取り組み易かったり、それを整理する事がし易いのではないかな、という風に感じます。

5-5) ところで、図版502の例では、リズムパターンの区切りを示す役割は、2+2+1のうちの1にあたる部分が担いました。しかし他の○ビートなどの場合には、1の他に、3や4といった他の拍数の音形が区切りの役割を担う事もしばしば見られます。まだ5ビートについての検討を始めたばかりですが、ここで試しに、2+2+3の8ビートや3+3+4の10ビートをカウントしながら繰り返し歌ってみると、これらのリズムパターンの最後に備わった3拍や4拍の音形に、図版502を試した時には1拍の音形に関して感じられた様な区切りの感じが、やはり観察出来るのではないでしょうか。図版503にこれらの例を挙げます。

《fig.503_8ビートと10ビートの例1》

まず、「2+2+3の8ビート」の例は、「タクタッタクタッタンタンタンタクタッタクタッタンタンタン……」です。この3拍の「タンタンタン」にはこれを更に2+1等に分けて取り扱う必要を感じない程度にひとまとまり感があるものとして、強拍と中強拍とがカウントとぴったり合う感じを意識して扱ってみてください。「強弱中弱中弱弱」です。

次に、「3+3+4の10ビート」の例は、「タンタクタッタンタクタッタンタンタンタンタンタクタッタンタクタッタンタンタンタン……」です。これもやはり、4拍の「タンタンタンタン」にひとまとまり感があるものとして、その強拍と中強拍とを意識して扱ってみてください。「強弱弱中弱弱中弱弱弱」です。

この例に関してもまた、全ての拍でカウントしながら歌う事に慣れたら、強拍の位置でだけ手や足を打つという事や、また、左右の手足で強拍と弱拍とを打ち分けてみるという事もしてみてください。様々な速さでも試してみてください。

3拍部分の「タンタンタン」や4拍部分の「タンタンタンタン」について、図版502の「タン」と同様の区切りの役割は観察出来ましたでしょうか。

5-6) 前項ではいきなり「8ビート」や「10ビート」といった例を扱ってしまったのですが、しかし実際には、それほど唐突な導入には感じられなかったのではないかな、とも思います。混合拍子の捉え方では、拍数が多いビートについても、これまで数字の大きくない拍数のビートに関して扱ってきた通りの解釈の自然な延長として、十分に取り扱う事が出来るからです。この様に、リズムパターンを混合拍子的に取り扱う事の利点のひとつには、拡張が容易である事も挙げられます。

折角なのでこの「拡張」そのものを観察して頂くために、少し長めの、3+3+2+3+3+2+3+3+2+1という、25拍1サイクル(つまりこれまで通りの考え方で言えば25ビート)の音形も歌ってみておきましょう。これは、3+3+2という8拍のサイクルが3回と1拍の区切りの音形が1回で、25拍のひとまとまりになっています。25拍を1小節で表記するのはさすがに無理が感じられるので、記譜としては、複数小節に分ける方法をとっています。八分音符を一拍と表記する八分の八拍子と八分の一拍子とで構成された譜面です。

3+3+2の部分は「タッタカタッタッタカタッタカタッ」で「強弱弱中弱弱中弱」の八拍、1の部分は「タン」で「強」の一拍です。

いくつかのカウントのやりかたを色んな速さで試すというのは、ここまでと同様です。

長く複雑である様で、実際歌ってみると、覚えてしまうのが特別難しいわけでも、歌いづらい訳でもないと感じられませんか?

《fig.504_25拍1サイクル1》

5-7) 遊びと新しい視点の取得との両方を目的にして、少し例を拡げます。図版505は図版504と同じ3+3+2+3+3+2+3+3+2+1の混合拍子ですが、図版504がそれぞれの強拍をしっかり示した、より分かりやすいタイプの音形であったのに対して、図版505では、必ずしも強拍を示さない、また、舞曲と解釈するには繰り返しの感じに乏しい、少し歌いづらいタイプのものを用意しました。これらの音形はどこかの地域で名前が与えられて伝統的に扱われているリズムパターンという訳ではありません。今回ごく適当に用意したものですから、お気楽に試してみてください(とはいえ、譜面は見づらいですね。すみません)。「タッタカタッンタンタタッンタン」「タッタカタッンタンタタッンタタ」「タッタカタカンタンタタカタンタン」「タカ」です。

《fig.505_25拍1サイクル2》

《fig.504_8ビートと10ビートの例2》

図版504では、図版502で扱った2+2+3の8ビートと3+3+4の10ビートに関して、同じ混合拍子でもやはりそれぞれの強拍で必ずしも発音をしないタイプの音形を用意しました。

図版503と図版504を通して、混合拍子を構成する2や3といったパターンを構成する拍数が同じでも、その実際の音形は必ずしも同じである必要はない、という事に関して観察して頂きたいと思います。

また同時に、混合拍子を構成する音形が担う役割は、これまで挙がっていたパターンの区切りを感じさせる役割に留まらないという事も観察して頂きたいです。その他の役割とは例えば、それぞれの音形同士に呼応の関係があるとか、強調する関係があるとか、引き受けて展開する関係があるとかで、それらは、本稿で扱ってきた拍同士の関係がそうであったように、様々です。ただし、こういった役割関係は固定のものではなく、変奏においては、もとの関係にとらわれずに自由な事が多いです。つまり、基本の音形においてある役割関係(例えばある部分とある部分とが呼応関係になっているとか)があったとしても、演奏を続けて変奏する時には、他の役割関係をもたせてもそれほど問題にはならない程度の自由さであり、大いに想像力の介在する余地の多い事柄であるという事も付け加えておきたいです。

(この章まだ途中)

6) 拍にまつわる音楽の振る舞いを眺める(複合拍子としてのスイング・8ビートと16ビート・タイムとテンポ・タイムの濃淡)

7) 拍にまつわる音楽の振る舞いを眺める(ハーフテンポ・ダブルテンポ・ハーフタイム・ポリリズム・サブディバイド・パルスと手拍子・クラーベと複合拍子と混合拍子)

8) グリッド(グリッドか歩数か・原稿用紙か単語カードか・拍のプロポーションと拍子のプロポーションを意識するという話もここで・強拍位置で合わせてパターンを言葉として扱う・コラージュとしてのビートミュージック・拍のグリッド・リズムパターンの型としての不均等なグリッド・サンプラー的な理解で再整理・ループ素材を再生した場合に得られる視点とジャンル名としてのビートミュージックの語・状況としてのマルチグルーブと音楽スタイルとしてのマルチグルーブ)

9) 拍やリズムパターンに関係したよくあるふるまいを再整理する(アップビートとダウンビート・解決拍・拍の強調・呼応やツービートの表現・複合拍子におけるオモテとウラ・空白期間の活かし方様々・連打表現と拍のオモテウラとの関係様々・コンピングやオブリガード・拍のウラ打ち・突っ込む、レイドバックする・拍のトリック・シンコペーションとシンコペーションを活かしたトリックについて(プッシュとプル)・音形の転用や転用を活かしたトリックについて・目立った繰り返しの見られない音形のリズム要素について・楽曲の語が指す範囲様々)

10) 手でステップを踏んでみませんか(楽器演奏以外でリズムパターンを表現する・指揮真似・カチャーシー風・ハンドステップ・これらの非楽器演奏が楽器演奏を拡張する話)

11) 本稿で例にした譜面を楽器で演奏してみるには(簡単な太鼓の素手での奏法と記譜例・グーとパーで演奏する場合の奏法と記譜例・練習のための楽譜)

12) 詩句や文言でビートミュージックする(色んな拍子で歌ってみる・譜割りを変えてみる・ポリリズムを取り入れてみる)

 12) おわりに

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