2021/09/11 白饅頭日誌:マガジン限定記事「思春期を終わらせるにはカネがいる」 への長文コメント

※500文字でツッコミが終わらないので記事にしました。

あらかじめおことわりしておくと、ツッコミと言っているけれども、自分なりに気になったポイントを整理していたら長くなっただけである。

「人間は加齢したからといって自動的に『大人』になるわけではない」
「思春期を卒業するためにはカネと責任が必要」

大人になることを社会から拒否された、という見方は興味深い。これも「社会的排除」のロジックで取り扱えてしまうが、そのロジックを説明する前に、氷河期世代をよくは思っていない若者の声を分析してみよう。

「氷河期世代がいつまでも被害者ぶっているのはおかしい」
「若者に自粛を要求して、経済的にも社会的にも抑圧する側になっておいて何を言っているのか」

社会学的にはこういう構図で説明できる。

中間層の崩壊、没落という現象が進んでいるが、中間層から没落した層というのは、これまで中間層が享受・共有していた既得権益にあずかれない。この中産階級の「座席数の急減」により「誰かをたたき出すゲーム」が始まった。

この構図に従えば、氷河期世代で職にあぶれた集団は没落中間層であり、氷河期世代をよく思っていない若者は、「何であいつらに席を与えるんだ」と見ているわけだ。

この図式、ジョック・ヤングの「排除型社会」の図式そのものなのである。

ジョック・ヤングの「排除型社会」の議論はこうだ。

工業を中心とした産業構造が変わって、労働集約型産業が弱体化していくと、就労から家族生活までの関係性(包摂型社会)の解体が起きる。まさに中間層の没落現象そのものだ。

そして生産労働への適合的な在り方が強制されなくなった一方で、不適合な存在をリスク評価の観点で社会から排除していくようになる。

ここまでを踏まえて「大人になることを社会から拒否された」という見方を解釈すると、氷河期世代に就職できなかった人間は「大人として社会に包摂されなかった」。ところが「社会に包摂されない」が、当人はリスクがあるから排除されたのだ、という解釈に昇華してしまう。ここが問題だった。

たまたま椅子取りゲームの椅子が少ない時代にイスに座れなかったという敗者というだけで、リスク要因として社会から排除された、という構図。

この議論の延長線上に以前にも議論された排除のもたらす副作用がある。

それはあたかも"鬼"になった"元・人間"に襲われることが日常化した社会、というイメージで語られるだろう。これを書いていて「進撃の巨人」「鬼滅の刃」の図式を思い出すくらいだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?