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令和六年六月三日 「推しへ。デビュー1周年おめでとうございます。山吹より。」

【日中】


八時ごろ起床。
土曜に買った靴を履きたいがためにメイクなどをする。
思ったような顔面にならず、二時間ぐらい顔をいじっていた。
ぼんやりとしながら十二時半。うたたね。
午後の講義十五分前に起き、講義に向かう。
院生室のドアを開けた瞬間、休講通告をされる。うっかり同期を嬲り殺しそうになる。前科者にはなりたくない。知らんやつから番号で呼ばれるのが嫌すぎるから。せめて、様をつけてくれるなら収容されるのもやぶさかではない。
本日休講になった講義には「先輩」も出席しているので、きっと暇を持て余し喫煙所にいるだろうと思い、向かうとやはり居た。
密売人のように『キメネコの薬図鑑』を渡す。先輩の分も買っておいたのだ。
30分ほど雑談をしながら煙草を吸った。一緒に駐輪所へ向かい、解散。
散歩ついでに飯を食いに行った。

3割ネコのロボットが食物を運んできた。滑稽。
ただ、セルフレジはいい。楽だ。
帰宅してからは夜まではあまり覚えてない。それだけつまらん時間を過ごしたのだろう。

【推しのデビュー1周年】

めでたいことに本日は推しのデビュー1周年だった。
朗読で心をつかまれ、またその人柄で惹き込まれた。唯一無二の不思議な魅力がある。
京都にソワレという喫茶店があるが、あの店の雰囲気に似ている。
万華鏡を覗くような、硝子細工を見るような、ただ触れたら最後消えてしまいそうな人。

vtuberの寿命は三か月なんて話を聞いたことがある。(ただしくは読んだ、だが)
真偽は不明だが、確かに私が見てきた限りVtuberというのは短命だ。準備中に消えていくVtuberもいる。アスファルト下の蝉みたいに。

このような世界で推しが活動1周年を迎えた、というのは非常に嬉しいことである。
FAを描いた。かなり好みの顔を描くことができて嬉しい。でも推しはもっとたれ目でもっと可愛い。(面倒臭いヲタク)

そんな推しはこちら。


【推しという共通記号】

横道に反れ横転するが、私はよく「推し」という言葉を使う。
率直に申し上げるとかなり便利な言葉だからだ。
「推し」という言葉だけでその対象に対する姿勢がなんとなく通じる。とりあえずその対象が「好き」だ、くらいのことは伝わる。
今や標識のように当たり前に認知されている「推し」
もちろん、人によってその感情の程度にバラつきはあるだろう。
しかし、「文学」を専攻していながら「流行りのスラング的な言葉」の利便性に飲み込まれているのは非常に恥ずかしい話である。
また気が向いた時に暇つぶしがてら「推し」という言葉についてもう少し考えてみても良さそうだ。

どうでも良い一言:
「推し」には広義も狭義も無いような気がする。不思議な感覚だ。

以降人を不愉快にさせる嫌味と自嘲:
Twitterなどにそのような《頭がよさそう(笑)》な文章をあげると「賢い」「さすが大学院生」などとつまらん反応をされるだけだがnoteだったら、まぁ、いいだろう。
基本的に、ここまでの【長文】を読んでくれている君なら「頭がよさそう」「賢い」なんてつまらない反応をしなさそうだ。

と、いう淡い期待。否、願望。
失笑。
私は賢くない。高尚な存在でもない。俗っぽいんだ。
と己に対する浅い評価に苛立つ私だが、一瞬でも君は「そんな反応をしないだろう」と期待してしまった私もまた、つまらない反応をする人間と同じなのかもしれない。
滑稽だ。嘲笑うがいい。
私は私が憎い。同じ穴の狢である。
癪だ。
しかし、他の狢を食い殺せばいいのかもしれん。





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