へそ道体験記 後編

【神との邂逅】
聖書漫談士赤塚高仁さん&へそ道ふ~ちゃんと行く~イスラエルツアーの最初の幕開けは、団長の赤塚さん自身が台風のため飛行機に乗り遅れるという波乱から始まった。
今回のイスラエルツアーでは、イスラエルに行けば赤塚さんのようにパウロから声をかけられて、自分が特別な存在であると言うお告げがあるんじゃないかなという、人前ではちょっと言えない下心があった。

でも、旅行の間そんなお告げを聞くことはなく、エドガーケイシーセンターの光田秀さん、奥さんの吉元由美さん、齋藤一人名代桝岡はなゑさん、ゆの里の重岡社長そうそうたるメンバーに囲まれて、それと比べてなんて自分は価値がないんだと自分を卑下して、なんとかそのメンバーに加わって行こうともがくほどに、ちっちゃな自分を見つけその都度切なくなり、周りのメンバーは旅を楽しんでいるというのに、悶々と日々を過ごしていた。

ガリラヤ湖畔のペテロ召命教会で、イエスの無償の愛にむくむくと立ち上がるペテロの勇気。それが自分の中にもある。どんな自分でも愛されているんだと価値がないと思う自分を奮い立たせることができたように思ったけれど、それもつかの間。すぐにしぼんでいく自分にあきれていた。
旅の半ば、夜明け前の死海に浮かびながら朝日を待っていた。ヨルダン側の山の上から昇る日は神々しく、その美しさに感動していたが、ふと、この太陽は徳島の眉山の上から上がってくる太陽と同じものだと気がついた。そのとき突然、ぱっかーんと目の前が開けた。『自分がこの世界をつくっていたんだ!!。』

自分の周りに、自分にはない力を持った素晴らしい人がいるとか、自分はその人達に比べて劣っているとか、あの山はこの山よりも高いとか、この川はあの川より水が澄んでいるとか、死海の朝日は神聖だとか、そんなものは全部自分が作っている。山は山で有り、川は川。自分は自分で有り、赤塚さんは赤塚さん、ふーちゃんはふーちゃんであって、優れているとか劣っているとかは全部自分が作っている世界なんだ。昨日まで悶々と自分が価値のない人間であると考えていたことが、嘘のように晴れていった。その後の旅はとても晴れやかで、喜びにあふれていた。

【小さなしんちゃんの願い】
へそ道の中で、こどもの頃のつらかったことを思い出し、その子に寄り添うワークがある。それまでのへそ道でも何度か扱ってきたエピソードがあった。イスラエルから帰ってきたあとのワークで、また同じエピソードでワークを行った。

小学校一年生ころ、母方の親戚は、夏休みや冬休みに祖母の家に集まって食事をすることがあった。夏休みのある夜、いとこ達で肝試しに行くことになった。「しんちゃんもいこうよ」と誘われたのだが、お化けが怖くて一緒に行けなかった。その当時、母方の親戚の中での母の立場が微妙で、しんちゃんは何とか母を助けたいと考えていたけど、恐がりで弱虫で、肝試しに行かなかった自分のことをお母さんはきっと情けないと思っているんじゃないか、自分のせいで母の立場をよけい悪くさせてしまったんじゃないかと考えて、強くなりたいのになれない自分が嫌だった。

『小さなしんちゃんに、大人になった自分が声をかけるとしたら何と言いますか?』と誘導されて、大人になった僕は、小さなしんちゃんとやりとりをしていた。すると突然お母さんは心配しなくても大丈夫。お母さんはとってもやさしい小さなしんちゃんを誇りに思っていて、そのまんまのしんちゃんでいてくれるだけで大丈夫と願ってくれているということがわかった。わかった瞬間、うつむいて暗い顔をしていたしんちゃんの顔がぱぁっと明るくなり、一人残された部屋で楽しそうに遊び始めた。

小さなしんちゃんは、「僕は大切な人を守らなければいけない。」「自分は弱いから人より強くならなければいけない。」もっともっと強くならなければと固い決意を持ったことがわかった。だから、現状を肯定できずに、常にがんばらないと思い続けていたんだ。その呪縛が解けたとき、身体全体の力が抜けて、自分に向けていたマイナスの矢印が消え、小さいながら勇気があり、やさしいしんちゃんが残った。今を楽しむ無邪気なみたま王がついに戻ってきた。

【男魂をみがく】
欝になる前の年、熊本で行われたへそ道に参加したことは、以前書いたとおり。

阿蘇でへそ道応用編が行われたあと、それに引き続き究極のパートナーシップというワークショップが行われたが、その前に幣立(へいたて)神宮にお参りに出かけた。

幣立(へいたて)神宮は、日本最古の神社の中に入り、日露戦争日本全国の8ヶ所の神社に戦勝祈願せよとの神示が宮中に降った神社のうちの一つだそうだ。神社をお参りし終えて、どう言えば良いかわからないけれど、綿々とつながってきた日本人の素につながったように感じられた。

究極のパートナーシップでは、現時点でのパートナーとの関係を振り返っていった。
夫婦で参加していたのは、僕たち夫婦だけだったので、ワークショップの終わりに夫代表でみんなの前で想いをシェアをすることになった。

参加者の前に立ったとき、自分のへその下から想いが湧き上がってきた。
「男は、妻やこども達、大切な人や地域を守るために働きたいと願っています。男に仕事をさせて下さい。男は命をかけて妻やこども達を守ります。」

最後は声を詰まらせながらようやく話しきった。話し終えたとき、自分自身何を言っていたか全く覚えておらず、僕の口から出た言葉はみたまからの言葉だったんじゃないかなと思った。それは、僕が小さなしんちゃんの時から持ち続けていた願いだった。

このご時世、男も女も平等だからと言う思想から、男魂ということばはあまり好まれない言葉になっている様に思う。

僕がここで伝えたいと思う男魂とは、「自分のためではなく、大切な人や大切な物・ことのために働く」というミッションだととらえていただけたらと思う。

僕は幼い頃におそらくそう決心したのであったが、へそ道に出会うまでは、”過ぎたしい”宰相が王の代行していたため、男魂をミッションではなくビジョンとしてとらえ、《自分の物差し》でそれができているかどうかを測り続けてきた。そのため自分も周りも苦しめてきた。

へそ道と出会って、男魂が磨けているかどうかは、《天の物差し》にお任せしていくことに決めた。僕は、ただ誠実に、喜んで頼まれ事と自分の中から湧き上がるものををこなしていき、その結果は天にお預けする。

これが最初ふーちゃんから教えてくれた祈り「天が期待していることを私に実現させてください」の本当の意味だったのだろうと今ならわかる。

最後に、中山靖雄先生の奥様中山みどりさんからいただいた大好きな言葉をお伝えして、今回の話は終わりにしようと思う。

「過去に起こったことはみんな良いこと、これから起こることはみんな良いこと、私に悪いことが起ころうはずがない」

welcomeへそ道でプレゼンターをさせていただくことになり、へそ道に出会う前にあった苦しいこととへそ道に出会ってからの自分の変化を振り返ってみて、その最中には悪いことと思われたことも、今につながる必要なことであり、それは良きことと思えている。

これからは目の前の出来事に一喜一憂することなく、すべては男魂をみがかせていただくための道と思って通らせていただこう。

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