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ミレパのワールドツアー中止は初めから決まっていた説

陰謀論みたいなタイトルで申し訳ないのだが、恐らく俺の考えはこれまでの考察から見立てても当たっていると思う。

ミレパの「WHO AND HOW?」ツアーの中止!俺は当たってなかったとはいえ海外の映像を楽しみにしてたので正直予想外すぎてマジか!って感じでした。そして思った。「そうきたか」と。俺もあんまり舐めてると常田大希は棘を刺しに来るとは言ったがまさかこういう形で刺しに来るとは思わなかった。想像以上に「ガチ」だった。

中止発表の前から疑問といえば疑問だった

海外のハコが小さすぎる問題である

これは現在の知名度的には仕方ないともいえる気もするが、ミレパのバンドとしてのスケール感や演出を考えるとそもそもここでLIVEをやるという判断自体がよく分からないものに思えやしないだろうか?

LIVEを行う地はコラボするであろうアーティスト(Daniel Caesar,Denzel Curryなど)の出身地だった。つまり元からLIVEを中心とした箱選びはしていないのではないかという疑問が出てくる。少なくとも日本の開催場所だったガーデンシアター以上のキャパがなければミレパの本領発揮は難しい。

つまり元から見切り発車で中止も視野に入れたワールドツアー発表だったと考えられる訳である。こうなることも覚悟していた。更に言えばマッチポンプ的だったともいえてしまうのである。「LIVEを重要視している」というのは事実な為に納得できるような感じもするが、やはり細かい疑問は尽きない。発表してから約一ヶ月、LIVEの約二ヶ月前に発表というのもかなり早いというか。しかも初めてのワールドツアーで本来ならよしやるぞというタイミングで、言うなればわざと「失敗」を演出しているような感じすらある。ここまでくると海外レーベルとの契約もブッチする気なんじゃないか?いやそこまでは流石に…とは思いつつ、そういう領域まできている。

「GOLDENWEEK」は海外進出の際に没個性化した失敗例(宇多田ヒカル)で、リリックの内容でいえばUtada名義の1st single「Devil Inside」と同じく天使と悪魔が出てくる。聴いてみるとビートもかなり似ている部分がある。GOLDENWEEKの告知も海外進出なのに結局国内だけで盛り上がってるような滑稽さが宇多田ヒカルの海外進出に重なるところがある。

宇多田ヒカルを貶すような表現かもしれないけれど、事実として述べているだけなのであしからず。若くして日本で圧倒的なセールスを達成したことで彼女ならアメリカでも通用するという期待は大きかった。そんな彼女が海外進出に失敗してしまったことでアニメタイアップによる海外進出というある意味で保守的な戦略が音楽業界全体で共有されてしまったといえる。とはいえ復帰後の宇多田ヒカルは「やはり凄い」という所感を抱かざるを得ないレベルで円熟していて、8枚目のアルバム「BADモード」は海外サウンドとJ-POPが彼女のボーカルによって見事に融合させた傑作だった。もしかしたらきっかけひとつで広がる可能性はあるかもしれない。

現状、アニメタイアップ以外の方法だと藤井風の「死ぬのがいいわ」のようにTIK TOKからの偶発的なバズを期待するしかないという状況で再現性がない。勿論ないよりはマシなのだが、こういったコンテンツを利用した拡散を好まないアーティストというのも存在する。常田大希は基本的にはそっち側だが、King Gnuに関しては柔軟に受け入れる形を取っているし、ミレパもポップアート的なアプローチでTIK TOKを利用している。

話がズレたが、宇多田ヒカル「Devil Inside」は皆が私を天使であって欲しいと思うけれど、内面の自分は「嫉妬深い天使」か或いは「悪魔」であると歌っている。海外進出の際に彼女は所謂「天使」を手放したといえるのかもしれない。しかし、国内での成功とは打って変わって、2010年に開催したワールドツアーでは1000人規模の会場すら埋めることが出来なかった。同年8月には人間活動と称して活動を休止したが、このことが彼女のプライドを少なからず傷つけたのではなかろうか。

一方、常田大希にとっては天使も悪魔も内面且つ外面でありどちらも手放すことはできないとしている。表面的には優しいように見えて裏では悪意が潜在している。常田大希のSNSの発言には何かしらの裏がある。それは宇多田ヒカルの直接的な自己の発露とは異なり、真実を知った後で寒気を覚えるような笑顔を浮かべている。これは常田大希が「中立」且つ、「ポップアート」の人間であるからだ。

これが常田大希の優しさなのだ。優しさは悪意であり、悪意は優しさであるという逆転を起こすことで彼は聴くものに「ある思考」を促す。

この国の人間は掌で狂ったように踊らされ、笑われていることに気づかなければいけない。もっと疑わなければならない。もっと批判し、批判されなければならない。

「M4D LUV」はかねてから常田大希が違和感として言及しているアイドルによる海外進出。そしてアイドルと社会問題とを結びつけ、その有害性と危険性を描いたMVになっている。

今年以降、常田大希はファンを裏切ることを全く躊躇しなくなった。なぜそんなことをするのかというと、神格化されたくないから。アイドルになりたくないから。

だが「M4D LUV」に関してはアイドルのように常田大希はTwitterで嘘ばかりついている。常田大希が良いって言っているから良い曲なんだ!なんて言ってる奴がいないかチェックする為に。恐いね~。

またPRにひょうろくを採用しているというのもちゃんと文脈を感じるんですよね。ひょうろくは水曜日のダウンタウンのドッキリ企画で話題を集めた芸人ですが、この番組も賛否両論な企画をやっていますよね。コンプラで厳しい世の中で攻めた表現をやっている数少ない番組だし、そういう姿勢にミレパ一同が共鳴するのは凄く分かる。

日本国内で音楽家として知名度を得ていく過程で彼は棘を失っていったように思えるが、今まで以上に悪意をばらまきはじめている。国内から海外の飛行機の予約を取ってキャンセルできないという人もいるのは可哀想だが、彼は批判される覚悟などとうに決まっているので批判すれば良い。

だが善人だとか悪人だとかは音楽含めたアートの評価には関係がないというのは理解してほしい。以前の記事でも言ったが常田大希は良い人ではない。否、正確には「都合の良い」人間ではない。教授(坂本龍一)のような根本的クズではないが(多分)

人間的には問題がなくても素晴らしいアーティストはいるが常田大希はそっち側ではない。そもそも綾野剛と仲が良いのだからヤバい人好きなんだろう。レジェンド的存在でもクズだったアーティストなんて別に珍しくもない。ビル・エヴァンスとかね。今の日本ではそんな人達は漂白されるか排除されるかの二択というわけだ。勿論、今の時代が悪いと言いたい訳ではないが良いとも到底思えない。

現在、常田大希のインスタアイコンは風呂である。今までも常田大希はインスタアイコンに何らかの意味を込めてきたと思うのだがこれに関してはまだ分からない。強いていえば「風呂」というのは汚れを洗うものだが、美しいものは汚したくなると語る常田大希にとって汚れとは欠かせないものだ。現状の活動が「汚れ」を排したものになっているという暗示のように受け取れなくもない。

そして、常田大希は7月に突如「POINTLESS JOURNEY(無意味な旅)」というインスタアカウントを新たに作成し、かつての祖母の家の写真を挙げて意味深な投稿をしている。

「何も同じでいることは出来ない 俺が育った場所は無惨な駐車場に変わった」

サムネイルのoasisの画像も挙げている。そう、「何でもあり」なのだ。これは何もミレパの活動だけでなくKing Gnuも含まれる。

ここで「W●RK」のリリックを引用する。

本格派の道楽家 social(社会)的には凶悪犯?
禁止事項已日々進歩 慇懃尾籠無礼行為
Damn it!!!(クソが!!!)
性行為の伝道師
play boyなのに正常位許り

この国では品行方正でなければいけない。不倫如きで大騒ぎ。アイドル人気の高さもそれ故だ。理想を押し付けて、そうでなければ裏切りだとか期待外れだとか抜かす。薄っぺらい画面に映ってる人の発言一つ一つを切り取って善人だとか悪人だとか好き勝手に。

SNSではメンバーがそれっぽい理屈で躱しているものの、その理屈は初めから用意されたものだ。つまり、妥協しないし配慮もしないということをただ言いたいがためのLIVE告知だったといえそうだ。

他に理由を考えれば、現状で国内リスナーと海外リスナーの比率がどんなくらいか確かめたかったとかそんなところだろう。よく考えればワンマンツアーをやってもフェスとは違ってファンじゃない人間を巻き込めない。つまりはあんまり意味がない。コラボアーティストとの音源で話題を集めてからフェスでかますのが一番上手いやり方だろう。

常田大希がこれまでに「化物」になると言ってきたことの意味は分かるだろう。「幸せにはなれない」とも言ってきた。常田大希はもう正気ではないが、正気では世界でイノベーションを起こすことは不可能だ。

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