「ホントにいたこんな熟女」2020秋№6(一度死んだ女)

 
「私ってエロス歴が長いんです。でもそれはイバラの道だったかも」
 まるで自己啓発セミナーの講師のような口ぶりで語る彼女は、今現在都内で機械系メーカーに勤める独身OLである。
 その面立ちはあの往年のバラドル森口博子に似た明るいキャラ。いま現在OLをしながら、5人のパパとつき合いながらM女としてSMクラブにも勤め、多忙な日々を送る彼女。
「地元が長野の田舎で、高校時代はテレクラも無くて比較的大人しかったんですけど、18歳の時に当時10歳年上のアマチュア劇団員と付き合ったりしました。山田洋次監督の映画のような牧歌的な世界で、初体験も牧場でその彼でした」
 卒業を期にその彼とも別れ上京。服飾関連の専門学校に入学すると在学中に衝動的にある行動を起こす彼女。
「ちょうど19歳の誕生日を数日に控えたある日でした。このままではダメだって突然思いたって夜の歌舞伎町に一人でナンパされにいったんです。当時まだあったコマ劇場の前でした。相手は警察の機動隊の新入隊員で、その夜はとりあえずSEXしました。その後も何回か会いましたけど結局自然に消滅して・・・」
 そのナンパされ体験から彼女の心のタガは完全に外れてしまう。
「割と専門学校の女子は、女性の性をお金にしている人が多くて、そんな彼女達が読んでいたのが当時あった風俗情報誌で」
 彼女はその求人誌に載るあらゆる夜の業種にトライし、または自己表現の場所を模索していった。
「最初はキャバクラで、儲からないなって思って、次に吉祥寺のピンサロでしたが、3日目に遅れますって電話入れたら、もう来なくて良いって言われて辞めました。それから盛んにやったのが、個人撮影のモデル。劇団のワークシュップにも通ったり、年末に第九を合唱団で歌ったり、夏にはヨサコイ踊りの連に入って踊ったり・・・当時は自分がどれほどの力量かをみたかっただと思います。それでも金にならないし、困ったなって思って、じゃあ食えるパファーマンスはなにかってなった時にパパ活だったんです」
 同じく情報誌に載る交際クラブの門を叩く彼女。
「クラブに登録した時に言われた相場が3万円で、お食事にいって最後まで、大人のお付き合いですから。なんて言われて」
 その後は数軒のクラブに登録を重ねて行く彼女。
 学校卒業後も都内のランジェリー店に働きだしてもこのパパ活は続けていったという。
 やがてアラサーとなった彼女は、更に風俗業界へと深く分け入ることに。
「28歳になったら熟女キャバクラ、オッパイパブ、デリヘル、後は獣姦やスカトロみたいなマニアAVかな。ゴールデン街でもバイトしたり、ソープやストリップの舞台も。まったく社会勉強です」
 そんな挑戦を続ける彼女に水を差すように、31歳の時に子宮経ガンを発症し手術を受けることに。
「もし発見が遅れてたら全摘出って言われました。辛うじて子宮は残しつつ患部を切除しいまも経過観察しながら生活しています。全身麻酔を受けたあの10月20日に私は一度死んだと思っています」
 これまで彼女を突き動かしてきたものはなにか。
「常に悩んでいます。なんで普通に生きられないのかって(笑い)」
 彼女の自分探しはいつ完結するのだろうか。
 

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