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「死にがいを求めて生きている」(朝井リョウ:著)

 核心をついてくる言葉の数々に思わず、震えた。ページをめくるのが怖い、でも止められない。魔力的なものを持っている。わかりやすい救いのようなものは描かれてないし、そこは自分で考えろよと言われてるような作品だ。でも、僕は救われたと思う。
 生きてること自体、昔のようにレールが敷かれていた時代とは異なる。レール自体が嫌という人もいたかもしれないけど、それから外れなければうまく行く部分も多分にあったのだ。
 今はレールを自分で作りながら、すなわち何のために生きるのか考えながら生きなければならない。が、レールがある時代のままの教育?をする学校では、その「レールの敷き方」を教えない。教えられないという方が正しいかもしれない。学校だけが全てで生きてきた人が社会に出て、何をすれば分からず苦しむのは当然だ。それを知ってか、知らずか、教師たちは自分たちの成績のために生徒を駒として使う。

 一見、自由で選択の幅が広がったように見えるが、それができる人とそうでない人では天国と地獄。所得だけで言い表せない格差が広がっているかもしれない。というか、それが生きがいという点で格差に繋がってるのかもしれない。
 と言いながらも、読みながら批評される人物を見て「もしかして俺も…」と怖くなるのが、この作品の面白さだ。自分を見失わない保証なんてないのだ。既に見失ってるのか?とか自分を疑う。
 かき乱されてから、最後のラストに救われた。めんどくさいけど、それと格闘することが生きることなのだと。うざい人と出会わないことなんてないし、自分で折り合いつけるなりしていくこと。「生きることとはそういうことだ!」と張り手を食らったような清々しささえある。
 朝井さんは「何者」もそうだったけど、読者の心臓を掴むように凍えさせるのが上手い。途端に単なる物語ではなくて、自分ごとに変わる。驚き、恐れ入る。
 
 この本を読んでから、世の中の事象に目を向ければ、コロナ警察、自粛してない店への苦情など生きがいを求めてさまよう人たちがたくさんいることに気づく。
 そんなに嫌なら関わらなければいいのに、店だって行かないならほっとけよ、と思うが彼らはそれをすることで「世の中を正している」という生きがいを見つけているのだ。当事者からすればたまったものではないだろうが、理解はできる。そして、僕はそうでもしないとアイデンティティを保てないことに同情する。
 僕たち私たちは世の中を考えて行動している、と言うだろうけどそんなことはない。一皮剥けば何もないのだ。僕は、私はここにいる!と叫んで見つけて欲しいだけだ。余裕があって、自己肯定感に満たされてる人はそんなことしない。

 本の主題とは直接関係ないかもしれないけど、今の学校教育は時代にそぐわず破綻している。それも暗に指摘されていた。本当に子どもたちに必要なことは何か。これは子どもたちに限った話ではないし、教師であると自認するならば、教員はもっと真剣に考えていかないといけないだろう。

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