「はじしらず」の話。

 漢字には特殊な読み方をするものが多くあって、その一つにこんなものがあります。

「一二三四五六七」

 これを何と読むかといえば「はじしらず」となるそうです。「はち」を知らないから「はぢしらず」ということかと思えば、そうではないらしく……。

 僕がこの言葉を知ったのはこの記事なのですが、これには

儒教においてもっとも重要視される考え方のひとつが「四維八徳」、それぞれ孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥からなるものです(「八徳」においては廉、恥の代わりに仁と智が入る)。
「一二三四五六七」だと八番目の「恥」がない、つまり「はじしらず」と読むことができるというワケです。

 とあります。

 僕は儒教なんて南総里見八犬伝くらいしか知らないので、八徳といえば「仁義礼智忠信孝悌」の八つ。へえ、四維八徳なんてのがあるのかあ、となったわけです。

 雑学オタクとしてはこの周辺知識も押さえておきたいと思い、四維八徳について検索。しかしここで壁が。

四維は「礼・義・廉・恥」の4つで、国を維持するために必要なこと。八徳は「仁義礼智信忠孝悌」の8つで、他社に対してこう接すべき、という教えのようで、ここまではサクッと分かったのですが、「孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥」で四維八徳、というのは出所がさっぱりわからない!

 何が厄介かといえば、僕としてはこういった言葉や思考の発生を、やや人文学的な目線から知りたい(つまり、知識として押さえておきたい)のですが、出てくる記事は「八徳が日本を救う」とか「儒教は奴隷の哲学だ!
!」とか過激な思想やスピリチュアルに傾倒したような記事ばかり。

 ちょっと頑張った結果、どうやら同じように「忘八(ぼうはち)」と言って儒教の八徳すべてを忘れた大悪党(つまり女性の人身売買を行う人を指す)のような使い方をする言葉もあり、これは中国語でも「忘八(フンパ)」という言葉で存在しているようです。

 つまり、歴史的に見て儒教社会では「八」といえば「八徳」くらい身近な存在だったんですね。現代でいうところの「人間性」くらいのニュアンスでしょうか。八が無い=人間的によろしくないというのは、浸透している概念だったよう。

 その上で振り返るのですが、四維八徳ってのはどこからやってきたんだ、というところです。もともと八徳というのは孔子の唱えた「五常」という教えと「三綱」という教えを、その弟子たちがいじくりまわしてできたのが「八徳」で、これは南総里見八犬伝でもおなじみの「仁義礼智信忠孝悌」。ちなみに孔子の教えには「仁義忠孝礼智信」はすでにあって、「悌」の字は「烈」から変えられた、といろんな資料で見ました。ただどれも同じとこから引用してる説もあって一概に信用しづらい……。じゃあなんで五常は「仁義礼智信」なんだ……? 原文よめっちゅー話なのはそう。ともあれ、儒学的にデフォルトの八徳は仁義礼智信忠孝悌のようです。

 すると残る問題が四維のほうですね。これはググればすぐに出てきます。『管子』が初出らしく、ここに「礼・義・廉・恥」の記述があるよう。

 江戸時代に徳川幕府が定めた学問は朱子学なのですが、朱子学の創始者である朱熹は管子を仮託(引用)したという記述を見つけました。つまり、江戸時代(庶民の言葉遊びが盛んだった時期でもあります)の庶民にとって、儒学とは朱子学であり、朱子学において四維と八徳が結びつくのは自然なことに思えます。ようやく四維と八徳のつながりが見えてきました。じゃあなんで仁と智が消えるんだよ。

 少し調べると陽明学でおなじみの王陽明の『伝習録』にヒントが。中国語じゃなくて書き下し文しか分からなかったのですが……。

“童子を教うるには、惟だ当に孝悌・忠信・礼儀・廉恥を以て専務となすべし。其の栽培涵養の方は、則ち宜しく之を誘って詩を歌わしめ、以て其の志意を発し、之を導いて礼を習わしめ、以て其の威儀を粛(ただ)し、之を諷して書を読ましめ、以て其の知覚を開くべし・・・大抵童子の情は、嬉遊を楽しんで拘検を憚(はばか)る。草木の始めて萌芽するとき、之を舒暢(じょちょう)すれば則ち条達し、之を催撓(さいとう)すれば則ち衰痿するが如し。今、童子を教うるに、必ず其の趨向をして鼓舞せしめ、中心をして喜悦せしむれば、則ち其の進むこと自ら已む能わず”

子供を育てるには「孝悌、忠信、礼儀、廉恥」を大事にしなさいね、という記述です。おお! 仁と智が消えてる! ただ問題があるとするなら、陽明学は五代将軍以降禁止されていた学問なんですよね。結果的に陽明学を学んだ若者が江戸幕府を滅ぼしてるので、完全に学びを断ち切ってたわけじゃないんでしょうけど……。っていうか、これじゃあ区切れ目が違うじゃん。4つしかないやん。

 王陽明は時代的に言えば朱子よりだいぶ後の人なので、朱子学しか知らない人からしたらこれを知ってるっていうのはちょっと無理があるんじゃないかなあ、とも思うんですが、そもそも僕は朱子学を学んだことがありません! もしかしたら朱子学のどこかに記述があって、王陽明が引用しただけなんですかね……。だとしたら話がもっとややこしくなってしまう気がする。余裕があったら図書館で調べるか……。

 ここまでくるともう「軽く押さえておこう」の範疇を出ちゃうので一回断念。まさかこの時代になってもこの程度のトリビアがウェブに存在してないとは思いませんでした。

 近いうちに腰を据えて調べるんですが、もしもすでに答えを知っている人がいたら教えてください。よろしくお願いします。


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