へそ道体験記 前編

へそ道って何?
友達の中には私が最近へそ道の投稿をたくさんしているので、不思議に思っている人もいるかもしれないから、ちょっと説明してみようかなと思う。
ただへそ道について説明するより、僕がへそ道に出会ってどんな風に変化してきたのかを伝えていった方が、理解してもらいやすいかもしれないかな。というわけで、早速。
【へそ道との出会い】
へそ道家元の入江富美子さんとの出会いは、11年前にクリニックをオープンしたとき、たまたまインターネットで雪絵ちゃん詩にであって、オープン記念に入江さんが監督した「1/4の奇跡~本当のことだから」」の上映会を開催したことがきっかけだった。
そして、入江さんに実際お目にかかったのは、2016年徳島で入江監督3本目の作品「天から見れば」の上映会に講演会にいらっしゃったときだった。
講演会の中で、入江さんがミッションで生きる方法として「天が期待していることを私に実現させてください」と祈ること叶うよと教えてくれた。「でも、ミッションで生きるのは大変だよ。自分が思う方向じゃない方向を示されるからね。」
そう注意をしてくれたにもかかわらず、当時怖いものなしの僕はそれから毎晩眠る前に祈った。そして、入江さんの言うとおり、それから僕の人生が大きく動き出した。

【クリニックのオープンと移転】
11年前小児科のクリニックを開業したのは、子育て支援ができる小児科をしたかったからだ。というのも、うちの長男が長らく不登校をしていて、そこで出会ったのがアドラー心理学の自助グループで、ここで出会った仲間には本当に助けられた。

今の日本での子育ては孤独になりやすいから、子育てに悩むお母さん方が気軽にやってこれて、ほっとできるスペースを作りたかった。当初は貸店舗を借りてクリニックと支援のスペースを作っていたけれど、5年もすると手狭になってきて、2016年1月に今の場所に移転した。

新しく移ったスペースでは、子育て支援の建物とこどものリハビリの施設も作った。困っているお母さん方にできる限りの医療や支援をしたいそんな気持ちで思い切って大きくした。持ち物が大きくなったので、自分も大きくなったように錯覚して、いけいけどんどん。人も増やしてがんがん進んでいった。

そんなときにふーちゃんと出会って、「天が期待していることを私に実現させてください」と祈ることをはじめた。でも、自分はすでに天が期待していることをやっている自負があったから、祈ることでさらに天の加勢が入って、どんどん大きくなるに違いない。そう信じていた。

【天のお試しの兆し】
移転後にはじめたリハビリは開始してまもなく軌道に乗り、2017年には新しい医師も入ってきて、さらに加速していくぞ!と考えていた。丁度そのころ「日本一幸せな従業員をつくる」の柴田さんと出会い、従業員も患者さんも、その家族もみんなまとめて幸せにしてやる!!と意気込んでいた。
足下では少しずつ歯車が狂いはじめていたというのに。

そのとき妻と長女は一足お先にへそ道を受講していた。二人とも”とっても良かったよ”と言っていたけど、そのとき僕は調子に乗っていたので、へそ道なんて必要ないさってな感じで、二人の話を聞き流していた。でも、夏前に徳島の鳴門でへそ道の基礎コースが開催されることを妻から聞いたとき、クリニックの運営にちょっと違和感を感じ始めていたので、何かヒントがもらえるかもと期待をして、二つ返事で参加を決めた。

【天のお試し】
はじめて参加した基礎コースは、これまでアドラー心理学やコーチングなどのワークショップでやってきたワークと同じものもたくさんあった。同じワークをしても、今うまく説明はできないのだけれど導き出される答えがが違っていて、漠然とではあるが、今感じている違和感を解消してくれるのではという手応えを感じた。

そのとき告知された8月熊本でおこなわれる応用編にも行くことを即決。開業してはじめて平日三日間休んだ。熊本での応用編は、期待を遥かに超えて自分の心の奥が震わせられる気づきの連続で、応用編後に行われたパートナーシップのワークショップでの気づきは特別だった。それについてはまた別に書くとして、熊本のへそ道で変わった自分で、必ずクリニックの違和感を解消するぞ!っと、意気揚々とクリニックに出勤したところ、クリニックの空気は明らかに違っていた。違和感ではなく、はっきりとわかる異常事態となっていた。

まずは、4月から来てくれていた医師から9月に退職の希望が出され、日本一幸せな従業員にするはずだったスタッフからは総スカン。何とかなるはずだと動けば動くほど、空回りをして、10月右耳が聞こえづらくなったので耳鼻科受診したところ、ストレスによる突発性難聴と診断された。
そのころ僕は「こんなはずがない」と思いながら、暗闇の中、深い泥に足を取られてもがくようで、やることやること裏目にでていた。
同時期、クリニックに来ていた非常勤の心理士からは、妻に「院長は鬱だと思うので早めに病院を受診した方が良い」とアドバイスが有ったそう。(これは後から聞いたことだけど)
年明けにはついに夜眠れなくなり、2月に心療内科を受診。予想通り鬱の診断で、しばらくクリニックを休むようにといわれた。

【魂の暗い夜からの脱出】
2月3月は本当に妻に世話になった。眠れない夜を過ごし、朝起きて出勤して、昼までどうにか働いて、昼休みには恨みを吐きまくり、狂ったように叫ぶ。そして、午後からまた仕事に。夜はへとへとになり、食事もとれず。また眠れない夜を過ごす。そんな僕をずっといたわりいやしてくれた。本当にありがたかった。

長女が結婚相手を家に連れてきたのは、そんなどん底の時だった。娘の一番幸せな瞬間に娘を心の底から祝ってやれない自分に愕然とした。このままではいけない。絶対治してやる。そう決意して、周りに大きな迷惑をかけることは重々承知のうえ、クリニックをしばらく閉めるという決断をした。(患者さんや関係者には大変申し訳ないことをしたと今でも感じている)そして、クリニックをしばらく閉めた。

その前年からへそ道にであって、日常的にワークに取り組む中で、今回の一連のことは自分のなかに有る思い込みが、引き起こしたことだと気づき始めていた。3月から妻から勧められた「叡智への道」の個人セッションを受けて自分に向き合うことを始めた。そのころへそ道の研究コースの案内が届いた。妻からはいくつもするのは無理じゃないと言われたが、ピンとくるものが有り、研究コースに申し込んだ。どこまで行っても先が見えず、足は泥に絡まって、進もうにも進めない。そんな魂の暗い夜であったが、根拠なかったけれど、何とかなるはずだと信じていた。(”魂の暗い夜”は「叡智の道」の中にある言葉で、魂の学びの次元が変わるときにおとずれる試練として使われます。この状況にぴったりと感じて使いました。)

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