生活することで分かること

生活すること

生活することで分かること

洗濯物を外に干そうと思ったとき、放射線が付着したら嫌だなと思った
みんなは洗濯物を普通に干せたのかな?
窓を開けることや、外で遊ぶことが普通にできたのかな?

これはここで生活しなければ、思いもしなかった感覚だろう
ここに来て、生活をしなければ

多分こういう些細な営みの中で、ここで生活しているのだと気づく
とても当たり前のように、
自然に、身体の中に染み込んでいくように
富岡町の一部として取り込まれるかのように

私はやっぱり、ここで生活をしているのだと

そう思うと、ここは人の営みが外から全く見えてこない
人が普段どんな一日を過ごしているのか見えてこない
だからスーパーや何かのイベントなどに行くと、人が普通にいるからびっくりする
(私が気づいていなだけで、つながりがある仲間うちでは誰がどのように過ごしているのかわかっているのだろうか
そういうのが分かるようなその人たちだけのサインのようなものが)

最初はただただ戸惑っていて、自分がこの地域に対して何に戸惑っていたのか分からなかったけれど
1カ月ほど生活してくると、それを落ち着いて見ることができている気がする

でもそれと同じペースでここにいることに慣れている自分もいる
その情景が当たり前のようになる
いつのまにか、ほんとうにいつの間にか

そう思うと生活することは慣れることでもあるのかもしれない
ここにいることに慣れること
それはおそらく抗いようもなく、自然と、町の一部になるように

私はいまそれと戦っているような気がする
なんとか取り込まれないように、必死に抵抗しているような気がする
ここに来て、最初のころに思った違和感や不思議に思ったこと、面白いと思ったことを今の私はもう同じように感じることはできないかもしれないから

けれど一方で、初日に来たときには普通に洗濯物を干すことができていたように、最初のころには分からなかったこと、見えてこなかったことも生活することでいっぱい見えてきている気がする

だから抗わず、仲良くやっていこうと思う
今の私だからこそ見えてきたこと、
生活する中で、分かったことや見えてきたことをここに生活している人と
共有できたらいいなと思う

まだまだ全然分からないけどね。

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