ヴェニスに死す症候群

 ある休日の馴染みの店でのことだ。

 新型コロナの騒ぎが始まってからというもの、僕は本業の記者業が忙しくなっていた。
 時間的に忙しい時期もあったが、何よりも幹事社業務が心をすり減らしていた。記者クラブにかかってくる電話や会見運営の話し合いなど、急に飛び込みの出来事が増えていた。
 慣れていない僕は必然的に常に気を張っていなければならない。メリハリなどという余裕はない。
 休日になれば気疲れかグッタリと1日の半分は寝ているようなことが増えた。
 それでも、休日は近所の居酒屋(というには洒落た店なのだけど)に行く。新型コロナで店は影響を受けていたから、居心地の良い店がなくなるのは辛い。だから、金の続く限り、気がつく限りは通っている。
 マスターや顔見知りの客と話すのが楽しみということも大きい。
 疲れ切った僕を見たマスターに「ヤカ、お前、このままじゃ潰れるぜ。メリハリつけた方がいいと思うぞ」と言われ、救われた。その時に店に行く時は青レンズのメガネで行くことが約束になった。笑
 
 話を戻す。ある休日。
 新型コロナで店は早くに閉まる。だから、昼に寝足りなくても体をひきづり起こして店に足を向ける。
 ある顔見知りの人と最近よく話す。人生のこと、仕事のこと、最近の出来事のこと。ついつい大人の彼の包容力に甘えて、ついつい話してしまうのだが。
 僕は年齢としては23歳。でも、平均的な(何をもってそういうのかはよくわかってない)23歳とは違うと自覚している。それは大学の部活のせいなのか、と直近の出来事で考えていた。
 ある時、映画『仁義なき戦い』の話になった。その時に盛り上がって、時代劇の話もした。
 「若いのによく知ってるね」
 「そういうの小学生の頃から好きで」
 それからも色々と話していて、北方謙三さんのファンだと話し、ずっと小学生から読んでいたと話すと彼は「なるほど、だからこんな23歳になるんだ。笑」と笑った後に、「ずっと年齢詐称かと思ってたもん」と言われた。笑うしかなかった。笑
 読書体験は人格形成に影響を与えている。それは最近特に感じる。男の美学的な考えも北方謙三小説の影響だ。まぁ、実態は伴ってないのだが。まだまだ男らしさは足りないのだが。少なくとも、ものの考え方には影響している。
 
 最近、ようやく怖くて開けなかった『マチネの終わりに』を読みはじめた。その中で「ヴェニスに死す症候群」なる現象が出てきた。知らずに、長い間僕はこの状態だったと言語化されて突きつけられた。
 まだ終わってないにせよ、少しずつ出口は見えてきている。一時の厭世的な自殺願望は小さくなってきている。
 
 息が詰まるように、詰まった息を吐き出すように、たばこを吐き出す日々が続いていた。しんどかった。
 この期に及んで、幹事社の辛い日々が自信に変わりつつある。
 23年しか僕は生きていない。でも、経験の密度というより挫折の回数は多かった。全てを乗り越えたかと問われれば、NOだ。反面、乗り越えてきたものもある。その積み重ねが僕の23歳にして異質な空気を作ってるのだろう。
 今までは諦めることも多かった。でも、苦しいことは往々にして新しい志を作るものだ。新たな目標に向けて気持ちは上向いている。

 4ヶ月にも及んだ『ヴェニスに死す症候群』がようやく終わりそうだ。

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