レインボーライブを勧める7つの理由

10年目に突入したプリティーシリーズ、その中で特に好きな作品であるレインボーライブを今回は紹介したいと思う。プリズム7つの誓いになぞらえて、7つの理由を挙げていく。ネタバレも含むので、未視聴の方は注意していただきたい。

1. 1つの作品で完結している点

 プリティーシリーズを簡単に分けると、プリティーリズム・プリパラ・プリチャンの3つである。この中で、プリパラとプリチャンは、シーズンを跨いで1つの物語となっており、主人公が続投している。ただし、1年ごとの目標・目的があり、その1年において1つの話として成立している。推薦しても良いのだが、全てのシーズンで物語が完結すると考えているため、4クールという長い作品の更に何倍もの時間を要するので、ここでは勧めない。
 一方で、プリティーリズムは、オーロラドリーム(以下、AD)・ディアマイフューチャー(以下、DMF)・レインボーライブ(以下、RL)という3作品が存在し、それぞれ主人公が異なる。これらの中で、ADとDMFは世界観が繋がっている。そのため、一作目ADのキャラクターが成長した姿で二作目DMFに登場する。つまり、DMFの登場人物すべてを深く理解するにはADが必須となる。そして、世界観を一新した作品がRLである。一部ADやDMFを見ていると理解できる点が存在するが、物語としてのRLは、1シーズンで完結している。ここが、おすすめする第一の点である。
 続編として、KING OF PRISMが存在するが、RLでの主要な女性登場人物の物語は、RLで完結していると私は考えている。その他、プリティーオールフレンズという企画も存在するが、同様に彼女たちの物語はそれぞれの作品で完成していると考えているため、キャラクター理解を深める或いはキャラクター同士の新たな関係を見るところとして捉えている。
 以上のように書くと、ADでもいいのではないかという意見もあるだろう。しかし、私はADの登場人物すべてのその後の物語としてのDMFも好きなので、ここではRLを推すのである。

2. 個々人の成長とプリズムジャンプとの関連・可視化

 そもそも、プリズムジャンプとは、プリティーリズムにおける必殺技みたいなものであり、これを連続して何回跳べるのかということがRLにおいては特に重要なのである。では、どうすれば跳べるのか。「プリズムジャンプは、心の飛躍。」と、ADで言われているように、精神的な解放・成長を経ることで跳べるのである。すなわち、RLでは登場人物の問題が解決するごとに跳べるジャンプの回数が増えていくのである。
 それまでのプリズムジャンプはどういうものだったか。ADやDMFでは、お悩み相談みたいな話が多く、それに関連したプリズムジャンプがその話の中で展開されてきた。また、DMFでは、その先の発展型として、プリズムアクトが登場する。これら作品では、決して描写が不足していたと言いたいのではない。RLでは、連続ジャンプという数字の導入により可視化されたと言いたいのである。前回のショーより、ジャンプの回数が増えたということが、成長を裏付けるのである。逆にいうと、初めてのショーで連続ジャンプの回数が多いことは、そのキャラの強さ・格の違いを示すことにもなっている。

3. マイ・ソングという概念の導入

 まず、背景として、RLでは、各登場人物が歌うソロ曲は一曲のみであり、それを披露するのは、最初期と最終盤である。またRLは、プリズムショーの構成要素である曲に焦点を当てた作品である。マイ・ソングという概念を導入することにより、ソロ曲の扱いがどのように変わっていったのか。そもそもマイ・ソングとは、いわば持ち歌である。持ち歌は、他の作品でも見られたものである。プリパラやプリチャンでは、チーム用の曲も存在する。
 では、ここでいうマイ・ソングとの違いは何か。それは、登場人物を表現するものであり、作中では基本的にその人にしか歌えないという点である。いわば、曲の所有権みたいなものが存在する。ADやプリパラでも、ソロ曲は存在し、登場人物を表現するものとしては素晴らしいものである。特に、プリパラでは登場人物のキャラクターとの紐付けが格段に上手くなっている。
 ソロ曲をマイ・ソングとすることで何が変わるのか。曲が個人と同一化し、他人に侵されないものとなる。曲をめぐるドラマがより重厚なものとなり、重要な局面で、歌うことの必要性・必然性が増すのである。2番めの理由とも関連するが、登場人物が成長するとインフレを起こすのは必然である。成長したならば、それに相応する曲を歌えばいいのではないかと私は考えてしまう。そこに、マイ・ソングという大義名分を与えることで、初期の曲でも歌う必然性があり、更には成長を示す指標ともなりうるのである。ドラマとしても、成長描写としても、マイ・ソングの導入は成功したように思う。すすめる理由としてまとめると、2番めの理由とも関係するが、同じ曲を使う理由を作品内でより合理化し、成長の指標として機能させたからである。
 余談になるが、プリパラはこれとは別の理由を用いることで昔の曲をドラマチックに再利用している。

4. 登場人物の組み合わせの豊富さ

 プリティーシリーズで曲を歌う人数は、おおまかに分けるとソロ・デュオ・チームである。プリティーシリーズの中で、RLは唯一主要な登場人物ほぼずべてにソロ・デュオ・チームの曲が1年で割り当てられている。チームやデュオ結成の経緯はもちろん、それらの中での関係の深まり方、それらが曲にまで昇華されていき、ついにはプリズムジャンプで表現されるのである。また、その順序もソロ・チーム・デュオと関係が深い順番になっているため、人物理解ができないままに進んでいくことはないといっても良いと思われる。ソロにより人物紹介、チームでの立ち位置、デュオで垣間見せる新たな一面、登場人物の人間性がどんどん見れて楽しいのである。
 プリパラやプリチャンでも、ソロ・デュオ・チームと曲を持っている登場人物は多々存在するが、シーズンをまたぐことが多いため、RLをすすめる理由とさせていただく。

5. ファンタジー世界と現実世界における問題解決手段の合一化

 プリティーシリーズの舞台を考えて見たい。AD・DMF・プリチャンは、現実世界での物語である。そして、そこで提示される最終目標も現実世界で解決されるものである。また、プリパラはプリズム空間での物語であり、悪く言えばなんでもありである(現実世界に持ち越す問題も一部存在するが)。
 しかし、RLは、りんねというファンタジーな存在がいる一方で、舞台は現実世界というアンバランスさがある。最終目標もプリズムのきらめきを取り戻し、りんねをプリズムワールドに帰すと言うものである。りんねにまつわるファンタジーな問題と、登場人物の擁する現実的な問題、この2つが並行して存在しているのである。この2つがどこかで交わらないと、ただ2つの問題を解決したにすぎなくなる。そこで、持ち出される理論が、「プリズムジャンプは、心の飛躍」である。心の飛躍を成し遂げることが、プリズムのきらめきを手に入れることに繋がり、りんねをプリズムワールドへ帰すことができるのである。すなわち、個々人の問題解決・成長がファンタジー世界の問題解決へと直結するのである。極力、アイテムやマジカルな要素、ご都合主義的な解決手段を排除している。作品内でひたすら積み上げてきたことで問題を解決してきたのである。

6. ストーリー展開のパターン化

 RLは、いわゆるお悩み相談や道徳を説くだけの話が少ない。上で述べたように、個人的な問題の解決が最終目標の礎になっていることから、すべての話がメインストーリーに関連する。つまり、個人の問題を解決するだけでメインストーリーは進んでいくのである。さらに加えて、先程述べた曲の件が関わる。ある人物に関して、問題が解決したからソロ曲披露。次にチームの問題が解決したから、チーム曲披露。さらには、デュオと。主要人物に対して、この展開を繰り返していくことでストーリーが展開されていくのである。それを人物に対してか、複数人に対してかという点が異なるだけである。同じ展開だからといって、飽きがくるかといえばそうではない。描写は丁寧であり、取り上げられる問題も様々である。親子関係が多いが、恋愛関係や友人関係もある。長期的にみれば、ある程度予測できるため安心して見ることができるのである。

7. 作品内に見られる対照

 RLにおいて、私が一番優れていると考えている点が、この対照である。ADやDMFではもちろん、他の作品でもよく見られる要素なのであるが、RLでは特にそれがうまく機能している。作品内におけるほぼすべてのものが、この対照で表されるのではないだろうか。ハッピーレインとベルローズに始まり、はては仁と聖といったところである。性格や主義、コーデであったり、ストーリー展開など様々な要素が対照となっている。
 特に、これが顕在化するのはデュオにおいてである。正反対の人物とデュオを組むのであるが、面白いのはその関係である。おとはといとを例に取る。様々な問題が降りかかるのだが、前半おとはの問題に関して積極的だったいとが、おとはがいないと話が進展しない。立場すらも逆転しているのである。対極に位置づけられている人物とのパワーバランスが絶妙なのだ。主人公側のハッピーレインと対抗馬であるベルローズという2つの関係が、一方的になっていない。主人公側の全能感を排している。すべての行動が全肯定されることなく、より人間味のあるキャラクターとして描かれているのである。
 他にも例を挙げるときりがないのだが、この要素がきれいに散りばめられている。ある登場人物を理解するには、反対のキャラクターをもつ人物との関係を見たりすると新たな一面が見えたりもする。一見、反対であっても似たところが存在したり、良いところを取りいれたりもする。記号化されているようでされていない人間味あるキャラクター、しかし理解しやすい。このわかりやすさが理由である。


 ここまで、RLをすすめる7つの理由を述べてきた。他にも素晴らしい点は多数存在し、他の作品も素晴らしいことは疑いようもない。ただ、その中でRLという作品をすすめる点は、1年というコンパクトさとあらゆる要素の単純化にあるように思う。逆に言うと、1年だからこそ新たな登場人物もいなければ、新たな販促要素もないのである。だから、ここまできっちりとまとめ上げれたとも言えるだろう。

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