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【2007年】経済視点で考える。ディオール・オムのぴっちぴちスキニーパンツがリバイバルする可能性。
今回ご紹介するのは「POPEYE」2007年2月号です。
これまでの「山田耕史のファッションノート」でご紹介してきたファッション誌どれも1980年代や1990年代のもの。
2000年代のファッション誌をご紹介するのは初めてです。
そのきっかけとなったのが、こちらのツイート。
2000年代に大流行したスキニーパンツについて、これまで何度かツイッターで触れたことはあったのですが、今回は非常に多くの
【1985年】DCブランドと「普通の古着」が織りなす、時代を超える普遍性のあるファッション。
今回ご紹介するのは「POPEYE」1985年9月10日号です。
新鮮に見えるDCブランドファッション
前回は1987年、そして前々回は1986年と、最近は1980年代のDCブランドブームに関する記事が続いています。
理由は単純に、非常に新鮮に見えるから。
そして、今回ご紹介する「POPEYE」1985年9月10日号も同じように、非常に新鮮に見える上に、単純に格好良いのです。
なので、いつものn
【1987年】DCブランド×ケミカルウォッシュジーンズ。今新鮮な80sの大ヒットファッション。
前回の記事では、「ホットドッグプレス」1986年5月10日号を軸に、DCブランドブームとDCブランドの革命的なビジネスモデル、そして1980年代の日本経済についてご紹介しました。
「チェックメイト」1987年9月号
今回の記事の軸になるのは「チェックメイト」1987年9月号。表紙に「人気DCブランドベスト10」とあるように、DCブランドにフォーカスした内容です。
この頃の日本経済は本格的なバブ
【1986年】語り継がれないDCブランドブームの格好良さと、実は優秀だったビジネスモデル。
「山田耕史のファッションノート」第1弾では、第二次世界大戦後から1980年代初頭までの日本経済についてご紹介しました。
そして、前回の第3弾では1989年のバブル崩壊から、1997年のアジア通貨危機までの日本経済をご紹介しています。
今回ご紹介するファッションアーカイブは「ホットドッグプレス」1986年5月10日号。
1980年代後半の日本経済というと、バブル景気のイメージが強い時代ですが、
【1995〜99年】Boonの「ページ端っこ広告」に見る、ハイテクスニーカーブームの熱狂と没落、バブル崩壊後の日本経済。
2023/7/24追記
noteでの記事の更新は停止し、記事の更新とサブスプリクションは「山田耕史のファッションブログ」内「山田耕史のファッションアーカイブ」で行っています。
詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
貴重な情報源だったスニーカー広告1980年生まれの僕にとって、ファッションの原体験のひとつになっているのが1990年代後半のハイテクスニーカーブームです。
そして、↑の座談会の冒頭で
原宿が「裏原系」を生み出し、世界のファッションの首都となった理由。
2023/7/24追記
noteでの記事の更新は停止し、記事の更新とサブスプリクションは「山田耕史のファッションブログ」内「山田耕史のファッションアーカイブ」で行っています。
詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
今回ご紹介するのは「ブルータス1996年6月1日号」です。
特集は「原宿をつかまえろ!」。
目次にはこうあります。
誌面冒頭のページで取り上げられているのは浅野忠信さん。「これから
普通の40代以上ためのメンズカジュアルファッションマニュアル
目次
・「普通の」40代以上の男性が参考にできるファッションメディアは少ない
・40代以上のメンズカジュアルファッションで大切なこと
・まずは清潔感
・世界一のコストパフォーマンスブランド、ユニクロの危険性
・ユニクロで買うべき商品
・シンプルでベーシックな服は匿名性が高い
・誰にでも似合い、いつまでも着られる服
・合わせる服を選ばない
・カジュアルファッションにおける品=シンプル
・ユニクロの地