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【テツガク】平成の30年間で私たちは豊かになったが、それを感じることは存外難しい(無料公開)

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【ロシュツ】今週のメディア掲載情報

9/7 日本経済新聞 LIFE IS MONEY
結婚でもおひとり様でも…自分の決断に自信をもとう
結婚かおひとり様か(1)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63416030T00C20A9000000/

9/1ハピママ*
【引き落とし】残高不足でも大丈夫!? やっておくと安心な「簡単2つの対策」
https://ure.pia.co.jp/articles/-/805215

9/8 楽天証券トウシル 
なんとなくから卒業!実践・資産形成術
iDeCoだけの「口座管理手数料」。嫌がるのは損かも?
https://media.rakuten-sec.net/articles/-/28624

【テツガク】平成の30年間で私たちは豊かになったが、それを感じることは存外難しい


豊かさについて時々考えてみると興味深いことが分かる。高齢期にある人ほど、社会は豊かではないという。郷愁を誘う過去は美しく語られるせいだろう。新しい便利や新しい豊かさは、理解できないということもあるかもしれない。

若い人は未来に期待を持てない、というか未来を想像できない。それは不確定だし、実際には想像通りにはならない(例えば、スマホのない20年前、ネットは手元でアクセスするものになると誰が予想しただろうか? 誰もがSNSで情報を発信できるようになるとは?)。だから、今よりも豊かになるとはなかなか思えない(楽観主義が支配すれば別)。

平成の30年間は一般に、衰退で停滞な期間だと言われるがそれは本当だろうか。本当に「失われた○年」と呼ぶほどひどいものだっただろうか。例えば、

・風呂トイレエアコンなしの畳6畳一間
  →衛生的なワンルームマンションに進化
・家電話の通話のみ そこにいないと電話はできず
  →スマートフォンによる携帯端末で位置の制約から解放
・雑誌や新聞テレビのみの情報収集 自ら発信することはできず
  →インターネットやSNSによる情報伝達速度の進化と情報共有の実現
・ノイズとゆがみのあるアナログテレビ
  →鮮明な液晶テレビによる視聴体験の獲得
・リアルタイム視聴のみが映像を見る方法
  →録画やダウンロードで見たいときに音楽や映像を見る環境の確立
・写真や映像を保存するのはとても値段がかかり、かつ画質は低め
  →デジカメやスマホカメラの高度化による画像共有

……こうやってあげてみると、私たちの生活の「質」が向上していないというならそれはもうウソだ。少なくとも現実を直視していない。

ところで、豊かさの象徴のように語られる時期といえばバブル景気の頃だろう。しかしこのときまだパソコンもインターネットも存在していなかった。バブル景気が完全に崩壊し、就職氷河期がスタートしたのが1995年だが、この年はWindows95の発売年でもあるからだ(私が社会人になった年でもある)。

携帯電話がないというのはなかなか苦労する。友人と待ち合わせするのは電話か口頭で、駅で会えなければ掲示板にチョークで書き置きするか駅のアナウンスを依頼したものだ。

そんな時代を振り返る映像を先日みた。NHKの深夜番組で、過去のヒットソングを当時の社会風俗の映像とともに流す番組があったが、実生活のクオリティとしては驚くほどシンプルで貧相なものだったことに驚く。

特に、イタ飯ブームが起きたときの食事風景は衝撃的だった。パスタがあり、ティラミスが添えてあるのだけれど、これが笑ってしまうほどシンプル(「貧弱」というのはかわいそうなのであえてこう評することにした)だったのだ。「え、ファミレス?」と見間違うほど。

しかしそれは、南青山などのエリアに出かけ、高級品と思ってデートで食していたはずの映像なのだ(しかも当時はそれを1万円以上払っていたに違いない)。

おそらくその味はガストやサイゼリヤの「2020年」にも負けているはずだ。味で負け、価格で10分の1(サイゼリヤなら絶対1000円はかからない)になっているとしたら、当時の豊かさとはなんなのだろう。

実はバブルの頃なんか豊かでもなんでもない、と私は思う。彼らは「過去との相対的な比較」で自分たちを豊かだと思っていただけなのだ。もっと簡単にいえば「知らなかった」「新しい」ものが豊かさを実感する要素なのだ。

学生紛争が激化していた時代だって豊かであるかというと大いに疑問だ。女性は明らかに差別的取り扱いをされ、教室でも電車の中でも誰もが煙草を吸っていた。トイレと風呂はない部屋(しかもエアコンもない)にすみ、実際には非道なスターリンと北朝鮮が聖人と楽園のように語られていた。

「知らない」ということは憧れを作りやすく、「昔よりグレードアップ」していることは幸福感を呼び起こす。そして過去のイヤなことは忘れることができるので、年を取るほど過去は美化されていく。

   ◇   ◇

もちろん物質的豊かさが精神的な豊かさとイコールではない。人権や多くの自由が保障されれば精神的な満足度が上がるわけでもない。

今の現代の日本に問題がないわけではない。もちろん問題はまだまだ山積みだ。しかし1をもって100とするような他人のロジックに、そのままネガティブな感情を乗せないほうがいい。

日本の難しさは、物質的な豊かさがすでにあることなのだろう。そして(改善の余地こそあれど)、発言の自由はあり集会の自由はあり、社会的不公正は歴史的にみれば減っており、社会保障はまがりなりに機能している。

そこから豊かさを「感じる」というのは実はとても知的な作業なのかもしれない。

今ある豊かさと将来獲得する豊かさを実感することは、過去を知り、歴史を知る、自分を知ることでもあるのだから。

発行 2020/9/13
通巻 No.89.1
(c),2020,syunsuke yamasaki

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