3.11~あの日のこと~(その1)

 東日本大震災から、9年という歳月が流れた。

 もう9年?まだ9年?みな、思うところはいろいろあると思う。

 僕はあの日自分が見た光景や当時考えていたことを、記録したいとずっと思ってきた。

 僕の姪は、2012年生まれ。震災の後に生まれた。また、僕のフォロワーさんの中には、震災当時幼かった人もいる。そういう人たちのためにも、あの日の記憶を記しておきたいと思った。

 持ち前の面倒くさがりな性格が理由で、ずっとやらないできてしまったが、記憶がこれ以上薄れてしまう前に、今回、なんとしても書き上げようと思ったのだ。

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 2011(平成23)年3月11日。

 当時、僕は神奈川県で1人暮らしをしていた。その日、仕事が遅番・午後からということで、朝はゆっくり寝て、おもむろに起きると、当時のめり込んでいたオンライン麻雀ゲーム「天鳳」に興じていた。

 その日勝ったのか負けたのか・・・いまとなっては思い出すことができない。

 軽くご飯を食べると、出勤時間が近づいてきた。さあ仕事に向かおう。

 ーーーいつもと同じような1日を送り、いつもと同じように1日が終わるはずだったーーー。

 僕の出勤時間は、14時30分であった。そのほんの少し後、14時46分に未曾有の大地震が発生するなど、当然知る由もないーーー。

 仕事をする態勢に入って、間もなくのことだった。突然、ミシミシと音がして、揺さぶられるような感覚に見舞われた。

 「ん・・・!?地震だ!!」

 動揺しそうになる心をなんとか落ち着かせようとする。すぐ、収まるんじゃないか・・・?近くに隠れる場所がなかったので、しばらくその場から動かずに、同僚と揺れが収まるのを待っていた。

 しかしそんな思いとは裏腹に、揺れはますます激しさを増していった。この2日前にも大きめの地震があったが、比較にならないほど揺れが大きい。次第に立っているのも容易でなくなってきた。

 「・・・建物が崩れたりしないだろうか?」さすがに恐怖心を抑えきれず、心臓もはちきれんばかりに鳴っている。・・・そのとき、

 「外へ出よう!!

 怒号とも言えるような上司の声が聞こえた。その場にいた数名は皆返事をする替わりに、黙って避難通路を走り、いち早く外へと向かった。

 ・・・外へ出ると、激しい揺れでやはり立っていることができなかった。そのうえ、それまでの人生で経験したことのないような異様な有様となっていた。

 近くに駐車していた大型トラックに目を向けると、巨大な車体がユッサ、ユッサと左右に大きく揺さぶられている。そして、あたり一面から、

 「ゴゴゴゴゴゴゴゴォ・・・・・・・

 と、耳をつんざくようなものすごい地鳴りの音が聞こえてきた。

 目に入ってきた空は、どんよりとした灰色の雲に覆われており、この世の終わりかのように感じられた。

 ・・・この地鳴りの音、このとき見た空は、今も脳裏に焼き付いている。一生忘れることはないだろう。

 揺れている最中は、「ついに首都直下地震が来たのか・・・!?」と、そう思ったものである。

 あまりにも長かった揺れはとうとう収まった。周りの人は誰も怪我をしてなさそうだし、倒壊してそうな家屋や施設も周囲には見当たらない。とりあえずは安心したが、

「被害は出ているのだろうか?」

「親類はみな無事なのだろうか?」

「店の営業は、どうなるだろう?」

・・・不安ばかりがよぎった。

これだけ揺れたのなら震源は近いのではないか?どのへんだろう。

そう思っていた矢先、テレビを見てきたらしい上司が戻ってきて、

「震源は宮城だって」と言った。

「えっ・・・!?」

 僕は声を失った。神奈川でこれだけ揺れたのに、震源に近い地域はどうなったのだろう・・・。

(続く)


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