山田さんトーキングブルース

これは、2020年12月12日に行った「山田桃川結婚パーティー」の夜の部で行った、山田さん一人しゃべり「山田さんトーキングブルース」をテキストにし加筆・修正したものです。



こんにちわ。山田です。本名ではありません。

人の人生なんて興味あるかしら?と思いつつ、この2013年~2023年の10年間の山田さんの話を書こうと思います。

興味あります?引き返すなら今のうちです。



2013年ごろ、私は当時の妻一人・娘一人という家族構成で暮らしていました。

その頃は、仕事と育児に追われる毎日で、自分の時間のすべてを家族のために費やしてきた。そんな毎日でした。

かと言って、それが苦痛かと言うと、そういう訳でも無く。これが「父親」としてあるべき姿であろうと思い毎日過ごしていました。



娘は良い子で「大きくなったらパパのお嫁さんになる」なんて言ってくれたりしたんですね。コンビニにお散歩に行くときにはお手てをつないで行くくらいの仲良しでした。


こうしてお手てをつないでると、「この子を命がけで守ろう」とって思えるんですよね。

まあ、でも、どうせ娘なんてね二十歳過ぎたら適当な男を捕まえて「私、この人と結婚するんだ」なんて言ってくるに違いないんですよ。

パパから見たらどんな奴だとしても納得いかないんですよね。
私は「パパは認めないぞ」なんて言うんでしょうね。

でもね、まあ、【娘の幸せがパパの幸せ】ですよ。

パパに出来ることは、「娘が選んだ相手や、娘が選んだ人生が、娘にとってベストだったと【信じる】こと」しかできない。まぁ、まだ先の話ですけど。



そういえば、こんな事を目撃しました。

とある途中の坂道で、汗だくのおじさんが坂を降りてきてるんです。「なんだよ。気持ち悪いおじさんだな」って思ったんですが、すれ違ったらおじさんが子供をおんぶしていた事が分かったんですよね。

この汗だくのおじさんは、子供をおんぶして全力で走ってる。渋谷を全力出して走って、他の誰が見ても変なおじさんに見えるんだけど、この背中の子どもにとっては、このおじさんが【ヒーロー】なんだなーって。って思ったんですよね。

おじさんは、きっとお父さんなんでしょう。おそらくお父さんが全力で坂道を駆け抜けている。ひょっとしたら帰りの電車に間に合わないのかもしれないし、ひょっとしたら子供が熱出してるかもしれない。もう汗だくでなりふり構わず全力で走ってるわけですね。

その周りから見たら変なおじさんに見えるんだけど、この子はこのおじさんに身を託している。

この子にとってだけは、このおじさんは【ヒーロー】なんだろうなって思ったんですよね。


娘とは良好な関係を気づきながら、当時の妻とは関係が気まずくなって行きました。

当時の妻の異変は要所要所でありました。まったく怒る必要の無いところでキレだす。論理的に説明しても理解できない。しまいには家で暴れ出すようになりました。

私は「このままでは自分がおかしくなってしまいそうだ」そう思い、仕事でも家族でも無い自分の時間を求めて「外」へ出かけるようになりました。

SCRAPの「リアル脱出ゲーム」が好きだった私は、当時渋谷にあったSCRAPの「道玄坂ヒミツキチラボ」という場所に良く通っていました。

道玄坂ヒミツキチラボ


そこで、リアル脱出ゲームをよくやっていたのだが、その会場内に「初めての人狼」というイベントをやるというチラシが貼ってありました。

なんでもいいから楽しそうな事をチャレンジしてみようと思い、そのイベントに参加しました。

「なるほどこれは面白い。よく分からないけど面白い。また同じイベントが出来たら行こう。」

そう思いましたが、道玄坂ヒミツキチラボでは人狼のイベントがそんなに立たず。
私は他に人狼ゲームが出来る場所が無いか探しました。

すると、人狼ゲームやボードゲームが遊べる「ルーム」と呼ばれる場所を発見しました。恐る恐るそこに行き、イベントに参加しました。そこでは、他の人に呼んでほしい名前を自分で決められ、それは本名じゃなくても良いとのことでした。私は自分のプレイヤーネームは「山田」としました。

その「ルーム」でのイベントは楽しかった。
その「ルーム」では、毎日のようにイベントがあり、毎日のように通うようになりました。
時間帯は大抵、夜の19時30分から22時30分。
家族には、「打ち合わせが長引いている」「残業だ」と言い、「ルーム」に行く日は毎日24時を回るくらいに帰宅するようになりました。

家に居いると、当時の妻にひどい対応をされ、気が狂う当時の妻の面倒を見なければいけない。こんな苦痛はありませんでした。娘の事は大切で、娘と2人で暮らせれるならこんなに幸せな事は無いでしょう。しかし子供には「両親」がそろっている必要があると思いました。そのために僕が我慢をすればよい。ただそれだけでした。


2015年ごろ、僕は家に居ることがまったくできず、始発で家を出て、日中は上野のラブホテルに一人で入り仕事をし、19時30分になったら「ルーム」へ行き、22時30分になったら帰路につく。
家に着くのは24時を回る頃。そんな生活を毎日のようにするようになりました。

でも、「ルーム」に行けば3時間は笑って過ごせれる。「ルーム」に行っている「山田さん」は最高に面白い。みんなも笑ってくれる。

「あぁ、このまま山田さんで居続けられればいいのに」そう思う毎日でした。


2016年夏ごろ、お互いに離婚をすることを考えるようになりました。
当時の妻から署名済みに離婚届を受け取り、いつでも離婚できる状態が整いました。

私は離婚届を役所に提出。あとはいつ別居するかというのを決めるだけでした。

そんなある日、家に帰ると、もぬけのからです。娘の荷物もありません。
「離婚」は決めていたが、娘を連れて行くなんて聞いていない。
「母親による子の連れ去り」です。

そこから私の娘を取り戻すために裁判所での戦いが始まるのでした。
ただ、この時、この戦いが4年も続くだなんて思いもしませんでした。

この前後では、行きたかった脱出ゲームも「ルーム」もドタキャンせざるを得ない状況でした。笑って過ごしたいのに。


2017年ごろ。裁判所に通えど通えど娘は返ってこない。

裁判所は、呑気なもんで、10分話して「また来月」。これを何カ月も繰り返しました。
「母親は、家で暴れるようなキチガイなんです。そんな母親のもとで育ったら、娘もキチガイになってしまう!。まともな父親が必要なんです!」何度も何度も説明しました。

調停員も調査官も裁判官も、1つの仕事としてこなし、命がけで娘を連れ戻そうとする父親や娘のことを真剣に考えては居ませんでした。


半年以上経過し、ようやっと娘とは「面会交流」と言う形で会うことが出来ました。
なぜ、自分の子供と会うのに制限されなければいけない?。なぜキチガイの母親よりも会う時間が少ない?
そう思いつつも、私は、車にパンパンにボードゲームを積み、娘の待つファミレスに行き、娘と会いました。

良かった。元気そう。虐待も受けてなさそう。私は人目を気にせずボロボロ泣きながら、娘と再会し、ボードゲームを遊びました。

そこから1カ月おきくらいに面会交流が続きました。


裁判所には調査官調査という仕組みがあります。

調査官という人が居て、私の家と相手方の家に行って話を聞くという。

私はこの調査官に「ほら、見てください。この家はですね、娘が産まれた時から住んでいる家なんですよ。お友達もたくさん近所に住んでいるのです。娘はここに住んでパパと一緒に暮らすのは最適なんです。私はこの家で裁判が終わって娘が帰ってくるのを待って、1年間、たった一人でこの家に住んでいるんです」って一生懸命説明したんです。調査官は「わかりました」って言って帰ってきました。

そこから数日後、調査官が調査報告書っていうのを裁判の記録として出してきました。そこに書いてあったのは娘の証言でした。「ママが大好きでママが一緒に暮らすは楽しいママは私のためにお仕事頑張ってくれている」って書いていました。

そっか、残念だな。
パパ、命がけで頑張ってたのに。パパも養育費を入れるために頑張ってるんだよ。娘と一緒に暮らしなくても、娘の帰る家を守ろうと一生懸命頑張ってたのに。

でも、そういう事ならしょうがない。

パパと一緒にいれば。パパの右手をずーっと掴んでいてくれたら。おいしいご飯をたくさん食べさせてあげたのに。君が行きたいと言っていたところ
どこにでも連れてあげるのに。君が着たい服何でも買ってあげる。欲しいも何でも買ってあげる。パパのお嫁さんになるって言ってくれたけど、いつか素敵な旦那さんとこにお嫁さんに出してあげる。素敵なウェディングドレスを着させてあげるから。君の希望を何でも叶えてあげるのに。


2017年9月ごろの面会交流。
いつものようにファミレスに向かいました。でもいつもとは違う。心に決めていたことがありました。「娘がパパと暮らしたい」と言ったら娘を連れて行こう。どうなっても構わない。
そう思い、ファミレスで娘と対面しました。

ボードゲームをやりながら、数年前に娘が父の日に作ってくれた「肩たたき券」に付随していた「なんでも券」を娘に見せ、「この券、覚えている?」と聞きました。娘は「覚えているよ!」と元気に答えてくれました。

私は「この券でなんでもパパの希望を叶えてくれるんでしょ?。じゃあ、パパと一緒に帰ろう」と言いました。
すると、娘は「あ、そうだ。ママに用事があるんだった。ママの所に行ってきてもいい?」と言いました。

私は察しました。娘はパパと一緒にお家に帰るのを拒否している。パパじゃなくママと一緒に暮らしたいと思っているんだ。


この日以来、娘と会うことをやめました。


『娘の幸せがパパの幸せ。パパに出来ることは、娘がどこで誰と暮らして、どんな人生を歩もうと、娘が選んだ選択が娘にとって最適だと【信じること】だけだ』


2018年に家を売却しました。

もう無いよ、君が育ったお家。君を待ってたお家。もう君が帰ってこないならもういらない。パパは、もうここには帰ってこないから。

でも、パパの右手にはずっと強さだけが残っています。パパの右手を握ってくれる人を命がけで守る強さ。


東京で一人暮らしをしようと思いました。
どうせも一人暮らしだし、めっちゃいい所に。

自宅を引っ越してボードゲームをいっぱい置いてお友達をどんどん呼びました。前の家から持ってきたのはボードゲームだけでした。ボードゲーム以外の荷物は、ほぼほぼ全て捨てました。

「新規でやり直そう」

引っ越しをして、「ボードゲームしようー」って友人を誘ったら、みんなおうちに来てくれました。いっぱいたくさん遊べました楽しかった。

「あぁ、独り身でも全然生きていけるんだな」と思いました。


2018年、一人暮らしの家でも遊んでいましたが、相変わらず「ルーム」でも遊んでいました。

ある日「ルーム」に遊びに行ったら、隣に桃川さんという若い女性が座っていました。桃川さんは僕よりも15歳も若い。

その後も、何度か「ルーム」で桃川さんと一緒に遊んでいるうちに、仲良くなって遊ぶようになりました。

桃川さんは、面白くて楽しい素敵な人でした。ただ、面白さにもストイックな彼女だったんですけど、桃川さんは性格のきつい面もあって、いろんなことをまじめに考えるんですけど、それでよくないところに着地するときがあって悩んでいるようでもありました。

私も若い頃に似たようなことがあり、なんとかしてあげたいなって気持ちでいっぱいでした。

私は桃川さんに「いつも笑って周りの人いっぱい笑わせてあげたら、きっと周りにも笑顔の友達がいっぱい増えるよ。だから楽しいことをいっぱい言って楽しませることに集中した方がいい。楽しいことに頭をいっぱい使った
方がいい」と、親身になって言いました。


桃川さんは実家暮らしだったんですけど、当時ご両親と仲良くいかないという問題を抱えていました。長女という事で、家のさまざま対応をしているにも関わらず「外で遊びすぎ」「そんな友達は良い友達ではない」など理不尽な事を言われるようでした。

その時にもアドバイスしました。「もう二十歳過ぎているんだから自分のやりたいようにやっていいよ。大変だったら一人暮らしすればいいんだから。子供には好きに生きる権利がある。自分の子供が幸せになることに反対する親なんていないんだ」

桃川さんの偉いところは、こんなおじさんの山田さんの言う事をちゃんと聞いてくれたことですね。

桃川さんは次第に、たくさん笑うようになり、たくさんお友達も出来て、ちゃんと20代の女性が過ごすような楽しい生活が出来るようになってきました。


桃川さんと仲良くなって最初の私の誕生日に、桃川さんが山田さん誕生日の「ルーム」で貸切を開いてくれました。きっと、「山田さんってお誕生日お祝いしてくれる家族居ないんだろう」って気を使ってくれたんだと思います
けど。

盛大にやってくれてめっちゃありがたいなと思いました。

山田さんのお誕生日をお祝いしてくれる人がこうやって人が変われど、毎年続いていくってのはありがたい気持ちでいっぱいでした。


2018年年末。桃川さんと2人でパフェを食べるという事になりました。

そんな二人でお出かけしてパフェ食べるなんてまるでデートみたいだけど、間違わないようにしなきゃ。好意を持ってくれるけど、ただの気のいいおじさんだから、一緒に行く人が居ないから山田さんと行ってやってもいいなって思っているに違いない。

そして、桃川さんは、ちゃんと年相応の同じ歳くらいの素敵な彼氏をつくるべきだと。彼女はもう丸くなって、いい子になって、面白くて、いつでも素敵な彼氏が出来ても良いし。

そんなことを思いながら、パフェを食べながら僕は、冗談でこんなことを言ったのです。「桃川さんと一緒にいるのが楽しいから、うちの養子になればいいのに」って。

すると桃川さんがこんなことを言うのです。


「養子じゃなくてお嫁さんにしてよ」


そんなバカなそんなことあるわけない。気の利いた冗談だろうかもしれない
し何言ってんだろうなって。まあ、どうせ1人で老後を楽しむしかないのだろうと。

きっと、山田さんの事を好きになる人も、お手てつないでお散歩してくれる人も、「お嫁さんにして」って言う人ももう二度と現れないと思ってたのに。

彼女は何言っているだろうなって、冗談なのかな本気なのかなって、数時間考えました。

まあ、そんな歳の離れている人のことを好きになり、信頼してくれることなんてある訳ない。

あるわけない…。

あるとするならば…。

ひょっとしたら、俺は桃川さんの【ヒーロー】になってるのかもしれない。

僕は、桃川さんのことに対して真面目に向き合って、いろんな相談のって、いろんな解決をしてきた自負はある。桃川さんのためを思ってだけど、それは友人として一緒に遊んでくれた仲間として相談に乗るのは当たり前だから。

でも、その過程で、ひょっとしたら桃川さんのヒーローに俺はなったのかもしれない。僕のことを信頼してくれているのかもしれない。



その後、この日、銀座の外を歩いているとき桃川さんに言ったんですよ。

「桃川さんには、こうやって仲良くなって一緒に遊んでももらって、とても嬉しいし、いい子だと思っている。ちゃんと素敵な彼氏を作って、ちゃんと幸せになる状況だと思う。でも、もし、その一緒にその楽しく過ごすパートナーとして、僕でも良かったらどうですか?」っていう
言ったんですよ。

そしたら、桃川さんが「いいですよ」と言ってくれたんですよ。

そこからお付き合いすることになったんですよね。

その後、銀座の街をお手てつないで歩きました。

ああ、まさか、この歳になってまさか、若い女の子と手を繋いで歩くことが
できるなんて思いませんでした。

お手てつないで一緒にお散歩してくれるなんてありがたい。おいしいご飯もたくさんご馳走してあげる。行きたいところどこでも連れて行ってあげる。かわいい服も買ってあげる。なんでも叶えてあげるよ。
山田さんの右手にはその強さがあります。


2019年。
桃川さんとお付き合いが続いています。桃川さんは「ずっと一緒に居るよ」って言ってくれます。「そんな、家族ですら急に居なくなるのに、知り合って1年のおじさんとずっと一緒に居るだなんて。まぁ若い女の子が見る妄想だろう。1年くらい一緒に暮らせば、『やっぱり若いイケメンの方が良いわ』なんて言って出て行ったりするんだろう」そう思いつつ、「ありがとうね」と返していました。

僕にとっては、15歳も歳が離れている桃川さんのと一緒に生活は、どこかで「娘と取り戻して、娘と2人で暮らす生活」が薄く重なります。
桃川さんがゴミをゴミ箱に入れ忘れていても「しょうがないなー」と思うし、僕がどんなに仕事でくたくたでも桃川さんが帰宅したら「ご飯だよー」って夕飯を用意しておく。そんな生活が薄く重なる。
違うのは、桃川さんがご飯を作ってくれることもあるし、一緒に同じレベルで遊べるし、なんせ彼女である。
まぁ、そんなに頑張らなくてもいいのかも知れないけど、生活を頑張る山田さんが居ます。


2020年。

この1年間、桃川さんが希望することは何でも叶えてあげた。まぁ、そんなに無理なお願いをされる事も無かったのだが。そうだ、1つ忘れてたわ。

そうだね。1年前に「養子じゃなくお嫁さんにして」って言ってたね。その希望も叶えてあげなきゃ。

ティファニーに行って婚約指輪を買い、ディズニーランドのチケットを取り、プロポーズをしたわけです。


「素敵なデートプランも、おしゃれなレストランも全部忘れてしまったけど、僕に出来ることは、君を毎日笑わせてあげることだけど、それでも良ければ結婚しましょう」

桃川さんはOKしてくれました。


結婚することになり、
桃川さんのご両親にご挨拶することになったんです。

まぁちょっとした地方のホテルの和食で個室のいいところをとって、僕と桃川さんとお義父さんとお義母さんと弟と妹と6人が部屋に集まった開口一番に「結婚します」って言ってやったんですよね。

そのあと2時間ほど他愛もない話をしてそろそろ終わりだなーって頃にお義母さんが口火を切るわけですよ。

「やれ結婚には段取りがあってまず、娘さんとください」と言えとか、「同棲するときにも急に挨拶することもなく同棲が始まってなんたらかんたら」とか「私が嫁に行ったときにはおばあさんに礼儀とかマナーとかを学んで
どうのこうの」ってという話を散々されて。

過去の話をグチグチ言われて、何も建設的な話が出来なかった。

僕は「なるほど、そうなんですね。でも過ぎたことですよね。で、これからはどうすればいいんですかね?」と聞いても、グチグチと詰まらない話ばかりされたんです。

だから僕は言ってやったんです。
「いや、そのこだわりで構わないけど、一番大切なのはこの人が幸せになる
ことなんじゃないですか?。私や彼女に、その腹の足しにもならない、あなたの家のルールやマナーを押し付けて彼女は幸せになりましたか?。私は、この1年彼女をずーっとを笑わせてきました。この1年間彼女は毎日笑って毎日楽しく過ごせています。僕は11歳になる娘がいます。もう4年くらい見てないけど、娘なんて親の思い通りにはなりません。子供は自分で考えて自分で行動します。親にとって出来る事は、【娘が選んだ選択肢が正しいと信じる事】じゃない
ですか?」って言ってやりました。

お義母さんは納得した感じでありませんでした。

まだ、懲りずに弟さんがお義母さんに加勢してあーでもないこーでもないと言ってくる。

僕はもうカチンと来て啖呵を切りました。
「あぁ、わかったよ。3か月後に入籍する予定でしたけど今日この後すぐに籍を入れてきます。これから彼女はうちの家の人間です。もう、そんなそちらの家のルールやマナーを押し付けないでくれ。これ以上、彼女をこれ以上苦しめないでくれ。これからは、うちの人間だから彼女に連絡をするときには私に連絡してください。私の家では毎日笑ってすごくて毎日お互いどうやって過ごすかを考えて生活していきます」

啖呵を切って、その会は終わり。その日中に籍を入れてきました。


でも、これでよかったんだな。

山田さんはお手てを繋いでくれる人のために命がけで守る強さを持っています。だから大丈夫。

そうやって僕たちは2020年の年末に結婚パーティーを挙げました。


2022年。桃川さんは妊娠をしました。年末には男の子が産まれる予定。

桃川さんは言います。「私は、山田さんのようなパパが欲しかった。山田さんがパパなら良かったのにってずっと思ってた。このお腹の子は、山田さんがパパだから良かった」

結婚しても、桃川さんは、僕のことを「山田さん」と言い続けてくれています。僕は「山田さん」になれた気がする。そして、「パパ」になるんだ。


2022年10月元気な男の子が産まれました。
今は家族3人で仲良く暮らしています。

3人家族のパパから
山田さんと名乗り
ルームに行き、人狼を覚え、
一人身になり、
桃川さんと出会い、
夫婦になり、
人狼も忘れ、ルームを卒業し、
また、普通の3人家族のパパに戻った。


ここまで読んでくれてありがとうございます。
この話は、ここで終わりです。

良かったら #山田さんトーキングブルース で感想をお待ちしております。


カンパ用のnoteをつくってあります。1000円ですが、子供のおむつ代にします。良かったら。

https://note.com/yamadayasugo/n/n1e6e41520867

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