チンギス

教養日記4日目:チンギス・ハン

チンギス・ハン。恐らく誰もが名前を聞いたことがあるだろう。

でも、何をした人か?と聞かれると口籠る人が多いのではないだろうか。

今日は彼が何をして、なぜ現代まで名前が残っているのか。その理由を紹介しようと思う。


チンギス・ハンという名前

チンギス・ハンという名前には「全皇帝の中の皇帝」というめちゃくちゃ選ばれし者感あふれる意味がある。
でも、生まれた時からこの名前で呼ばれていたわけではない。

彼の幼名はテムジン。

幼きテムジンは13歳で父親を殺され、部族の長となった。部族の長として、カリスマ的なリーダーとなり、やがてモンゴルの全部族を統一すると、諸部族のリーダーたちから「全皇帝の中の皇帝」という意味のチンギス・ハンという名で呼ばれるようになったのだ。

ちなみに、こんなことは歴史の授業では習わないけど、僕は小学生の頃図書館で「世界の伝記」シリーズをよく読んでいたから知っていた。

↓こんなやつ

単に漫画だからと暇つぶしになんども読んだこのシリーズだけど、結構記憶に残ってるし、面白かったからアリだと思う。


チンギス・ハンは何者か

端的にいうと武将。
日本でいう織田信長みたいな感じ。

でも、たぶん織田信長って、外国じゃ名前を知ってる人は少ないよね。
じゃぁ、なぜチンギス・ハンは異国の地である日本の教科書にも名前が刻まれているのか。


それは、彼の支配した範囲が織田信長とは桁違いに広かったから。

織田信長は、大きく見積もっても「日本全土」。海外には影響はない。
それに対してチンギス・ハンの支配した領域は、部分的なものを含めると、中国、ロシア、モンゴル、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インド、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギスなど現在の地図で見てもかなりの広範囲だ。
昔だったら部族ごとにもっと細かい区切りがあっただろうから、彼のやったことの大きさがよくわかる。

まず、この支配領域の大きさが彼の名が今でも残る一つの要因。


チンギス・ハンの超残忍さ

こんな感じで話だけ聞くと「おぉ、チンギスやるやん。」ってなるけれど、そのやり方は歴史に残るほど残忍だったようです。

彼が率いるモンゴル軍はめちゃ強い上に、有能で、軍律にもしっかり従い、泣く子も黙る残忍さで有名でした。


そこで、彼らがとった戦略は、敵対する都市におとなしく降伏するチャンスを与え、この申し出を拒絶したら、老若男女問わずに住民を皆殺しにするというものでした。

このようにめちゃくちゃ強い上に、めちゃくちゃ残忍な方針をとった結果、チンギス・ハンは多くの場面で、戦わずして国全体を降伏させることができたんです。

この「勝てないなら被害を最小限に抑えよう」って相手に思わせる方法は、現代でも使えるテクニックだろうな。と思います。
歴史から学べることは多い。

ちなみに僕が読んだ「世界の伝記」の漫画にはそんな恐ろしいことは一切書いてなかったから、そこはよくないよね。
綺麗事だけが歴史の魅力ではない。


日本最強卍

あと、実はチンギス・ハン率いるモンゴル軍は2度、日本に攻め込んでいるんだ。

でも、そんな強くて残忍な軍が攻め込んできたのに、みんなそのこと知らないでしょう?

それもそのはずで、日本侵略は2回とも強風で失敗しているんだ。

この強風で日本は「うぇーい、俺たちには神風がついてるぅー、俺たち最強卍」って調子に乗っちゃったんだ。

だから、第二次世界大戦で、日本が圧倒的不利になった末期もこの「神風」に頼って、「神風特攻隊」とかいいながら、パイロットたちが飛行機ごとアメリカの軍艦に体当たりをするっていう愚行をしてしまった。

やっぱり一度上手くいったことに執着するのは美しくないね。

おかげで「神風」って響きは綺麗なのに、嫌なものになってしまった。


まとめ

まぁ、つまりは現在に名が轟くチンギス・ハンは、めちゃ広い地域を支配したカリスマリーダーだったってこと。

その戦略は、強さに残忍さをプラスした一見悪者だし、実際悪者だったかもしれないけど、「降伏さえすれば被害を最小限に押さえ込めて、かつ自分たちの被害も小さくできる。」という、強制的だけど見方によってはwin-winな面もあるものを採用していた。

win-winなんて言ったら怒られそうだけど、そう考えると現代でも学べることはやっぱりあるよね。
黒板をただただ写すのが勉強じゃない。こうやって興味を持った内容を自分中に落とし込むのが勉強だと思う。
歴史の授業はテストなんてやめればいいんじゃないかな。

今回も読んでくれてありがとう。
また、先人たちの生き様を自分の中に取り込んでいこう。

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