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教養日記7日目:ロゼッタ・ストーン

男性諸君ならわかってくれると思うんですが、解読不可能の石碑とか、オーパーツ(時代の軸に合ってない存在)とかってめちゃくちゃワクワクしますよね。

今回は名前のワクワク臭が半端じゃない『ロゼッタ・ストーン』についてです。

(オーパーツ系ではありません。解読もされています。)


「たくさん認知されているけど、あまり理解されてないこと」を学ぶのはとてもオイシイ。ロゼッタストーンは僕にとってまさにそうだったので紹介します。

基本的に読者さんがサクッとみて、サクッと語れるようになるのがこの教養日記の目的なので、今日もサクッといきましょう。


ロゼッタストーンのいろいろ

ロゼッタストーンはナポレオンが率いるフランス軍の兵士が、エジプトのアレクサンドリア近郊(現在のロゼッタという町)で砂に埋もれていたところを発見したところから名付けられました。

様々な因縁を経て、現在はロンドンの大英博物館にあり、その前に所有していたフランスや、ロゼッタストーンがもともとあったエジプトなどが返還を求めていたりもします。
が、大英博物館にあるので、まぁ動かないとは思っています。


ロゼッタ・ストーンってなによ?

3種類の言語で、同一の内容が書いてある石碑です。

簡単にいうと『王を称え、礼拝するための方法』が記されています。
(訳を載せましたが、読まなくていいです。)

父の王位を継いだ若き者、王の中で最も傑出したる者、エジプトの守護者、神々にどこまでも忠実に仕え、敵に対し常に勝利を収め、王国全土に文明をもたらした……不死なる統治者、プタハ(エジプトの創造神)に愛されたる者であるプトレマイオスは、その治世第9年にあたりこの勅令を発布した……祭司長、占い師、神殿の侍者、王の扇持ち、神殿の書記、各地の聖所で奉仕する神官は、プタハに愛されたる不滅の王プトレマイオスの即位を祝うため王国全土から招集された。……神なる両親から生まれ、自身も神である者、エジプト全土の聖所とそれに仕える者たちに対して寛大で、自ら歳入の一部を彼らの給与や食料に充て、神殿の繁栄に努める者、プトレマイオス。彼は治世中、すべての者が富み栄えるために民の税を軽くした。国家に対して債務を負っていた数他の者たちを、それから解放した。投獄されていた者、裁判を待っている者たちに恩赦を与えた。エジプトへの侵入を企てる者たちを撃退するために軍馬、歩兵隊、海軍を備え、国家安全のために膨大な経費や穀物を費やした……
引用:Wikipedia


3種の文字は『古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)』『民衆文字(デモティック)』『ギリシア文字』でした。

ヒエログリフが有名なザ・古代エジプトの文字です↓

引用:Wikipedia

そして、3つの文字で同一の文章が書かれていた。というのがポイントでした。もし一つだけの文字でしか書かれていなかったら、ロゼッタストーンは有名になっていなかったかもしれません。

研究者たちは、結構早くから「お、この文なんとなく同じこと書いてある気しない?」ということに気づき、3つの言語で書かれた3つの文を比較しながら地道に解読していったのです。


ロゼッタ・ストーンの何がすごいの?

古代エジプトは膨大な記録文書が残っている幸運な時代であるけれど、それらの文章単体では、近代の優れた学者たちが知恵を絞っても解読不可能だったのです。

つまりロゼッタストーンはRPGでいえば「こいつを倒せば次のステージに進めるんだ」という『〜の番人』だったのです。


そして、ロゼッタストーンを解読し、古代エジプトの文献が読めるようになり、19世紀の考古学者、歴史学者たちは古代エジプトをはるかに詳しく理解できるようになったのです。

今僕たちが世界史の教科書や歴史として知ることができるエジプトの情報はロゼッタストーンのおかげなんですね。


まとめ

さらっと書きましたが、ロゼッタストーンの解読は学術上歴史に残こる大偉業でした。

フランス軍の兵士が、ロゼッタストーンをスルーしたり、他の場所で価値がないと思われ雑に扱われていたりしたら、古代エジプトという文明は謎に包まれたままだったかもしれません。

様々な偶然と歴史を紡ごうとする識者の存在は、僕らに直接利益はなくとも、偉大な存在だなぁと感じますね。

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