02/Oct/2017 『あんたがたどこさ』でリズムを探る
≪はじめに≫
音楽は、メロディーとハーモニー、そしてリズムの三要素から成っている、という考え方は有名です。実際にはこれらは別々のものではなくて「このそれぞれの要素は同じ対象に、同時に含まれている場合もある」というふうに理解されている方も多いのではないでしょうか? つまり、「ある音楽の要素に対してメロディーの側面からもハーモニーの側面からもリズムの側面からもそれぞれ考えることが出来る」というような感じです。
それは同時に、実際的な場面ではこの三要素の考え方を、「何がメロディーで何がリズムか?」というふうな切り分けをはっきりとは気にせずに用いていることが多い、ということだと思います。
それでもやはり、「リズムとは何か?」ということをあえて考えて、「特にその基本的な構成要素に関して語るための要素を準備しよう」というのが、この稿の目的です。本稿を通して、私たちが普段「リズム」と呼ぶような、音楽の側面を構成している輪郭の各部分に対して、「頭だ」「肩だ」といった要素の指摘を行い、結果として、そのプロポーションについて考える用意を進めよう、というふうに考えているわけです。
とはいえ本稿では「頭」「肩」やといったふうに、具体的な名前を与えることを出来るだけ避けつつ進むという特殊な方法を取るということを、最初にお許しいただきたいのです。
これらについての呼称は、実際にはある程度自由に運用されていて、あるコミュニティーでのそれが、別のコミュニティーでは違ったものを指すとか、違った名前を与えられているということが普通にあるのが現状です。その文化的な違いを本稿でフォローしきれず却って誤解を招くよりも、いっそ具体的な呼称を避けることで、その点を克服するという方法をとりたいと考えます。
具体的な呼称の代わりに一時的な記号で済ますなどすることで、ある程度の分かりづらさを招いてしまう場合もあるかも知れません。もしご自身で「ははあ、これはあれのことについて書きたいんだな」というふうにお気づきになったものはその呼称で読み替えていただいたり、ご自身のひとまずのニックネームで運用するなどして、記号でのある程度の分かりづらさを避けていただきながら、ひとまず全体像を把握するために読み進めていただけたら良いな、と期待します。
そして本稿では、あるリズムについて検討する場合に、「どんなリズムが良いプロポーションのリズムか?」というふうな、評価についての話題に関しては全く無責任の立場をとりたいと考えています。本稿でもあとの部分で触れますが、「同じ音の並びであっても、これとこれは別のリズムだな」とか「同じリズムといえる音の並びであっても、これとこれとは評価が異なるな」といったことがあり得ます。本稿がアプローチするのは、その評価軸上での価値の置き方といった事柄ではなく、ごく基本的な構成項目を挙げようと試みる、というようなことです。
そういった点を踏まえて、以降をお読みいただけたら幸いです。
※※※
ところで、本稿が問題の対象としようとしている、「リズム」とはどういうものでしょうか? これは基本的には音楽の言葉ですが、実際には絵画や立体造形物、音楽以外の音声や言語活動に関しても用いられることがしばしばある言葉です。
筆者はこの「リズム」を、「単純な整数比とみなすことができる単位が組み合わせられて成っている、比較的小規模のパターンを感じさせる構成のこと」と捉えており、またその楽しみを、「自然な認識としての単純なパターンの構成と、実際の事象の単純でなさの差から生じる認識の揺らぎの両方を併せ持つ対象のこと」というふうに考えています。
音楽の構成について考える場合には、この「比」や「パターン」というのが、時間変化に関して生じるものについて特に「リズム」といっています。しかし音楽以外に関しては、目で追う順番といったふうなことから生じる認識上の時間変化はあっても、対象としては必ずしも時間変化を伴わないような構造などについても用いるのだ、というふうにとらえて扱っていることなります。
このこと自体を証明したり説明を試みたりすることはかえって本稿の目的を外れる結果になると思いますから、ここでは宣言するにとどめて詳細に触れずに、先に進むことをご容赦ください。
ではひとまず、次の話題に移りましょう。
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(中略)
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≪『あんたがたどこさ』を用いた、リズムパターンの読み解き≫
■『あんたがたどこさ』の歌詞
『あんたがたどこさ』という童謡は、「マリ突き遊び」という分野に活用されるための歌で、単に歌って楽しむだけでなく、歌詞そのものに「マリ突き遊び」のゲーム性をそのまま反映した機能を、とても上手く備えています。
そこで本稿ではここで、この歌詞に備わった機能を紐解きながら、音楽のごく基本的な、リズム機能を理解する手助けになるようないくつかの見方・考え方などを論じたいと考えます。
『あんたがたどこさ』の歌詞は次のとおりです。実際に聞いたり歌ったりしたことがない方は、この機会にまずこれを動画サイトなどで聞いてみて、それで一緒に歌えるようになってからこの先をお読みいただくことをお勧めします。
<歌詞>
/あんたがたどこさ/ひごさ/
ひごどこさ/くまもとさ/
くまもとどこさ/せんばさ/
せんばやまにはたぬきがおってさ/
それをりょうしがてっぽうでうってさ/
にてさ/やいてさ/くってさ/
それをこのはでちょいとかぶせ/
この歌を通して、リズムに関する、次の図版のような構造を紹介していきます。
■リズムパターン
ここではまず、定義が十分ではないのですが、本稿での解説を進めるために、まず「リズムパターン」という用語を導入させてください。
「パターン」というのは、同じ、あるいは同種の繰り返しが指摘できるときの一単位、あるいはその繰り返しのことを指しています。もちろん一単位というならば「パターン」よりも「ユニット」というほうが正確ではないか? とも考えられますから、より正確には、「リズムパターン」が繰り返されている状態のことを指し、「リズムユニット」がその一単位のことだ、というふうな用語の使い分けも可能かもしれません。
しかし本稿では、より一般的に用いられているからという理由と、「ユニット」にあたる用語が他にも様々登場するためそれらの区別を扱う場合の簡単さから、簡単に「リズムパターン」という語を用いることにします。
「リズムパターン」というのは、「リズム」に関する「パターン」ですが、しかしここではその「リズム」もまた、定義を簡単な説明として示すことができません。パターンであればリズムか? というと、そうではありませんし、ユニットならそうか? というと、そうではありません。詩句がすなわちリズムを意味するわけでもありませんし、リズムとは音楽の旋律の異名でもありません。打楽器のことでもないですし、打楽器音がすればそれはリズムだということでもありません。
残念なことに今の段階でこの「リズム」という言葉についての定義はできないままなのですが、本稿では今後の場面々々において「ここではこれをリズムパターンとして扱います」という方法で区別する、という方法で進めていきたいと思います。ですからひとまず、「リズム」というのは「何かの仮の名前のようだ」というふうに思っておいていただいて結構ですし、本稿の範囲に関して、それで特に支障はないのではないかな? と考えています。
本稿では、前掲した『あんたがたどこさ』の歌詞において、『/』で区切られたひと節ごとのまとまりを、ひとつずつの『リズムパターン』と呼んで扱うことにしましょう。この項ではひとまず、『リズムパターン』という語を導入して、それで次に進みます。
■手拍子の間隔
さて、『あんたがたどこさ』の歌詞を用いる場合についての取り扱いを始めます。
以下の例を比べてみてください。『あんたがたどこさ』の手拍子の間隔について示した次の3例の中で、もっとも標準的なものはどれだと思いますか?
ふつう、『標準的』というのに適切な間隔は、本稿でも紹介する他の要素についての判断や、ある程度長期の経験との兼ね合いから判断されるものです。そういう意味では、すでにマリ突き歌としての『あんたがたどこさ』によく馴染のあるほとんどの読者にとっては、手拍子の間隔はマリを突くタイミングそのものとして、迷いなくひとつを選ぶ事が出来るのでないでしょうか? ここでは、例2がそれに当たります。
一方で、同じ歌でも例1や例3のように、標準とは異なる様々な間隔で手拍子を打つことが出来るのも実際です。もし標準的な感覚のもの以外の手拍子を採用した場合にも、それは間違いとはいえないでしょう。間違いというよりも、「馴染んだものとは少し変わったやり方」とか「何かふつうとは他の効果を狙ったやり方」として受け止められることだと思います。
これは、広く他のリズムパターン一般でも同様です。しかしもし、無自覚に、標準的でない捉え方でリズムパターンを取り扱う場合には、演奏者と聞き手で前提になる認識が行き違いになっているともいえるでしょう。
その場合には、それが狙いとして行われている場合でなければ、音楽の実現としては少し物足りない状態と言えるかも知れません。このことに関連してここで、しばらくあとの項の内容に先んじて宣言しますが、本稿は、音楽におけるリズムに期待される大切な機能として、前提としては、聞き手同士(つまり、同じ音楽に参加している演奏者と聴衆の両者の両方)で共有することが求められている、という立場をとるからです。
ですから本稿では、その点での違和感を狙ったり、あるいは前提の行き違いをそのままにしようということではせず、(単にごく基本的なレベルの話としてのことですが)「私たちはリズムに関して何を共有しているか?」という確認を主に置いて、順次話題を取り扱っていきたいと考えています。
(もちろん、ここで「共有」というのは、「ごく基本的なレベルの話」についてのものですから、例えば「言われてみればわかる」とか「言われてみればそう思う」という、そのくらいの話で大丈夫です、もちろん。)
■『さ』の機能(位置Cについて)
さて、実際に『あんたがたどこさ』の内容に触れていきます。
『あんたがたどこさ』の歌詞には、ゲーム的な要素が含まれています。このゲーム性において外形的に最もはっきりしているのが、歌詞の区切りにおいて『さ』がたびたび繰り返される点です。前掲の歌詞に関しても、主にこの点を念頭において『/』で区切りました。
実際にからだを動かしてマリ突き遊びをする際には、この『さ』を歌うたびに身体動作が伴いますから、その強調された繰り返しの面白さを楽しみます。しかし単に歌詞を歌うとか読み上げるというときにもやはり、口もとで定期的に同じ運動が繰り返されるのは、ちょっとした快感として確認されるものではないでしょうか? これはもしかすると、人間の感覚の中では、幼児的な快感に属するものかも知れませんけれども、大人になったからといって失う必要のない、人間の本来的・基本的な快感ではないかな? とも筆者は感じますが、読者の方にとってはいかがでしょうか? もしここまで黙読を続けていらっしゃるとしたら、いちどここで音読してみて、その時のご自身のからだの反応を探ってみてください。
さて、この歌詞における『さ』という区切り音の機能性は、リズムパターン(前掲歌詞においては『/』で挟まれた範囲)の一般的な性質を初めて扱う場合に、とても便利です。
では続いても、この『さ』をさらに強調しながら、ここに期待されている機能を探っていただきたいと思います。以下の例は実際に、歌詞を声に出して読んでください。
試行C1)
『さ』のたびに『さ』を他よりも大きな音で読む
試行C2)
『さ』のたびに『さ』を他よりも小さな音で読む
試行C3)
『さ』のたびに『さ』を他よりも長く読む
試行C4)
『さ』のたびに『さ』は声に出さずに『さ』を読むのと同じだけの時間を黙ってやりすごす
試行C5)
『さ』のたびに『さ』と同時に、その場で飛び上がる
『あんたがたどこさ』という童謡・ゲームにおいて語尾の『さ』が重要な働きをしていることを実感していただきたいので、少々しつこいくらいにバリエーションを設けました。お試しになってみていかがでしょうか?
具体的には、『さ』には、何か(ここではすでにそれに関して「リズムパターン」という呼称を示しましたが)の区切りであるということと、そのあとにはまた同様の『さ』で終わるひと節が続くことを、強く示す役割が与えられていることが指摘できます。
『あんたがたどこさ』の歌詞や節回しは、『さ』の前の言葉の長さや節回しの具合は一定ではありませんが、『さ』が実際に繰り返し歌われ、聞かれることで、参加者がこれらの機能を自然と了解するように作られています。
また、『せんばやまにはたぬきがおってさ』の部分では、他よりも前の『さ』と次の『さ』との感覚が長いために、『さ』の効果に期待する感じがとくに強く実感されるのではないでしょうか?
この『さ』の位置のことを、本稿ではひとまず「リズムパターンにおけるCの位置」(あるいは単に「Cの位置」)と呼ぶことにしましょう。のちほどまとめて図示しますが、ひとまず「Cの位置」に関してのみ図示します。
(記号に関して、Cから初めてしまいましたが、一連の解説には、続けて他にもAの位置やBの位置などが、これから登場します。)
■Aの位置とBの位置
前項で登場させた「さ(Cの位置)」と比較して他の部分を考えます。
『あんたがたどこさ』の『あ』、『ひごさ』の『ひ』、『ひごどこさ』の『ひ』などは、『/』で区切られたひとまとまりの最初の位置として、他と区別して取り扱いたいと思います。本稿ではこれを「リズムパターンにおけるAの位置」(あるいは単に「Aの位置」)と呼ぶことにします。
話し言葉においてもしばしば、発音の始めと終わりでは、始めさえある程度はっきりと発音出来ていれば、その後半はあいまいな発音になったとしても聞き取ってもらいやすいものだ、とかいわれます。これは音楽においても同様で、決して強くとか大きくとか演奏する必要はありませんが、ひと節における始まりの部分を(仮に弱くても)あいまいにしないことで、そこから始まるひとまとまりの全体が伝わりやすいものとすることができます。
では、前項で「さ(Cの位置)」に関して試したことを、ここでは「Aの位置」について、同様に試してみてください。
※※※※※
これら(試行A1)から(試行A4)までは、それほど違和感なく実行していただくことが出来たのではないかな? と思います。
一方で、(試行A5)は、もしかしたら、ゆっくり読み上げた場合と速く読み上げた場合とで、感想が異なるかもしれませんから、そのそれぞれを試してみて下さい。
というのは、ゆっくり読み上げる場合にはそれほど違和感がないかも知れないことなののですが、速く読み上げる場合には、ジャンプの動作の続いている間に読み上げが先に進んでしまうと、すぐに「Cの位置」に近づきすぎてしまうということが起こり得ます。そのことで、(試行A1)から(試行A4)までの場合のような『Aの位置』らしい効果を感じづらいかも知れないからです。
「Aの位置」はいつでも、その役割のためには、音楽の進行具合に対して十分に手際よく終える必要があります(繰り返しになりますが、その場合の音の大きさや強さは、これに関係ありません)。
また、解説の利便のために、「Aの位置」と「Cの位置」とに挟まれた他の部分を、本稿では、「リズムパターンにおけるBの位置」(あるいは単に「Bの位置」)と呼ぶことにします。
利便のための命名といっても、(『あんたがたどこさ』の例がまさにそうなのですが)「Bの位置」は占める範囲が「A」や「C」よりも広い場合もあり、リズムパターンのあるひと節を他のひと節と区別する場合において、やはり大切な役割を担います。その範囲の広さは、言ってみれば「B」がリズムパターンの本体・胴体であるとも言えます。
(試行C4)や(試行A4)で試したように、「Aの位置」と「Cの位置」とを発音しないというのを、「Bの位置」に関してもやってみます。また続けて、「Bの位置」だけを発音しない、というのも試してください。
試行B1)
「Aの位置」と「Cの位置」との発音をすべて抜かして(その間黙って)『あんたがたどこさ』を音読する
このように「Aの位置」と「Cの位置」とを黙ってやりすごした場合にも言葉の意味は断片的な発音からもなんとなく伝わりますし、発音しない音よりも発音している音のほうが多いですから、そのことで歌全体の進行に関しても、ある程度は滞りなく進んだように感じられるかも知れません。
一方で次の(試行B2)のように、「Bの位置」だけを黙った場合にはどうでしょうか?
試行B2)
『Bの位置』の発音をすべて抜かして(その間は黙って)『あんたがたどこさ』を音読する
『あんたがたどこさ』に関しては「Bの位置」にあたる部分は比較的多いですから(試行B1)のような場合には歌詞の意味も残りやすかったですね。同時に、「Aの位置」のリズムパターンの始めを示す機能と「Cの位置」のリズムパターンの終わりを示す機能とに関してはそれぞれ、この部分の歌詞を読まないあいだにも働いたように感じられませんでしたか?
また、(試行B2)のような場合には歌詞の意味の多くは失われますが、しかし、歌全体の進行が滞ってしまったとも思えません。「Bの位置」が読まれないと言語的な意味合いについての具体性や個別性が失われてしまいがちなのですが、しかし今回のように「Aの位置」と「Cの位置」が示される場合には、実は歌の進行の様子の骨子は保たれやすいのです。
リズムパターンというひとまとまりの中において「Aの位置」と「Cの位置」というのは、リズムが先々へ進むことに関連する機能を、特に多く担っている部分だといえます。これらの機能が強く働かないような場合には、何か他の効果が働いてリズムを先々へと進めないと、音楽全体が先々へと進んだりはしないでしょう。
ですから、(試行B2)のように必ずしも発音された歌詞が多くない場合にも滞りなく進んだ・歌いきることができたというのは、残った歌詞の多い少ないがそれを決めているということではないわけです。ここでは、リズムを先々に進めるため他の機能に特に思い当たるものがありませんから、(試行B2)では、「Bの位置」の歌詞が発音されていない一方で「Aの位置」と「Cの位置」にある機能の支えによって「Bの位置」の機能も働いていた(歌詞の意味とは別に、位置ごとの機能は休まずに働いていた)から、問題なく歌いきることが出来たのだと、というふうに考えても良いのではないでしょうか。
これの確認のために、ぜひもう一度(試行B1)と(試行B2)とを実行してみてください。試行のルールに従って各位置にある歌詞を黙っているあいだは一見音楽の進行はないのではないか、というふうにも思えますが、実際にはそんなこともないですよね。確認しながら試してみると、歌詞を黙ったまま進んでいるあいだにも、「A」「B」「C」それぞれの位置の働きが機能しているのがよく感じられることと思います。
実際のところ「Bの位置」にあたる歌詞を黙ってしまうと、単語の意味などはたくさん抜け落ちてしまってわかりづらくなってしまうのですが、音に出さないあいだにもその部分の位置で「A」や「B」や「C」が働いて音楽の進行を助けているように感じられたり、また、もともとのリズムパターンの骨子は消えずに感じられるというのが人間の自然な認識の働きなのかも知れないな、とも思います。
繰り返しになりますが、実際にこうやって試してみることで、ここでの(試行B1)や(試行B2)のように歌詞の言葉の意味がわからない程度に発音されない場合では、より一層「A」「B」「C」それぞれの位置に備わったリズムパターンの機能に注目することが出来たとも言えるでしょう。歌詞の言葉が不完全なぶん、通常の『あんたがたどこさ』ととくらべると歌詞由来の意味はわかりづらくなってしまうのですが、一方でこの状況下では、リズムに由来する音楽性やゲーム性については、この試行の場合にも、普通に読む場合と同じか、あるいはごく類似した程度までは示されていたと言えそうだからです。
(また同時にこの試行では、歌詞の意味を示すにあたって「位置B」が負う役割の大きさについても確認していただけたと思います。)
※これら「A」「B」「C」には通常用いられている呼称がいくつかありますが、用いられる場面によって一意でないこともあり、混乱を避けたく、本稿では使用を避けます
■拍のウラとオモテ
この項では、歌詞『せんばやまにはたぬきがおってさ』と『それをりょうしがてっぽうでうってさ』の箇所に注目して論じます。
前述部分ではすでに、この歌に標準的な手拍子の間隔に関して扱いました。その時の間隔を採用して、手拍子を打ちながら歌詞を読み上げてください。
試行H)
このとき、『せんばやまにはたぬきがおってさ』と『それをりょうしがてっぽうでうってさ』では、それぞれの先頭部分で言葉と手拍子との関係が異なっていることが指摘できると思います。
他の部分では、手拍子と『位置A』の音は同時のものでしたが、『せんばやまにはたぬきがおってさ』と『それをりょうしがてっぽうでうってさ』『それをこのはでちょいとかぶせ』においては、まず手拍子があったのちに『位置A』(文頭の『せんば』と『それを』)は発音されます。
このように、『位置A』の発音が『位置A』の手拍子からズレるのに対応して、そのひと節全体が他とはズレたように表現されることを、音楽用語で「シンコペーション」と呼びます。本稿のあとの部分での話題を扱うのに便利になると思うので、この用語はここで導入しておきましょう。
また、もともと手拍子の間隔に備わっていた機能については、『あんたがたどこさ』の「位置A」でシンコペーションされた表現を観察することによって、より詳しく分析することができますから、この項で取り扱いましょう。
次に掲げる図版では、歌詞『あんたがたどこさ』における手拍子位置は、マリを突くタイミングと手拍子を打つタイミングとがすべて対応していることが示されています。一方、歌詞『せんばやまにはたぬきがおってさ』での手拍子を打つタイミングは、マリの跳ね上がりのタイミングに対応している部分と、突き降ろしのタイミングに対応している部分との両方があることが示されています。
このことから、『あんたがたどこさ』という歌の構造にはもともと、手拍子の間隔(手拍子を打つ位置とマリを突き降ろす位置)だけではなく、マリが跳ね上がる位置までが備わっていたのだということがわかります。ここまではこの点を特別意識せずに取り扱ってきましたが、『せんばやまにはたぬきがおってさ』と『それをりょうしがてっぽうでうってさ』におけるシンコペーションを観察することによって、この点がよく示されました。
このように『あんたがたどこさ』におけるシンコペーションは、一部分だけの特別ルールやある箇所からのルール変更で実現されているものなく、歌全体を通して共通の構造に支えられて実現されています。そのため、『せんばやまにはたぬきがおってさ』の箇所で突然シンコペーションがあらわれても、聞き手にとっては特に不自然には感じられないものとなっています。
ここで、これら『マリを突き降ろす位置』や『マリが跳ね上がる位置』といったリズムパターンの要素にも、本稿での取り扱い用の名前を与えておきたいと思います。
まず、リズムパターンの中での手拍子一回分の間隔には、あらためて『拍』という呼び名で整理し、また、これらは1拍・2拍・3拍……というふうに数えることにします。『あんたがたどこさ』を例にとれば、これはひらがな8文字ですが、それとは関係なく手拍子では4回分ですから、『4拍』です。
次に、1拍のうち、上で『マリを突き降ろす位置』とした部分を『拍のオモテ』(あるいは単に『オモテ』)、『マリが跳ね上がる位置』とした部分を『拍のウラ』(あるいは単に『ウラ』)と呼びます。
■ひとやすみのまとめ
ここまで、用語の導入のための解説が続きました。
導入されたのは、『位置A』『位置B』『位置C』『拍』『拍のオモテ』『拍のウラ』です。その他、補助のために『リズムパターン』『シンコペーション』の語も導入しています。
この先での混乱がないように、いったん復習をお願いします。
■リズムパターンにおける頭韻と脚韻
もう少し、『あんたがたどこさ』をモチーフにした読み解きを続けましょう。この項では、『頭韻(とういん)』と『脚韻(きゃくいん)』という用語を導入します。
ここでいう『頭韻』とは、『位置A』や『位置A』から続く数音が、複数のフレーズに渡って、同じか似た印象に聞こえるような効果が意識されている場合のことをいいます。
『韻』は、普通は連続したフレーズどうしを比較していいますが、フレーズどうしが多少離れてたり飛び飛びになっていても、その離れ方に規則性があるなどすることで大きな連続性が表現されている場合には、それも頭韻の効果といえる場合もあります。
『脚韻』は、『位置C』か『位置C』を含む数音が、複数のフレーズの終わりにおいて同じか似た印象に聞こえるような効果が意識されている場合のことをいいます。
もし『位置A』から『位置C』までがごく短い構成のリズムパターンの場合には『頭韻』『脚韻』ともに考える必要がないといえるところですが、今回私たちがモチーフとして扱っている『あんたがたどこさ』に関しては十分に長く、また具体的には、この『脚韻』の性質を備えているといえそうです。
その他にもリズムパターン内の『位置B』だけに関して、これらに類するような韻の関係が指摘できるという場合も考えられますが、まず本稿では、『位置A』と『位置C』に関係した場合(頭韻か脚韻)についてだけ取り扱いたいと思います。
■『あんたがたどこさ』の脚韻
さて、具体的に見てみます。
<歌詞>
/あんたがたどこさ/ひごさ/
ひごどこさ/くまもとさ/
くまもとどこさ/せんばさ/
せんばやまにはたぬきがおってさ/
それをりょうしがてっぽうでうってさ/
にてさ/やいてさ/くってさ/
それをこのはでちょいとかぶせ/
ここでの「位置C」の『さ』は、脚韻の役割を果たしているといえます(より詳しくは、韻とは、かな表記での問題ではなく母音と子音の組み合わせからなる音の響きがその効果に関係しますから、『どこさ』の『osa』や『にてさ』の『esa』について指摘するべきですが、ここでは、簡単にだけ扱います)。
さて、このような脚韻が置かれることで生じる効果があります。それは、あるリズムパターンのフレーズが終わっても、同じような脚韻を持った次のフレーズがすぐにあらわれることが自然と期待されるようになる、ということです。そしてそのことが、歌詞の詩句や音楽が先々へと進行・継続する強い印象になります。
また一方で、そういった関係が生じているところにおいて『それをこのはでちょいとかぶせ』のように脚韻が途切れるフレーズがあらわれることは、詩句や音楽の継続がそこで終わるかもしれないことの宣言としても働いていますし、また、歌詞全体を一様で平板な繰り返しとしないための働きも果たします。
■頭韻と繰り返し
『あんたがたどこさ』では、歌詞においての頭韻は用いられていませんが、ここで脚韻について述べた詩句や演奏の継続を期待させる効果は、頭韻が採用される場合でも同様です。
ただ『あんたがたどこさ』には、ひとつずつのリズムパターンの長さが一様でないという特徴があります。このような場合には、あるリズムパターンのフレーズの切れ目を示す役割としては、そのフレーズの頭部において突然新しいフレーズが始まったことを示すよりも、フレーズの脚部に終わりの宣言と次のフレーズがはじまる予告を担せる方が、フレーズへの切り替わりの時に唐突な感じになりにくいため、自然な雰囲気で取り入れやすいです。
そこで、実際的には頭韻は、継続して繰り返されるフレーズの長さが固定長であって、その切り替わりに唐突感が生じない場合や、そうでない場合の、あまり続けざまにはあらわれないような用いられかたにおいての活用というのが多いのではないかな? と思います。
一様な長さのリズムパターンが繰り返されるなどする場合には、『位置C』への、フレーズの終わりを宣言するとか、次のフレーズの予告の効果が期待される機能への期待する割合というのは、必ずしも強くありません。一定間隔でフレーズの頭部から脚部までが繰り返されるということであれば、その構成要素である拍の性質や機能からだけでなく、その繰り返しフレーズそのものの全体像について、頭部や脚部の登場が突然だとかいうふうな印象にはなりづらいからです。
(そういう意味では、『あんたがたどこさ』という童謡は、フレーズの脚部が登場するささやかな唐突さを遊びとして楽しむための作りになっている、というふうにも考えられそうですね。)
さて、そのような、一様な長さのリズムパターンが繰り返されるような構造を用いた音楽音楽スタイルでは、頭韻も活躍しやすくなります。単純に詩歌ということでしたら、伝統的な詩歌には固定長や繰り返しの形式を持つものがとても多いと思いますし、今風の話題の例ということでいえば、例えばラップミュージックではもともと短い繰り返しの構造を活かしながらリズムに関する短時間的なトリックや他の繰り返し要素を加えることによる強調を楽しむようなスタイルものが多いです。そのためか、他一般の音楽スタイル歌詞よりもより一層、歌詞での頭韻が用いられやすい傾向があるようです。
しかしながらその他の場面では、日本語歌詞においての頭韻の例は、どちらかといえば見られにくいようです。ですから、本稿でもなかなか適切な具体例を挙げられないことをお許しください(ちょっとデタラメに短いものを挙げるとすると、『頭韻○○、当然○○、当人○○、大変○○、遠縁○○、丁寧○○、追認○○、押韻○○』みたいな感じではないかと思います)。
さて、ここまでは歌詞を前提にした頭韻と脚韻について述べましたが、楽器演奏の場合には、より幅広い対象について同様の効果を指摘することができます。
■頭韻・脚韻のような演奏
この項では、ここまでで確認した頭韻あるいは脚韻による推進力が言葉を音楽的にする効果と対応するような感じで、音楽の構造も、演奏や歌唱によって生じる韻の機能・効果から楽曲が先へと進行しようとする効果や、推進する感じを受けるような効果を得ている、ということを観察します。
『あんたがたどこさ』について、歌詞の意味の具体性を捨てて取り扱ってみます。韻というのは言葉に関しての用語ですから、次の例のようなものは本来の意味からは頭韻でも脚韻もないのですが、しかし次例の様な場合にも上において頭韻や脚韻の場合で挙げたような推進機能(繰り返しの期待やフレーズの区切りの宣言など)が指摘できるというのが、ここで注目しておいていただきたい点です。
さて、次の図版で掲げるのは「リズム譜」です。リズム譜というのは、楽譜の中でも、メロディーやハーモニー的な要素を排除してリズムの要素だけに着目しようとする楽譜ということです。ここでは『あんかがたどこさ』についての、音程などの要素を無視して表記した楽譜を用意しました。
この図版において、位置「A+B」と示した部分は、同じ構成要素の繰り返しからなる良く似た見かけ・良く似た歌い心地になっています。実際に歌ってみると、それぞれの歌詞に割り振られた音の高さが異なるので節回しは異なるのですが、ここでは「分析的に取り扱うために、それを無視できる譜面にした」ということです。そうすると、位置「A+B」に関しては、同じ構成要素が繰り返されているいうリズム譜になりました。また、位置「C」どうしもそれぞれ、リズム譜がどれもまったく同じになりました。
これらは実際には別の音程や別の言葉で歌われるものですから、音程を含んだ節回しについても、言語的な意味でも、必ずしも頭韻は成していません。しかしこのように表記して分かるとおり、そのリズム的な構造はここで挙げたように、ある単純な繰り返し構造であるため、実際の演奏(や歌唱)を耳にした印象としては、パターンの頭部では位置「A+B」の繰り返しへの期待に由来する推進力が感じられるものになっていますし、また、パターンの脚部では位置「C」がリズムパターン同士をいったん区切ってから次へと進行しようという効果が感じられるものになっています。
ここで確認していただきたいのは、必ずしも、なにか繰り返しのルールがあらかじめこれらの外側から与えられていて、拍や位置「A」「B」「C」といった要素が、それに従って進行しているということではないのだということです。『あんたがたどこさ』に関して、「最初の音符」「最初のリズム」というふうに、順に演奏したり歌ったりしようとするときに、さらにその次やまた次へと繋がっていく動機が自然と生じたり、更にあとに来るフレーズを無理なく呼び込むような効果が、拍や位置「A・B・C」といった側のほう(あるいは、それを演奏したり歌唱したりしたものの中)に備わっているのではないか? ということです。
そのことを感じ取っていただきたいので、まず言語的な頭韻と脚韻についてご紹介したのちに、これらのリズムパターン内外における頭韻や脚韻のような効果・機能ついて見ていただきました。
では、これに関して、演奏して確認するためのモチーフが、次の図版です。
■『あんたがたどこさ』のリズム譜を用いた演奏
実際に、手拍子を打ちながらリズム譜を歌ってみます。
最初は『拍』の段にあるすべての数字一拍ごとに一回片手か片足かで机か床を打ちながら、そのタイミングに合わせて、『指示R』の段にあるように『Ta』か『Na』で一様の音程で、歌います。
試行R)
・歌詞を、一定の音程で、高低をつけずに歌う。この時、片手(あるいは片足)で『拍』の段にある数字ひとつにつき一回、手の場合には机か腿を打ち、足の場合に床を打つ。
拍を打つタイミングは、それぞれの拍のオモテのいちばんはじめの区切りになるようにする。
・次に、歌詞を『指示R』の『ナ』か『タ』に代えて、これも音程の高低をつけずに歌う。
次にもう片手で、『指示Q』の段の指示を参考にしながら、次を同時に実行します。
試行Q)
・『試行R』と同様に、片手あるいは片足で数字ごとに拍を一度打ちながら、『指示R』を『ナ』か『タ』で音程の高低をつけずに歌う。この時、腿か机上に空いている方の片手を腿か机上に置く。『指示Q』を見ながら『位置A+B』の間は手のひらを上向きにしておき、『位置C』の間だけ、これを返して、手の甲を上にする。
・動きが複雑に感じられるようなら、片手・片足・声のみといったところから初めて、同時に行う要素を増やすと良い。
・これを行う時、もし動作に余裕があれば、拍を打つ動きはできるだけ大きな、大げさな動きをする。
・またこれも動作に余裕があれば、『位置C』で手の甲を上にする動きは単にその向きにするというだけでなく、机とか自分の腿などをつよく押し込むような動きであるとか、手を跳ねさせるように叩くとかのバリエーションも試してしてみること。
すこし複雑な指示をしてしまいました。できましたか? ゆっくり取り組んでみてください。
はじめに述べたように、『あんたがたどこさ』は、歌詞にはっきりとしたゲーム性が備わった童謡です。その単純ではっきりしたゲーム性が、リズムパターンについて実際的に確認するための良いモチーフになります。こういった大きな動作を試すことで、リズムから生じる基本的な推進力や、位置Cが持つパターンとパターンとの橋渡しの力を、見逃さずにご自身のからだのうちに観察していただけたらと期待して、この項を置きました。
■手拍子による演奏と踊り
引き続き、前掲の図版(『あんたがたどこさ』のリズム譜演奏)を用いて試行します。
前項では、片方の手で拍子を取りながら、片方の手では、手のひらを表裏させるという動作を試しました(「試行Q」)。ここでもその発展や統合を試みることで、「拍」についての観察を進めたいと考えています。
前に扱った話題で、「手拍子を打つ頻度はどれくらいが適当か?」というものがありました。そこでは、「『あんたがたどこさ』においては、マリを打ち下ろすタイミングごとに手拍子を打つのが標準的といえる」「またその一回分を「1拍」と数える」というふうに延べました。
1拍の間隔に関してはここでもその考えずに採用しますが、しかし同時に、「実際に手拍子を打つ頻度はその半分程度にする」ということを試してみましょう。1拍の間隔は変えないのに手拍子する回数が減るということはつまり、「手拍子を演奏していないところにも1拍がある」ということですよね。
最初に手拍子の間隔について扱った時にはまだ導入前のことがらでしたが、その後、「拍のウラ」のような考え方を導入したり、「試行B1」「試行B2」を試したりしました。そのことで、「手拍子や演奏や歌唱などのかたちで表にあらわれないところにもリズムの構成要素が含まれていたり、その機能が音楽の進行に発揮されることがある」という考え方を確認しました。次の「試行」に関してもここまでの考え方を自然に進めたところで違和感なく取り扱っていだだけるものではないかな? と思っています。
さて、実際にやってみます。
試行S1)
『あんたがたどこさ』の歌詞を平板に読み上げるか、あるいは節を付けて歌唱しながら、以下のバリエーションS1-1~S1-3を、図版のうち数字が四角で囲まれた拍(位置C)でだけ手拍子を打つものとして行ってみてください。
S1-1)「位置C」のたびに胸の前で手のひら同士を素早く打つ。「位置C」以外の拍が1から3拍続くときには、その連続した間隔をできるだけいっぱい、両腕をできるだけ大きくからだの左右に延ばすことに用いる。
S1-2)「位置C」のたびに胸の前で手のひら同士を打つ。「位置C」以外の拍が1から3拍続くときには、その連続した間隔をできるだけいっぱい、両腕それぞれつかってからだの近くで空中に連続して一度だけ円を描くことに用いる
S1-3)「位置C」以外の拍が1から3拍続くあいだは両腕をできるだけ大きくからだの左右に延ばしておき、「位置C」のたびに胸の前で手のひら同士をそっとゆっくりと合わせる(打ち合わせる音が出ても出なくても良い)
試行S2)以下のバリエーションS2-1~S2-3をそれぞれ、(1)数字が四角で囲まれた拍でだけ手拍子を打つものとして行う、(2)数字が○で囲まれた拍と四角で囲まれた拍でだけ手拍子を打つものとして行う、(3)数字が囲まれていない拍と四角で囲まれた拍でだけ手拍子を打つものとして行う、の3通りでやってみてください。
S2-1)手拍子を打つ1拍では、胸の前で手のひら同士を素早く打ち、手拍子を打たない1拍では何もしない
S2-2)手拍子を打つ1拍では胸の前で手のひら同士を素早く打ち、手拍子を打たない1拍では、1拍ごとに両手の甲で自分の左右それぞれの腿を打つ
S2-3)手拍子を打つ1拍では胸の前で手のひら同士を素早く打ち、手拍子を打たない1拍では、1拍ごとに両腕をできるだけ大きくからだの左右に延ばす
条件を組み合わせたときのバリエーションが少し多くなってしまいますが、是非やってみてください。
これらを試行を通して観察・確認していただきたいのは、1拍を表現したり感じたりするにあたっては、必ずしも手を打ち続けるような一様な動作の繰り返しである必要はない、ということです(例えば、メトロノームのような動きや演奏は必ずしも必要ないし、実際にもあまり行われていない、というわけです)。
ただし、試行S2-1~試行2-3のような1拍ごとになにかの動作がある場合に比べると、試行1-1~試行1-3のように、数拍でひとつの動作を行う場合には、必ずしも標準的な1拍の間隔がはっきりしたものとは感じられづらくなることも確認していただけると思います。
しかし「果たしてこの場合でも、標準の1拍の間隔が保たれているといえるのか?」ということは、この段階では断言と詳しい説明を避けて、宿題ということにしたいと思います。この項の試行ではひとまず、「1拍を表現するにあたっては、必ずしも手を打ち続けるような、一様な動作の繰り返しである必要はない」ということを観察・確認していただきました。
ところで、ここで試した一部には、「これってちょっと、盆踊りみたいな動きだな」というものもありませんでしたか? 音楽に合わせて手拍子をするという時に、ここまでの試行がわりとそういう感じであったように演奏の伴奏をするような気持ちで手拍子をするというやりかたもあるかも知れないのですが、一方で、「手拍子がとても踊りに近いという場合もありそうだな」というようなことも想像していただけたら良いなと思い、試行に取り入れました。
もし手拍子というものが演奏と踊りとの境界にあるとしたら、音楽に親しむということと踊りと親しむということは境目なく近いというふうに考えられるということにもなりませんか? 音楽のリズムに関係した要素について考えるとき、踊りや舞いということについてまったく無視するということは出来ません。そこで、ここで少しだけ触れてみました。
■オモテ・ウラいろいろ
この章の最後に、『拍のオモテ』と『拍のウラ』に関して、これまでの『あんたがたどこさ』の演奏例だけでは扱えないケースについて扱います。
『あんたがたどこさ』をモチーフにした場合、これはマリ突き歌ですから、『拍のオモテ』はマリを打ち下ろす間隔に対応していて、『拍のウラ』はマリか跳ね上がる間隔に対応していました。しかし実際の様々な音楽スタイルの中には、マリ突き歌とは性格が異なるオモテとウラの組み合わさり方もあります。
実際のマリの動きに従って歌う場合のオモテとウラとはマリが実際に振る舞い得る範囲の関係に収まることになりますが、実際のマリを突かずに心の中のマリの動きに従って歌う時には、一拍におけるオモテとウラの関係は、実際のマリの動きにとどまりません。その時には、もっと広い範囲の類型を指摘できることになります。
本項ではそういった別の類型についても扱って、『あんたがたどこさ』にこだわったこの項をいったん終わりにしたいと考えます。
例)(動画:標準的な『あんたがたどこさ』を足踏みで表現):未作成
例)(動画:『あんたがたどこさ』のウラを『イーブンエイト』で表現):未作成
例)(動画:『あんたがたどこさ』を、より長い接地時間で表現):未作成
この動画では、足踏み1回のサイクルを1拍、そのうち、足が接地している時間を『拍のオモテ』、足の裏が浮いている時間を『拍のウラ』と捉えることにしました(もちろん、世の中には様々なダンスステップのバリエーションが存在するように、おなじく足踏みを例にする場合においても他に様々なバリエーションの実現方法がありますから、ここで扱えるのは考えの取っ掛かりのためのほんの一例であることは、ここでお断りします)。
では次に、これら3通りの『あんたがたどこさ』を単純なドラム演奏の音声と合わせた場合の動画を掲げます。また続けてこれらの3通りについて、リズム譜を用いた図版も掲げます。ここで用いたような単純な構成のドラム演奏はリズムパターンの特徴を強調しますから、それぞれの「位置A~C」「拍」「拍のオモテとウラ」がどのようにおかれているかを確認しやすくなっているといえるかもしれません。
例)(動画:標準的な『あんたがたどこさ』足踏み+ドラム演奏)
例)(動画:『あんたがたどこさ』のウラを『イーブンエイト』にした場合の足踏み+ドラム演奏)
例)(動画:『あんたがたどこさ』のウラを16分音符にした場合の足踏み+ドラム演奏)
さて、ここでのひとつめの例を分析すると、1拍を3等分の比に見立てて、それのうち前の2を拍のオモテに割り振り、後ろの1を拍のウラに割り振ったような性質になっています。ドラム演奏もそれにあわせてオモテとウラとで一度ずつ音を出すような演奏になっています。
次にふたつめの例を分析すると、1拍を2等分の比に見立てて、それのうち前の1を拍のオモテに割り振り、後ろの1を拍のウラに割り振ったような性質になっています。ドラム演奏もそれにあわせてオモテとウラとで一度ずつ音をだすような演奏になっています。
さいごにみっつめの例を分析すると、1拍を4等分の比に見立てて、それのうち前の3を拍のオモテに割り振り、後ろの1を拍のウラに割り振ったような性質になっています。ドラム演奏もそれにあわせてオモテとウラとで一度ずつ音をだすような演奏になっています。
これらのどれも、1拍がオモテとウラからできていていて、それぞれで違うのは、1拍のオモテとウラの割合です。
楽譜ではしばしば、1拍を表すのに『4分音符』という音符を採用しますが、その目印として、4分の何拍子という表記をします(本項では詳しく触れません)。そして、その時に1拍をふたつにわけて表す音符は『8分音符』です。上例の動画はどれも、オモテとウラの割合にともなって、8分音符の表現が変化したものだ、というふうに捉えることが出来ます(同じ楽譜でこれら3つを表現することも出来ます)。
通常は、その音楽スタイルによって、1拍における適切なオモテとウラの比というのはだいたい決まっていますから、特にこういったことは気にする必要はありませんし、あえていえば、これは余計な考えです。しかし、いろんな音楽スタイルを縦断的に比較・分析する場合にはどうしても立ち現れる捉え方ですから、ここでは、拍のオモテとウラを分析的に考える素材として、この捉え方を利用しました。
ところで、拍のオモテよりもウラの割合のほうが大きいというのは、そういったバランスでは、オモテとウラだけ出なく、位置Aと位置Cの役割関係を自然に保つのが難しいですから、一般的には、ほぼ採用されません。
拍のオモテとウラとの比率は、よく『スイングの値』とか『バウンス具合』とかといったふうに呼ばれますが、これはコンピュータでの音楽制作分野からの用語であると思います。単にスイングというと1拍を3等分の比に見立てたような場合のことだけに限定して指すこともありまぎらわしさもあるのですが、他にちょうど代替するものがない便利な用語でもあるため、本項では『スイングの具合』とか『どれくらいスイングしているか?』とかの言いかたを採用します。
スイングの具合が、2等分から3等分、3等分から4等分という場合を比較すると、等分する数が増えるに従って、拍のウラの比率が小さくなることからくる、1拍の印象の軽快さが増すということが出来ます。
しかし同時に、拍のオモテの比率が大きくなることからは、1拍全体に関してのしつこさ・長さ・粘り強さ・あきらめの悪さ、といったようなものが指摘できる要素も増すと言えます。
ここで注意喚起しておきたいのですが、これまでに取り上げて論じた『位置A』『位置B』『位置C』『オモテ』『ウラ』といった要素は、実際の演奏においては、存在が指摘できるものの表現は必ずしも強くない、ということがあり得ます。
反対に、どれかがとても強調されている、ということもあり得ます。そういったことの組み合わせのバランスが、さまざまな音楽スタイルを実現していると言えます。ですから、本項で問題にしている『オモテ』や『ウラ』に関しても、それが強調されないスタイルの場合には、適切に控えめに(あるいは無意識的に)扱い、強調される場合には、その機能や性格に関して自覚的に取り扱う必要があるものです。
そういった視点で、あらためて本項の例である動画をそれぞれ観察していただいて、『あんたがたどこさ』を用いたリズムの用語の紐解きの項を終えたいと思います。
(後略)
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