「あそこには知っていることしか書かれていない!」は喜ばしいことである / 我如何にしてレッズサポとなりしか / 少しレトロな絵柄がこのミステリーにベストマッチ~コミック「虚構推理」
【週刊ヤマサキシュンスケもくじ】
【ロシュツ】今週のメディア掲載情報
4/22 日経新聞電子版:「人生を変えるマネーハック」
ブラック勤務にNO 入社3年目、有休でオンオフ学ぶ
4/23 楽天証券トウシル:なんとなくから卒業!実践・資産形成術
<投資の始め方>新入社員の5人に1人!? 企業型確定拠出年金の加入者が増加中!
4/23 日経DUAL イクメンハック!
パパ社員こそテレワークを! そのメリットと注意点
4/25 AllAbout 賢く生きる3分間マネーハック
デイトレとFXするなら止めないが、これだけは守って!
【テツガク】「あそこには知っていることしか書かれていない!」は喜ばしいことである
よく「○○新聞はレベルが下がった。知っていることしか書かれていない」とか「WEBサイトの××のコンテンツ、100本読んで役に立つのは数本しかないね」というような発言を耳にする。
たいてい愚痴のような感じで書かれている。そしてたぶん、自分の能力のすごさを自慢しているのだろう。
でも、私にしてみればそんなことは当たり前のことだし、それについて愚痴を言うことのほうが間が抜けていることだと思う。ちょっとそんな話をしてみよう。
この問題、「コンテンツの提供側」つまりメディア側と、「コンテンツの受け取り側」つまりあなた、の2者の関係でもあるわけだが、まずあなた自身について考えてみる。
22歳の頃に読んでいた日経新聞はほとんど知らないことばかりが書かれている。ページによっては呪文が書かれているような気になるし、どこから読めばいいか分からなくて途方に暮れる。
しかし40歳を過ぎて、日経新聞に書いていることを隅から隅まで「初めて知った!」という人はいなくなる。というか「初めて知ることばかり!」では困る。そこには自分自身の成長があるからだ。
つまり「日経新聞がくだらないことしか書かなくなった」と考えずに「日経新聞に書いてあることのたいていは自分が知っている知識となったのだなあ。オレもちょっとは成長したかな」と前向きに思えばいいのだ。
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