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うちの母の残念なところ トップ5

私は、母に全然似ていません。

私の母は、いわゆる良妻賢母でした。人としてできていると、娘の私も思います。顔立ちもなかなか。

初めて、母は違うとはっきり思ったのは、高校生の時、友達に、うちの母をすごいと言われてからです。それから意識して母を見ていました。たしかに、私の言うことを、ただ聞いてくれる。さえぎらないし、いらないことを言わない。求めてないアドバイスなどはしない。しても、最後に、つけたすようにそっと言う程度。

本当に感心したのは、使っている言葉に反応しないこと。父も含め周りの大人は、話の内容より、言葉遣いとか態度に執着する人が多かったのに。「その言い方はなんだ!」とか。私は激情型だったので、勢いあまる物言いや、感情的な態度が多かったのですが、母は、目や耳に入るものには頓着せずに、言葉や態度の向こうにあるものを、俯瞰的に見てくれた気がします。


それでも、母は普通の人です。母を讃えたので、中和のつもりで、残念なところを紹介します。差別的な事柄も含みます。先に、母を許してやってください。


母の残念なところ トップ5

5 誰も使わない和製英語を使う

「グロッキー」がそれです。子供の時から、疲れた様子の時、母が必ず使いました。ほかの誰からも聞いたことがありません。英語の groggy  という単語だそうですが、英語圏で、日常会話で使う人に会ったことはありません。

4 「誰でもじゃ」といなす

暑すぎる、とか、やる気が出ない、とかの日常の簡単な文句には、母は、必ずと言っていいほど、この言葉で返しました。子どもの時からずっとですが、今だに慣れません。思春期には、本気で腹がたちました。

3 父に黙る

以前に、詩に書いたこともあるのですが、私は、好きだったナツメの木を、父に根こそぎ掘り返されたことがあります。母は、憤る私に気がついても、父には何も言いませんでした。父と口論してばかりの私に、「あんたはいいな。」と言われたことも何度もあります。父の意向を一番にする、昔かたぎの良妻と言えばそうなのでしょう。

父は幸せだったと思いますが、母があまり幸せに思えない時がありました。私が結婚にまったく憧れなかったのは、目の前の夫婦像の影響大でした。

2 「どうねえと」と言う

標準語だと、「どうにでも。」自分の好きなように。

母は、この言い方を、「グロッキー」や「誰でもじゃ」と同じ頻度で使いました。突き放されたような気にさせる言い方。そして、自分は反対だということを、はっきり匂わせている。私以外の子や孫には、評判の悪い言い方です。特に兄と甥は、こう言われると、ものすごく嫌な気になるそうです。パッシブアグレッシブというのでしょうか。下手に出ているようで、圧力を感じるといやがります。

私は、自分勝手すぎるので、ほとんど気になりません。私は、こう言われると、母の気に染まないのだと理解しても、文字通り受け取って、好きなようにしていました。

1 髪の薄い人に失礼

母の一番の弱みで、人間としての欠点です。髪が薄い人は、なぜか母のツボのようで、「ハゲ」という言葉だけでも、転げるくらい笑います。叔父が一人、髪がほとんどありませんでした。親戚の中でも一目おかれる叔父を、母も好きでした。でも、母は、叔父の髪のことが出ると、いつも笑いがとまらなくなりました。ほかでは聞かないような楽しそうな声をあげて。叔父にだけでなく、この特徴を持つ人すべてにそうです。

私は、人の外見のことで笑いがとまらなくなったりしません。でも、その影響か遺伝か、髪のない人は、ユル•ブリンナーを除いて、惹かれたことがありません。すみません、恥ずべきことだけ、似ていて。

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