蓮2nd つよい。

蓮の2nd千葉と神戸のday1を現地参加し、両公演のday2を配信で視聴した。
終わってみての感想を、Twitterのほうにずらずら文章を書くのも恥ずかしいのでここに貯め置く。

蓮ノ空2nd、思うこと。(作品としての蓮ノ空)

今回のライブは相当今後に影響のあるライブだったと思う。
沙知が卒業するまでの軌跡を「こんなこともあったね」となぞりながら、「沙知先輩、卒業おめでとう」という流れでドカ泣きして帰る予定だったが
2ndはそんな次元を遥かに超えていた。(ドカ泣きはした)

というのも、蓮ノ空女学院の103期を明確に終わらせに来た。


蓮は通常の作品形態とは異なり、花帆が卒業するまでの3年間を描くというのが初期コンセプトである。要するに、2026年3月に作品が終わるというのが初めから提示されている珍しいコンテンツである。

うだうだと通常の他作品と比較することも面倒なので書かないが、
まぁその、蓮は時間芸術の究極系まがいなことをしようとしている。

ライブやスクコネ配信などのリアルタイム性、作品本編や楽曲展開をうまく同期させる。そのすべてが意味を有することで脈打たせ、我々と同じ時間の流れを過ごす。作品に生命が宿ると比喩表現でよく聞くが、本当に生物に仕立て上げようとしている。生まれたなら当然死ぬ生命の理を、作品でやろうとしている。
このコンテンツは正直かなり怖い。
多分文学界に名前が残る。本当に。


今回のライブの最も怖かった点は蓮ノ空女学院の103期を完全に殺すつもりで練られていたこと。4月になり、今が104期であることを我々に提示する覚悟がより強く感じられたこと。

神戸day2のうい様のMCで「6人で歌う楽曲は最後」という強い言葉で明言した。一刀両断、斬釘截鉄、快刀乱麻、鬼。
沙知の卒業を経て送り出した今回のライブで、2025年3月の102期生卒業。2026年3月の103期生卒業が近づいていることを我々に感じさせ、死の概念をありありと見せつけられた気分になった。

なんなら今日初めてリアルタイム進行という作品性を思い知らされた気さえしてくる。わかった気になっていただけだったみたい。


蓮のテーマは「伝統」
その伝統の1世代を見せられていることがよくわかったライブだった。
伝統というとやはり過去を夢想するものだし、改めて今が過去になっていくコンセプトでこのテーマを落とし込んでいるのは流石に正気の沙汰じゃない。上手すぎる。時間芸術が。正直耐えられない。

また、そのテーマで作品を作り上げる以上、今感じている寂しさは「絶対」に必要なものだという事を作品外のライブでも補完してきたのは凄すぎる。
だってわざわざ6人でやる最後の曲なんて仰々しいこと言わなくていいんだもん。本当は。こればかりは明確な意図があって、あえて言っているようにしか思えないから。
生まれて死ぬものだから、伝統。そういうものだから、寂しさは必要。

蓮ノ空という作品は本当の意味で、公式(に関わるすべての方々)と蓮ノ空のことすきすきクラブのみんなで現在進行形で造り上げられている作品だと思う。今後もよく音楽を聴き、色々な感情に揺さぶられようと思った。


そんな感じ。
楽曲のことは別途書きたい。

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