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生きているということは、あのとき死ななかったということの連続かもしれない
歳をとるごとに生への執着が減っている気がする。
もちろん痛いのや苦しいのは嫌だけれど、死ぬこと自体に恐怖はあまり感じない。
今の生に満足しているからだろうか。
別に今死んでもまぁいいかな、と思う。
やりたいことはもうやっているし、大好きな人たちに囲まれてとても幸せだ。
もう極楽にいるようなものだ。
あ、死ぬんかな
3月、4月と連続してマダニに2回噛まれた。
フタトゲチマダニという致死率の高いウイルスを保有している可能性のあるマダニだ。
もしそのウイルスに感染しても現在薬はない。
コロナ騒ぎが大きくなってきた最中だった。
そんなときに、コロナよりよっぽど致死率の高いウイルスの危機にわたしは直面していた。
『あー、わたしはマダニで死ぬんかー』
と、ふんわり思った。
学習、観察、実験、運
1度目に噛まれたのは先月中旬。
脇腹の上の方に喰いつき、すでにかなり大きく肥大していたのを温泉で見つけた。
頭ごとわたしの皮膚に突っ込んだ体をつまむと8本の脚がジタバタと動いていた。
これがわたしにとってはじめてのマダニとの対面だった。
はじめてなもので対処法も詳しくなく、温泉スタッフの方に毛抜きで引き抜いてもらった後日、結局切除手術するに至った。
※自力で引き抜いてはいけません
その翌月、4月初旬。
朝目が覚めて服を着替えるときに脇腹に見覚えのある姿を発見。
マダニである。
またお前かいな。
とつっこみたい気持ちを抑えて、冷静に対処した。
2匹目のマダニが喰いついたすぐ上には、先月の手術痕も生々しく残っている。
時はコロナ騒ぎもかなり深刻になってきた頃。医療施設も大変なときである。
『こいつは自分でどうにかしよう。もし感染したら、その時はその時や。』
ということで、しばらく脇腹にマダニをぶら下げて生活した。
ぶら下げている間、実験の意味でありとあらゆる民間療法を試してみた。
酢をかけたり、洗剤をかけたり、軟膏を塗ったり、多くの知人が教えてくれた方法をいろいろ試してみた結果、
うっかり脇腹につけたまま殺してしまった。
※あかん
しかもその翌日、うっかりマダニの口を皮膚に残して体を引きちぎってしまった。
※あかん
あかんオンパレードをしでかしてしまった訳だが、そのマダニがウイルスを保有していなかったら万事休す訳で、それを祈って病院には行かずに暮らしていた。
繰り返しになるが、死ぬなら死ぬでよいと思っていた。
死にたいわけではない。
今死んでも特に後悔はない、という意味だ。
生の完(まっと)う
結局わたしは今生きているので、マダニロシアンルーレットには当たっていなかった。
マダニの口があるところは、今はかさぶたになっている。
そのうち体の異物排除機能が働いてマダニの口ごとポロリととれるだろう。
生かされてしまったから、わたしにはもう少し今世でやることがあるのかもしれない。
もう少し何かに貢献させてもらえるのかもしれない。
今わたしが生きていること(死んでいないこと)を意識しながら、今の生を完うしていきたい。
しかし、『生を完うする』とはなんだろうな。
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