沈黙する神:聖書をめぐる旅 12/4
12/4(土)
歴代誌上5章は、イスラエルの12部族の内、ヨルダン川の東に住んだ部族の
勝利の秘訣が書かれています。
また、詩編83篇は、沈黙する神様について、思いを巡らせてみました。
歴代誌上5章
1イスラエルの長男ルベンの子孫について。ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。そのため彼は長男として登録されてはいない。 2彼の兄弟の中で最も勢力があったのはユダで、指導者もその子孫から出たが、長子の権利を得たのはヨセフである。
→今日の出てくるのは、イスラエルの12部族のうち、ヨルダン川の東に土地を得た部族です。ルベン、ガド、マナセの半部族。
ヨシュアと共に、ヨルダン川の西側の乳と蜜の流れる土地を得るために、川を渡った時、最後まで自分たちの役割を果たした部族という印象があります。
ただ、のちにルベンとガドは戦いに対して神に助けを求めて勝利しているのに対し、マナセの半部族はその地の民の神々を慕って姦淫したとあります。勝利の秘訣は、まことの神様に祈り助けを求めることです。また、マナセの半部族が「姦淫した」と表現していることからも、神様の熱情を感じます。
詩編83編
→
求めると応えてくださる神様であり、時に沈黙されるのが神様であります。
沈黙される神様は、そこで何をなさっているのでしょうか?
祈りが自分勝手すぎる時、沈黙されるのかもしれません。
祈りに応えることが人間のためにならない時に、沈黙されるのかもしれません。
神様の考えが人間の考えをはるかに超えてあり、神様のなさっていることが
見えない時に沈黙されているのかもしれません。
私の記憶で、神様が沈黙されているのは、
イエスキリストが十字架についた時です。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
というイエスキリストの叫びに対して、神様は応えられていません。
周囲の人たちは、神様が何かをするのではないかと期待して様子を見ています。
イエスキリストは、応えられない神様に対しても、最後まで従順です。
ここに神様に対する信頼と、忍耐が必要です。
人間には見えないところで、神様の計画は着々と整えられていました。
イエスキリストは最後に大声で叫び、息を引き取りました。
「テテレスタイ」(完了した)
悪魔に対する勝利です。
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