見出し画像

『光る君へ』(6回)「二人の才女」の「漢詩の会」と平安時代の「詩会」の違い

『万葉集』に載る額田王と大海人皇子の蒲生野での2首の和歌(贈答歌)
  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)
  紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも(大海人皇子)
は、人妻と交わした不倫の贈答歌のように聞こえますが、実は酒宴で、天智天皇に腕前を披露した和歌だといいます。
 平安時代には、天皇の前で和歌に代わって漢詩の腕前を披露する「詩宴」となり、1月の子の日、9月9日の重陽の節句などに宮中行事として開催されたようです。資金難で「詩会」となるも、一条天皇の御世に「詩宴」に戻ったようです。


 さて、『光る君へ』(6回)「二人の才女」では、藤原道隆が密会(私的な詩会)「漢詩の会」(ドラマでは「~かい」と言ってましたが、「~え」でしょう)を開いていましたが、内容は平安時代の「詩会」とは異なりました。

   藤原道隆の「漢詩の会」   ┃   平安時代の「詩会」
────────────────────────+───────────────────────
・詩題に沿った詩を選んで書く。  ┃・詩題に沿った詩を書く(作文)。
  詩題は単語          ┃  詩題は単語ではない。
  自分の詩でも他人の詩でも。  ┃  自作の詩のみ。
・七言絶句(7語x4句)      ┃・七言律詩(7語x8句)

<詩会でのルール>

第一句・第二句を首聯 題意の表現
第三句・第四句を頷聯 題意の表現 対句
第五句・第六句を頸聯 題意の表現 対句
第七句・第八句を尾聯 自分の意見(述懐)
※韻字は指示される。

 七言律詩は、制約(ルール)も文字数も多いので、作文は困難です。
 また、漢詩の出来の良し悪しは、対句の出来で評価されたそうです。

<具体例 寛弘三年三月四日の詩宴>

・開催地:藤原道長邸「東三条第」に一条天皇をお招きして開催
・序者(序文と作例を献上):大江匡衡
・講師(詩を披講):大江匡衡が序者と兼任
・献題:藤原忠輔。詩題は「渡水落花舞」。
 (寝殿造りなので池がある。池の上に舞い落ちる桜の花びらを見て作文)
 (広大な池で竜頭鷁首の船を浮かべて管弦の遊びが出来た。)
・韻字は「軽」

【東宮学士正四位下・大江匡衡の序文と作例】 

 七言。暮春、侍宴左丞相東三條第、同賦「渡水落花舞」、応製詩一首、以「軽」為韻、井序。
 洛城有一形勝、世謂之東三條。本是大相國之甲第、傳為左丞相之花亭。聖上不忘舊里,再備天臨。始迴翠華、一日禮外祖於當時。今准紫禁、二年移朝議於此地。爰泉石增美、雲樂四陳。簾帷添華、庭實千品。整伶倫於龍舟、自調春波之妙曲。擇墨客於鳳筆、皆瑩夜月之明文矣。蓋當曲水之翌日、翫艷陽之風光也。觀夫落花不閑、度水自舞。遮沙風而宛轉、迴雪之袖暗飜。過巖泉而婆娑、落霞之琴遠和。至夫赴節之度無定樣、應聲之體有嬌粧。問根源於岸口、若出自梨園、出自杏園。任進退於波心、亦不知趙女,不知漢女者歟。夫勝地傳名以雖交美、帝后未必生一家之光輝。賢相輔主以雖世榮、父子未必致萬乘之臨幸。於戲,千載一遇、不光古乎。昔、漢高祖之過沛中、賞父老以擊筑。唐太宗之宴池上、率貴臣而獻詩而已。臣謬當其仁、粗記盛事云爾。謹序。
 君臣宴樂歡游好
 游葉亂葩度水
 霜葉冬題陪地下
 風花春宴近皇明
 醉歌得趁桃源路
 蹈舞欲看李部榮
 翰墨寄身頭己自
 鶯兒未長動心情


■『御堂関白記』寛弘三年三月四日の条

四日。丙午。従夜雨下。暁、中宮渡於南殿。辰時御渡給。女方料長物。北廂居御臺。懸之。夜御衣。紅打二重。同色張二重。白張二重。御袴二腰。御直一領。巳時人人參入。上達部陣座。殿上人饗殿上儲。藏人所饗本所。上官本所。侍從東門内南廓。諸陣所所賜長物。奉御膳。沉縣盤六。銀土器。香染打敷。殿上人從南面供之。其後召右大臣。賜家女家子家司爵級。大臣召賴〔頼通〕。仰叙從三位由。賴〔頼通〕從高渡殿西階下。西廊於中間拜舞。從右近陣方出。於宿所著我衣。家子等奏慶。被免殿上家女奏云。停賜加階。賜右近少將雅通加階者。被仰云。加階有本意給。雅通別賜之。四位奏慶。次被免殿上。召諸卿御前。依次仰。召文人等。雖雨止。西廊內賜座。以勘解由長官。令召之。參著後。承仰。權中納言〔忠輔〕献題「渡水落花舞」。〔頭書に「文臺賜紙筆。後立殿上。近衛下。内藏司」と有り。〕奏聞後。聞人付韻字「軽」。召匡衡朝臣。賜題。仰可献序由。未献題前。實成。賴定。未献御硯紙等。内蔵權頭爲義。率殿上五位。硯賜公卿召人。次大納言以下献献物。於庭中。右大臣問之。申物名。給膳部。次供脇御膳。是所候。如脇御膳。用銀器。次賜公卿衝重。両、三献後。船樂発音。龍頭鷁首。數曲遊浪上。當御前。笙船奏舞。各二曲。此間上下文人等献文。中宮井宮宮御方。献御膳。中宮懸盤六。有打數。銀土器。取文臺。講文。講書。序宜作出。仍序者男擧周。被補蔵人了。召給伶人公卿祿物。上下諸司。諸衛。皆有此事。次献御馬十疋。近衛馬寮給也。如駒索儀。次献御送物。次行幸。後中宮渡給。東宮又渡枇杷殿給。擬文章生依雨不召。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1111828/1/63

■『江吏部集』(巻中)人倫部

納言還任式部大輔。江家再有此例。故云。
 寛弘三年三月四日。聖上、於左参府東三条第被行花宴。余為序者兼講詩。講詩之問、左丞相伝勅語日、以式部丞、挙周補蔵人。風月以来、未嘗聞此例。を聞かず。時人栄之。不堪感躍。書懐題于相府書閣壁上。
 今年両度慰心緒、愚息遇恩之至哉。正月除書為李部、暮春花宴上蓬莱。誠雖漢主明風教、多是周公重露才。桓郁侍中栄不見。江家眉目有時開。

(「納言は式部大輔に還任す。江家に再び此の例有れば、故に云ふ」
 寛弘三年三月四日、聖上は、左参府の東三条第に於いて花宴を行はる。余は序者と為りて兼ねて詩を講ず。詩を講ずるの問に、左丞相は勅語を伝へて日く、「式部丞、挙周を以て蔵人に補す」てへり。風月以来、未だ嘗て此の例を聞かず。時人も之を栄とす。感躍するに堪へず、懐(おもむき)を書して相府の書閣の壁上に題す。
 今年は両度も心緒を慰められ、愚息の恩に遇ふこと之れ至れるかな。正月の除書には李部と為り、暮春の花宴には蓬莱に上る。誠に漢主の風教に明かなりと雖も、多くは是れ周公の露才を重んずればなり。〔後漢の〕桓郁侍中(じちゅう)栄え見ず。江家の眉目は、時有りて開く。)

https://dl.ndl.go.jp/pid/1879738/1/230


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?