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MAIDとは何か?

この記事は、MAヒーローズ・リーグ Advent Calendar 2020の22日目の記事です。

 はじめに

まいど!今年のMAヒーローズ・リーグ(以下HL)全日程無事終了したみたいで関係者のみなさま大変おつかれさまでした。そして各賞を受賞されたみなさまおめでとうございます!また何らかのかたちで参加されたみなさまありがとうございました。今年のMAIDもどうにか無事にかたちになったんじゃないかなと思います。ありがとうございます。

HLの部門のひとつである「MAID(通称まいど)」は 、2016年に開催された「MA11」の時に創設された「インタラクティブ・デザイン部門賞」を発端に、ただの飲み会サークル「TMCN」が携わってもう5年も続いているらしいです。(らしいと書いているが一応毎回何かに関わっているし、なんならここ3年くらいは運営代表だ。)

第1回の審査員は杉山知之デジハリ学長、ライゾマの真鍋大度さん、そして今や概念と化し意識高い系を登り詰める男、伊藤武仙(タケセン)TMCN元理事長という、今考えると(当時でも)やたら豪華な布陣。

そういう美点は残していこうということで、毎年、インタラクティブデザインやメディアアートを評価する上で重要な方々に審査をお願いしていたのですが、今年はHLのすべてのイベントがオンラインで行われるという初の試みだったので、MAIDもこれまでのように外部の方に無茶ブリせずに、TMCN界隈でどうにかしようと思い、自ら最終選考委員にもなってみたのですが、そのときに感じたのが、

「MAIDって何?」

ということ。最終選考に残った8作品のプレゼンを聞いたあと、今回の選考委員みんなで話あったときにも、みんなが口々に言う「MAIDって何なのさ?」「MAID感とは?」。

今回の記事は、その時のことを忘れないようにするために残す、自分用メモみたいな内容ではありますが、もし来年MAID部門があってMAID賞受賞したい!という変わった方にも、ひょっとすると参考になるかもしれません。

※これは選考委員全員の総意ではなく、やまざき★はるき個人の見解です。

MAIDの起源は「わかさ」

創設当初は「インタラクティブ・デザイン部門賞」と言っていたのにいつから「MAID」になったのか?

TMCNのCONNPASSページを見るとすぐにわかる・・・2018年からだw

前年の2017年の募集ページには「MA-ID」(「えむえーあいでぃー」って言ってた気がする)という表記があるので、これが元になっているようですが、2018年の募集を始めたときにそれを見た私がハイフンいらんだろうって作ったイベントキービジュアルを見て、「わかさ」が「まいど!」って言い出したのが悪い!なのでMAIDの起源はわかささんです。

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MAID存続の危機

2018年まではMashupAwaradsだったりMAという名のイベントの一部門でした。2019年からは「ヒーローズ・リーグ」という地球の危機を救いそうな名前に改名されましたが、MAIDには存続の危機が訪れました。

「MAがなくなったらMAID(まいど)じゃなくなるじゃん!」

とても大きな問題でした。MAIDじゃなくなったらもうやらなくてもいいんじゃないか?(でも酒は呑むよ)、みたいなことが話し合われたような気もしますし、なかったもしれません。

それじゃちゃんとイベントでお酒が呑めるようにと考え出されたのが、その後の審査基準となる「M.A.I.Dスタンダード」です。応募ページに書いてあるアレですね。

Media :新しい技術的発見・発明が表現に生かされている
Art :作品から作者の問い・思いが強く発せられている
Interaction :作品と鑑賞者がお互いに影響しあえる
Design :技術・問い・体験が巧みに仕組まれている
のいくつかがいいかんじで盛り込まれていること

はい。完全にでっち上げました。わざわざ分解して界隈がざわつきそうな説明を入れなくてもよかったなと今更思いましたがいいんです。これでイベントが開けてお酒が呑めるなら。

それよりも「心を揺さぶる作品を受け付けてます。」という文言。これが MAIDにとって一番大事なような気がしてますし、他の部門とは一線を画するところなのかなとも思ってます。

ちなみに「M.A.I.Dスタンダード」って言葉は今思い付きました。

人は何故「MAID」に応募してくるのか

12月19日に行われたオンライン受賞式で、今年のMAID賞を受賞したひげだるまさんが「MAID賞というのは黒い服を着ておしゃれな作品作る人が受賞するものだと思ってた。」とコメントしているのを聞いて、そういうイメージなのかーと思ったりしましたが、じゃあそうでない方々がなんでそんな部門に応募してくるのか?w

今年はHL応募総数148作品の中から、MAIDには48作品のエントリーがあり、最終選考には8作品が残りましたが、黒い服を着たおしゃれな人たちは一組しかいなかったよw

エントリーしていただいた方は部門の応募要項をご覧になり、自分の作品には「MAID感がある」と思われてのご応募だと思いますが(他に応募するところがなかったからのような方もいっぱいいる気がしますが、ここでは触れないでおきます)、全MAID応募作品を拝見した身としても、いずれの作品からも何らかの「MAIDみ」は感じられるので、まぁーそういうことなんだろうなーとは思ってます。ただ、もっと違う部門を選んだほうが良かったのでは?と感じる作品もあったりで、なぜなのかな?と毎回思っているので、もしよければ何故MAIDに応募されたのか/したいのか、何らかの方法で教えてください。

なお、黒い服は着なくても大丈夫なようです。

MAIDを獲るには

今回、MAIDにご応募いただいた48作品の中からMAID賞に選ばれたのは、ひげだるまさんの「29時間時計」でした。改めておめでとうございます!

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オンライン最終選考会の配信を終えたあと、選考委員全員でなんやかんや2時間ほどの殴りあった末、満場一致で選ばれたのがこの作品でした。

なので、個人的には一点の曇りなく「これはMAIDだ」と言えるのですが、ひげだるまさんご本人が「(黒い服着てないし)どうして選ばれたのかわからない」とおっしゃてるし、MAIDにエントリーいただいた他の作品が他部門を受賞していたりするのを見て、MAIDはどういう観点で選んでいるのかを思い出して残しておくと、あとで役にたつ日が来るかもしれないと思ったので、ここに書き留めておきたいと思います。

よくできている

例年、MAID応募作品はよく考えられて丁寧に作られているものが多いです。なので、明らかに雑なやつとか(それはそれでおもしろいけど)、よくできているけど技術デモの域を出ていないものは最終選考には残りにくいです。

最終選考に残った「Diorama Shooting」の昔ゲーセンにあったエレメカの雰囲気を、最新デバイス「toio」を使ってモダンにアップデートさせた素晴らしさや、「[Ziː].framed」の古いセルアニメーションで用いられていたマルチプレーンカメラから着想を得たと思われる液晶ディスプレイ3枚重ねの装置とそこに映し出される映像作品から感じられるのは、それぞれのメディアの特性をよく研究、理解し作品に生かされているなぁということです。

x10」は作品と体験者、そして「時間」との関係性について、いろいろな考えがぐるぐると巡るようなものであったし、「スパコーン」は的を飛ばしたときに流れる「すぱこーん!」という軽妙なサウンドロゴの裏に隠された、内部の回路から外装などの構造への強いこだわりが、ひとえに子どもたちが余計なことを気にせずに楽しめるためのものであること聞くと、インタラクション設計めちゃくちゃすごいじゃん!と言わざるを得ません。

TRICK SCOOP」なんかはスマートフォンの性能をめいいっぱい引き出しているし、この作品とこれを体験する子どもたち、そしてその親との関係性が丁寧に設計されているし、作品のあらゆるところがきめ細やかにデザインされていて最高だったと思います。

でも「ちょっと今年のMAIDじゃないかな・・・」となりました。(MAIDじゃないかもだけど上記5作品は素晴らしかった。むしろMAIDじゃなくてよかったのではないか?とw)

やばいやつ

最終選考会トップバッターだった「もう外れない、クリアしないと死ぬ? -SAO-」。デバイスを物理的にロックする仕組みなどの出来の良さはありつつも、とにかく見た目がヤバくてヤバかったし「セミ」がとにかくヤバかったが(誰だよトップバッターにしたやつ!)、制作プロセスなどを作者からお聞きすると、気になったデバイスに気になったことややりたいことをどんどん肉付けしていったらなんかいい感じになってしまったという、極めて「MashupAwaradsみ」あふれる作品でした。選考委員みんながやべぇと感じていた「セミ」については、作者ご本人はさほど思い入れがないようで、「ヤベェのが入社してきたけど、結構仕事できるいいやつじゃん!」みたいな印象に変わってしまったのが、自分の中で「MAぽいけどMAIDじゃない」という評価になってしまったのかもしれません。

そして「顔ホッケー」はまさにコロナ渦の今日的な作品。オンラインでコミュニケーションが思うようにならない中、ゲームを通じてお互いに体を動かし、ひとつのことを共有することで繋がりを深められる、というようなハートウォーミングな説明を作者から受けつつも、自分の中では「同じ動作を世界中の人がすることで地球が滅ぶ装置が起動するに違いない」とか「絶対に邪悪な心で人心を掌握しようとしているに違いない」という気持ちのほうが強く、むしろそうであってほしいとまで思うに至ったが、作者的にはそういうことではないらしいということを聞いたときに、ちょっとだけ物足りなさを感じてしまったように思います。

無邪気の中の邪気

M.A.I.Dスタンダード」における、メディア、インタラクション、デザインはどれもすばらしいレベルだと感じる一方で、「作品から作者の問い・思いが強く発せられている」という点を作品/作者自らが発信できているものはあまりありませんでした。

であれば逆に、鑑賞者/体験者である私自身が、その作品からどういうメッセージを感じることができたのか?というのが、殴り合・・・話し合いを進めてゆく中で選考の論点になってゆきます。

作品AとBとCであれば、どれから一番強いメッセージを感じられたか。DとEであればどっちか。じゃあAとEならどっちか・・・そんな総当り戦を何度も行った気がします。3回で済んだかもしれません。

殴り・・・話し合いを繰り返してゆくなかで、魅力的に見えてきた作品に共通して感じられたものが「狂気」。一見、無邪気を装っているけれども、完全には隠せず漏れちゃうんでしょうね・・・邪気が。

作者自身が言ってないこと/思ってないことを、勝手に感じてんじゃねーよ!とお叱りを受けそうですが、感じちゃったんだもん仕方ねーだろ!

選考委員が試されている

ヒーローズ・リーグに応募される作品の大半はすごい!楽しい!おもしろい!便利!といったポジティブなメッセージを発していて、受け取る側もそれを額面取りに受け取っているんじゃないかなと思いますし、それが受賞というかたちで評価されるのだと思います。

でも、ネガティブなメッセージだって大事だと思うんですよね。自分の中に両方を持っていたほうがバランスがとれていい。そのほうが感情の多様性を持てると思うので。

MAIDというのは、応募された作品の中に閉じ込められている感情をポジティブ/ネガティブ問わずに無理やり引きずり出す作業のことなのかもしれないです。無理やり引き出すということは、鑑賞者自身の想像力、いや「妄想力」に完全に委ねられているということなんですよね。つまり「試される選考委員」。

裏を返すと、妄想力を引きずりだすための手がかりと、その先に何か心を揺さぶるような感情がつながっているような感じのする、そういう余地のある作品がMAID賞を穫れるんじゃないかと思います。おそらく。(その部分がちゃんと仕組まれているような作品だったら、MAIDなんかに出してないで他のアートコンテストに出してくださいw)

今回、MAID賞を受賞された「29時間時計」はまさにそんな作品だったと思います。作品や作者を置いてけぼりにして、選考委員が妄想しまくった結果、「やべぇなこれ」と全会一致で決定しました。作品の解説はProtoPediaでご覧いただくとして、選考理由については以下に転載しておきます。

すべての人に平等に与えられていると思っていた「24時間」という概念を暴力的に破壊する一方、効果の疑わしい健康食品に「救済」を求める人々の姿も呼び起こされる極めて今日的な作品。作者自ら被験者となり効能を主張する様相は、鑑賞者の心にぐさりと刺さり痛い。ひげだるまさんの今後の健康を危惧せずにはいられない。

MAIDとは?

心を揺さぶるようなものには、良くも悪くも「狂気」が含まれている。今、「MAID」って文字を見てみたら、私(I)の周りに狂気(MAD)が漏れ出てるじゃない!

そういうことです。

もし来年、ヒーローズリーグにMAID部門が設置されたとしたら、やっぱり選考委員は誰かにお願いしたいので、そのときはイヤがらずにどうぞよろしくお願いいたします。楽しいですよ?あと運営をお手伝いしてくれる方も絶賛募集します。(来年やるのかな?)

最後に今年のオンライン選考会の模様がYouTubeにアップされてますので、よかったら見てください。(ただの呑み会みたいになってますけど)


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