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狩猟採集社会から農業への移行は、「彗星の衝突」が原因⁉

 10月28日の朝日新聞デジタルに、「彗星の空中爆発で農耕時代が始まった? 中東の遺跡に「激変」の痕跡」という記事が出ているのですが、この話、以前にもどこかで見たようなと思って検索すると、今回の記事のネタ元は、おそらく9月28日付けのScienceOpen.com掲載の”Abu Hureyra, Syria, Part 3: Comet airbursts triggered major climate change 12,800 years ago that initiated the transition to agriculture”だろうと思います。

 この論文の研究対象はシリアの遺跡「テル・アブ・フレイラ」で、人類最古の農業の形跡が認められたことで知られています。この遺跡、現在はユーフラテス川をせき止めるタブカ・ダム(Tabqa Dam)建設によりアサド湖の水底に沈んでいるのですが、終末期旧石器時代と、放棄されていた時期を挟んで、新石器時代の2つ時期の遺跡が発掘されて、終末期旧石器時代の13,050年前にライ麦が耕作・栽培されていた証拠が見つかっています。「テル・アブ・フレイラ」の研究は2000年に最終報告が出されたのですが、その後も研究が続けられていて、いくつか論文が出されています。

 この「テル・アブ・フレイラ」についての研究で、「彗星の爆発で滅亡し、これがきっかけで農耕が始まった」という論文を見たような記憶があったのですが、調べてみると2020年のnatureの『Scientific Reports』に掲載された”Evidence of Cosmic Impact at Abu Hureyra, Syria at the Younger Dryas Onset (~12.8 ka): High-temperature melting at >2200 °C”のようです。
 この論文では、「テル・アブ・フレイラ」が、1万2,800年ほど前に地球に落下した彗星によって破壊されたらしく、およそ1万2900~1万1500年前、地球が北半球の高緯度において急激に寒冷化した「ヤンガードリアス」期境界の東端に「テル・アブ・フレイラ」が位置していることから、急激な気候の変化により、人々が狩猟採集生活から農業に切り替えて村を再建したと述べられているので、今回の記事を見て「あれ?」と思ったわけです。

 ただ、今回はさらに研究が進んで、より詳細な内容がわかってきたようです。
 「彗星が衝突する以前の「テル・アブ・フレイラ」では、豊かな森林が存在していたため、人々は狩猟や採集で生活していたのですが、彗星が地球に衝突すると、地球は急激に寒冷化し、「テル・アブ・フレイラ」周辺は自然の少ない乾燥した気候へと変化しました。ヤンガードリアス前の豊かな自然が広がっていた頃のテル・アブ・フレイラでは、住民は野生のマメ科植物や穀物、ベリーなどの果物を食べていたのですが、ヤンガードリアスにより寒冷化した時期の「テル・アブ・フレイラ」では、食生活から果物やベリーが消え、代わりにレンズマメやオオムギ、コムギが増えました。これは、ヤンガードリアスによる寒冷化によって、「テル・アブ・フレイラ」の狩猟採集社会が行き詰まり、穀物やマメ類の栽培へと移行したことを示唆する」というものです。

 ただ、今回の記事に出ている「約1万2800年前、中東のアブ・フレイラの村を襲った彗星の空中爆発(イメージ)」の絵が論文にはないので、なんでだろうと思ったのですが、2020年の論文が出されたときに作成されたと思われる「Abu Hureyra, Gobekli Tepe and the Origin of Civilisation」の動画の中のチャプター画像なんじゃないかなぁって思うのですが(違うかな?)。

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