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対談日記1日目:RITAさん

このnoteは、金額を設定していますが、最後まで読むことができます。(一応、支援という形で購入してくださった方には、少しおまけがあります。)

記念すべき第一回タメ口対談、RITA GOLDIEさん(以下リタさん)とのタメ口対談の様子です!

リタさんとは、ツイッターで知り合ってから会うまで、24時間もかかりませんでした。知り合って24時間以内に人と出会えるこの時代と、対談に興味を持ってくださったリタさんに心から感謝です。


僕のやっているタメ口対談については以下をご覧ください。

時間がない人でもぜひ『”好きな事で稼ぐ”の第一世代』からはみて欲しい!

目次

リタさんのプロフィール
  バーレスクとは
  バー立ち上げ編
  クラウドファンディング成功の秘訣
  ダンスのレッスンを文字起こしする意味

”好きな事で稼ぐ”の第一世代
  ジレンマやうまくいかない状態に陥ったときの解決法
人との関わり
本当の「やりたいこと」を見つける方法
若者はトイレ掃除をしろ
  『透明人間』トイレ掃除おばちゃん
  蹴られた跡
何かをするときに一歩が踏み出せない人へ


リタさんのプロフィール

16歳〜早く3人子供を産みたくて、本気で結婚相手を探し始める。結局良いタイミングで相手に巡り合えず方向転換する。

19歳〜音楽をやりたくて上京。音楽の学校で歌を学びつつトイレ掃除のバイトをしながらミクシィなどでいろんな大人に会いまくる。
アクセサリーの専門学校に2年通うが、体調を崩し休学。
この頃バーレスクダンスに出会い、「バーレスクダンサーになる」と決意。そう思った時には学校辞めてた。

22歳で通信制の短大(経済を専攻)に通い始める。故郷である大阪に拠点を戻し真面目に社会に出て働こうとしてリクルートスーツを買う。しかしその日のうちにつまらないと思い、スーツを捨て、超有名店でホステスをすることに。

東京でバーの立ち上げに誘われ。ホステスを辞めて、バーの出資&共同経営をする。
3年目に差し掛かり経営が安定してきたところ、大家さんから急な立ち退き命令

移転資金をクラファンで集め、短期で目標金額達成。無事に新宿区歌舞伎町のビルへ超高速移転。資金集め開始から移転終了まで約2ヶ月。
現在はバーレスクダンサーとして活動をしながら、歌舞伎町でバーレスクショーが観れる店『AFTER PARTY TOKYO』を経営している(産休中)

それぞれに濃いストーリがありますが、今回は特に僕が面白いと思ったところをピックアップして伝えます。

と、その前に。リタさんを語る上で避けては通れない『バーレスク』について少し詳しく話していきましょう。こちらの内容、もちろん読んで欲しいんですが、まぁパパッとリタさんの思考を読みたいって方は飛ばしていただいて結構です。

バーレスクとは

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超ざっくり言うとストリップのソフトなやつ。
脱いでいくけど、全部は見せない。露出するのはニップレス(バーレスクでつけているものはペイスティと呼ぶ)とかTバックとかまで。
いわゆるセミヌードまで、ギリギリのラインを攻めていく。


「脱いだ姿を楽しむ」というよりかは、「脱いでいく過程を楽しむ」もの。


対比として、ストリップを例にあげる。
ストリップの多くは脱ぐ前のショータイムと、脱いだ後の裸を見せるショータイムの2部構成。脱ぐ瞬間は多くがサッと終わる。
裸の美しさを見せるもの。

聞いた小ネタ
ちなみに、ストリップ劇場は法的に新しく作れないみたいなので、絶滅危惧種らしい。今のうちに行っておこう。


対して、バーレスクは胸とかアソコは出さない。
だから、イメージ的にはやろうと思えばそこらへんのレストランやクラブやライブハウスでもショーが楽しめる。

実際リタさんは個人の企画するパーティーにもよく呼ばれたりするそうだ。

こんな風にショーとしてある程度オープンにできるのがバーレスクだ。

イメージ的には際どいファッションショー的な?


バー立ち上げ

大阪でホステスをやっていたところ、知人に「ダンスとかいろいろできる水タバコバーをやるから、一緒にやろう」と誘われ、面白そうだからとふたたび上京。

資金がないので、自力のゴリゴリDIYで店をカタチにして、なんとか保健所から営業許可をもらう。

ショーの仕事と、バーの経営もしながら、短大を無事卒業。結婚もした。
そんな激動の中3年が経ち、4人で始めたバーも30人のダンサーを抱えるようになり、お客さんにも恵まれて「〜ビルの何階でこんな面白いバーがあるよ!」と写真付きで紹介してもらったりもした。経営も軌道に乗ってきて順調だった。

そんな感じで自力でコツコツ積み上げ、これからもっと盛り上げて行こうぜ!と話しながら順風満帆だった。


そんなある日突然大家さんに立ち退いてくれ。と言われてしまった。


その理由はネットでビルの名前を調べると、ダンサーのお尻の写真ばかり出てくる事態になってしまっていたから。(お客さんが写真付きで宣伝してくれたお尻の写真)

大家さんが、それを理由に「あんたらのせいで空き部屋が埋まらない!」と怒ってしまった。(空き部屋は大家の実力不足やん…)

事前にやることも伝えてあったし、悪いこともしてないので、法の場で公に戦えば立退く必要はなかったけど、大家さんとの関係を悪化させてまでその場所で続けることを良い考えとは思えず、しぶしぶ立ち退きを受け入れ多そう。


文字にすると簡単だけど、0からスタートしてここまで作り上げたものをリセットするのは、やっぱりめちゃくちゃ落ち込んだそうだ。


しかし、落ち込んでいても始まらない。まずは移転するには資金が足りなかったので、クラウドファンディングに挑戦したのだ。

次にはリタさん流のクラファンの成功の秘密を書いていく。


クラファン成功の秘訣byリタさん

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クラウドファンディングのリターンには『ダンス教えます』『新しい店に招待します』『貸切できます』『イベント開いていいですよ』などを用意した。

まったく知らない相手に対して呼びかけたのではなく、すでに店にはお客さんがいる状態でスタートしていたため、店の存続を願う人たちが続々とリターンを買って資金を提供してくれた。

しかし一人で呼びかけるクラファンには限界がある。


クラファン成功のポイントは、『他人を当事者にすること』

幸いバーには関わってくれているパフォーマーさんや一緒に働く仲間が多かったから、これがやりやすかったのだ。

ひとりが大きく声をあげても、限界がある。
だから、たくさんの人を巻き込んで、その人の親しい人や、リターンの条件が会う人に事情と思いを説明して、ファンになってもらう。そして、新しいバーを作るための協力者になってもらう。その輪を拡げること、それがクラウドファンディングの成功の秘訣だ。

そんなこんなで、クラファンのサイト(CAMPFIRE)のアート部門で5位を取るくらいに支援をもらって、最終的には、目標150万円だった資金を超える、200万円強の資金を調達!!(すげえ!!!)

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中には「クラファンとかわからないけど、直接出資するよ」という人もいて、合計で300万を超える資金が集まった。
そして無事、歌舞伎町に移転。

自分たちの力だけでなく、応援して共感してくれる人たちと一緒になって大きくなった店。それが現在の『AFTER PARTY TOKYO』だ。


ちなみに↓がリタさんのブログ。クラファンをしたい人は参考にするといいかも。


ダンスのレッスンを文字起こしする意味

ここは、ダンスに興味を持っている人と、リタさんから流入する人向けの内容かな。

いま、リタさんはダンスのレッスンをnoteに文字起こしをしているらしい。

僕はフィジカルを使ってやるダンスを文字起こしする理由はよくわからなかった。同じ人もいるのではないか。

そう思って聞いてみると。

「バーレスクはダンスだけど、衣装とか音楽とか全部自分で準備することが多いの」

「だからダンスすること自体はフィジカルであっても、そういった衣装とか音楽とか、表現の仕方、ダンスを仕事にする方法とか、ソロダンサーが自分でショーを作るのに必要なのは実はロジック」

「実は、そのロジカルな部分がバーレスクではダンスの上手さよりも重要なこと。そういう事こそレッスンで口で説明するだけだと忘れてしまわれやすいからこれを文字に起こさないわけにはいかないよね」

という事らしい。


もちろん、レッスンに来て、実際に踊ってもらわないことには始まらない。
けれど、テキストがあれば一度ダンスを習いに来た人が、どんなものか見返すことができる。レッスンを受けるだけではほとんどのことをすぐ忘れてしまうというわけだ。

話を聞く限り、これがしっかりと完成させられれば、とてもいい教材になると思う。


”好きなことで稼ぐ”の第一世代

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さぁ、ここからが僕のイチオシ。

最近は『好きな事で稼ごう』という風潮があるが、その流行がくる前からやってきたリタさんの考え方、生き方は現代を生きる僕らにもとても参考になる。
リタさんが動き始めた頃がインターネットも活用しながら、『好きな事で稼ぐ』を目指せた一番最初の世代かもしれない。だから僕たちの世代の見本として一番マッチする世代だと思う。ボリュームも大きいけど、ぜひなんども目を通して、自分の中に落とし込んで欲しい。


初めは、バーレスク一本で稼ぐことを目標に、ホステスの仕事をしていて、
バーレスクのためなら、毎日ほとんど睡眠時間が取れない辛い営業だったホステスの仕事も楽しく頑張れたと話してくれた。

しかし、ようやく苦労してバーレスクを本業にできたときに陥ったのが「好きなことなのに、好きなようにできなくなってしまう」というジレンマだった。

好きなものなのに「これはウケないかもしれない」とか「月にいくら稼がないと」とか「いかに収入を安定させるか」という思考になってしまったのだ。

その結果、自分のやりたいことではなく、「無難なこと」をやるようになってしまった。その時の仕事(バーレスク)はとてもつまらなくて、仕事にいく直前までツイッターいじりながらゴロゴロしてたらしい。

これは”好きなことで稼ぐ”とかを考えなくても、いろんな人が陥るものだと思う。次からはどうやってその期間を乗り越え、今のRITAさんが出来上がったのかを書いていく。


ジレンマやうまくいかない状態に陥ったときの解決法

そんな仕事がつまらない停滞期を打ち破ったのは「移動すること」だった。

ある日オファーがきて、海外でバーレスクをする機会があった。
普段と違う環境で、精神的、時間的に余裕がある状態での海外。

同業者と話したり、異国でゆったりダンスをしたりしているうちに、気づいたらモチベーションがあがっていたそうだ。


ここからRITAさんが今の軸にしていることは『移動することの大切さ』

(現在話を聞いて1年以上すぎた僕もこの言葉が特に頭にずっと残っている。これは間違い無いと思う)

移動中は時間的、精神的に余裕ができて「あ、ここがいけなかったな」とか「これをしたらいいんじゃないか」とか、いいアイディアが浮かんだり、普段の自分と離れて特別な経験をすることで、リセットができる。

実際リタさんは過去を思い返すと、移動中に人生が変わっていることが多いという。
確かに、僕も移動中や、移動先で人生が動いている。

僕は、うまくいかないから余計に取り組む。っていうのは日本人特有の悪いクセだと思う。うまく休むことより、下手に働くことの方がずっと簡単だ。
最近話した60歳のドイツ人は、「日本は忙しく働くくせにドイツよりも貧しい。効率が悪いんだよ」と言っていた。その通りだと思う。
うまくいかないときは、休もう。移動して息を抜こう。

やっぱり休むことと、体を移動させる(何かを経験する)ことは、現代でこそ、必須なことなんだなぁと思った。


人との関わり

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広い人脈があると、海外で踊ったり、いろんなところからオファーが来たり、色々なジャンルのイベントで踊ったりできるようになる。

だから、同年代+自分の近くにいる人「だけ」としか関わらないのはもったいない。

若いうちは同年代というのは一番関わりやすくて、話が合うと思う。
でもそんな若いときにこそ、幅広く付き合いをするべきだとリタさんは話していた。
特に専門学校とかの場合、進む方向はほとんど一緒で、言ってしまえば「競合」なわけだ。

自分のやっていることと違うジャンルをやっている人と関わる事で、新しいアイディアが生まれたり、困った時に力を合わせていい方向に進めるのだ。


リタさんが人脈を広げようとしたきっかけは、そのころ音楽関係をやっていたから、ライブに人が来てもらえるようにと始めたものだった。

ミクシィでバンドやってる人に老若男女関係なく、片っ端から絡んで、メッセージを送って、お金がある限りその人たちのライブに行って、話をしたり、周りの人とも話をしたりしまくったらしい。
今はバンドはやっていないけれど、その時生まれた人脈は今でもとても役立つことが多いそう。


行動力が半端じゃない。僕らも自分のやりたいことに対してはこのくらい本気にならなくちゃいけないと思う。

あと、やるなら若いうちに。
早いうちから、その人脈を使えて、育てられるからというのはもちろん。
18歳とかだと何をやっても空気的に許されるし、警戒されにくい。
30歳のおじさんが言う「一緒に話してくれませんか?」と18歳の学生が言う「一緒に話してくれませんか?」には大きな違いがある。たくさんの人と関わるなら、若いうちにだ。


本当の「やりたいこと」を見つける方法

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やりたいこと、自分に本当に合うことを見つけるには、やりたくないことを明確化することも大事。

リタさんがバーレスクをやっている理由は『満員電車に乗りたくない』『立ちっぱなしの仕事、座りっぱなしの仕事はしたくない』『一つの場所で固まっていたくない』

という「やりたくない」条件が全て除外されていた上で、自分の好きなことだったから。


やりたいことが見つからない人は一生懸命「やりたいこと」を探しているけれど、「やりたくないこと」を探してみると、あっさりと自分に合ったものが見つかる確率はかなり高い。やりたくない事なら比較的簡単に思い浮かぶ人も多いだろう。


しかし注意したいのが、「やりたくないこと」の条件でGoogle検索をしても最適な答えは出てこないということ。

確かに現代は本当に手軽に、有益な情報を手にすることができる時代だ。

だけれども、その情報はとても表面的で、大衆的だ。

有益に見えても実は本当に個人が求めているものに刺さることは少ない。
将来の夢、なりたい職業についてGoogleで調べて、明確なものを得られなかった人も多いのではないだろうか。僕もその一人だ。


結局情報が抜き取れる現代でも『経験しなければ、対自分の情報にならない』のだ。


だから他の人の主体的情報を入手するだけで、それを経験した気になってしまうのはよくない。あなたに必要なのは、経験を自分というフィルターに通すことなんだ。他人の経験を他人の思考を通した上澄みを眺めることではない。


もちろんこの文章でも同じことが言える。

トイレ掃除をしてみろ。と言われて、確かにその通りだ。と思って「トイレ掃除は一見つまらないけど、いい経験になるんだぞ!」と言いふらすのではなくやってみなくてはいけない。

僕のこのnoteを読んで「人と会って話すのはいいもんだな」って思うだけじゃなくて、本当にいいことだけか、自分でやってみなくてはいけない。

Google検索じゃ得られない情報があるって、確かにな!って思って、Google検索で「20歳になる前にするべきこと」なんて調べてたら言葉もない。自分の近くにある「できること」「やりたいこと」「勧められたこと」に躊躇せず飛び込めばいいだけだ・

やらなければ、自分に合うかどうかわからないし、自分が何が好きかもわからない。サッカーにどハマりしていても、たまにはテニスもやってみよう。

サッカー一筋で脇目も振らずやるから、もっと自分に合うテニスがみつけられないんだ。

今まで、世界のほんの少ししか経験してない自分の頭なんて信じちゃいけない。興味あること、ないこと、やりたいことやりたくないこと、避けたいこと、避けては通れないこと、嫌なこと、好きなこと。全部やってみなければわからない。常にやり続けて、今の自分の頭で考えられる最善をやってみればいい。

リタさんの場合はいろいろ手を出し続けた結果、バーレスクが一番なだけだった。もちろん、今もいろんなことに挑戦を続けているようだ。

体験でいい、かじるだけでいい。
「それでいいなって思ったら、少し突き詰めてやってみればいい。」

「やってみて『なんか違う』って事はいっぱいあったけど、それは悪いことじゃなくて、自分のやらなくていいことがわかるとても大事な経験になる」


若者はトイレ掃除をしろ

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リタさんは上京してすぐに始めたバイトがトイレ掃除のバイトだった。朝の6時とかから始まって、ビル全てのトイレ掃除や雑用を全て終えたら五千円。というものだ。

トイレ掃除(しかも早朝)のバイトをやろうとする18歳なんて、リタさん以外にいないんじゃないかと僕は思っている。

実際、周りはおばちゃんだらけで、同年代なんてひとりもいなかったそうだ。(おかげでおばちゃん達からはめちゃくちゃ可愛がってもらえたみたい。)

リタさんが、このトイレ掃除を始めた理由は、「この仕事をして生きていくつもりは毛頭ない」というバイトをしようと心に決めていたからだそうだ。そうする事で、自分のやりたいことだけに一筋になりたかった。

確かに、いくら楽しさや、やりがいを見出せても、トイレ掃除で生きていこうなんてならない。

この理由があっても、まだトイレ掃除をやるべき理由はひとつも見つからない人がほとんどだろう。

僕もそうだ。

ただ、トイレ掃除をすると『透明人間』になれるという強さを知ると、「トイレ掃除、してみようかな…」って気になるかもしれない。


『透明人間』トイレ掃除おばちゃん

は?って思うひともいれば、あぁ、確かに。っていう勘の鋭い人もいるかもしれない。

リタさん曰く、トイレ掃除のおばちゃん(リタさんの場合トイレ掃除の少女)は誰にも気にとめられないそうだ。

考えてみれば確かにそうだ。

会社で同僚の愚痴を言いながらトイレに入って行って、掃除のおばちゃんがいてもその愚痴をわざわざ止めやしないだろう。

だから、外面がとても綺麗で、接客もしっかりしている素晴らしい会社でも、裏では客に対しての愚痴を言ったり、同僚の愚痴を言い合う会社がたくさんある。ということがわかってしまったのだ。

外ではキラキラしててできるカリスマ社長とかが、目の前で従業員を罵りまくったり、ほんのささいな事で清掃員をクビにしたり。トイレ掃除をすると、そんな着飾った裏側が見える透明人間になれるのだ。


蹴られた跡

トイレ掃除は便器だけじゃなく、床から壁まで全てを徹底的に綺麗にするのがリタさんのやり方だ。

臭いっていうのは粒子なので、どんなに汚くて臭いトイレも、便器と壁と床まで徹底的に綺麗にすれば、全然臭くなくなるらしい。

そんな壁まで徹底的に掃除をするリタさんが気になったのが、壁にある『蹴られた跡』

なにか気に入らないことがあって、ぶつけようのない怒りや悔しさの矛先がトイレの壁だったのだろう。

その時点で会社に対する憧れも減ってしまうが、壁を綺麗にして、次の掃除でそのトイレに入ると、高確率で同じところにまた蹴った跡がついていることがあるらしい。


こういうことを体験していくうちに「あぁ、ぱっと見とてもいいサービスを提供している会社でも、中身はとてもくだらないんだなぁ」という事に気づいてしまい、「こんな所で働きたくない」と会社に対しての魅力は激減したらしい。

社会に出る前の人は、自分がこれから入ろうとしている「社会」の裏側をみるのは下手なインターンなんかより、ずっとためになるだろう。

逆に言えば、従業員専用のトイレであっても、とても綺麗にしてあって、蹴った跡なんてひとつもないトイレの環境が保たれるような企業は素晴らしい企業なのかもしれないね。
ホンダの創業者「本田宗一郎」やパナソニックの「松下幸之助」はトイレにこだわりを持っていたようだ。


何かをする時に一歩を踏み出せない人へ

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いろんなことをやって来たリタさんに僕が聞きたかったのは「何かをするときに、失敗や冷ややかな目が怖くて始められない人がいると思うんだけど、そんな人たちはどうすればいいと思う?」ということ。


それを言うと「そもそも何も失うものなくない?」と言われてしまった。


確かにその通りだ。現状で何かを持っていると勘違いしている人が多い。

「かけがえがなく見えるけど、実際どこでも手に入る人間関係」とか、「安定しているだけの仕事」とか、持ってるのはその程度のものだろう。何をビビるんだって話だ。


「だったら一度、誰も知らないところに出てみればいいんじゃない?私は大阪から東京に出て、誰も私のことを知らないし、誰も興味ないところからスタートしたから、『私はこういうことをやりたいんだ』って言えばすぐに『そういう人』になれた。」

「地元で、昔どういうポジションにいたかとかが足枷にもならないし、逆に言うと価値もなくなってしまう。だから無の自分から、なりたい自分を作り出せる。」


確かに、自分のしがらみだらけの場所では、新しいことに挑戦しにくい。

だから1歩目が踏み出せない人は「ステージを変える」ということはベストな選択なのかもしれない。ステージを変えれば、新しいことで表現しなきゃ!って風に自分を追い込めるし、最初はそんな自分を笑う人も、逆に言えば心配してくれる人もいないのだ。

そんな環境で、自分をデザインして、そんな自分を貫こう。苦しくなったら、元の環境に戻ればいい。


まとめ

長文お疲れ様でした。

内容も濃く、文章も長いので後半の内容は頭に入りづらかったかもしれませんね。
ぜひ、自分に引っかかったところだけでも、何度か読んで理解して頂ければ、このnoteを書いた甲斐があります。

これからも、僕が『面白い!』『良い!』と思った人について発信していくこの対談日記をどうぞよろしくお願いいたします。

現代を生きる大きなヒントとなるはずです。


おまけ

それじゃぁ、おまけという事でリタさんと話した僕の恋愛観とか、友達についてのトークの内容でも話しましょうかね笑。

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