見出し画像

After2020の暮らしについて「複業」「家族」「自己満足」から、福井県在住の西川修司と女性性と北欧。

今さまざまな社会変化が起きようとしています。
新型コロナウイルスの感染拡大により在宅で仕事をする人が増えたり、
出歩くことや集まることがリスクとなり、
それ以前まで普通に行っていた行動の意義や必要性について考える機会ともなりました。
かつては大企業に勤めれば安定が約束される時代もあったようですが、現在は大企業に勤めていても安定はなく、むしろ大きいゆえの弊害もあるようで、早期退職の勧奨、今まで従事していた業務と畑違いの業務や他企業への従業員の派遣、休日を増やし週休3日制にするなどを検討する企業も多いようです。

ただし、いま起きようとしている社会変化は新型コロナウイルスの感染拡大がすべての原因でもないように思います。
いま新型コロナウイルス感染拡大によって経済が悪化しているとされていますが、そもそも日本の景気は東京オリンピックの開催準備特需がありながらも2018年10月には景気後退を始めていたし、少子高齢化や人口減少は進み、結果的に経済も右肩下がりになることは明らかでもありました。
経済大国日本というアイデンティティも今は影を潜めつつあり、私たちの生活自体も豊かさを感じづらく、多くの人が今まで目指していた道の先に希望を見出せず、向かうべき方向性を失っているようにも思います。

では私たちはこれから、この希望が見えない暗く閉塞感にまみれた道を重い気持ちで歩いていかなければならないのでしょうか。
私は「女性性」がこの閉塞した状況を抜け出す鍵だと思っています。
今までの男性性的な「都会的」「昭和的」な古い価値観を捨て、「女性性」的な価値観をインストールし、意識や日々の暮らし、社会の在り方を変容させることによって個人や組織、国としての行き詰まりを打開し、活路を見出すことができるのではないかと思っています。

「女性性」的な在り方を表すその具体的な事象の例のいくつかとしては、
「複業」、「家庭や暮らしの重視」、「自己満足」が挙げられます。

例えば「複業」については、上述しましたが実態はご存知の通りで現在大企業でも「安定」は無くなりつつあり、給料も上がらず、不安定な労働環境にあります。
そのような状況のなかで収入を補うためであったり、空いた時間で本来やりたかったことをやってみたりといった理由で、複数の仕事を行うようになるということはいずれ普通のことになっていくのだろうと思います。

また、日本では人口が今後ますます減少していきますが、現時点ですでに人手不足を抱えている業界や組織も多くあります。
その中にはEssential Worker(エッセンシャルワーカー=人が日常の生活を送るために欠かせない仕事を担う人。医療や介護、スーパーやコンビニの店員、トラック運転手やごみの清掃員など)の職種も多く入っています。

仮に景気の悪化や労働環境の変化により、個人が一つの仕事ではなく複数の仕事をしなければいけない状況になったとしても、AIやコンピューターに完全に代替することも難しく、かつ、日常生活に欠かせない仕事を皆で担い、自分の地域や社会を支えるという在り方も可能になるかもしれない、と考えると一個人がいくつかの役割をこなすことには良い側面も多大にあるのではないかとも思えます。

また、都会では一人が一つの会社で働くことは普通でした。しかし、特に田舎では一人がいくつかの仕事や役割を担うことは割と普通なことだったりします。
よく「田舎はいいなー」とか「ローカルは素晴らしいですね」というその場は、その地域の住民さんたちがいくつか仕事をかけ持ったり、役割を分担しながら維持してくれてたりする結果でもあります。

ここで今後の暮らし方を考える一つのモデルとして、福井県にお住まいの西川修司研究をします。

福井県の南越前町長沢地区という田圃が広がる里のなかに住む西川修司さんは、一家の長男として父と母と暮らす家を守り、夫として、子供の父として家族を大事にし、生まれ育った地元にある車の部品をつくる工場で働き、集落営農のメンバーとして米を作り、地域のお祭りごとをリーダーとして引っ張り、趣味としてチューリップの球根を取り寄せて庭にチューリップを植え、週末の夜は飲みに出かけるのでもなく、地域のテニス仲間たちとテニスを楽しんでいます。
西川さんは多趣味で、サッカーを見たり、奥さんと共通の趣味でもあるという福山雅治さんの音楽を聴いたりライブにも行ったりします。

西川さんは学生時代に一度地元を離れ、卒業後は地元ではない地域の会社に入社しましたが、その会社を辞めて地元に戻って家にいたところ、父親の誘いで「とりあえず」で入った会社が今も働いている工場。そもそも特にやりたい仕事ではなかったそうです。
その後、奥さんと結婚し、男の子を授かり、家庭・家族を大事にして、自分の両親も含め三世代同居で仲良く暮らしています。
奥さんや子供を車に乗せて福井から関西方面へ出かけることも多く、奥さんといっしょに観劇したりすることも多い様子。
家でちゃんとご飯を食べて、家族との時間を過ごし、日々の幸せを大事にしながら、おだやかに暮らす西川さんはとても幸せな日常を過ごしているように思います。

また、春や秋の休日は集落で管理している田んぼで地域の仲間たちと米をつくり、出荷します。
地域の夏の盆踊りや秋の運動会などの地域行事や、グラウンドゴルフ大会など敬老会の行事の準備などを率先して行います。

西川さんにはいくつもの役割があり、僕が西川さんの何か一つをとって西川さんの紹介をすることは簡単ではありません。

東京など都会では自己紹介などの時、名前の次に何という名前の会社にいて何の仕事をしているのかを話すことが自分を説明するものとされている場合も多いように思います。
しかし、地方で暮らしている人は複数の役割を持ってることは普通で、西川さんのように農作業しながら会社に勤めてるとか、商店を営みながら冬はスキー場やコンビニで働くとか、タクシーの運転しながら議員として働くなんてことは普通にあります。

そして西川さんのようにいくつか仕事をかけもったり、特別やりたいと思ってなかった仕事をしてること自体が本人にとってネガティブなことなのかというとどうやらそんなことはないようです。
なぜなら、おそらく唯一ともいえるくらい大事なことは、
「毎日ご飯を食べて、家族でおだやかに仲良く暮らしていくこと」。
それが第一義であって、その暮らしを支えるための一つのアイテムとしての「お金」を何をして得るかは彼らにとって大した問題ではないからです。
 
言うなれば、これからの時代は「自分が何者であるか」と「何をして『お金』を得ているか」はイコールではなくなるということかもしれません。
西川さんも西川家の人間で、奥さんにとっての旦那で、息子にとっての父であるということは常に変わらないアイデンティティであろうと思いますが、それ以外のことは伝える相手や状況によって変わるもので、また家族のこと以外は西川さん自身が自分を何として捉えているかにもよって違ってくるでしょう。

「自分が何者であるか」と、「自分の仕事は何か」「何をしてお金を得ているか」「チームにおける担当・役職は何か」の分離は、私たちの社会をもっと生きやすくさせるのではないかと思います。

また、女性は仕事をしても趣味を持って高齢になっても元気でいる方が多い一方で、男性は定年で退職したあとにやることがなくなって孤独になったり、定年退職のあとに「何者でもなくなるのが怖い」という思いを持つことも多いと聞きます。
それは会社の名前や肩書きに自身のアイデンティティをもって、寄り掛かってきたことで生まれてしまうことだろうと思います。
であれば早くから「私」と「会社」や「仕事」「肩書き」などの一時的なものを分離させたほうがいいのかもしれません。
   
また、地方から人が流出する(あるいは地元に戻らない)理由として「地方には仕事がないから」とよく言われますが、実際は「仕事はあるんだけど都会にあるような仕事は少ない」というのが正確だったりします。
これも「何の仕事をしているか」と「自分が何者か」がイコールではなくなることで、自分が生きるための一つの要素として地域にある仕事をして「お金」を得て、自分がやりたいことや自分を自分たらしめる活動をしたり、大切な家族とおだやかに暮らすという生き方をすることも可能になり、場所を問わず自己実現が可能になれば結果的に地域に人が残る(あるいは戻ってくる)こともあり得ることだろうと思います。

そして西川さんはとても多趣味ですが、特出すべき趣味は「チューリップ」です。
西川さんの家の庭にはインターネットで取り寄せたチューリップの球根がたくさん植えられ、いろいろに花を咲かせます。
西川さん曰く、チューリップには多くの種類があり、インターネットで買ったこの球根を植えてみたらどんな花を咲かすのかといろいろ試して、咲いたチューリップの花を眺めるのが楽しみなのだそうです。
いまでは趣味が高じて自分の家の庭のみならず、チューリップを植えてほしいと希望する人の花壇に無償で植えに行ったりしています。

男性の趣味が「チューリップ」。
男性性的な感性でいえば「一体なんのためにやるのか」などと思ったりするかもしれませんが、西川さんはあくまで自分が楽しいからチューリップを植えて育てているのです。
世間の誰かに認めてもらうためではなく、外部の評価が欲しいからでもなく、ただただ自分が楽しいからやる。自分の内側が喜ぶからやる。心が豊かになるからやる。
時に「自己満足」というとネガティブな意味で使われがちですが、お金や出世など何かのためではなく自分の心が豊かになるからやる、という女性性的な感覚はこれからの時代に本当に必要なことになるだろうと思います。

また、西川さんは運動会やグラウンドゴルフ大会などの地域行事を率先して行いますが、西川さんはお金をもらうためにやっているわけではありません。
西川さんはそこにお金がぶら下がっているからやるのではなく、単純に自分も楽しく、自分が愛する地域の人たちが笑って話せる場を維持するために行っているのです。
以前行政の職員を交えながらお話しした際も、「まちづくりとか地域を良くするとかっていうことは別に行政だけがやることでもないと思ってて、自分らでやれることをやればいいんで、お金を持ってこないとやれないとかそういうことじゃないと思うんよね」といったことを話されていたのを思いだします。
いかに儲けられるかとか、いかに影響力を持てるか、大きいこと多いことはいいことだといったような「昭和的」「都会的」な男性性の価値観とは違い、
誰かに認められるためではなく自分サイズで何かをやる、お金に頼らないでやれることをやる姿勢は女性性的でもあり、これからの答えのない世界での最適解のようにも思います。

今後さらに不況を迎え、また、価値観の多様化による他者評価や「いいね!」の散逸(一部に集まらなくなること。つまり今までのように「バズり」が起きにくくなる)、外部世界の流動化のなかで、
日々の幸福感や充足感をいかに自分自身で内製できるか、
いかに「自己満足」できるかがこれからの時代にさらに重要になると思います。

そして、いかにこの「自己満足」「個人として『幸せ』『well-being(ウェルビーイング)』な状態をつくるか」にはいくつかの必要要素があるようにも思います。
①外部からの情報の遮断
とかく現代は情報が多く、外部からの影響も受けやすくなっています。それによって欠乏感を感じたり、自分自身の幸せや望みを欺いてしまう場合もあります。
そのため外の影響や他人からの評価など気にしやすいようなら、外部からの情報をシャットアウトすることが必要であろうと思います。外部からの情報を遮断することによって、何をやれば他人や世間に評価されるのかなどとは違う、自分自身の軸、本当に自分自身が「安寧(おだやか・安心)でいれる状態」や「快」や「幸せ」と向き合うことができるかもしれません。

②自分1人でも完結できること
また、外の何か/誰かが動いてくれなければできないことだと条件が整わなかったり、周囲の状況が変わらないことに悲観的になったり、不安になったりするため、自分でコントロールできること、自分で完結できることを目的にすることも重要であろうと思います。

③自分が人にされて嫌なことはしない
そして、自分が楽しければそれでいいのではなくて、「自分がされて嫌なことはしない」という基本的なことも重要です。
自分が人にされて嫌なことをすれば、必ず自分の中にやましい気持ちを作り、バレたらどうしようかなどと不安な感情を作り出します。
仮に誰かに見られることはなかったとしても過去が未来に復讐するが如く自分で自分を苦しめることになる。昔から因果応報、自分のやったことは自分に返ってくるとも言われてたりします。
また、有名人の薬物使用や不倫などの違法行為や不祥事が露呈することが多くなったり、不祥事に対する社会の目が昔よりも厳しくなっていることからもわかるように、いまはどんなに本人が気を付けていても情報が簡単に流れ露呈しますし、それに対する社会の目も厳しく、正しくあろうとか利他的に行動しようという自浄作用が働きやすくなっているようにも思います。
もしかしたら今までの時代、つまり男性性の時代では、原始時代に男が狩りに出かけたイメージのように善い人でも悪い人でも獲物を獲ってくることが良いこととされていたかもしれませんが、これからの女性性の時代を考えたとき、原始時代に女性が村の仲間たちと会話し、一緒に子育てをし、お互いのことを気遣い、調和を図り、大事に村を守っていたように、集団におけるルールを冒すことはよりタブーとなり得るかもしれません。
いくら「自己満足」が大事といっても他者とともに生きている以上「人にされて嫌なこと、暴かれて困ることはしない」ことがますます自分の精神や暮らし、自分の周りの人のためにも大事だろうと思います。

これらをまとめると「外に惑わされることなく、自分だけでも楽しくできることで、人にされて嫌なことやバレて困ることはしない」。
これが「自己満足」をつくり、周りとも調和を維持し、幸せな気持ちを得るために重要な要素と言えるのではないでしょうか。

奥さんや家庭を大事にして、自分サイズで地域のために活動しながら、誰かに認められるためでもなく自分が好きなことをする。
僕はそんな西川さんをかっこいいと思うし、これからの時代の理想的な暮らしとも言えるのではないかとも思っています。

バブルの時代。大きいことは良いこと、多いことは良いこととされ、消費活動に明け暮れて、テレビからは「24時間戦えますか」というCMのキャッチフレーズが流れていました。
いまそんな「物質的な豊かさ」や自分のアイデンティティを他者(会社や肩書き、家柄)に依存する価値観・社会から、「精神的な豊かさ」を重視する価値観・社会へ変わることが私たちの明るい未来への活路となりそうです。

また、今回紹介した西川さんは地方在住の方ですが、「女性性」的な暮らしや「精神的な豊かさ」を重視する暮らし、というとフィンランドなどの北欧の暮らしがイメージされます。
仕事は生産性高く短時間で終わらせ、早い時間に帰って夫婦で過ごす時間、子供と過ごす時間を大切にする。
長期休暇をとって湖のほとりで読書したり、森でベリーを拾ったりして自然のなかで過ごす。
お金を消費することやお金のために働いたり、華美に装った張りぼての優越感を得るために暮らすのではなく、
身の回りの何気ないことに幸せを感じ、本質的な豊かさ、精神的な豊かさを重視する。
そんな北欧的な暮らし方、西川さんのような暮らしが私たちのこれからにとって大きなヒントとなりそうです。


ちなみに今回紹介した話で間違えないでほしいのは、西川さんが地方の人だからといって、地方に行けばいいということではありません。
地方にも家族や真摯さを軽視して自分の儲けや出世のために生きている人はもちろんいますし、税金がもらえてお金に稼げそうだからとか注目されたいからといった目的のためにローカルで活動するケースもあるように思います。
もちろんそれが悪いわけではありませんが、それは今までの東京など都市のロジックと同じような「富」や「拡大」「経済成長」を重視する物質的・男性性的な価値観を引きずっているに過ぎず、最大級の奇跡が起きて最高にうまくいったとしても、そこにはミニ東京・ミニ都市が出来上がるだけ、かもしれません。
また、儲けや注目を目的にしても、その先にあるのはラットレースであって、先細りの経済のなかでその先に「幸福感」や「充足感」を感じられる日々が待っているかどうかもわかりません。

たぶんこれからの私たちに大事なのはそこじゃなくて、世間体とか外からの評価とかでもなく、
自分の内側が安心しておだやかになること、自分自身が自分自身に嘘をつくことなく、心豊かに暮らすこと。

それには「外」の環境はあまり関係なく、いま見つめるべきもの、アップデートすべきは「内」です。
東京脱出的にいえば、いま物理的な脱出や移動が大事なのではなくて(コロナウイルスの感染防止の観点からいっても物理的なものではなく)、
これまでの価値観を変えるなど精神的な脱出・移動が本質で、それには場所は問わないと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?