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初めての風俗、冬。

12月23日、池袋西口のマック前。
前日飲んんだ酒が少し残った気怠い体で、精一杯の男受けしそうなワンピースに身を包み、私は携帯の画面を見ながら返信を待っていた。

そのうち、メールの受信画面が流れ「着きました、シルバーのステーションワゴンです。」とメールが届いた。それらしい車に近づくと、いかにもヤンキーのようなジャージのセットアップに身を包んだ男が出てきて「いずみちゃんだよね?さなです。よろしくね。じゃあ、車乗ってくれる?」と言った。
車高が低く以上に乗りにくい車に乗車すると、私と同じように気怠そうにした女が二人携帯を見つめながら席にもたれかかっている。

「もしもし?あ、今日現場土浦ねよろしく~」という電話を何人にもかけているさなをボーっと見ながら私は頭の中でドナドナが一生エンドレスリピートしていた。

「ドナドナドーナドーナ、子牛を乗せて~♪」
私は今から、ドナドナの子牛と同じく身体を売られに運ばれていくのだ。前日会った同級生のスカウトの先輩から紹介してもらった未成年でも働ける風俗に足を踏み入れた、それが援デリだった。

「サクッと抜いてさっさと出てくればいいから楽だよ」とスカウトは言っていた。それなら楽勝だと私も二つ返事で働くことを決めた。援デリがどれだけ危険で違法な風俗かなんて、最初は一ミリも知らなかったのだ。
心配していた身分証の確認も、さなからされることはなく私は少しだけホッとしていた。


最初の日の事は、ほとんど覚えていない。でも言われたとおり抜いて出てきてまた客に着くを繰り返した。
「暇でごめんね」
と清算の時に三万を手渡されたが、当時の私からすれば三万は大金だ。たった8時間で3万を手に入れてしまった私はウキウキだった。忙しかったらいくら稼げるんだろう、とこれからの仕事に希望を持ちつつ、私はその3万円を握りしめてドン・キホーテに向かい、欲しかったメイク用品やカラコンを買った。そしてタクシーに乗り、途中でコンビニに寄ってもらって久しぶりのお弁当を手にしてにっこり。久しぶりのちゃんとしたご飯だったからだ。
パパの会社がリーマンショックで経営が傾いてから、私はろくなご飯を食べていなかった。白米に焼肉のたれをかけて食べるのがほとんどで、たまにバイト先の廃棄やバイト先の先輩が奢ってくれた時以外、ちゃんとしたご飯を口にしていなかった。それに電気は止まっているしガスも止まって冬なのに水のシャワーを浴びていた。
翌朝目覚めた時に急いでコンビニで公共料金を払い、私はまた久しぶりの温かいシャワーを浴びてお金のありがたみを噛みしめていた。

お金があれば、欲しいものが帰る、電気やガスも止まらないし、ご飯だって食べれる。身体を売ることに抵抗なんてなかった、生きるのに必死だったから。自分の生活を守るために、毎日屋根のある家でおまんまが食えるように自力で努力するしかなかったから。別に昼間の仕事でも良かったのかもしれない、でも私は「稼ぎたい、一刻も早くこの家から出たい」という気持ちから風俗を選んだ。沢山稼いで、一人暮らしをして、好きなように生きたい、それに適してたのが風俗だっただけ。キャバクラでも良かったのかも知れない、でも何度か働いて私には向いてないのが自分で自覚していたから、一対一で好きに出来る風俗が良かったのだ。
ただ来る客のちんこを抜いて、一人抜いたら1万円。なんて楽で簡単な仕事なんだろうと最初は思っていた。

でもやっぱり身体はストレスを抱えていたのか、私はご飯が喉を通らなくなってしまうようになっていた。「ちんこを咥えた口で、何か咀嚼するのが気持ち悪い。」という普通の感覚もちゃんと持ち合わせていたみたいだった。私は1か月ほど、ドライマンゴーだけで食事を済ませていた。どんどん落ちてく体重に、友達と遊んでもご飯が食べれず皆に心配されたほどだ。ドライマンゴーを見ると、あのときまだ正常な感覚を持ち合わせていた自分を思い出す、そしてもう私は人生でドライマンゴーを食べる日は来ないだろう。

人見知りな私は配属された号車でも、女の子と喋ることは無かった。誰より早く出勤して、一人で座れる一番後ろの席に乗り込み、横になりながらイヤフォンで耳を塞ぎ、大音量で日本語ラップを聞き続けていた。客についている時間以外、車内ではずっとそうやって過ごした。ANARCHYのFATEのリリックを自分に当てはめて、奮い立たせて何度も何度もリピートしていた。

それでも1カ月もすれば仕事中に普通に飯を食い、タバコ吸いながらいっちょ前に客の悪口を話しながら同僚とゲラゲラ笑うようになっていた。
15分で抜いて出る、という援デリ特有の「巻く」というテクニックも、同僚たちのアドバイスで最初こそ苦戦してたものの、サクサクやれるようになった。気に食わない客には噛みつけばいい、言い負かせればいい、私は負けないという気持ちで仕事中は常にピリピリしていた分、車に戻って同僚と喋るのが唯一の息抜きになっていた。先輩が色々教えてくれるという文化は、最近の風俗業界では残念なことに減った。集団で待機する店が減ったからだ。私も今現在働いているソープで、女の子と喋ったことはほぼない。「おはようございます」「おつかれさまです」の挨拶のみ。
でもテクニックや客のあしらい方などはほとんどこの時代の先輩に教わったものが生きているので、もう今何をしているのか、生きているのかもわからないけれど感謝している。


今年の12月23日で、私は風俗業界歴が15年目になってしまった。人生の半分はこの業界で働いているのだ。飽きっぽい私がここまで続くのはなんでだろう?と思うけど、やっぱり頑張りがお金に変わるからだ。そしてやっぱりお客さんが喜んでくれる瞬間は嬉しい。

特に普段は気にはしていないけど、
この日に近づくとちょっとあの頃を思い出す。
客がきもくて、さっさと金だけ出して消えろよと生きていた私が
気付いたらソープランドでテクニック売りのしっかりしたサービス提供をしている。客をキモイと思うことは無いし、本指名のお客さんは本当に良好な関係を築けているし、感謝もしている。


前まで日本語ラップを聞きながら自分を奮い立たせて出勤していたはずが、気づいたらイヤホンすら付けず奮い立たせる必要もなくなった。店に入ってあの風俗特有の消毒液の匂いを嗅ぐと仕事モードに入るのである。
有難いことに援デリ時代から仕事で病むこともない。だってこの仕事のおかげで好きに生きれているから。嫌なお客に当たったって、そんな嫌な奴の金を搾取出来るんだから気にしない。どんなに嫌な奴だって、金はもらえるのである。基本的に「むかついた方が負け」と思っているので嫌な客がなんかブツブツいっても「ゴミがなんかしゃべってらあ」と思うし、完全に自分のキャラをブランディングして働くようになってからはほとんどクソ客に当たることは無くなった。

なんか今日は100パーの接客が出来ないなって日は、ATMの残高を見ている。そうするとあと〇万で〇万円~♪と簡単に気持ちの切り替えができる。そして毎月本指名の目標を立てているのでそれを心に忘れず張り付けて「達成するために本指名増やすぞーーー!!」の気持ちで楽しんで接客できるようになった。先月の自分を絶対超えてやるぞ!!の気持ちが私を動かしている。
この1年で変わったのは、どうやったら稼げるかを常に考えながら行動が出来たこと。私はその努力が出来てなかったことに気づいたのもでかかった。


何年働いても、正解はわからないこの業界だからこそ、他の子より努力が必要なのである。

私は風俗の仕事が好きだ。セックスは嫌いだけど、相手を「ひいひい」言わせて遊ぶのは楽しい。そしてまた会いに来てくれた本指名を見ると愛おしさすら感じる。

いつかこの街のレジェンドになってやる!

というのが去年からの私の目標。
そしてスぺ上げして単価を上げたい!予約困難嬢の仲間入りしたい!と強欲に目標を立ててるからこんなに最近ソープの仕事に全力になれているんだと思う。


ドライマンゴーしか食べれず、客はキモイし初めてのヤクザ客に怯えていた17歳の私は今、あの頃想像していた30歳にはなれていない。30になってまで風俗なんてやるもんか!なんていってたくせに、懲りずにこの業界にいる。17歳の時見て憧れた「プリティーウーマン」も、私の前にあんなリチャードギアみたいなのは現れないというのはもう分かっている。
30になったころには結婚もして子供も産んで落ち着いているだろうなんて10代の頃はぼんやり思っていたけど、落ち着く気配はまだないし、私は私のままである。
憧れだった「プリティウーマン」も、この前久しぶりに見たら「そんな幸せな日々を、男に送らせてもらうんじゃなくて自力で送りたいな」と思ってあの頃みたいに憧れの気持ちは抱けなかった。
もう17歳の頃の私のあのうぶで浅はかな初々しさは消滅しているのである。

自分で自分を幸せにしたい。
自分で自分の成功を掴みたい。
こちらにベクトルが向いてる時点で、中二からあんまり変わってないように思ってた価値観も、変化しているんだなあと思った。


15年目、次の大みそかには今年と同じく「よく頑張った!」と自分を褒めて上げれるような日々を過ごしたい。


遅くなりましたがあけましておめでとうございます♡
役満ろ萬としても活動の幅を広げれるよう今年も精進します。
今年もどうぞ応援のほど、よろしくお願いします。

役満ろ萬

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