見出し画像

認識に差があるときの説明の難しさ

最近思うのは、説明する力の大事さである。人に説明するのって、意外とむずかしい。

自分の思うように伝えられないことは、しばしばある。相手にとって、自分の説明がわかりにくいものであったとき、同じ説明を何度くりかえしてもあまり効果がない。

これは当たり前のように聞こえるかもしれない。しかし、別の言葉で言いかえて説明するのは、思ったより努力を要することだ。

たとえば「そこにペンがあるから取って」と、近くにいる人に頼むとする。しかし、その人はなかなかそこにあるペンに気づかない。

こんなとき、その人に「そこにあるじゃん!そこだよ、そこ!」などと言っても、やはり気づいてもらえないことが多い。自分にとっては「すごそこ」にあるのだから、なぜ相手が気づかないのかわからない。しかし、それが相手の視界の外にあったりすれば、すぐには気づいてもらえないのだ。

自分にとっての常識が、相手にとっての常識であるとは限らない。それにもかかわらず、「わからない方が悪いのだ」とでも言わんばかりの態度をとるのは、ちょっと不親切だ。

説明する側と説明される側とに分かれたら、ふつう説明する側が、そのことに関わる知識は豊富だろう。詳しい人がわからない人にペースを合わせる方が、その逆よりも簡単なはずだ。そう考えれば、説明が理解されないのは、説明する側にも多少の責任がある。

もちろん、説明される側は、自分自身でもよく考えるべきである。何から何まで質問していては、聞かれる方にとってはストレスである。「ググれカス」などという言葉があるが、これは自分で調べればわかるようなことを、いちいち質問するなということだ。「ググれカス」なんて言い方はよくないと思うが、言いたいことはわからないでもない。

しかし、どれだけ調べても、どうしてもわからないということがある。そんなときは、ほかの人に聞けば、ソッコーで問題が解決することも多い。聞かれた側としては、頼りにされているのだし、丁寧に教えてあげてもいいのではないか。

聞かれたことに関しては、できるだけ真摯に説明するようにしたい。これが個人的に心がけたいことである。

サポートいただけたらとても嬉しいです!どうぞよろしくお願いします🙇‍♂️