「ゲーム画面のようにアニメがきれい」という感覚
子どもの感覚というのは時代を反映させるのが面白い。昨日は下の娘6.6とおままごとをしていたら、「はい、てをシュッとしてくださいね」とスプレーを使った「除菌」の仕草が加わっていた。ウィズコロナだ!とびっくりしたものだ。
2年くらい前だろうか。これまたおままごとで「おかねは『ピッ』としてはらってくださいね」と石けん箱のようなものを示されたことがある。コンビニ等で私がスマホでキャッシュレス決済しているのを観察して、おもちゃのお金ではなくキャッシュレス決済をしてもらおうと考えたわけだ。
男子8.6のほうは、といえばこの2年ですっかりゲームを楽しむようになった。そしてふたりともアニメも見るようになった。ドラえもんやプリキュアのようなシンプルな物語から入り、「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」まで見るようになった。これまた、Amazon Prime Videoのようなサブスクリプションサービスがあるので「本放送はとっくに終わっているけど、興味を持ったら一気見する」というスタイルで視聴している。
20年前ならレンタルビデオに行って、2話ごとに数百円(新作扱いで高い)を課金して、貸し出し中となれば続きが見られず悶々としていたわけだから、時代の変化は大きい。
ときどき10年以上前の作品を見つけて一気見するのも今の時代ならではのアクセス方法だ。週に一度、一話ずつしかエピソードが進展せず、見逃せば見返す方法が存在しなかったのは大昔の話で、そんなこと今どきの子どもは考えもしない。
そうした時代変化を伴う子どもの感想で、最近面白かったのは「ゲーム画面のようにアニメがきれい」という感想だ。
「鬼滅の刃」の劇場版を自宅で見ていたときのことだ。画面の美しさに感動したコメントを発しようと男子8.6が選んだ言葉がすごかった。
「すげー!ゲーム画面のように(映像が)きれいだね!」
なかなか興味深い。
私の感覚では
「ゲーム画面の美しさ<アニメ画面の美しさ」
は絶対的な公式となって頭にインプットされている。ゲームはドットが粗いものだとすり込まれているからだ。しかし、子どもの感覚では
「ゲーム画面の美しさ=アニメ画面の美しさ」
どころか
「ゲーム画面の美しさ>アニメ画面の美しさ」
となっていて、ゲーム画面のように美しい、が褒め言葉として成立しているわけだ。
もう少し分析してみよう。最近のアニメは基本的にCGである。ほとんど気にならないレベルだがドットがあるといえばドットが見える。しかし、CGといっても昔ながらの「絵」が動くアニメが中心で、CGを使えるようになって光や動きが明らかに美しくなった(CGといっても、立体物のポリゴンが動いているなあ、というアニメは日本では主流ではない)。セル画の時代と比較するだけむなしくなるほどだ。
一方で最近のゲームは、プレイ画面も美しいし、特にムービー画面となればテレビアニメと遜色がない。私が学生のころには数秒のムービーでギザギザのドットで描かれた女の子がちょっと笑顔を見せたムービーに感動したわけだが(PCエンジンの「イース」とか)、今ではアニメと同じ素材がゲームで使われるレベルだ。
先ほどのおままごとのように、子どもの育った環境からすれば「ゲーム画面=きれい」が前提であって、アニメの褒め言葉に出てくるというわけだ。
――さて、この話にはもう少しだけ感想がある。
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