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私が『ゆる気象学徒』でなくなる日

9月、『ゆる天文学聞き手オーディション』に参加した。

オーディションには落選したものの、『ゆる学徒ハウス別館』に誘われ、ゆる気象学徒となった。

そんな僕が今、ゆる気象学徒の名を消す可能性を示唆してみる。

以下、『ゆる言語学ラジオ』ならびに『ゆる学徒ハウス別館』のファンにしか伝わらない話をしていく。上記のYouTubeチャンネルを見聞きしたことがない人にとっては全く意味不明な内容となっているため、戻って他の人の記事を読むことをオススメする。

専門性コンプレックス・ストーリーコンプレックス

専門性のなさ。これが、僕が常に抱いているコンプレックスだ。

『ゆる○○ラジオ』のメンバーは、その『○○』において何かしらのエピソードを持っている。

その典型例が我ら別館の館長をつとめているLEOさんだ。彼は工学の博士号を取得しており、現在フランスでポスドクとして働いている。

https://www.youtube.com/@teatime_with_physicists

あるいは、大学の専門でなくとも、何かしらのストーリーを持っている方もいる。ゆる天文学ラジオの越山さんがその例だ。

彼は大学に9年在籍しているのだが、単にクズだからではない。そもそも自分の好きなところを勘違いしており、かつその好きなところでビジネスをしている、というのが理由だ。

そして、僕には彼らのような専門性もストーリーもない。

『気象学徒』と称してはいるが、地球科学系の学部に進んだわけではない。物理学科だから気象と関係はあるけれど、物理が得意というわけでは決して無い。卒業までに7年かかったし、ゼミや卒論も社会科学系を選択した(私のいた大学では社会文化領域というコースがあり、社会心理学の研究をしながら理工学部を卒業できる。)

なぜこんなことになったかというと、ひとえに自分の飽き性ゆえだ。

あるときはクイズにはまり、外国語学習にはまり、数学(数学科でやるような高度なものではない)にはまり、漢字にはまる。肝腎の授業はほったらかし。

ずっと寄り道ばかりしてきたし、今でもその性格は変わらない。

YouTubeチャンネルをたちあげるも、最初は数学関連の動画をとり、時には英語関係の話をし、ついでに元メンサ会員という立場を活かしてIQの動画も投稿するという、ごちゃまぜのチャンネルになっている。

『ゆる○○学徒』の中で、僕は最も短期的な行動をする一人だと思っている。

夢がない

短期的な行動をとるというのは、夢がないことと同義だと思う。

夢や目標があれば、少しくらい苦しくても一貫して努力できるし、あるレベルをクリアするとその先に行きたくなる。

一方で、そういうのがない場合、何か達成したらそこでおしまい。高みを目指すということがなくなる。

だから、世界遺産検定2級をとっても、1級やマイスターを取ることはしない。

たんに、何かすごそうだからという理由だけで知識を得ただけの人間には、下記のような『狂った』動画は作れない。

知的に面白い動画を作るためには、その分野の知識はもちろんのこと、そこへの興味が最低限必要だ。そうでないと、たとえ知識を持っていたとしても、それがただの点でしかなく、線や面にならない。connecting the dots がおこらない。

その観点からすると、僕は、他の人より多少は気象の知識をもっているものの、それを心の底から楽しんで他人に話すことができない。

果たして、自分は『ゆる気象学徒』としてやっていく資格があるかどうか、悩みながら生きている。

偏差値60の人間は要らない

さらに、自分を悩ませることがある。

学力がそこそこあるという事だ。

正直にいう。僕は世間の平均よりかは勉強ができる。

ただ、めちゃくちゃできる訳ではなく、上位10%、偏差値60台あたりだ。偏差値70でもなく、偏差値40のキャラでもない、最も扱いに困る存在。それが僕だ。

そして、この偏差値60というのは、本人をも悩ませる。

それは、『執念深くやれば、大抵どんなこともできてしまう』からだ。

僕はこれまで、様々な資格試験に合格してきた。英検1級、数検1級、漢検準一級、歴史能力検定日本史2級、世界遺産検定2級。理系学部出身にもかかわらず、文系よりの資格が多い。

この記事を書いている時点では、気象予報士試験を受験予定だ(1度落ちた)。正直いうと、この試験もいずれ受かる。

それは、別に僕の要領がいいからではなく、受かるまで受け続けるからだ。短期的に集中して勉強するからこそ、資格試験には強い。

しかし、この、高校や大学の受験では役立つ武器が、成人してからはむしろ弱点となる。

「俺は、何をしたいんだ?何ができるんだ?」

答えられなくなる。

「何がしたい」は、夢の有無がからんでいる。「何ができる」は能力の有無がかかわっている。

これが、言い方は悪いが、もう少し能力に偏りがあれば、消去法で進路を選ぶということが出来る。僕にはその方法がなかった。

いや、ウソだ。自分にも苦手な事がある。コミュニケーション能力、すべての仕事で必要となる能力。これが足りない。詰んでいた。


僕は『ゆる○○学徒』

僕には、特定のものごとに対する夢目標もなければ、得意分野というのもさしてない。少なくとも今の段階では、気象に対して好きという感情もなければ、得意という意識も無い。だから、本来僕は『ゆる気象学徒』としてやっていける人間ではない。

でも、今後この学徒として活動する中で、気象についての面白い知見を得ていくだろう。そうなると、はれて僕は『ゆる気象学徒』となる。

でも、これまでの自分のように、気象以外の分野で、強い興味関心を抱くものが出てくるかもしれない。そうなると僕は、ゆる気象学徒をやめ、別の学徒となるだろう。

学徒になってから何の学徒になるか考えるという、なんとも迷惑な話だが、これが僕の本音だ。

私の行方は、誰も知らない。


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