バイクに乗ってた話

中二病と言う言葉はご存知だろうか。

思春期の頃は多くの人が患ってしまうこの病気にはWikipediaによれば「DQN系」「サブカル系」「邪気眼系」の3つのタイプがあるそうだ。

これはFEZを始める前のまだ幼い俺が、周りより少し重めにDQN系の中二病を患ってしまった昔話だ。


青春

高校に入ってからの俺は反グレみたいな状態で、自分の高校に行かず、友達の通う他の学校に遊びに行ったり、同じくサボっている友だちと遊ぶ事が多かった。

同じ学年で不良としてよく知られていたツヨシと知り合った。

評判は悪かったが、実際友達として接していると決して悪い人間ではなく、酒もタバコやるし女癖も悪いが友達思いで、友達のために年上相手でも臆さず喧嘩を売りに行くようなやつだった。

他にも早弁が得意なシンゴや喧嘩負け無しのユウキ、本名は忘れてしまったがバットなど、10人ぐらいで集まる事が多くなった。

たまり場はツヨシやシンゴが通う高校の近くの橋の下。
集まってタバコを吸いながら夜まで話したり、お金を出し合って缶ビールを買って来てみんなで分けるように飲んだり、それを警察に見つかってこっぴどくお叱りを受けたり。

未成年で何やってんだよと思う。
ただ、間違いなく一番楽しい青春だった。

立ち上げ

ツヨシが俺達でチームを作りたいと言い出した。

いわゆる暴走族ってやつだ。

何年も前に解散した地元の暴走族の元総長と偶然知り合う機会があったらしく、そこで気に入られたから名前を継げるとの事だった。

周りの仲間はみんな喜んでいた。
◯代目かぁかっこいいじゃん?特攻服とか作る?俺特攻隊長やるわ!みんな大はしゃぎしていた。

俺も特攻の拓やクローズを読んで憧れはあった。
俺もみんなと一緒にチームに入りたい気持ちはあった。
ただその元総長というのが、よく俺の面倒を見てくれた中学時代の先輩をナイフで刺して少年院に入ってた人だった。

盛り上がる仲間たちをよそに、申し訳ないけどそのチームの看板は背負えないとツヨシに伝えた。

最近は一番よく一緒にいる俺を副総長か親衛隊長にしたいとまで言ってくれたが、先輩に対する不義理になると思いどうしてもチームには入れなかった。

バイク

俺はチームには入らなかったが、それからもみんなとは一緒にいた。

チームの旗を作ろうと拾ってきた大きなのぼりを漂白剤に付けてみたけど失敗したり、夜中に学校のプールに忍び込んで全裸で泳いだり、早弁したシンゴのためにコンビニ弁当と届けてやったり、しょうもない毎日が最高だった。

OBの先輩が経営しているBarにみんなで飲みに行った時だ。
他の先輩はチームに入らない俺のことをあまり良く思っていなかった風だったが、この先輩だけはいつも優しくしてくれた。

こいつらに何かあった時はお前が助けに行くんだぞ

そう言って、先輩が昔乗っていたバイクを俺に譲ってくれたのだ。

Kawasaki ZEPHYR400

俺が初めて乗ったバイクだ。

最初は半クラもできなかったし、ギアチェンジもまともにできなかった。
発進するたびにエンストしていた。

次第に思うように乗れるようになった時の気分は最高だった。

今まで他の人の後ろに乗せて貰うことはあったが自分で運転するのは全然違う。

信号の少ない夜の糞田舎はバイクの楽しさを味わうには十分だった。

崩壊

そんな楽しい時間も長くは続かなかった。

メンバーの一人がクスリの売り子をしていたらしく警察に捕まった。

特攻隊長のユウキの親が離婚して、学校を辞めて仕事を始めないといけなくなった。

喧嘩の度に金属バットを振り回すバットが出会い系掲示板で知り合った中学生の子に手を出して訴えられた。

いつも賑やかだったたまり場はあっという間に人気がなくなってしまった。

嫌なことはどうしてこうも重なるように出来ているのか。

友達と深夜のカラオケタイムを楽しんでいるとツヨシからの電話が鳴る。

「シンゴがバイクで事故って運ばれた」

俺は聞いてすぐに一緒にいた友達を後ろに乗せて大雨の中、バイクで市内に唯一ある大きな病院へ走ったが誰もいない。

動転していたのか搬送先の病院を聞いていなかった。
すぐに電話で確認して急いでバイクを走らせた。

急ぎすぎて無茶をしていたのか、日頃のメンテナンス不足のせいなのか。
燃料はまだ十分にあるはずなのにバイクのエンジンが止まる。

何度もエンジンを掛け直そうとするがどうやっても動く気配はない。

一緒に乗っていた友達が近くでキーの刺さった原付きを見つけてきた。

それは流石に犯罪だ。と思うより先にシンゴの元へ行きたい気持ちが優先されてしまった。

後で返すから!と心の中で言い訳しながら街灯の少ない夜中の田舎道を盗んだ原付きで走り出す。

大雨で先が全然見えないがとにかく走るしかなかった。

瞬間。眼の前に何かが飛び出してヤバイ!と思った瞬間、意識を失った。

事故

真っ暗の中で名前を必死に呼ぶ友達の声が聞こえてきた。

視界が段々と開けてきて赤い光がチラチラするのがわかる。

俺は横になったまま、泣きじゃくる友達に抱き抱えられていて少し離れたところで救急車が停まっていた。

あー・・・事故ったんか俺。

正直、意識は朦朧としていたけど友達を少しでも安心させたかった。

大丈夫だから。となんとか立ち上がってふらふらしながら救急車まで自力で歩く。

救急隊員の人が支えようとしてくれるが余計なお世話だ。

自分で歩けるんで。と振り払いなんとか救急車の荷台に乗り込む。

そこまでは覚えてるがまた意識を失ってしまったらしい。

次に目を覚ましたのは病院のベッドだった。

しんご

警察の人が来て事情を説明してくれた。
深夜徘徊していた老人と接触してしまったらしい。

俺の体は擦り傷程度で済んだが、相手のご老人の腕の骨を折ってしまったようだ。
俺が意識を失っている間に母が話をまとめてくれていたようで、医療費の請求と盗んだ原付きの弁償で示談にしてくれていた。

学生の俺には決して安い金額ではないが、バイトを始める理由とその給金の使い道はどうやら決まったようだ。

動けるなら帰って大丈夫と医者に言われて、用意してくれていた喪服に着替えて病院を出る。

母は車で送ると言ってくれたが時間もあるし目的地までそんなに遠くもない。自転車なら10分ぐらいの距離だ。

それに一人になる時間も欲しかった。
まだところどころ痛む体を引きずって泣きながら歩いた。

今、自分は何を後悔すればいいのだろう。
今、自分は何を反省すればいいのだろう。

頭の中がぐしゃぐしゃになりながら歩きつづける。

國崎家告別式場と書かれた自動ドアを通ると見知った顔の人がみんな涙を流して泣いていて、途端に現実味を感じた。

供花に囲まれたシンゴの写真はみんなでバーベキューをした時に撮った写真だ。
隣にシンゴの彼女が写っていたはずだが綺麗に切り取られている。

その彼女は椅子に座って泣き続けている。
隣に彼氏が居るはずだった泣いている彼女と、隣にいるはずの彼女が切り取られているシンゴの写真がとても悲しいものに見えた。

後日談

ツヨシはあの後も後輩に声をかけたりとチームを残すよう頑張っていたようだが思うようにはいかなかったらしい。
今では結婚して立派に2児の父を努めている。

シンゴの彼女や、他のメンバーの多くは今では連絡が取れなくなってしまったがきっと元気にやっていると思う。

俺はあの後、工場や寿司屋のバイトを掛け持ちしながら必死にお金を払った。
バイクは残念ながらエンジンが焼き付いてしまっていたらしく廃車になってしまった。

地方裁判所にも呼ばれたが、友達の証言や相手方の多めに見てやって欲しいとの言葉で数ヶ月の保護観察処分に収まった。

二度とバイクは乗らん!と思っていたが、ネトゲ仲間達の強い勧めもあって、最近バイクを購入した。

バイクに乗っていたら危険なことも多いだろう。
乗らなかればよかったとまた思うこともあるかもしれない。

何かを始めるより、何もしない方がリスクは少ないのは当然だ。
それでも、新しいことを次々と始めるだろう。

人は前に進みながら生きているんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?