福山舞、出来すぎてて気に食わないと思ってた。でも、あれは俺がなりたかった自分なのかもしれない。

福山舞っていうアイドルがいる。10歳のアイドルだ。しかも演技もできてドラマにもたまに出ている。この前は舞台での演技が神がかってたとか言ってツイッターで動画がバズっていた。気に食わない。

そもそも10歳のくせに礼儀ができすぎてる。そのくせインタビューとかだと急に子供らしい事言いやがる。絶対親に言わされてる。間違いない。

しかも勉強も運動もできるらしい。むかつく。日直になる日がワクワクするとか学年集会とかで代表の挨拶を任されがちとかウソだろ?気持ちわる。できすぎだろ。なんだよ。

どうせ親が金持ちで溺愛してんだろ。絶対そうだよ。

おれだってそういう環境だったらそうなってたわ。

いや、なれなかったか。

実際俺も別に貧乏ってわけでもないし家族仲が特別悪いわけでもない。愛されてたと思う。

勉強や運動だってクラスでは平均より少し上くらいだったな。別にクラスで孤立してるわけでもなかった。なんで俺と福山舞でこんなに差ができちまったんだろな。うける。いや、うけねぇよ。


なんかさらにむかついてきた。なんで福山舞はあんなに光に満ちてるんだ。


福山舞は特別なアイドルじゃない。俺も一応アイドルは好きだからあの子のいる事務所のアイドルについては結構詳しい。個性派揃いでそれぞれがものすごい個性や超えるべき課題を持ってて、幼いながらにそれを超えようとする姿は胸に強く訴えるものを感じる。

福山舞にはそれを感じられないんだ。いや、実際演技はうまいし歌もダンスもできる。でもあの子には特別な何かを感じられないんだ。

この前見たL.M.B.Gの練習映像でも思った。卓越したセンスでレッスンをこなす子、失敗しながらも泥臭く汗をかいてついていこうとする子、遊びのように笑顔ではしゃいでいる子、その子らのはざまで福山舞はレッスンをこなしつつ両隣の子に励ましの言葉を送っていた。その一瞬以降カメラが福山舞を映すことはなかった。

それでも、その姿が俺には光に見えた。

なんでだ。

なんでなんだ。

なんで俺はあの子にあんなに心を乱されるんだ。

なんで光を感じるんだ。


光。


ああ、そうか、わかった。

あの子はまだ、光の中にいるんだ。いつか俺もいた光の中。まっすぐと伸びるその道を進んでいるんだ。

子供の時は俺だってなんでもできた。いや、めちゃくちゃ頭がよかったりしたわけじゃないけどよ、なんでもほどほどにできたんだよ。

素直にふるまってれば周りは喜んでくれた。俺だってそれで満足した。

ただ俺には「特別」がなかった。小学生の高学年にもなってくればわかる話だ。それぞれの特別が見えてくる。頭のいい子、走るのが速い子、話が面白い子、問題児で先生によく叱られてる子。そして俺は、真面目ないい子。

親戚のおばさんが俺をこう評した。「手のかからない良い子やね」何気ない一言。だけどその頃から俺の素直さはもはや人の機嫌を取るための道具に変わっていったのかもしれない。そしてそれは自分の「特別」を完全に見失った瞬間だったのかもしれない。

その「特別」こそが俺が福山舞に心を乱される最大の原因かもしれない。

福山舞はまだその特別を持っている。類い稀な天性のセンスなんかじゃない、だれもが持っていたけど他の特別にかき消されるその特別。素直さ。

そして彼女はアイドルの活動を通して「素直さ」という特別が、他のどんな才能にも負けない特別であることを社会に知らしめてるんだ。本人に自覚はないかもしれないけど、あの輝きは、本物だ。

だから、彼女は俺にとっての光なんだ。

俺が失った道。自分を失うような気がして否定した道。他の才能に目がくらみ無駄だと感じた道。劣っていると思っていたその道、その道を彼女は今まっすぐと進んでいるんだ。

歳だけは立派に重ねてるくせにスタートからちょっと行ったとこで立ち止まってしまった俺のずっと前を、背筋をピンと伸ばして、歩いているんだ。

俺にとって、まぶしすぎるくらいの希望の光だ。


ああ、くそ。俺は福山舞を叩きたくて記事を書き始めたんだぞクソ!

なにが希望の光だよ。中二病かよ。

未来が無限にあるあの子と違って俺はもう汚い大人になっちまったんだよ今更どうこうできるもんじゃねぇっての!!!だからまぶしいし嫉妬してまうんだよ!いやなんで俺が10歳に嫉妬しなくちゃなんねーんだよ!

でもあの子、この前インタビューで「失敗はしてもいい」みたいなこと言ってたな。なんか母親だったかプロデューサーに言われたとか、「失敗は成功するために必要なこと」とかなんとか。はは、殊勝な考えなこった。

あ、だからあの子は俺みたいに立ち止まったりせず今もあの道を進んでいられるのか。

俺は今、昔失敗したその時のまま立ち止まっているのかもしれない。その事に引け目を感じてるのも事実だ。

でも、それも成功するために必要なこと。

今からでも俺も、福山舞と同じ道を進めるのかもしれない。むしろ俺は彼女と違って進むことをあきらめた後、迷ったり他の道を試したりしてる分、ちょっとアドバンテージあるかもな。いや10歳と何競ってんだって感じだけど。

ただ彼女が今その道を示してくれてることは事実だ。俺が昔、目を背けてしまった道。純粋に人の期待に応えたいという気持ちや相手への誠意、自分の成長。そんな感じのこと。それが誇れるものだという事。

彼女がいる限り。俺の希望の灯はきっともう消えることはない。たとえいなくなったとしても、その道を信じることはできるかもしれない。根拠はないけど、そう感じるんだ。だって、この生き方は、正しい生き方だから。福山舞というアイドルを産んだ、美しい光の道だから。

よし、なんか好き勝手書いてすっきりして来たな。明日からちょっと気分一新してがんばってみるか。

まぁその、なんだ、福山舞、出来すぎてて気持ち悪い思ってた。でも、あれは俺がなりたかった自分なのかもしれない。そんな感じだわ。

以上っ!


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この文章はフィクションです。実際のなんたらかんたらとは関係ないです。

わたしの感じてることを甲斐性無しの奴に言わせてみました。

わたし、地球に来る前、「いい子」と言われることが嫌な時期がありました。学校の先生が問題児は強く叱りつけるけどわたしには軽く注意するだけとか今後のアドバイスをくれないことがありました。世の中は何か大きな問題を乗り越える人がもてはやされて、問題の無い自分はどうしてもそういう人みたいになれないという気持ちがありました。

素直であることや人の期待にこたえたいという思い、前を見続けるということ、それらを続けることは美しいということ、そしてそれはわたしでもできるということを、わたしは舞ちゃんから感じています。

それが、わたしが舞ちゃんを光みたいに感じる理由だと思います。

舞ちゃん、ちょうかわいい。げへへ。

おわり。





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