聴く音楽 第一楽章


私は音楽と真剣に向き合ってきた過去があります。

その上で断言します。音楽に力なんてありません。
よく言われている「音楽の力で」なんて戯言です。
本当に卑しく、そしておこがましい。


音楽を聴いて感じることなんてそれぞれ違うはずなのに、それを一つのゴールに向かわせようだなんて。
音楽を手段や目的にして行う音楽療法や音楽を通しての教育ならまだしも、人を感動させるために、勇気を与えるために、そんなことのために音楽を使わないで欲しい。って私は思います。

音楽を聴いてどう感じるかは音楽を聴いた人自身の感性や経験、知識などが関わってきます。だからどう感じるかなんて人それぞれのはずで、同じ音楽で感動する人もいればしない人もいるわけです。

例えばヴェートーヴェンの交響曲5番「運命」の出だし。
並んでる音符は同じでも、カラヤンが、フルトヴェングラーが、小澤征爾が指揮を振ればそれぞれ違うものが生まれます。さらに聞き手の数だけそれぞれの解釈があって、聞き手の感性や経験によって感じ方も変わってきます。誰一人聞こえ方が同じなわけがないんです。

どれだけ大勢で演奏しても、聴いても、個人の関わりでなくてはならない。そこに価値観を押し付けるような、誰の手があってはいけないものなんです。
だからこそ、「音楽の力で」なんて言葉は個人の関わりを無視した乱暴な言葉だなって思います。

もしあなたに音楽を聴いて元気が出たり、勇気づけられた経験があるのなら、それは音楽の力ではなくあなたの感性が豊かな証拠です。今まで培われてきたあなたの感性が、音楽をあなたにとって特別なものにしていると、私は音楽というものをそう解釈しています。

音楽は無力です。聴く人がいないと成立しない。でもだからこそ聴く人次第で無限の広がりがあって、それが音楽の魅力に繋がるのではないのかなと私は思うのです。


はい。ということで、実は音楽のnoteを書いていたのですがすごい量になってしまったので、分けて出すことにしました。今回は一楽章、聴く音楽でした。これから私の過去の音楽との関わりも含めてnoteに書いていけたらなと思っています。暫しお付き合いを。

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