コロナで祖母が死んだ
みなさん、こんにちは、yamagurasuです。
2023年もはや20日が経過し、
「このままだと2023年終わっちゃう!!!」
っという茶番は置いておいて、年始からいろいろあってバタバタとしていた。
年明け早々、施設に入所していた鹿児島の祖母が亡くなった。
原因はコロナ、96歳であった。
私はずっと神奈川県民だが、父親の実家は鹿児島の薩摩川内市。
幼少期の夏休みはよく鹿児島で過ごした。
よく喋る面白いばあちゃんだった。施設に入所後も、
お風呂に入った後に『気持ちよさぶろうです』と言っていました」
と報告を受けたことも笑
そんな96歳まで生きた祖母も「コロナ」であっという間に骨になった。
年齢的な部分や、この頃の弱っている姿を見て、ある程度覚悟していたが、
このような最後は予想できていなかった。
日常生活でコロナという存在は当たり前になっていたが、
「命を奪うコロナ」はやはり身近ではない。
4日に発症し、亡くなったのは7日。
7日も18:30には、おにぎり二つを平らげたそうだが、18:55急に命を終えた様だ。
そこまでは想像がつく。
しかしその後が遺族からするととても虚しく、儚く、切なかった。
老衰の可能性もあるが、コロナ陽性の状態で死んだ遺体はビニールに包まれ、神奈川にいた私の父(祖母の息子)の到着を待たずして、翌日夕刻には火葬され、翌々日にはお骨を前に葬儀を行った。
お分かりだろうか。
死に目に逢えていないのである。私はまだしも、父が。
私の父親は、どの様な心境なのだろうか。きちんと理解できているだろうか。
そんな最後なんて迎えるために生きているんじゃない。
つい、そんな言葉を言ってしまいたくなるくらいものすごくやるせない。
まだ、どこか気持ちの中で、あの時間は夢で、今はまだ生きているんじゃないかという気持ちすら起きる。それぐらい簡単に人が消えた。
思い知ってから事の重大さに気づくことは多々あるが、
志村けんが亡くなった時と同じことが今も続いている。
5類だなんだと盛り上がりいいところばかりが切り取られているが、
人の命を時には奪う存在であるということを、ぜひ改めて認識して欲しい。
感情の殴り書きの駄文をご覧いただき恐れ入ります。ありがとうございました。
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