無責任な政治と「神の国」
先日の記事に早速すきを付けていただいた方がおられて恐縮である。
そうしていたら白饅頭尊師に上手いこと書かれてしまった。
https://blogos.com/outline/453008/
で、本題はここからだ。我々が現在進行形で見ている光景は何だろう?
自粛要請なのであって、法的拘束力がない。にもかかわらず休業要請に応じないパチンコ屋の店名を公表する。
これは一種のイジメだが、パチンコ屋が潰れることに対する「かわいそうランキング」(白饅頭尊師命名)が低いことに原因がある。
記事から引用しよう。
たしかに、感染拡大が懸念されている状況下で少なからず人を集める業態の事業者が営業していることは「不謹慎」「不道徳」に思えるかもしれない。だが、彼らは悪意があってそうしているわけではない。別の「命」を守る――経済問題・雇用問題による死を回避する――戦いを強いられているにすぎない。国がなんの補償もしないし、まして責任を負おうともしないからこそ、市民社会の非難を承知のうえで自力救済を強いられているのだ。国や自治体がなにもしないうちから、市民社会が私的に制裁を代行してくれる状況ほど、リーダーたちにとって好都合なことはない。
強調しておくが、今日までの状況はすべて、「お願い」ベースで進められてきた。彼らはなんの「命令」も下していない。実際のところ、記録に残る形で「命令」は一切なされていない。「あくまで市民社会の自由に委ねて、今日の状況に至った」と主張するための既成事実を必死に積み上げてきた。それはいまのところ成功している。
これはつまり、国や自治体がその気になれば「自分たちは一切責任を取らない」というカードを、現在でも残していることを意味する。彼らは最後までこの手札を手放さないだろう。今日の彼らの言動を見るかぎり、最後の局面でこれを繰り出してくるはずだ。
国や自治体が責任を取らないのは今に始まったことではないので、今後もこの原則を変えることはないと想定できる。
自力救済と私的制裁。
単なる自由至上主義、と言ってしまえば聞こえがいいが、元々、日本の政治文化に責任という概念はないし、もっと言ってしまえば日本人に(西洋的な意味での)「契約」という観念が肚落ちしていない。
したがって自粛要請という形になるのは必然である。
そして新型コロナウイルス感染症の流行の第1波が収まったあたりに、他国と比べて日本国内の感染確認数や死亡者数の単位人口当たりで少なく済んでいたら、「やはり日本は神の国」のようなことが言われるようになるのではないか。
2月に「神風邪」と永田町の一部で言われていたらしいが、感染終息時に「やはり日本は神の国」のようなことを言うのであれば、「変化も進歩もない」日本をさらけ出すことになる。
こういう主張は敗北主義と言われるかもしれないが、色々な意味で悪い予想は外れてほしいと願う。
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