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2021/11/10 白饅頭日誌:暗黒メモ「日本のXデー:子育て支援が合意できなくなる日」への長文コメント

※500文字でツッコミが終わらないので記事にしました。

"大人の事情"的には無理筋な政策

"大人の事情"からすれば「18歳以下の子どもに1人あたり10万円の給付」というのは無理筋なアイデアである。

そもそも論として「18歳以下の子どもに1人あたり10万円の給付」への異論や反論が出るのは自然な流れだが、国会レベルで政治的合意へのノイズが生まれる場合は、緊縮派が財政論を持ち出して批判するというのがお決まりであるはずだ。

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少し風呂敷を広げればベーシックインカムですら無理だろうというのが自分の私見だ。


そしてベーシックインカムの導入が日本ではむずかしいもう一つの理由が、日本人の大多数は給与所得者であり、納税者意識が低いことだ。


この納税者意識の低さに胡坐をかいている連中がいることも忘れてはならない。

かの荒川和久先生も激怒するような話だったのである。

こうした事実は、普段あまり報道もされない。誰もが大企業の正社員で働き、結婚して子どもを産める環境にいるわけではないし、可視化されない経済的困窮者がたくさんいる。そして、政治が寄り添うべきは、声の大きい目立つ人たちの意見だけではなく、声を発せずじっと耐えている弱者の方ではないか。可視化されない人たちを透明な存在として無き者にしてはならない。

公明党支持層の属性を見れば、その通りとしか言いようのない話だったのかもしれない。本当にそうなのかは別として。

人口問題のタブーから政治的リスクへ

これはちょうど執筆中のnoteで取り上げるテーマでもあるが、「男性の所得を上げていかないと人口問題は解消しない」「女性が結婚しようとしない。未婚の最大の原因は結婚相手の男性の年収だ」という問題がある。

この論争には、かの宮台真司氏が参戦しているのが興味深い。



なぜカネなのか?という要素の一つに出産・育児の機会費用の問題がある。


冒頭で引用した白饅頭noteもこう指摘する。

経済的余裕のなさから「非モテ」である独身男性にとっては「経済弱者ほど独身者になり、独身者であるがゆえに経済弱者でも給付を受けられない」という、まさしくバグとしか言いようがない状況になってしまっている。
現代社会のとくに男性にとっては「パートナーを得られていること」「子どもを持っていること」が統計的にはすでに、まっとうな社会の成員ならライフステージのステップを上がるにつれて誰もが達成できる「当たり前のこと」ではなくなり、経済的・社会的・人間関係的に優位な者にだけ限定的に与えられる「ぜいたく品」になってしまっていることを示唆しているからだ。

「子どもは経済的に消費財」ということの言い換えではあるのだが、問題はこれだけに留まらないとも指摘する。

今後はそれに加え、現役世代の内部においても「非モテ独身者」と「モテ既婚者」が「労働階級(貧困層) vs. 資本階級(富裕層)」の相似的な対立構造の形になり、「子育て支援を充実させよう」とするコンセンサスを感情的にも社会的にも取りづらくなってしまう。
人口再生産性を担保することは国の存続について絶対に無視することのできない、いついかなる時にも最優先の課題である。にもかかわらず「結婚」にありつける人が少なくなってしまったせいで、「子どもやその親をサポートする政策」の政治的・社会的な合意形成が困難になっているという政治的リスクが、この国ではいま時限爆弾のように膨れあがっている。
先月「それ以上いけない市長」「evil市長」「白饅頭note購読罪市長」などとして一部界隈を騒然とさせた相馬市長の主張――「女性ではなく男性の所得を上げるべきだ」――は、低所得が未婚率とダイレクトに関係する男性をエンパワメントすることで結果として婚姻率上昇をもたらすだけではなく、現役世代の男性の「モテ格差」を是正し、子育て支援の是非をめぐる社会的不和や政治的リスクを緩和することも同時に見込めるという点で、きわめて完璧な答えなのである。
 ……実現不可能という点を除けばだが。

とは言え、人口再生産政策として出産と育児の支援に偏ってしまうと、アメリカの黒人社会のような歪な状況が発生しうる。

尤も、本邦での議論を見ていると「子どもやその親をサポートする政策」の政治的・社会的な合意形成は既に無理だろう。あまりにも分断が進み過ぎているからだ。

その結果、日本にはジョージ・フロイドが出てくることなく、人口減少一直線という未来が約束されているように見える。

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