指す順6thを成長の舞台に(前編)

※色んな雑感を書き連ねるので、非常に読みにくいと思います!普段以上に推敲もしないので読みたい人だけ読んでね。あとタイトル詐欺です。第6期については後編に書きます。

 人間、どうしても自己顕示欲というものはあって、自分語りがしたくなるものである。指す将順位戦という棋戦が今行われていて、不思議な縁があってかその運営をお手伝いさせて頂いている。最近は活動に携われていないが、昨年は四人将棋にも関わるなどした。本当にここ1年ぐらいの自分は今までじゃあ考えられないほどTwitterを通じた人との交流が増えた。そんなことを想うと不思議と言葉にならない感情が出てきたので、今日は将棋歴と指す順を切り口に、書きたいことを書いていこうと思う。これを書く前日、ちょうどフォロワーさんのYoutube配信に指す順の運営として参加したけれども、これは私個人の文章に過ぎないということをご承知頂きたい。まあ、運営に関わる話はあんまり出ないと思うけど!

成長の数値化が好きだった

 将棋は昔から好きだった。父親から教わったそれは下手の横好きみたいなもので、棒銀が辛うじてわかる程度だった。小学校の図書室にあった本を通じてプロの仕組みとか、プロ棋士の事とか、とかく色々なことを知ってワクワクしていたことが懐かしい。強くなりたい、と思ったことはなかったけど、なんとなく周辺知識を集めるのが好きだった。牛乳キャップを集めて将棋駒を作るならまだしも、中将棋の駒を作って遊んでいたのだから我ながらマニアックだ。大局将棋を作る計画はついに未完のまま大人になってしまっけれど、とても楽しい小学生時代だった。

 時を経て高校生の頃、ニコニコ動画に入り浸って数年目の私は偶然「将棋棋士の人狼」にたどり着く。その頃クラスの仲間内で人狼ゲームが流行っていた。たしか同時期に電王戦が行われていて、私は中田功先生のクールさと、豊島将之先生が挙げた勝利に心惹かれたものだった。勉強のBGMという大義名分でタイトル戦の中継を流し、いつしか指す方にも挑戦するようになっていた。
 ハム将棋に勝った負けたを繰り返す棋力だったので、R150付近からのスタートだった。将棋倶楽部24の基準が厳しいというのはなぜか知っていた。将棋ウォーズでは4級やら3級やら、とにかく指せていたのはよく覚えている。24では勝率3割弱ぐらいがデフォルトで、でもそれでわずかに伸びるレートが嬉しかった。たしかレートが一定数値以下だと、負けたときのレート減少量が半分で済むというルールがあって、それの恩恵に預かっていたわけだ。

 大学生になってさらに自由に近づいた私は、将棋にますますのめり込む。同世代に有段者が既にたくさん居るのは知っている。晩学で高段になれる見込みもないし、あくまで趣味の範囲だ。大学には囲碁部はあっても将棋部は無かった。身近に強い人が居るわけでもないし、初級者の身で1人で道場や教室に通うのも憚られた。でも、だからこそ通学の電車で詰将棋本を携えてみたり、稼いだアルバイト代で定跡書を買って覚えようと何度も読んだり・・・そういうことをしている自分が誇らしかった。独学でもコツコツと取り組むのは悪くなかったらしく、大学時代の四年間でレートはじわじわと伸び続けた。成長を具体的な数字として、しかもある程度の即効性をもって示してくれるレート戦が私は大好きだった。今もある種のレート至上主義者のようにレート戦ばかり指しているのはこの頃の影響が強い。最高レートを更新する快感に勝るものは少ないのだ。

指すだけの指す将順位戦-第4期-

 指す将順位戦を知ったのは学生時代の後半だったが、当時の自分はTwitterをほとんど運用していなかったので参加は憚られた。なによりいつ募集しているのかも知らなかったので、参加する機会を見落としていたという方が正しいかもしれない。満を持して参加登録をした第4期はちょうど新社会人になった年で、趣味と仕事の両立を夢見て、ひたすら開幕が待ち遠しかった。

 しかし現実は非情なことに、慣れない社会人生活に忙殺された私は大会の日程を消化するだけでやっとだった。第1局こそ事前に棋譜を調べる程度のことはしたが、後はほとんど準備らしい準備もできなかった。もちろん、将棋を趣味としていることには変わりなかったのだけれども、指す順というものにエネルギーを割く余裕は全くなかった。ある対局に至っては当日に仕事の都合で遅刻してしまい、相手の方と連絡を取りあってどうにか不戦敗を回避したこともある。対局相手となった皆さんは誰もが良い人ばかりで、感想戦を通じてコミュニケーションを取る時間がとても楽しかった。それだけに、棋戦に力を入れることもできないまま降級となったのは非常に残念だった。第4期でお世話になった皆さんと再戦することが当面の目標の1つだ。

 しかし、今になってみればカジュアルに指す順と付き合うのもありだったかもしれない。多忙とホームシックの板挟みで当時はぐちゃぐちゃで、対局ができればそれで良しとしたものだ。指す順を通じて色々な方と交流を持つのはとても楽しいし、色々な方の取り組みに触れるのはとても刺激的で幸せなこと。だけど、2週に1回指すだけでも全然いいのだと、当時を振り返って私は思う。遅刻は反省すべきなので別として、ルールとマナーとモラルを守れるのであれば本当はそれでいいはず。特に交流をしなくたって、相手と同じだけの熱量が無くたって、それは決して失礼なことではない。誰もが熱心な参加者になったり、理想的な参加者になったりする必要はないのだ。現に前期の私は昇級に1勝が足りなくてとても悔しがったけど、第4期の私は降級をなんとも思っていなかった。

 その後色々なことがあって、第5期で随分と私は変わった。それが今期開幕時の自分に繋がっていることは言うまでもない。語りたいことの半分以上は語った気もするが、次は改めて昨年の振り返りと、今期の意気込みを綴ってみよう。

今日は疲れたので、少し早めに布団に入ろうと思う。

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