青春とキャラシート

 先日、ひょんなことからクトゥルフ神話TRPGを遊ぼうという話になった。私にとっては何も初めてのことではない。10年近く前に何度も遊んだことがあった。その頃はちょうどニコニコ動画でTRPGのリプレイ動画が流行していて、当時高校生の私は友人の家で卓を囲んだり、オンライン上で知り合った仲間と通話を繋げて物語に興じたりしたものだった。

 ブランクこそあったが遊ぶ機会を作りたいなという気持ちは常々あった。当時卓を囲んだ仲間とは疎遠になり、リアルの友人も今となっては地元を離れた者も多く、すっかりチャンスを失ってしまっていたのだ。それだけに、今回の話が持ち上がったのはとても嬉しいことだった。メンバーにはTRPG初心者もおり、今度は私が一番の経験者──といっても、あくまで身内で遊んだ範囲にすぎないが━━ということになる。それゆえプレッシャーもひとしおというものだが、ブランクがある分私も初心者みたいなものだろう。気心知れた友人との会がとにかく楽しみで、今は来るセッション当日に向けて準備を行っているところである。

 今回はGM(KP)といって、いわゆる司会者のような役回りを担当する。どんな物語を遊ぼうか。まあ自作はできないのでインターネット上に公開されているシナリオを探し回る。ずいぶん久しぶりなので調べ方などもかなり忘れてしまっていたが、幸いいくつか当時のデータを残していたようだ。昔の自分が残してくれた足跡を辿り、情報収集を進めていく。

 そんな折に見つかったのが1枚のキャラシートだった。高校生当時に友人が作ったものだ。今でも変わらぬ彼の人柄を思い起こすような、それでいて少し当時の若さも思い出されるような、ユーモアの混ざったキャラの説明文がそこには記されていた。情報を眺めていくうちに、どんどんと当時の記憶が思い出されていく。その多くはぼんやりとしてしまっているが、そのキャラが起こしたセッション中の事件であったり、友人がPLとして望んだ独特の立ち回りだったり。ここで大事なのは具体的な内容ではなくて、そう、卓を囲んだときに感じた熱気や、そこで渦巻いた笑いのような抽象的な思い出だ。独特の高揚感が1枚のキャラシートに長らく封じられていたようで、それが一気に溢れ出てきたように感じられた。

 懐かしい。とても懐かしい。しかしそれは同時に掴みがたいものでもあった。キャラシートに残された情報は断片的で、覚えていたはずのシナリオの内容だったり、他のメンバーが操っていたキャラの情報だったり、そういった記憶の多くはもやがかかっていて思い出せないのだ。過去の記憶を手繰り寄せるように他のデータを探す。幸いいくつか掘り出すことができたが、それだけで記憶の全てを補完できるわけではなかった。途端に寂しさがこみ上げる。私にとってセッションの思い出は、もっとはっきりとした手触りのある記憶だったはずだ。だが実際にはこの数年で風化も美化もされてしまっている。その造形を当時のままに再現することは、もはや叶わない。そうして時の経過を儚んでいて、ようやく私は気づいたのだ。このセッションの思い出こそが私にとっての”青春”であったと。

 今まで青春という単語と自分を結び付けることができていなかった。いやなに、単語のイメージというものはある。若い時代に何かに一生懸命に打ち込んだり、思いっきり楽しむような光景がそれだ。ただそれは例えば甲子園出場を目指す高校球児のような、そういうレベルの努力が伴うものだった。中学のときに吹奏楽部に入って真剣に活動していたが、あれを青春と呼ぶには少し早すぎる(若すぎる)ような気がしていた。高校や大学ではそういった努力から自分を遠ざけていたので、これと呼べるものが無かった。将棋はどうだろう。始めたのは高校生からだが、大会に出たのは社会人になってから。未だ若者だという自覚はあるが青春と呼ぶにはもう遅いように思えてならない。

 友人のキャラシートが私に青春を示してくれた瞬間だった。自転車を漕いで友人の家まで赴き、買い込んだ昼食を食べながらルールブックをめくったあの日々だ。深夜まで通話繋げながら、近所の自販機まで走って買ったジュースを片手に物語の行末を見守ったあの日々だ。独り遊びが好きだった私にとって、コミュニケーションを取り合うTRPGはそれ自体が冒険のような日々だったかもしれない。次のセッションを心待ちにして、ひたむきに遊びに向かっていた一生懸命さを忘れる事だけはできなかった。今、私の手元には当時の「良さ」だけが残っている。全てを思い出すことができないこの不可逆性にこそ、青春を青春たらしめるものが詰まっている。いつか遊びたいなと思っていたTRPG。そのいつかが訪れるまで随分と時間が掛かってしまったようだ。すぐに取り戻せるかのように思っていたものが、もう戻らない「1ページ」へと変貌を遂げたのである。

 そうだったのかと私は一人納得する。そしてこの気持ちをどこかに書き留めておこうと思った。2週間ほど経ってようやく文章に起こすことができた。こうすれば、懐かしい想い出もさらなる風化に耐えられるようになるはずだ。

 今度のセッションは私にとって全く新しい試みになるに違いない。新しい思い出として、きっと脳内の別のアルバムに綴じられることだろう。とてもとても楽しみである。昔馴染み達と遊ぶ機会が今後訪れるかもしれないが、それもまた別物として保存されるはずだ。美しい記憶にラベルを貼って飾る。棚にそっとしまうようにして、私はまたセッションの準備を進めていくことにした。

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