フジコ・ヘミングさんと奇跡。

自分がフジコ・ヘミングさんを好きになったのは奇跡だと思っている。

というのも、フジコ・ヘミングさんと自分の音楽感はほぼほぼ真逆で。
例えば、『音に色をつけるように弾く』や『機会的な演奏は嫌い』、『右手と左手を敢えてズラして弾いている』などは、自分が軽蔑している表現者の特徴で。
他の方なら、音楽における演奏に自我やエゴを持ち込まれると、普通に楽譜通り演奏してくれ!作曲者の楽譜に込めた意図がいちばん重視されるべきだろ!、となる。
演奏者の思いなんてしらんがな、演奏者が曲の邪魔をするな!めちゃくちゃ聞きづらくて不快!と腹立つコンサートも何度か経験してしまったが、
フジコ・ヘミングさんのコンサートにはそれは無かった。

聴いていて思うのが強く怒りを感じるということ。
その怒りの源泉が恐らく自分と同じなのではないかという共感、そこに感動してしまう自分がいる。

フジコ・ヘミングさんほど、演奏にエゴを入れると作曲者と演奏者が喧嘩してしまう音楽になるはずなのだが、怒りによって、フジコ・ヘミングさんが作曲者の一面も持ってしまうくらいの強い怒りの感情。
否、フジコ・ヘミングさんほど演奏にエゴを、と書いたが、そのエゴの中身が恐ろしく純粋な怒りなのではないかと。
正しくは、正しくないかもしれないが、音楽ではなく、フジコ・ヘミングさんという人間に感動している感覚がする、自分にとっては奇跡の様なピアニストさん、それがフジコ・ヘミングさん、好きです。

いちばん好きな表現者が、ヤッシャ・ハイフェッツという自分にとって、フジコ・ヘミングさんの表現が好きであることは奇跡だと感じる。
自分の表現者人生にも大きく影響を受けました。
ありがとうございます。


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