1ドルの夜景



「夜景見たい」


もうベッドに入って1日も終わるって時に、恋人は何か思いついたらしい。
面倒だから聞かなかったことにする。


「夜景見に行こ」

 
このまま無視し続けると恋人がオウムみたいになってしまうので仕方なく外の現状を伝えてみる。


「雨降ってるし風強いけど?」

「けど見たい」

「今日じゃなくて良いじゃん」

「今日だから見たいの」

「こんな天気じゃなんにも見えないよ」

「何も見えないから見に行きたいんじゃん」

意味がわからない、と言おうとしたけどやめた。


恋人は時々急に変なことを言い出す。
そもそも今日は家の中にいたってわかるぐらい一日中雨も風も強かった。
しかももう寝るような時間。何ならもう眠たい。けど行かないと機嫌が悪くなるのも知ってるし、その機嫌を直す方が面倒なことも知ってる。
仕方ないから渋々出かける準備を始めた。


ここらで夜景を見たいと言ったら行くところは一つしかない。
100万ドルの夜景と有名な観光名所。けど近場に住んでる身からしたらわざわざ人の多い観光名所になんて近寄る理由もない。最後に行ったのは小学生の頃だったろうか。
急に夜景が見たいと言った割には恋人は終始変わった様子もなく、たわいもない会話をしながら頂上に向かった。


頂上に着く頃には雨風は少し弱まりはしたけど、こんな天気で夜景を見にくる観光客がいるわけもなく貸切。
そしてなにより寒い。それでいて。


「……」

「…真っ白」

雲が低くて、街を見下ろしても視界は真っ白。
夜景も何もない。


「どう?」


どう?って。見たいと言ったのはそっちなのになんで感想を聞くのだろう。気を使う相手でもないから思ったことを口にする。

「最悪だね。100万ドル分の1ぐらいの夜景」

「はは、言うねぇ」

何も見えない夜景を見つめながらすごく嬉しそうに笑う恋人。
恋人にだけ何か見えてるのか少し心配になる。同じように街を眺めてみるがやっぱり何も見えない。
望遠鏡を使えば見えないものも見えるだろうか。

「うん、満足した」

どうやら夜景を見たい恋人の欲は解消されたらしい。雨風も強まってきたし手を取ると冷たいので、さすがに恋人も限界なんだろう。

「そう。じゃあ寒いから帰ろ」

「アイス買って帰る」

「……は???」

結局その後アイスを買って(半強制的に)帰り、アイスを食べて余計に冷やされた互い身体を温めあって寝た。
寝る間際眠たそうな声で、『これから先、きっと誰かと夜景を見ることがあるかもしれないけど、あんな天気にあんな景色の夜景を見ることはないでしょ?だから行きたかったの』と言って一人先に眠ってしまった。

わかるようなわからないような。眠たい私は特に深く考えず、恋人を抱きしめながら意識を手放した。




あれからどれくらい月日が経ったか。
何年経っても、誰と一緒に夜景を見ても、あの日のことを思い出す。
急に最悪な天気の日に何も見えない夜景を見に行った日。後にも先にも、あんな最悪な夜景は見たことない。




あの時の声が、仕草が、寝顔が、今でも私の中で『毒』として、記憶の中に根を張り続けている。

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