補論:非モテというよりクズ男である、もしくは"とうふ族"による現代社会への抵抗

この白饅頭氏のnote記事は至極当然のことを指摘したまでではあるのだが、その当たり前が実践できない理由を考察してみた。

親が壊れているパターン:条件付き承認

ヤングケアラーが典型かもしれないが、子供というのは親を喜ばすように家庭内環境に適応してしまう。いわゆる条件付き承認という現象だ。

非モテをカネで偽装、粉飾するクズ男

まずは宮台真司氏のこの発言を読んでいただきたい。

 そこにいく前に大事な話をしなければなりませんが、日本の幸福度はOECD加盟国では最低で、なぜ幸福度が低いのか、ということを考えていただきたい。結論だけ言うと、これは孤独死問題と相関していて、そのときに誰にも助けてもらえない、包摂してもらえないという予感は、非常に厳しいものです。いまは援交めいた「パパ活」なるものがものすごく広がっていますが、そこで女の子たちが証言していることが非常に興味深い。
つまり、一流IT企業の社長やCEOだとか、あるいは大手企業の部長や取締りクラスなど、頭も良くて、心も豊かで、尊敬できるおじさんがいるんじゃないかと、そういう界隈に関わっていっても、ひとりも出会えないと。
これは幸福度と関係することですが、自分は価値がある存在だと思えない人が多く、それがパパ活界隈に関わる非常に大きな動機なんです。しかし、その子たちのいわゆる買い手になっている、お金を払えるおじさんたちを見ても、潜在的に自分たちと同じ不安を感じる。自分はいま、勝っているし金も使えて、偉そうにできているが、頑張り続けなければ、いつ負け組になって人から後ろ指をさされたり、バカにされるかわからない、というふうに怯えていると。いざとなったら負けて、孤独死して野垂れ死ぬ、という感覚を持っている人が多いんでしょう。

年末恒例マル激ライブ コロナ後の世界で権威主義とメタバースに取り込まれないために
https://www.videonews.com/marugeki-talk/1082
の宮台真司氏発言より

非モテと幸福度の低さは相関している。しかし幸福度が低くてもモテる方法はある。カネで女を釣れ!という戦略である。

自分の性的魅力に男が金を出してくれるのか、それとも男が出す金に自分が魅力を感じているのか。どちらも100:0や0:100ということはありえないと思うが、「男が出す金に自分が魅力を感じる」ことを認知的に粉飾決算して「自分の性的魅力に男が金を出す」と勘違いしていないだろうか?

女性便益と性的消費の奇妙な関係|やじうまファイタークソえもん @yajiumafighter1 #note https://note.com/yajiumafighter/n/na81f3bc9b347

これが性愛が無理ゲーになった原因の一つではなかろうか。

そして結婚はカネとセックスの取引の一つの形でしかなくなった。そのことを指摘する拙稿がこちら。

そう思ったからこそ、以下の爆弾をnoteに放ったのであった。

しかしまぁ、世の中見回すと結果的にはセックスで男は金を払って女は金をもらうことになっているよなぁ、夫婦間の子づくりでも、と思えてしまう。もちろん、そんな見方は狂っている自覚はある。

自由からの逃走2.0#4:被害妄想という不安からポピュリズムへ|やじうまファイタークソえもん @yajiumafighter1 #note https://note.com/yajiumafighter/n/n3a5bd13ec255

俺が、この娘を付き合っているのは、この娘が可愛いから、でも可愛い女の子はごまんといる…という形で社会的流動性の高まりが、人間関係の弁証可能性を破壊したが、今や人間関係は貴重品であり、人生のリスクでしかない。

だから"ムラ"にしがみつくし、価値観を持って判断すると生きていけなくなるので、己の目先の損得を考えて行動するようになる。

専門家は安全性を議論できる。僕たちはどのような社会がいいのかについて考えたい。そのことについて専門家は回答を与えてはくれない。ではどうするのか。自分たちで引き受けて考える必要がある。
専門性を引き受けるということではなくて、価値を引き受けるということです。
福島大学の学生達を取材すると、教員も学生も原発や放射能汚染の話は事故当初からほとんどしないそうです。地元の人達が大勢、原発や電力会社に関わっていて、知人の誰が関わっているか分からないからです。
「人間関係を破壊する問題については話せない」とはっきり言うんですね。これこそが、「ムラ」の論理です。
若い人たちは、価値を持つことで人間関係上の適応ができなくなることを恐れています。だから、価値なんか持たずに周りに合わせていればいいと思っているのです。
原子力ムラから外に出たときに、生きていけるような居場所があるだろうか。日本の場合、多くの人が「ない」と確信してしまうのですね。だからこそ、ムラの人びとは、ムラに必死にしがみつくしかないわけです。

岩波ブックレット「原発 決めるのは誰か」 吉岡 斉, 寿楽 浩太, 宮台 真司, 杉田 敦

こういう損得勘定で生きる人間を宮台真司氏はクズと呼んでいるわけだが、金の力を魅力の力と勘違いさせて女を彼女扱いする"パパ"にしろ、被害感情からくる女の"マンコ二毛作"問題にしろ、このクズ問題の問題系である。

「政治的にただしい」条件から"とうふ族"の生存戦略へ

「政治的にただしくない」ことは言えない。なぜなら「人間関係を破壊する問題については話せない」からだ。そして「政治的にただしく」なければ居場所すら奪われる。

これがポリコレの過激化がムラ社会と同じ状況を形作る理由である。

恐らく"とうふ族"は、損得勘定を至上の価値として生きるクズがひしめく現代社会の中で、最後の抵抗を続けているのであろう。

一方で、現実を生き延びるには自らクズ化して現状に適応するしかない。その現実の一つの顕れが「結婚は愛よりカネ」というトレンドだろう。

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