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浜北が浜名になるってことは、もとに戻るってことですね。

 12月1日の中日新聞しずおかWeb版に、「愛着の「浜北」さよなら 1956年以来の地名、今年限り 施設名称では存続も<浜松市7区から3区へ>」という記事が出ています。

 来年1月1日に実施される浜松市の行政区再編までの1カ月前ということで、再編に伴い、浜北区が浜名区となることで「浜北」の地名が消えるという話題ですが、「浜北」は1956年(昭和31年)4月1日に 浜名郡浜名町、北浜村、赤佐村、中瀬村、引佐郡麁玉村の5か町村が合併し、浜名郡浜北町が誕生したことでできた地名ですので、地名としてはそれほど新しいものではないわけです。
 むしろ旧麁玉村地域を除けば、郡制に基づく1896年(明治29年)設置の浜名郡だった地域(一緒に浜名区になる北区も含めて)なので、地名としてはより古い地名に戻るわけです。ただし、もっと遡ると、 郡区町村編制法に基づいて1879年(明治12年)3月12日に設置された浜名郡は、今の湖西市の白須賀地区あたりのみで(実際その方が浜っぽい場所です)、浜北は長上郡と豊田郡なのですが …。

 細かいことを考えないで「浜北」と聞けば、浜松の北?浜名湖の北?って感じでなんとなく場所のイメージがついたのですが、内陸部なのに「浜」名区って名称になってしまうことになるので、全然「浜」じゃないじゃん!って感じで、本来地名ってその土地の特徴を表しているものなのに、場所のイメージもわかないことになります(ですから平成の合併で成立した市町で、ひらがなだったり、その土地とは関係のない地名になってしまったところなどは、地名を聞いてもどこのことだかわからないっていう状況になっています)。

 「浜北区」とともに「浜名区」になる「北区」三方原地区以外の地区も、「北区」は引佐郡と敷知郡なので「浜名」要素はないですから、いっそのこと「浜北区」の方が、場所のイメージがつかみやすかったんじゃないかなぁと個人的には思いますが、何で「浜名区」になったんですかね?

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