3.11~あの日のこと~(その3)

(続き)

 1人アパートに着いたものの、余震の怖さや絶望感、不安やらが渦巻いて眠れそうもなかった。地震について報道していたニコニコ動画の生放送を流しっぱなし(当時アパートにテレビはあったのだが、ほとんど観ることはなかった)、電気もつけっぱなしにして、横たわった。一人暮らしはこういうときに心もとないものだ。幸い、翌日は休みであった。

 それにしても断続的に余震や誘発地震が発生するものだ。あのとき、僕のように眠れぬ夜を過ごした人は少なくないだろう。巨大地震が引き金になり、関東付近で大きな誘発地震が発生しやしないだろうか?気が気でなかった。実際、確か東京湾を震源とする地震も起きた。

 長野を震源とする大きな地震も発生。おいおい、日本列島はいったいどうなってしまったんだよと、ますます恐怖心に駆られる。早く朝になってくれ。明るければ、わずかでも心が落ち着いてくるだろう。

 いくらかばかり寝たようで、夜が明け始めていた。その後も、ずっとニュースを観ていた。当時の枝野官房長官が、福島第一原発の状況をつぶさに報告していたのは強く印象に残っている。原発事故が起こったら大変なことになるんじゃないか、と思った。

 しかし・・・何事も起こらないでほしいとの願いもむなしかった。福島第一原発の1号機が爆発する画像を、唖然として見つめていたのは妙に覚えている。

 そして被害の状況を知るにつれ、悲しく、心が打ちのめされそうな気持になった。

 僕は、日本人は、また心から笑える日が来るのだろうか。そんな絶望的な気持ちになった。

 ・・・その後の記憶が途切れ途切れなので、地震後数日間の印象的な地震後の出来事を、箇条書きで。

〇地震直後は、スーパーから惣菜やおにぎり、パンといった食品がなくなっていた。

〇日本全体が自粛モードとなった。テレビはACジャパンのCMばかりが流れていた。

〇計画停電を体験した。夕方の時間で、暗くて本も読めなかった。やることがなくなった。外に出ると、信号機も止まっていた。

〇しばらくは節電により、夜の街でオフィスビルなどの明かりが減った。


 僕は結果的に、2011年の3月末をもって退職し故郷に帰ることとなった。

 それは震災発生前から決まっていたことだったが、震災の発生により、故郷で家族と助け合ってやっていきたいという思いを強固にしたのだった。


**************

 記憶の風化と言葉に変換する能力の低さ故、なかなか苦戦したものだが、震災前後に自分が体験したこと、思ったことについて、一応は書くことができた。

 あの大地震を体験したキーワードは、「恐怖」「不安」「悲しみ」だろう。あれだけの経験をすることは、人生でそうそうない。

 あ、そういえばこんなこともあったな、というのもポツポツと思い出し次第、適宜加筆したいと思っている。

 一読いただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?