父親の話

家族の形は人それぞれだ。

順風な家庭もあれば複雑な家庭もある。
複雑だからと言って不幸というわけではないし、一見幸せそうに見える家庭だろうが問題は山のように抱えているのだろう。

これは俺が生まれてからの長い思い出話である。


片親

物心がつく頃には父親はいなかった。
周りのクラスメイトには両親が揃っていて、それが普通の家庭だということは理解していた。

可哀想だと言われがちだが、父がいないことを不幸だと思ったことはない。
最初からいないのだから、いない事が自分の中で普通になっている。
だからそれは幸せでも不幸でもなく、俺にとっては当たり前の事なのだ。

それでも父の事は気になるもので、俺は家族に父はどんな人だったのか、父と母はどんな風に出会ったのかを度々質問した。

家族の反応はどれも煮えきらない感じがして、幼心ながら触れてはいけないのだと理解した。

不審者

知っての通り、俺は富山の片田舎で育った。
その頃は子供の数も今と比べてまだ多かったので小学生の頃は集団登校をしていた。

近所の子どもたちと一緒に歩いていると、車が目の前で停まる。
「◯◯って子はいる?」と中年の男性が話しかけてきた。

一緒に登校していた友達の一人が俺の事を指差す。
よく聞いていなかったが俺のことを探していたようだ。

何か欲しいものはある?

おっさんは自己紹介も挨拶もなくそんな事を聞いてくる。
なんだこの人?と普通に思ったが、ちょうど欲しいものがあった俺はスーパーファミコンと答えた。

おっさんはわかった。とそのまま車で走り去った。

翌日も、その翌日もおっさんは車でやってきて、俺と一言二言会話をすると去っていく。

そんな事が続けば周りの子たちも不審に思うのは当たり前だろう。
誰かが先生に報告したらしく、俺は職員室に呼ばれた。

誰なのかと聞かれたが本当に心当たりはなくて、知らないと答えても何か知っている事や気付いた事はないかとしつこく質問された。
何も悪くないのに何故責められるような事をされるのかと悲しい気持ちになったのを覚えている。

その数日後だったろうか、いつものようにおっさんの車が目の前に停まる。
それを遠目で見ていた近所のおじさん達が一斉に走ってきて車を取り囲んだ。

お前らは学校行け!と強い口調で言われ、俺達は学校へ向かった。

その翌日からおっさんが来ることはなくなった。

俺のスーパーファミコンはどうなったのだろうか。
その事はずっと気になった。

電話

俺も田舎の空気を吸ってぐんぐんと成長し、高校に通うようになった。

決して不良やヤンキーではなかったが、高校生ともなれば、ふとした事で名前が知れ渡ることもある。

学校の先輩から呼び出され、ある人に俺の連絡先を教えたいと伝えられた。
可愛い女の人でも紹介してくれるのだろうと思い、その話は快諾した。

その日の夜に知らない番号から電話がかかってくる。

電話で来るか!待ってました!と通話ボタンを押す。

もしもし?◯◯だよね?俺、お前の兄貴なんだけど・・・。

は????男なんだが??????

先輩をどう殴ってやろうかと考えながら兄貴と名乗る男の話を伺う。

その人は俺の腹違いの兄貴で、他にも兄弟が何人かいるらしい。
偶然に俺の名前を聞いてこの学校に通っていることを知ったらしく、兄弟の中でも一番年齢の近い兄が電話をしてきたそうだ。

父は死んでいると聞いていたから帰ってきた母に訪ねた。

実は俺の父はどこかで生きていること。
父は他に家庭を持っていて母とは不倫の関係だったこと。
母と同じように父には愛人が何人もいて、母が知る限り俺の上には腹違いの兄が何人もいること。

突然の告白だったが自然と受け入れられた。
興味がそもそもなかったのだ。
生きていても、死んでいても、俺にとってはどうでも良いことだった。

実の兄なのなら会うのが普通なのかもしれない。
俺はそう思い、兄へ連絡した。

兄貴

兄貴は俺の通う高校からほど近いアパートに母親と二人暮らしをしていた。

決して贅沢な生活をしているとは思えない暮らしぶりに同情的な気持ちになったのを覚えている。

兄はレンタルビデオ屋に行き、オススメの映画を数本借りてきてくれた。

兄は今日は泊まっていけよ?語り尽くそう!と言いながら映画を再生し、父や他の兄弟の話をはじめる。

他の兄弟達は父がいなくとも比較的裕福に暮らしているようで、それに対する嫉妬や父への恨み言がビールを片手に次々と語られる。

きっと他に話す相手がいなかったんだな。
俺はそうだね。と相槌を続けたが、内心どうでもいいと思っていた。
血の繋がりはあるかもしれないが、正直、全く知らない赤の他人に変わりない。

興味のない相手のどうでもいい家庭環境を無理やり聞かされたことはあるだろうか?

缶ビールを空けて酔っ払ってしまったのか、いつの間にか寝ている自称兄を置いてアパートを出る。

友達にバイク出してくれと電話をしながら終電の過ぎた駅に向かって歩いた。

この兄と会ったのはこれが最初で最後だった。

I am your father.

俺が東京の専門学校に通っていた頃だ。

学生寮で慎ましやかな生活を送っていた時、母からの電話が鳴る。

あんた、今週末に富山帰ってこれる?

突然の帰宅命令だ。

当時は北陸新幹線も開業前で、富山に帰るには新潟で特急を乗り継いで5時間以上かかった。

正直面倒に思ったが、事情があるような口ぶりだった。

22時ぐらいに高岡駅に着くから母の経営しているスナックに行く。
そのまま少し飲んで一緒に帰るという話に収まった。

通い慣れた飲み屋街のよく知った扉を開けて母の店に入る。
常連の多い店だが知らないお客様が一人だけ座っている。

いつものようにカウンターの一番端に座ろうとすると母が少し気まずそうに紹介したい人がいるから、と知らないお客様の隣を指差す。

新しい彼氏か?結婚するつもりでも何でもいいけど勝手にやってくれよと心の中でため息をつきながら移動する。

はじめまして。と挨拶をする。

俺がお前の父親だ。

はいはい。母と結婚するつもりなのはわかったから。と流そうと思ったが、そういう話ではないようだ。

これがスターウォーズなら心を読んでみろ。と続くだろう。
俺はNo!と連呼すればいいのだろうか。

フォースを扱えなくとも母の神妙な顔つきから本当だということがわかる。

子供の頃、スーパーファミコンを買う約束をしたが守れなかったこと
他の兄弟を使って俺を探していたこと
組の跡目争いに負けて刑務所に入っていたこと
母を一番愛していて、俺のことをずっと気にかけていたこと

父は思い出話を語るように何時間も語った。
俺が小さいスナックのママの息子というだけで飲み屋街のみんなが良くしてくれた理由。飲み屋で仲良くなったおっさんに名前を教えただけで殴り飛ばされることがあった理由。俺はその話を聞いて全部納得できた。

父親

東京の学生生活を終わりにして富山に戻ってからは父から何度も呼び出された。

父は柄の悪いおっさんだらけの汚い事務所で小さな会社の運営をはじめていた。

お前に継がせるから。と言われて悪い気しかしなかった。
父を親父と呼び、俺を若と呼ぶおっさんにどう気を許せと言うのだろうか。

事務所のおっさん達に連れ出され、酒を散々煽った後に通行人と喧嘩をはじめて警察を呼ばれた時なんかは地獄に堕ちた気分だった。

翌日、事務所のテーブルに血で真っ赤に濡れたまな板が置かれていて、包丁が突き刺さっているのを見て流石にドン引きした。
真実がどうであれ、縁を切るには十分すぎる理由だった。

車を用意してやる。女を用意してやる。金を用意してやる。
そんな連絡が父から何度も来たが全て断った。

次第に父からの連絡も来なくなった。
父の部下と飲んだ時、親父は癌になっててあまり長くないと聞いていたからおっ死んだのかもしれない。

後日談

数年後、ふいに気になって父の事務所を覗きに行った時は建物ごと解体されてなくなっていた

あの時、父との時間を選択していたらどんな人生が待っていたのだろうか。

一般的には両親が揃っている家庭は幸せな家庭と言われるのだろう。
ただ、両親がいることが必ずしも幸せとは限らないことは理解していて欲しい。

俺は自分で判断ができる歳になってから経験した出来事だったが、それがヤンチャ盛りの高校時代だったら違った選択をしていたかもしれない。
もっと幼かったらそれが普通になっていたのかもしれない。

人生は簡単なきっかけで大きく変わってしまうのだ。
それが親からの影響ならもっと簡単に。

自分の人生だけでなく、パートナーや子の未来にも自分が大きく関わっているのだということをどうか忘れないで。

そして、子のクラスメイトや友達の家庭が片親だからという理由なだけで可哀想だとは思わないで欲しい。

家族の形と幸せはそれぞれあるものだから。

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